第一話 恋はディストラクション

全身全霊の気休めの結果

 野球部マネージャー、ともがら学院一年生の樽粕たるかす星霞せいかは追い詰められていた。

 何しろ星霞が恋い焦がれる野球部の主砲、嶺久れいく晴陽せいように“危機”が迫っているのだから。

 いや危機と感じているのは実際星霞だけで、主体を入れ替えればそれは晴陽にとっても喜ばしい未来が待っていると考えるべきなのだろう。

 何しろ「彼女」が出来そうなのだから。

 しかも、その相手が“あの”生徒会副会長、橘臣きつおみ空流くうるとなれば、それを喜ばないものなどいないだろう。

 まず彼女は美人である事は間違いない。背まで届くロングヘアにカチューシャ。少しつり目気味の目は、何処かしら生意気そうで、だからこそ恋人になった時に見せるであろう笑顔を想像するだけで、心が沸き立ってしまう。

 それでいて生徒会の中で独自に動き回る情報室室長、なんて言われている程の実力者でもあるのだ。

 きっと彼女なら野球部主砲である晴陽とのつり合いも取れている。同じ三年でもあるし、今までの付き合いもあったに違いない。

 となると危機とは即ち星霞の危機であり、実際この危機を回避する手段は――すぐには思いつけない。


 星霞はボニーテールを揺らして部活の合間に晴陽の姿を見つめていた。今、晴陽はライトのポジションに入りノック及びバックホームの練習中。だからベンチ前で用具を片付けながら、星霞はまた確認してしまうのだ。

 瞬間を見逃すまいと。

 やがて聞こえてくる吹奏楽部のトランペットのロングトーン。

 朱く染まり始めた空に滲むような、どこか物悲しい調べ。

 これが始まると、晴陽はしまうのだ。何も無いはずの空を。

 今もまた、晴陽は白球を追うでもなく「何となく」空を仰いでいた。

(まただ)

 トランペットの音が聞こえてくると、晴陽は空を見上げてしまうのだ。星霞はそれ気付いた時、実は「やった!」と心の中で快哉を叫んだものだ。

 二人だけの秘密ということになれば、あれやこれやと発展の予感を感じてしまうものだから。  


 例えば夕闇の中を並んで返る自分と晴陽。その最中にふと空を見上げる晴陽。

 そして星霞は告げるのだ。

「……先輩。いつも空を見上げてるんですね」

「え? バレてたのかい?」

 歯を光らせながら晴陽が応じる。

「それはそうですよ……だって。私先輩の事ずっと見てましたから」

「樽粕……いや星霞……」

 夕闇の中、重なる二つの影――


 とかなんとか、キャー! となる展開が自分には待ち受けている。そうに違いない。あとは日が短くなるのを待つだけ。

 これはもう勝ったも同然。実際、星霞と晴陽は一緒に帰るぐらいのこと――最寄り駅までの間に場所がない事には触れないでおく――は気安く行えるぐらいの距離感で、つまりどちらが告白とどめを刺すか。……というぐらいの状況だったはずだ。

 だから晴陽のという仕草は、二人の仲を進展させるだけで、決して障害にならないはずなのだが、実はこのという仕草を、星霞が目撃したのは、実は晴陽が初めてでは無いのだ。

 それを思い出してしまった瞬間に、星霞のテンションは急転直下。何しろ同じような仕草を見せていたのは――副会長・橘臣空流なのだから。


 例えばこんな物語はどうだろう。

 お互いに思い合った晴陽と空流が知れずに同じタイミングで、空を見上げてしまう。その理由は放課後、いや帰り道で突然降り始めた雨。

 そこで二人は雨宿りのために、何処かの軒先で偶然隣り合ってしまう。

 お互いに意識するようなやり取りあがったに違いない。

 けれど空気が読めない空模様は、雲を引き裂くようにして、二人を引き裂くべく晴れ間を覗かせ、互いに名前を知る事も無く二人は別れてしまう。

 残されたのは、雨の日の運命の出会い。

 それを思い出すからこそ、二人は知らずに空模様を確認してしまう。


 星霞が、そんな空流の仕草を目撃したのは入学して間もない頃だ。生徒会からの連絡事項と言うことで、野球部の部室を訪れた空流に星霞は引き合わされていた。

 別に重大な意図があったわけでは無く、ただタイミングが合っただけで、その時は空流も単純に「うわー綺麗な人」という感想を持っただけ。

 ただ違和感があった。

 紹介を受けている最中に、空流はふと視線を外したことがあったのだ。

 それはきっと、空を見上げようとしていたからで。きっと二人の出会いは、自分が入学する以前のことで。

 つまり自分は、想い合う二人の間に割り込んだ邪魔者で……

 そして伝え聞く、連絡会での空流の発言。その内に、これも伝わるに違いない。実際、野球部の中でもとっくの昔に噂になっている。

 副会長、橘臣空流は恋をしていると。

 そんな噂話に興味を覚えた晴陽が空流を確認すれば――再び燃え上がる恋の炎。


 つまりは危機なのだ。


 かと言って、そのまま諦める事も星霞には出来なかった。

 何とかして二人は想い合っていないという証拠を掴もうと、さらに二人の観察を進め、その度にやはり二人が同じタイミングで空を見上げていることを確信してしまう。

 それどころか何処にいるのかよくわからない空流を発見するために、真摯に行動し続けた結果。


 星霞は立派な「不審者」になっていたのである。

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