第3章
八月になると、どうしてだろう。夏休みももう終わりだという気がする。残る夏休みは二十五日ほど。まだまだあるのに、今月でもう終わってしまうという悲しみに包まれる。お盆過ぎになれば、文化祭に向けてほとんど毎日登校するから? それとも単に日が短くなるから?
「僕はそうじゃないと思うんだ!」
ほう、と智がメガネをくいっとかけ直した。
「夏休みにすべきイベント。それは、海に行くことだろう。そうだろう」
僕の熱弁に、実佳子もハルナも聞き入っていた。
「でも、水都は、水都に限らないのか? 八月になると海にクラゲが発生する。だから海水浴場に行く人は減るんだ。もう盛りは終わっているのさ。それに、八月の第一週に水都まつりもある。水都まつりで大きな花火があがるんだ。それはそれは立派な三尺玉で、夏に対するエネルギーすべてが一瞬ではじけとぶ気がする」
「すると、水都以外の街では、例えば海水温度の上がらない北海道なんかでは夏の終わりはもっと先ということになるぞ」
「それは違うよ! だって、北海道の夏はもっと短い。八月になった途端に、という感覚はないはずだ。だから、夏がある程度長くあるのに、夏が短く感じるのは水都という街に限定されたことなんじゃないかな」
「弱いよ環くん」
「弱い?」
「例えば……、夏休みになるから急いで付き合い出した恋人がいたとします。夏休みになるやいなや、海や山や遊園地にお祭り。もしかすると一線を超えることもあります。思い浮かべて!」
三人で虚空を眺める。濃縮された「青春」の抽象的な姿だ。
「楽しんだ。満足した。でも、運命的な相手じゃない。SHarPではもしかすると、相性1未満かもしれない。そうすると、どうなりますか? 別れますね。だいたい二週間。分かれるときちんと言わないかもしれないけど、お盆が来ますね? 家族で過ごしますね? するといつのまにか疎遠になって、つきあっていた思い出はすべて夏の前半二週間になる。その一般的なイメージが夏のシーズンと、二十一世紀前半に理想像が作られていたとしたらどう?」
「八月はもう……夏じゃない?」
「こっちの仮説のほうが説得力があると思わない?」
「……負けたよ。ハルナは強いなあ」
ディベートの訓練である。
運命の相手に出会い、その相手と恋人同士になりたいとして。告白を。その前段階として仲良くなる必要がある。容姿、成績、気遣いに教室内でのポジションと、様々な要素が複合的に混じり合うので何を頑張ればいいのか決定的なものは存在しなが、智は口の上手さは非常に大切だと言い切った。
「昔、むかし。結婚詐欺師という職業がいたんだ。好きでもないお金持ちを口説いて結婚して、享受できるものを全て得てから全部持ち去る恋愛のプロだね」
「前には結婚のプロって言っていなかったっけ?」
実佳子のツッコミは今日も冴えている。
「とにかく、結婚詐欺師は口がうまい。論理立てて詭弁を並べその気にさせるんだ。俺たちも結婚詐欺師もかくやというくらいに口がうまくなるべきだ」
ということで、何度も何度も僕たちはディベートを行っていた。ハルナにも参加してもらうと議論は白熱する。なにせハルナはちょっと斜に構えているのに誰にもナメられることがない。エスプリの効いた一言を、ここぞというタイミングで言うからだ。東京から来た転校生という立場を最大限に利用して、クラスの仲でも居心地のよいポジションにかまえている。
「土地柄そうだ、という論理は、玉置さん相手じゃ弱いなあ」
「東京だってクラゲが出ると思うんだけど」
「そうじゃないよ。北海道の話のあたりから徐々に破綻したんだ。一方で、玉置さんはお盆を引き合いに出した。より共通のものがあるほうが強いんだよなあ」
「精進……します」
今日の僕のお題は、「八月になると夏の終わりを感じてしまう理由」。ハルナはそれを言い負かす、だった。半年くらいは訓練を重ねているのだからと強気に出たが負けてしまった。
確かに僕も、お盆の話を出せばいいと初めは考えた。でも、そうすると毎年うちにやってきたねえちゃんのことが脳裏を過ぎってしまう。
僕の中で夏は、水都まつりとともにやってきて、お盆がすぎると帰ってしまうねえちゃんとの日々だ。日々だった。
