書記・碧氷丹音

 曹学院のすぐ近くには図書館があった。それはやはり幸運だと考えなければならないのだろう。

 そして夏ともなれば、この図書館でまとめて宿題に取りかかる事ができるわけで、学校が近いこともあってか、生徒も結構な数、訪れている。

 今回の聞き込み相手、二年生で書記の碧氷あおひょう丹音あかねもそういった理由で図書館を訪れていた。

 それは紗那と鵯越にとっても都合の良い事である事は間違いない。

 彼女が一人でいることを確認して、声を掛けた鵯越はそのまま丹音を自習が出来るスペースから引っ張りだし、入り口近くの談話スペースに連れ来ることに成功する。

 そしてめいめいが直角に配置されたソファに腰掛けて、そのまま聞き込みを始めた。

「橘臣さん……についてですか? となるとやっぱりについてですね」

 同学年であるのに、丹音の言葉遣いは随分と丁寧だった。

 そういった性格なのだろう。おっとりとした見た目も、その印象を強めている。

 冷房の効いた図書館用なのだろうか、羽織っているレモンイエローのカーディガンのサイズも幾分か大きめだ。

 サイドテールにシュシュでまとめた髪が活動的で、逆に違和感を覚えてしまう。

「そうだ。その件について聞きたい」

「あの……副会長、っていうかそういった役職離れたら、碧氷さんと同性でしょ? それで好きな人って話でしょ? それは要するに恋バナってことだから……」

 その辺りで踏み込んだ話を聞いているのではないか? と言うのが二人の狙いだ。

 発案はもちろん鵯越だが、それに「恋バナ」という単語を使うように言いだしたのは紗那自身である。

 どう考えてもハードボイルドに生きている鵯越から「恋バナ」なんて言葉が出てくるとは思えない。

 そう考えて紗那が申し出た結果、いっその事、紗那自身を中心にして聞き込みをした方が良いんじゃないか? という流れになった。

 かと言って本当に「恋バナ」になるのも困るので、二人はいつもと変わらずに制服姿だ。この図書館を訪れる曹学院の生徒なら夏休みでも半分ぐらいは制服姿なので、そこまで目立つほどでもない。

 実際、他の利用者も特に二人に注目することもなかった。

 そんな風に、出だしは順調だったのだが――

「でも、私はほとんど橘臣さんと話すことはないんですよ。本当に挨拶ぐらいで……だから、そんな風に親しく話すって事も無いから」

「ああ、そうなんだ。それはやっぱり副会長はほとんど生徒会室にいないってこと?」

 そんな紗那の確認に、丹音はこくんと頷いてみせる。

 やはり空流はあちこち動き回っているようだ。薬煉の証言を疑っていたわけではないけれど、これで裏付けが出来た形になる。

 しかしこうなると、紗那はどうするべきかわからなくなってしまう。

「――だとすると、副会長が発言したと言われているあの会議」

 それを察したのか、鵯越が後を引き継いで、この件の大元についての聞き込みを始めた。確かにあの会議で何があったのかについて、生徒会からの証言は集まっていない。しかしこれも、良い結果が出そうにも無かった。

 丹音が肩をすくめながら、こう返事をしたからだ。

「それも私は聞こえてないんですよね。当事者……かどうかはわからないけど、頼りなくてすいません」

「そんな。それって碧氷さんのせいじゃないよ」

 紗那が思わず声を上げて、そのまますぐ、こう繋げた。

「……でも、そんな感じなんだ。えっと“感じ”って言うのは、会議室の距離とかそういうものなんだけど」

「そうなの。私はあっちゃん――じゃなくて会長のお世話をしていたから、よく聞いてなくて」

 ずいぶん口調が砕け来たと同時に、彼女が生徒会に籍を置いている理由も見えてきた。どうやら生徒会長とはずいぶん親しい――それは“彼女”だから当たり前なのだが。

「ただ、こんな風に聞かれて思ったんだけど……」

「うん。なに?」

 どうやら、上手い具合に丹音の記憶を呼び覚ますことが出来たらしいと、紗那は慌て過ぎる事がないよう気をつけながら、先を促した。

「橘臣さん、私と会長の……その……」

「交際している者同士の距離感とかそういうことか?」

 不躾だが、それだけに的確な鵯越の確認に丹音はうなずいて見せた。確かにそういった内容を自分で口にするのは恥ずかしさが勝つだろう。

 鵯越の的確なフォローとも言える。

「そう。そういった“もの”を見るのは橘臣さん、初めてだったのかも知れないな、って」

「あ、なるほど。それで思わず声が出てしまった、と」

 紗那が、その丹音の推測に感心する。

 推理と言うほどのものでは無いだろうが、確かに説得力はあった。ほとんど生徒会室にいない、という証言もそれを補強している。

「――他に気付いたことはあるか?」

 鵯越も、丹音のそんな推測に十分な価値があると思ったのだろう。重ねて尋ねると、丹音もさらにこう続けた。

「これは、ただ私がそう感じてるだけなんだけど……」

「全然構わないよ!」「それでも助かる」

 紗那と鵯越が同時に言葉を添えた。

 すると、丹音は思い切ったようにこう告げた。

「橘臣さんの好きな相手って、やっぱり学校にいるんじゃないかと思うのよ。だって、元々は私と会長を見ての言葉なんでしょ? じゃあ、その相手と付き合うことが出来たら――」

「……そうね。碧氷さんと会長と同じようなことになれるんだ」

「だからこそあの発言か――うむ、確かにな。校内にいて、それが教師ということもない。交際が知れ渡っても問題無いからこそ――」

 丹音の証言は確かにそういう結論に辿り着くようだ。

 それはそれで進展があったとも言えるが、ただ事実を確認しただけとも言える。

 だが、それ以上の証言を丹音から引き出すこともできずに――


 ――そして二人は図書館をあとにした。

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