4日目 異文化コミニケーション 前編

 譲り受けた祖父の家は荒れている。

 ボロ屋敷もしくは物が散乱した所謂ゴミ屋敷という意味ではない。遺品は整理――といっても粗方親戚に荒らされた後なので何も無い――され一見整っているように見えるが、網戸を締め切った和室の畳は腐敗しておりカビ臭く、空気の流れが止まったキッチンにはどこから忍び込んだのかネズミの痕跡があった。

 人の住まない住居は劣化が早いと聞いたことがあるが、これ程までと思わなかった。異世界探検の拠点は蔵を使おうとしていたが、今後のことも考えて母屋の修繕は課題と言える。

「座って」

 布巾でテーブルの上を拭い、同行者を席に促す。

 お茶なんて用意しているわけもなく、湯飲みに水を注いで相手に差し出す。

 言葉は通じないようだが、身振りで座ることを促されたのを悟ったのか、彼女は席に着いた。


 第一村人――もといエルフの少女は、俯いたまま水を口にした。


 ※


 あれから一日たった。

 満を持して挑んだ異世界探検初日は、高橋の奇行によって危うくご破算となるところだった。いや、考え方によっては既に破綻していると言える。

 初日は情報収集のみ。エントリーポイント周辺で情報を集めるだけ集め整理する。

 エントリーポイント付近の深い霧は、何も勝手が分からない異世界を調べるうえで少なからずメリットがあった。何しろ異世界の情報は何もない。例えば漫画やアニメにあるような魔物、モンスターは存在するのか? そこに住む人々は? 知らないとは、無知とは世界で生きていくためにあまりにも非力だ。

 初日からすべてを知る必要はない。知らないのであれば知ればいいのだ。見える範囲の情報を集め、ランドマークとなるものを整理し、翌日以降の計画を立てればよい。人や生物と出会った場合は逃げるか、極力遭遇しないよう心掛ける。概ねこんな計画で初回探検に臨んだはずが、まさかの事態である。

 結局僕は高橋をククリナイフで斬り、そのまま半裸の少女を連れて元の世界へと戻ってきた。

 そういえば扉は異世界に行った時、異世界側からも見える形に現れていたが、蔵の所定の位置から外した今、異世界側からどのように見えているのだろうか? どこでもドア――昔アニメで見た魔法のアイテムだ――で潜った先のように、扉は消えてしまうのか? それとも何かしらの形として異世界側にも戻るのか?

 昨日から半日以上たった今、錯乱した高橋がこちら側に来ないということは、考えれることは二つある。

 一つ、扉は消える。高橋は異世界に置き去りにされた。

 二つ、高橋は死んだ。婦女暴行をした罪である。ざまあない。

 高橋の生死はともかく、次に高橋と出会った時に直視できないことは間違いない。

 生きていれば戦闘になるかもしれないし、死んでいたら……その時は同郷のよしみとして、弔いくらいはしてやるとしよう。

「――――」

 湯飲みの水をあおり、あらためてエルフの少女に目を向ける。身振りからも何か伝えようとしているが、彼女の言葉は

 英語などの外国語を使っているのとは違う。意味不明の音を聞いているのであれば、それが異なる国の言語だと理解できるだろう。しかし彼女のそれはのだ。

「すみません、僕にはあなたの声は聞こえません。……あなたを傷つけることはしません。約束します」

 両手を合わせて誤ってみたり、不安そうに何度もこちらに視線を向ける彼女を落ち着かせようと、ホールドアップして武器を所持していないことを示すが、彼女の反応を察するにこちらとまったく同じような状況らしい。

 つまり、言葉がそもそも音として伝わらない。

 外見は同じ人間のように見えるが、発声器官が異なるのだろうか?

 声帯だけでなく臓器やその他もろもろもすべて違う生き物なのかもしれない。

「参ったな……」

 今後、長い目で見てもこれは課題である。目下さしあたっては、異世界を探検し世界のことを理解する目的は変わらない。コミニケーションについては理解を早める要素ではあるが、必須ではない。

 しかし異世界探検を進める僕の最大の目的。異世界での定住をするうえで、避けては通れない課題だ。

「――――」

 何かを訴えようと、彼女が口を動かす。身振りなりしてくれれば考えようもあるのだが、先ほどから淡々と述べては気落ちしたようにうなだれている。

 高橋から救ってくれた礼をしているようには見えない。

 思えば彼女からすればここは異世界にあたるのだ。周囲も含めて見慣れぬものが多いに違いない。しかし元の世界に戻りたがっているような素振りはない。少女の身振りが、体が蔵の方向を向かないのが根拠だ。

「お手上げだ……いっそ無理に扉の向こうに押し込んでおこうか」

 いよいよ強制送還案を練ろうとすると、突然彼女が立ち上がった。

「――――!」

 何かを必死に訴えかけようと、身振りを含めて話しかけてくる。

 言葉は相変わらず届かない。しかし何かに必死なのは確かだ。

「帰りたくなった……? いや……これは」

 危険を知らせている?

 蔵の扉は閉めたうえで外している。そうなればただの鉄製の板でしかないはずだ。

 不安に駆られ、少女をそのままに蔵へと向かう。

 地下への階段を駆け下り、装備の中からククリナイフを手に取る。

 高橋の血は拭っているが、黒く刃の先にあの時の感覚がよみがえる。

 扉は外したままの位置にあった。

 その向こう側は見えないが、何より扉として機能できる状態ではない。

「……違う? 扉じゃない?」

 早とちりしたか。

 溜息をつき、ククリナイフを鞘にしまい込む。

「――――!」

 ――音は無いが空気の微かな揺れを感じる。

 振り向くと、母屋に置いてきた少女が背後に立っていた。

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