八月にはなっていたけど、海にも行ったし、山にも行ったし、遊園地も行った。今思えばねえちゃんは退屈だったかもしれない。でも、僕はとても楽しかった。そしてその思い出の景色には余すこと無く晶ねえちゃんと一緒だ。
「……ちょっと休憩」
僕は頭を抑えて座り込んでしまう。
「どうしたの? 体調悪い?」
「大丈夫……。ちょっと外の風を浴びてくるよ」
「外は暑いぞ!」
心配する実佳子と智を気にせず、僕はエアコンの効いていない屋外に出た。セミの大音響が全方位から降ってくるが、それが気にならないくらい一つのことが気になってしまう。
ハルナとの、相性のことだ。
あれから数日経ったが、僕とハルナの相性が一億分の一パーセントであることが気になってしまう。ハルナが気になるんじゃない、多分。
なんだか、智たちとクラブ活動をしながら思うんだ。僕とハルナって出会わなければよかった、とまで。でも、偶然出会った転校生で、この夏が終わればハルナは水都からいなくなる。あまりにも低い数字を笑い話にできればいいんだけど。それまでに僕たちははたして夏の目標を達成することができるのだろうか。
僕が夏の終わりを感じる、水都まつりで、何かしらの進展が。
水都祭りは、街の中心に鎮座する白山・住吉神社のお祭りだ。街中がこのお祭りで盛り上がり、大きな通りを山車が練り歩く。三日間の最後の日には、街のど真ん中を流れる川で花火が上がる。広い広い河川敷いっぱいに見物客が集まって、お盆に帰ってくる人たちを出迎えるのだ。
「水都まつりの目標を決めよう」
僕たちは、花火のある三日目に街に繰り出そうと相談していた。
「おーい、一応担任が聞いているんだから悪いことはするなよ」
「悪いこと?」
「そうだぞ今庄。飲酒や喫煙はダメだからな」
「しないよそんなこと!」
そもそも二十歳未満は購入が不可能だ。それに、僕たちの目標は明確に「恋愛」だ。一時の酩酊に誘惑されるようなやわな決意ではない。
「一応、条例ではナンパもグレーゾーンだ。担任からの注意はしたからな……。それで、顧問としてアドバイスなんだけど、永代橋の下。あそこは先生が学生の頃からお祭りの日に恋人たちがこそこそとエッチなことをするというメッカでな」
「先生何を言っているんですか!」
「まあ聞いときなよ部長。という噂が流れて中央高校も商業高校も工業高校も女子もみんながそこをちらちらと眺めに行くんだ。おおっぴらに行くヤツはダメ。良識がある。こっそりいくヤツ。たとえば、永代橋の上から花火を見ずに河川敷を見ているようなヤツだ。今もいるんじゃないか? 恋愛に興味がある臆病な高校生」
噂だけが先走るも、実際にはひっきりなしに橋の下には往来があるので、恋人同士が仲良くできるようなシチュエーションではないらしい。でも、そこに出会いがあって、恋に落ちる人たちもいるんだとか。
「先生も見に行ったんですか?」
すっかり好物になった、水都のからあげを食べながらハルナが聞いた。この店にハルナはしょっちゅう来たがる。
「おれも見に行ったよ」
「マジで」
先生は、僕たちよりちょうど二十歳年上の三十七歳。でも、独身だ。それでもって人並み以上に恋愛には詳しい。公民の教師だからという理由ではないものばかり顧問として教えてくれる。祭り初日の新町は、まだ時間も昼過ぎとあって普段の休日とかわらない人出だった。お好み焼き屋には長居する僕たち四人と、商工会か何かでこの時間からお酒を飲んでいるおじさんグループかいなかった。カウンターには先生のお母さんが立っていて、ずっと僕たちのテーブルで喋っている。
「高校生の時だな。あの頃……、今に比べたらまだ恋愛の気風が残っていた。おれ達は社会科研って名前の、名ばかりの遊びサークルで、ゲームばかりだったんだ。みんなで、ナンパしよう、ってバカなことを良いながら花火に行ってな。……花火は夜からだからな,真っ昼間から六時間くらいカラオケに行って、それからか。ナンパどころじゃなかった。とても天気のいい雲のない夜だったなぁ。適度に風があって、次々と上がる花火のが全部夜空に映えてたよ。おれたちはずっと見ていた。今でも覚えてる。一番仲が良かったヤツがさあ、「これもいいんじゃねえの」って」
