誤算

 やがて青田が注文したメニューが届き、ベーコンの脂が潤滑油代わりになったわけでは無いだろうが青田の弁はますます勢いを増した。

 実際、あの小冊子の絡繰りに気付くものは大勢――というか、それが普通の反応なのだろう。

 あの小冊子は学祭をサポートするために配布された。

 それは真実であり、それが暴かれたところで何も問題は無い。

 では、青田は改めて何を「説明」しているのか――

「問題は、それを主導していたのが誰か? という点まで疑問に思えた者がいるのかという点ですね。もっともこれに関しても文芸部と生徒会の共同作業、と考えることで一応の納得は得られる」

「青田君は、それでは納得出来ないと?」

「ええ。三人――当然部長である志藤先輩も承知のことでしょう。ですから、志藤先輩が俺を訪ねてきたのに、あやふやな態度だったのは古門への想いと同時に、俺にたいしての後ろめたさがあったんでしょうね」

「けれど、学祭を盛り上げるという目的は立派なものだったはず。その過程で文芸部の文集が売れたとしても――」

 天奈がそんな風に言葉を挟み込むと、青田は愉快そうに笑みを浮かべた。

「やはり経済的な面で先輩たちに罪悪感を抱かせて誘導してましたか。ですがね、御瑠川先輩。それは見込み違いというものです。古門はどうかわかりませんが、志藤先輩が気にしていたのは『鵯越』です。俺を馬鹿にしているように思ったのでしょう――俺が気にしないだろうと判断出来ても尚」

「それを……青田君は気にしないの?」

「先輩。残念ながら俺は気にしません。そちらをご希望でしたか」

 ほんの半瞬――天奈の目がそらされる。

「――少々先走ってしまいましたが、あの小冊子について主導しているのは御瑠川先輩ですね。俺はその動機がしばらくわからなかったんですが……」

「しばらくって?」

「あの冊子を読み終わるまでかわかりませんでした」

 ――小冊子の「短編」を読み終わるまで。

 その期間を“しばらく”と表現されることはまずあり得ないだろうが、青田は別に嫌味で、そう答えたわけではなさそうだ。

 それと察したからこそ、天奈は青田を改めて見直す。だが青田はもう天奈すら見ていない。

「これは俺の目指すものが、先輩の目標に近かったという幸運もあるんでしょう。先輩――あなたは『黒幕フィクサー』でありたいんですね」

 その指摘は、果たして決定的だったのか。

 天奈は、その指摘で逆に開き直ることが出来たのか、随分落ち着いた面持ちでカップを傾けていた。

 青田の説明はさらに続く。

「今回の学祭を巡っての顛末。これは先輩が主導した。そう考えた方が蓋然性が高い。となると第一の疑問は、事の発端になった連絡会での発言」

 青田はカップに残っていた珈琲を飲み干した。

「故意なのか。はたまた思わず出てしまった言葉なのか――先輩の回答には期待していませんよ。何しろ、黒幕志望者だ。そこで改めて傍証をかき集めてみました。その後の『短編』の展開」

 青田は切り分けたサイコロ状のベーコンをフォークで一刺し。

「それから窺えるのは『橘臣空流というキャラに誰もが惹かれている』という前提だ。それを先輩は自らの手で設計した。ここでは良いとして、マズかったのは古門の真意を見誤ったこと。古門は恋い焦がれて、それだけで『幕間その四』にあの様な展開を紛れ込ませたわけではない。だが、志藤先輩への想いも確かにあった。それなのにあなたは……古門もまた『鵯越』を意識していると、あれをそのまま受け取ってしまっている。ハッキリ言って迂闊。“黒幕”志望にしては思考が浅い」

 青田はフォークに刺したベーコンを一噛み。

「傍証として……あの最後のステージに先輩がご自身のコネを使って“演出”を仕組んでいたこと。俺はその演出を利用して――俺もそういったコネを持っていますので――逆に古門にスポットライトを浴びせた、と言うわけです。これもお知りになりたかった部分ですか?」

「…………ええ」

「と言うことは、ステージ上で俺と古門のカップル成立を狙っていたことも認めると。あの『幕間その四』をお読みになった時、先輩は思わず快哉を叫ばれたのでは?    

 実際、自らを的にしたこの計画には先輩の考えでは危険があった。『鵯越』が、つまり俺が、先輩に熱を上げすぎてしまうという危険性だ。その状況で飛び込んで来たのが、あの幕間だ。俺と古門がくっつけばその危険性は大幅に減る。そこで先輩は大袈裟な演出まで用意して、俺と古門をカップルとして“固定しよう”と試みた。

 ――

 その可能性に、先輩は眩まされたわけです」

 青田はそこでグラスに残っていた水を呷った。

「この迂闊さ加減から考えると、連絡会での一言も“迂闊さ”が生みだしたものだと考えるべきでしょう。そもそも秘書的な役割をしていた白沢を羨ましく思ったと考えても、あの発言は筋が通る。恐らくですが、先輩が仕事の様子を見せないから、あんな風に恋愛ごとだと連想されてしまう。やはりそれも迂闊。黒幕志望――それにこだわり、それを扱いきれていない。そのミスから、あそこまで仕上げた企画力には見るべき所はあるかも知れませんが」

 タン、と青田はグラスを置いて立ち上がる。

「今回のことを良い機会だと考え、御瑠川先輩はご自身を見つめ直すべきでしょう」


 ――そこでやめておけば。

 

 この後、青田を苛む災厄の始まりは防げたのかも知れない。

 だが、青田もまた軍師でしかなかったのだ。それを青田自身が忘れてしまっていたという

 やはりピエロ役をあてがわれた事への怒りがあったのか。それとも、自分と同じような目的を持つ者と競い合った興奮があったのか。

 青田はまったくもって“余計な一言”をこの時付け足してしまったのだ。


「……先輩。なかなか“可愛らしい”ところを拝見させていただきました。では失礼」


 その、致命的な一言を残して青田はその場を辞した。

 しかし、それも失敗の一つと数えても良いのかも知れない。

 今しばらく青田がその場に留まっていれば――


 ――目を潤ませ、頬を赤く染めた天奈を発見できたのだから。

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