突然の思い出の情景は、ありありと思い浮かべることができた。
僕たち四人も、ただ夏の楽しかった時間を作るために祭りに行くことができたらどんなに楽しいのだろう、と。恋愛なんてしなくても、別にいいじゃない。
「ダメですよ先生。そうやって、俺たちのナンパを食い止めようとしましたね?」
「あ、バレた? とにかく、強引に声をかけたらダメだよ。女子二人は、自分が怖いお兄さんに声をかけられた時用に、浴衣は着てもいいけどゲタはやめること。逃げられないからね。あるいはいつでも警察に連絡できる準備をしなさい」
「はあい」
伝えたいことは伝えたのか、先生はようやくテーブルから離れていった。
「さてと、環。お前、ナンパしろ」
「僕が?」
「永代橋の下をこそこそと見ているむっつりな女子、いいじゃないか。俺もその作戦で行く」
普通に教室でこの会話をすると、女子が嫌そうな顔をするところだが、実佳子とハルナはまるで聞いてはいなかった。
「そうだな、八時にどこかに集合して、それぞれの成果を紹介するってどうだ?」
「いきなり目標高すぎないか?」
「バカ野郎っ! そうやってうじうじしていると夏は終わっちまうんだ! 高校二年生の夏だぞ。今や失われたと思われている輝かしい青春。お前はいったい何をのこすんだ。このままじゃ何も残らないんだ。お前は。……俺も」
智が、どこかで焦っているようだった。焦る必要なんて、いったいどこにあるのかと向かいに座った実佳子をちらっと見る。
「ハルナちゃん浴衣持ってる?」
「無いよ」
「着ようよ! 私三着持ってるから」
「三着も? でも、みっこの浴衣入るかな?」
「大丈夫。和服ってサイズの調整がきくように大きくつくってあるんだよ。智が着ても私が着ても大丈夫なんだから」
「へえ……、いや、その……」
ハルナが見ていたのは、自分のそれに比べて結構ふくよかな胸だった。
「ん~?」
しかし実佳子は、自分がどの浴衣を着ていくか、しか考えていない。ナンパすることだって、ほとんど聞いていなかったみたいだ。
「たるんでるぞ、みっこ」
「はっ? たるんでないし。水着になれるようにウエスト絞ってるもん! 何、それとも胸?」
「身体じゃねえよ! 態度だ態度! だいたい女子から男子に声をかけるのは逆ナンパって時代錯誤も甚だしいよ」
ナンパ自体が時代錯誤だよ。
「夏祭りなんだから、浴衣着たいだけだし。ハルナちゃんもそうでしょ?」
「うん、まあそうだね」
「浴衣を着るならうなじ出すからね。男子はみんなうなじが好きなんでしょ? 智、前にうなじ出したほうが色っぽいとか頭抜かしたことを言っていたよね?」
「え、ああ」
二人が浴衣で来るなら、僕も確か父さんが浴衣を持っていたからそれを借りようか。おそらく智も家が神社だから浴衣を持っているだろう。
「浴衣? ああ、あるよ」
母さんはそういうと、和室の大きなタンスを開けて、冠婚葬祭用の和服を取り出し始めた。一つひとつが大きな紙の包みに入っていて、知らないと一体何なのかわからない。
「グレーの無地のヤツと、紺色の線のヤツ、どっちがいい?」
「どっちがナンパしやすいか」
「ナンパ?」
しまった!
くどくどと母さんが、お祭りの日にはみんな普通のテンションじゃないんだから、それを狙った美人局なんかもいるんだ。お金を盗られるだけならまだしも、大勢に迷惑をかけることになったら責任は取れるのか。だいだい、港南区の市役所で未成年なのにSHarPを使ったって父さんから聞いたよ、そもそもダメなのにあれを見てなんでナンパなんてバカなことをしようと考えているの。智くんの悪影響が環の将来をダメにするんだったら、母さんが担任の先生に文句を入れようか。といった感じでぐちを言い続けたが、着物は貸してくれたし簡単な帯の締め方も教えてくれた。
「うちにこんなに着物がいっぱいあったなんてね」
「環のひいじいちゃんとひいばあちゃんがよく着ていたものだよ。和服は長持ちするから、仕舞ってはいるけど着ていいんだからね」
「でもじじばばが着ていたものなんて」
「この浴衣だってじいちゃんのものだから」
傷んだ形跡がほとんど無い、麻の軽い着物。聞けば五十年は前のものだという。ということは、これ二十世紀の服!?
「智くんも、みっこちゃんも、ハルナ? ちゃんも、着物がなければうちにおいでって」
「みっこは持っているって言ってた。ハルナはみっこのを借りるって」
「借りるっていっても、だいぶ背丈が違うんでしょ? そうだよね父さん」
「ん? ああ。胸元……、背丈や肩幅も違うし、ハルナちゃんになら晶の浴衣かちょうど良いんじゃない?」
「晶の浴衣ねえ……。もう日の目を見ることはないのかな」
晶の着物。ねえちゃんが、何度か水都まつりに行く時に着ていた着物だ。
「ねえちゃんの浴衣、残っていたの?」
「そうだよ。じいちゃんが買ってくれたのに、あの子……」
話が長くなりそうなので、父さんはエヘン、エヘン、と咳をした。
「ダメだよハルナちゃんに私の浴衣、サイズがあわないよ……」
翌朝。実佳子がチャットで泣きついてきた。
「っていうか色もハルナちゃんに似合わない~。ごめん!!!!」
あのあと。ハルナは実佳子の家についていって、どの浴衣にするか試着したらしい。
「いいよ。私自分で買えばいいから」
「今日浴衣を買いに行って、買えるかな?」
智の言う通りだ。明日が花火の日。やっぱり浴衣着たいって人が大勢デパートに集まっていることだろう。女子の買い物は時間がかかるイメージがあるので、買えないかもしれない。
「っていうか、環くんは浴衣あるの?」
「あるよ。うち結構浴衣あるから。ハルナの浴衣も、よければ貸せるんだけど……」
「えっ、なんで?」
その経緯を、ハルナに説明したくはなかった。
「いとこの浴衣があるんだ」
智と、実佳子は、何も言いはしなかった。
昼過ぎ。
「お邪魔します!」
ハルナが一人でうちにきた。おしゃれなカンカン帽にシンプルなワンピース。でも日焼け対策で薄いカーディガンを羽織り、玄関脇には日傘を立て掛けた。
「やあ、玉置さん。いらっしゃい」
僕よりもはやく応対したのは父さんだった。なぜか昼過ぎにハルナが来ることを母さんは父さんに伝えていて、つい五分前に早退してきたばかりだ。どうして。
「あら、いらっしゃい。環の母です」
「環くんのクラスメイトの、玉置晴波です」
よそ行きの声というのは、母さんだけでなくハルナも出せるものかと僕はびっくりした。
「浴衣を貸していただけるなんて、ありがとうございます。これ、よかったら、ですが」
「あらあら、なんだかかえって申し訳ないわ」
と、市内でも美味しいと評判であるお菓子屋さんの袋が渡される。
「早速入って。四着あるから、ハルナちゃん黒髪もきれいだし、きっとどれも似合うわよ」
「ありがとう……ございます」
やかましくハルナをリビングに通す母さんに、なぜかハルナは嬉しそうな表情を浮かべていた。たたまれていた浴衣は今朝から大きな和服用の物干し竿にかけられていて(衣紋掛けというらしい)、菜の花色、桜色、浅葱色と紺色それぞれかけてある。干すのを手伝いながら、浅葱色の浴衣を広げ、確かにねえちゃんが着ていたなあ、と僕も少しだけ思い出した。
見るやいなや、ハルナは早足でそれぞれの浴衣を見て、どれも綺麗、とため息をついていた。着替えのためにカーディガンを脱ぐと、ワンピースはノースリーブで、スレンダーで細長い手足がいやでも目に入ってくる。本当に、モデルか女優さんみたい。
「さあさあ、男どもはここから出ていった!」
「いえ、大丈夫です」
ハルナはよいしょ、とワンピースを脱ぐと、下にショートパンツとタンクトップを着ている。確かに、その格好なら見られても恥ずかしくないけれど……。太ももの付け根近くまでばっちり見えてしまい、その白さが僕の目に焼き付いた。
「着替えることになるのはわかっていましたから」
「うん、そうだねハルナちゃん。二人とも」
母さんからの、出ていけというジェスチャーに従って僕と父さんは階段をとぼとぼと上がっていく。僕はともかく、父さんはダメでしょ。
「下りてきていいわよ!」
母さんが呼ぶまで三十分近く。僕は宿題をしていたが、どうしても手につかなかった。うちで、リビングで。ハルナが着替えているという事実がよくないのである。煩悩を振り切って下りていくと、オレンジ色の帯を締め終えたばかりのハルナが、ちょうど髪をポニーテールに結っているところだった。その後ろ姿に僕は絶句する。
「ねえ……」
「ねえ?」
普段と違う髪型なのか、ハルナの雰囲気はがらっと大人っぽくなっていた。いや、もともと大人っぽい子なんだけど、更に。もう少女じゃなくて、女の人だ。
浅葱色のねえちゃんが昔着ていた浴衣がハルナには一番似合っていて、帯も含めてサイズはぴったりだ。どう? とくるりと回る姿を見て、母さんも父さんも思うところがあるのだろう。
「他の三着も合わせてみる? 浅葱色が一番似合っていると思うんだけど」
「いえ、これが気に入ったので。これにします!」
両親は、ちょっと僕の方向いて心配そうな顔をする。
「明日また、同じくらいにいらっしゃい。着付けしてあげるからね」
ありがとう、とハルナは何度も言って帰っていった。肌の白さなんて、焼き尽くすくらいに浴衣姿が眩しすぎたのだった。
「そういえば父さん、何しに帰ってきたの? のぞき?」
「あーっ!」
しまった、と父さんはあわててハルナを追おうとして、足を止める。
「なあ、環。お前、玉置さんをどう思っている?」
「どうって、相性一億分の一について?」
「そう。その話」
「僕は」
とっても気にしているなんて、父さんに言えるわけが無いじゃないか。
「あんまり。だって、SHarPの判断は結婚って一つの見方に限るんでしょ」
「そうだな。うん、そうだな……」
僕にも何か、言いたいことがあったのだろうか。そんなことよりも、いちいちいなくなったねえちゃんに僕は縛られすぎている。
今までになく、ハルナに対して動揺して、今もまだ心臓がバクバクいっていた。
水都まつりの本番に向かう前に、僕たちは一旦御崎神社に集まった。予定としては、まず白山・住吉神社にお参りをして、新町を通って永代シティに向かうコースだ。そのあいだにはところ狭しと露店が並んでいて、様々なイベントも目白押し。そこに来ている同年代をナンパしようという完璧な計画だ。僕も智も、男では珍しい浴衣姿。しかも結構渋め。実佳子とハルナは可愛らしい浴衣である。実佳子は椿色のきれいな浴衣で、髪もしっかりと結っていた。ポニーテールのハルナとは何もかも対照的で、アイドルユニットのよう。というよりも、水都のご当地アイドルより人気が出ると思う。
「よしっ、行こう!」
実佳子は智の家を出ると、まっすぐ鳥居を目指した。
「おい、待ってよ。お参りしていかないの?」
「お参りって、失恋大明神に?」
「失恋大明神とうちの神社は関係ないから! 実佳子はわかっててやってるでしょう?」
振り返った実佳子はぺろっと舌を出してウィンクした。
「御崎神社は恋の神様を祀ってるの! だから、恋愛成就大明神なんだって!」
「跡継ぎが評判を地に落としまくりだけどな」
ていっ、と僕はチョップを貰ってしまった。でもまあ、ハートの書かれた絵馬も売っているし、これでも三百年続いている歴史があるので並んでお参りをする。
智以下四名、とっておきの百円玉を賽銭箱に放り込んだ。
「私の恋愛がうまく行きますように」
「失恋したくない失恋したくない失恋したくない失恋したくない」
「最良の相手より運命の相手」
「しっかりと、恋をしたい」
それぞれ、小声で決意を願った。
でも、これは祈りでも願いでもなんでも無い。
決意表明だ。だから、口に出した。僕はしっかりと恋をしたい、と自分の気持ちを言った。ナンパをできるかどうか、今夜の祭りだけでなく、っていうか高校生の間かどうかもわからないけど。それぞれの決意表明は、今までのクラブ活動の目的とは少しかけ離れているかもしれないけれど、誰もそこに口をはさむものはいない。
「うちの神社、よくきくから。行こう」
堂々と、僕たちは新町に向かって進み出した。
祭り期間の白山・住吉神社は大賑わいで、こっちでは簡単にお参りを済ます。おみくじをそれぞれひいて見たが、僕のは吉で、注目の恋愛については精進せよとしか書いていなかった。SHarPがあるのにどう精進しろと? 何十年も文面を変えようという気のないおみくじはさっさと木に結ぶと、早速境内の露店に目が行く。
「ねえ……、これなに?」
ハルナが立ち止まった屋台は、智と実佳子と僕には馴染みのあるものだった。
「ぽっぽやき? 何この、何? 何!?」
棒状の茶色い食べ物が何十本と積まれていた。たいやきやたこ焼きの要領でおじさんが小麦粉を溶いた生地を形に流し込んでいる。一気に十数本が作れるが、並んでいる人も十数本単位で買っていくので、焼いても焼いても余ることはない。
「食べるか。すいません、二ダース」
「はいよ。お嬢ちゃんかわいいから、ほら。おまけだよ」
おじさんはハルナの手の上に、ぽっぽやきの山から四本掴んで乗せた。初めて触る感触におっかなびっくりしている合間に、紙に二ダースものぽっぽやきを包んでくれた。
「あ、やわらかいんだ」
包を開ける前に、貰ったぽっぽやきを一本ずつ手にとった。縁日の味、でも水都では当たり前のこれも地元のグルメかもしれない。
「あ、おいしい。黒糖が入ってるんだね! すぐ食べちゃった。何に似ているんだろう……」
パンとも違うし、ワッフルとも違う。ぽっぽやきはぽっぽやきだ。冷めてはまずくなってしまうので、早速包を開けてぱくぱくとハルナはご機嫌だった。
「これなら、たこ焼きやりんご飴みたいに汚れにくいし、すげえ」
「すげえって」
なんだか、僕は誇らしかった。わたがし、チョコバナナ、焼きそば、たこ焼き。食べ物の屋台はたくさん出ていて、大勢の家族連れや部活帰りの高校生が集まっていうが、僕たちが目指すお一人様の男あるいは女は見当たらない。まだ午後の三時だから……?
四人のグループでいつまでいても、恋を探すには足かせにしかならない。永代シティまで半分のところにある市役所まで来ると、花火の打ち上げは始まっているが、八時に、同じく市役所前の交差点に集まろうということになった。
「じゃあ、解散。それぞれ、健闘を祈る」
「おう」
僕と智はげんこつを軽くぶつける。見ていてくれ部長。僕は。
「そうだ智。ちょっと永代橋の向こうで気になっている屋台見たんだけど一緒にいかない? カップル向けなんだけど私がナンパしてうまくいく時間まで開いているかわからなくって」
「え? それは……、そうだな。いこうか。じゃあ、二人ともあとで、おい、引っ張るな!」
智の浴衣の袖を引っ張る実佳子はもう、願いがかなったみたいだ。
「さすが失恋大明神……」
「よくきいてる……。じゃあ、わたしはここで」
ハルナは南の方へ。僕は北の方へ。あてのない誰かを探しに別れた。
さきほどぽっぽやきを食べた上に、輪投げも射的も金魚すくいもやろうという気分にはならない。ただ、半分くらいの希望と少々のおっかなさで、ナンパできそうな相手を探してみる。声をかける母数がそもそも必要だと智は言っていたが、所構わず声をかけることがそもそものハードルが高いと思う。
何よりも見事に誰もいないのだ!
一人で散策している僕が目立っていないかなと思いながら、なんだかあんまり楽しくないんだなと思った。お祭りは恋人と来る場所であって、恋人を探す場所ではないのだ。ヘルメットをかぶって花火の準備をする人たちが行き来する川べりで、ベンチに腰をかけるしか居場所がなかった。時計を見ても一時間も過ぎていない。今ごろ智たちは……、ナンパなんてしているわけないか。ハルナも……、そんなことはしないだろう。
僕だけが、登らなくてもいい山の頂上に向かってあてもない行脚をしているように思えてならない。さっきだって、智と実佳子が二人でいってしまったのだから、僕もハルナと適当にお祭りを楽しめばよかったのに。
「退屈な時間って、長いね」
浅葱色の着物、ポニーテール。手には水風船を二つぶら下げている。ハルナだ。
「奇遇だね」
「そうね。隣いい?」
二人か三人がけのベンチを占領していた僕は、ベンチの端っこに収まった。そして、一人分空けて、ハルナも腰掛ける。
「だれもナンパしてないんだね」
「ハルナだって」
「だっていないんだもの。一人ぼっちで来ている相手が」
「僕もおんなじ」
数秒の沈黙。悠々と流れる大河のさざなみが聞こえてくる。
「あの」「よかったら」
二人の声が重なった。
「一緒にお祭り、回りませんか?」
「ええ、喜んで」
僕だけに言わせて、ハルナは微笑んで返事をした。
「ナンパなんて大胆ですね」
「ずるい!」
「ずるいって言われても……」
僕はナンパを目指すし、ハルナはナンパされることを目標としていたのだから、クラブの活動として申し分のない結果である。ただし、もともと友達だということを除けば。
「じゃあ、一緒にお祭りを回りましょう。わたし金魚すくいやってみたかったんだよね」
「あれは難しいよ」
「勝負しましょうか」
白山・住吉神社に向けて再び来た道を歩き出す。成り行きで成立したカップルということで手は繋がないけど、二人の間を誰も通れないくらいには距離が近い。
「あそこにあるわね」
「よし、やってみよう」
小路に入ってすぐのところに、日に焼けて少し色あせた金魚のイラストが書かれた屋台がある。背丈の低く大きな水槽の中には、ふらふらと泳ぐ小さな金魚が数百匹群れていた。小さな子どもが破れてしまった「ぽい」を持って水の中に手をつっこんで、父親らしき男に抱きかかえられていった。
「二つ、お願いします」
僕は百円玉を二枚、おじさんに手渡した。薄い紙が張られたぽいを、僕とハルナ一つずつ持って、水槽に浮かんだ蕎麦猪口のような容器を左手に持つ。
「ふふっ」
わざわざ笑い声を上げたハルナの容器には、元気に泳ぎ回る金魚が一匹、いつの間にか入っていた。
「そらっ!」
二匹目。ハルナの持っているぽいはすでに水に濡れていたが、破れたりはぜんぜんしていない。案外これは丈夫なのだろうか。やったことはないけど、斜めから水面にぽいを入れて水の重さが紙を破らないように金魚だけをすくい上げれば良いはずなんだけど濡れた段階でもう穴が空いてしまった。
「ああ!」
「下手くそ」
「うるさいな! おじさん、もう一つ」
「はいよ」
もう一度。僕はそれでもハルナの五匹目をすくう様子をじっと凝視し、しなやかな手首の返しに見惚れてしまう。長い浴衣の袖が水に濡れないように注意しながら、眼差しは真剣そのものだ。そぉっと、そぉっと。ダメだった。
「もしかして、はじめてだった?」
「そうだよ」
「じゃあ、一匹あげるね。おじさん、おしまいで」
「あいよ」
ハルナは実に六匹の金魚を取ったので、一匹と五匹に分けて袋に入れてもらった。せめて僕に恥をかかせないようにという配慮だよと言う。
「環くん、水都まつりはじめてじゃないんでしょ?」
「何度も来てるよ」
「屋台で得意なものはないの?」
いつも、晶ねえちゃんのうしろをくっついていって、金魚を取ってもらったり、射的でお菓子を取ってもらったりしたので、何も得意じゃない。でも僕も高校生になったし、いつの間にかできるかな、と錯覚したまでだ。
「輪投げでも、射的でも。男ができると女が喜ぶらしいね」
「遊んでいる男が良いって価値観、田舎くさいよ」
「そうだよ、僕の家は田舎……、だけど。ハルナはどっちがいいの?」
「縁日のゲームのできるできないを気にする人はいや」
今度は射的! とひときわ人でにぎやかな屋台に歩いていった。
「すごいじゃない」
「まぐれだろ、たぶん」
偶然にも、僕は普通であれば取れることのなさそうな、文鎮のような的を見事に落とすことに成功した。いったい何がもらえるのか二人でどきどきしていたら、新町商店街の商品券三千円分だった。
「ドラマや小説だと、せめて現金がもらえたのにね」
「商店街がスポンサーの屋台だから仕方ないよ……。これ、先生の店でも使えるのかな」
使えるんだったら、ハルナがイヤというまで唐揚げをごちそうしたいと思う。輪投げ、カタヌキ、そしてダーツ。僕よりもだいたいハルナが上手くって、それでも彼氏面をする僕はハルナの分まで払っていたらいつの間にか二千円くらいあった百円玉がなくなってしまっていた。
「さっきから、いいの? わたし払うよ?」
「いいの。これが、ナンパの代償だからね!」
「ねえ、環くん」
街頭に沿うように張られた提灯に火が灯り始めたころ。あっという間に一時間以上が過ぎていて。
「わたしとの夏祭り、楽しいかな?」
「えっ?」
「率直に」
「うん、楽しいな。意外にハルナは遊び慣れていることがわかったよ」
「ひっど! もう!」
そろそろ、花火を見れる場所がなくなってしまう時間だ。交通規制も張られてしまうと、新町から身動きが取れなくなってしまう。
「行こうよ、環くん」
ひんやりとした指が、僕の手首をからめとった。僕も、同じように細い腕を掴む。そして、手のひらを重ねるように、つなぎ直す。
「はぐれないようにねってことで」
「いい建前だよね」
「そうね。ふふふっ」
ハルナは口を開けて大きく笑った。僕も立ち止まって、一緒に笑ってしまう。恋人ごっこ、ナンパごっこなのに、僕たちは普通に夏祭りを楽しんでいた。
永代橋は、昭和の初期に駆けられたアーチ型のコンクリート橋だ。見た目は石造りだが、それは化粧であって、当時としてはモダンな鉄筋コンクリート造りである。水都島と水都駅をまっすぐ結ぶ道路には大きな歩道もついていて、欄干にもたれるよういに花火の打ち上げが始まるのをたくさんの人が待っていた。二人が入る隙間はどこにもない。
「ここもダメだね」
「ほかに見られそうなところは?」
「御代橋は通行止めで、たぶん国体大橋は同じように埋まってるよ。水都大橋はここよりも遠いし、ううん、平成大橋?」
花火の上がる信濃川には多くの橋がかかっている。河川敷から見るのと同じくらいきれいに見られるので大人気だ。
「あらかたこの辺のビルは予約制で入れないし、今から河川敷にいってもなあ」
「行き当たりばったりだもんね」
僕たちは。しっかりどこかで花火を見ようとあてもなくさまよっていた。智と実佳子はどこかで場所を確保することはできただろうか。
「水都中央高校の屋上は?」
「だめ。今日の午後は立入禁止だから」
「そっか」
それなら仕方ないか……、屋上に入れないなら……。
「環くんはいつも家から見ていたの?」
「だいたいはそうだよ。でも、とても小さい時は近くから見たね。ほとんど真上で花火が……」
そうだ。あの時は市役所から見たんだった。
新町の中心に立つ、屋根がピラミッドのような形の市役所。ガラス張りの上の方で、父さんの口利きで見た記憶がある。もちろん、ねえちゃんと一緒に。
「え、今から? ……困るんだよな。花火目当てで来られると」
「中に入れてくれなくてもいいよ。非常階段からでもいい」
「そこが一番良く見えるだよ。わかった。来なさい。入り口で待ってるから」
「父さん、ありがとう」
僕は、無理を承知で父さんに、市役所に入れてもらえないか電話をかけた。そして、それは叶うことになった!
「それより、お前、やったんだろうな」
「やったって、何を」
「一緒に花火を見る女を捕まえたってことだろ?」
小声で、父さんはことの真偽を確かめようとする。無視をすると、花火が見られなくなってしまうので、僕は「ハルナといく」と言った。
「そうか。それでいいんだ」
なにがいいんだ。父さんは電話を切った。
「ねえ、ズルくない?」
「僕もそう思うよ」
「しかもわたしの真横で父親に電話するかな?」
ムードぶち壊しだよ、と毛先を指で巻きながらハルナは言う。
「できる男はその段取り、裏で完璧にやっておくんだろうね」
「僕はできない男だけど、ハルナに花火を見せたかったからさ」
それは本音だ。この夏限りで水都からいなくなるハルナに、きれいな思い出の一つでも渡すことができればと思って。せっかくの水都まつりを、僕と回ってくれたせめてものお礼だ。
「ハルナだから、こんな情けない姿も見せられるんだけどさ」
河川敷へと向かう人の波に逆らって、僕たちは父さんの待つ市役所中央区庁舎を目指した。
二四階。このあたりで一番高いビルの、その非常階段には誰もいなかった。市役所の人は役得で、花火の見えるフロアに座ってお酒を飲んでいたが、冷房の聞いていない非常階段まで上がってこようと考えるのは高校生くらいみたいだ。
僕たちの浴衣姿はほどほどに目立っていたが、職員の家族もいくらか集まっていたので、ゼロではない。父さんの前に僕たちが手をつないでやってくると、腕を組んでうんうん、と頷いていた。何か言えよ。
うちわで自分をあおぎながら、僕たちは階段に腰掛ける。ガラス越しに信濃川も河川敷もよく見えるが、人、人、人だ。あの集団の中に、いったいどれほど今日という日に出会って恋をした人がいるのだろう。花火のための恋人なら、別にいらないのにな、と始めは思っていたが、一緒にきれい、と言ってくれる人がいるのはとても、嬉しく思う。
次々と打ち上がったスターマインが一段落した頃。ハルナが切り出した。
「環くん、今日わたしの浴衣を何度も見ていたよね」
「浴衣? そうかな」
「そうだよ。わたしじゃない誰かが、この浴衣、着ていたんでしょ?」
「いとこがね」
「綺麗な人?」
視線がぶつかった。まんまるな瞳が、僕の秘密を引き出そうと訴えてくる。
「初恋だったんだ、たぶん」
再び、夜空に大輪が打ち上がる。僕たちもまた、そっちに視線を戻した。上半身を支えるようについていた手に、ハルナは自分の手を重ねてくる。
「年上のお姉さん、か」
「結婚して、何年も会えていないんだ」
「そう……」
今、僕はハルナとデート中の筈なのに。他の女の人の話題を出してしまった。ハルナには、相性94パーセントの許嫁がいて、僕とハルナの相性は一億分の一パーセントだから、は言い訳にならない。
「とっても好きだったの?」
「うん。いとこだし、結婚しているけど」
「いとこは結婚できるんだよ。知ってるよね」
「知ってるけど。恋愛結婚だし」
へえ、とハルナはため息をついて、しばし無言になった。
「その着物、ねえちゃんが世界一似合うって思ってた。でも、ハルナのほうが似合うよ」
「……お世辞でもうれしい」
「本当だって」
「ねえ」
窓の外では、大輪が次々と花開き、フィナーレの三尺玉に向けて夜空を昼のように照らしていた。小学生のころに、ねえちゃんと見た場所で、同じ浴衣を着たハルナと見ることができて、僕はとても舞い上がっていたんだろう。
「恋人同士って、こういう場面では、その……、キス、するんじゃない?」
「キス?」
MAIパートナーでも、恋愛でも。今も昔も国境も関係なく。もちろん、SHarPが判断した相性さえ意味もなく。
「やって……みない?」
「…………うん」
雰囲気に流された。センチメンタルの産物。いくらでも言い訳はできる。でも、ハルナは、純粋に興味があってそう言った。だんだん短くなる花火の間隔がぴたりと止まり、あとは三尺玉が上がるのをみんな待っている。極彩色の花火が開く時、恋人は普遍的なことをするものだ。
ハルナと向き合う。僕は、うっすらと彼女がメイクをしているのが見えた。つややかな唇に触れるのはとてももったいないような気がして、横目に打ち上がる光の筋が走り。
僕と彼女の距離が。もうゼロになろうとした瞬間。
閉じたまぶたの奥にまで届く、特大の稲光が水都の空を走った。
「えっ」
ハルナはすぐに窓の外を向いた。キスをしている場合ではない。
「音がくる!」
とっさに僕は、ハルナの両耳を抑えた。自分の耳は、肩である程度ガード。一秒、二……。
そして、市役所が打ち上がるような轟が、爆発的にやってきた。超巨大な雷だ。
「雷、あっ、外が」
次々と街の光が消えていく。それでも炸裂したはずの三尺玉から出た煙越しに見えていた無数の照明が、一気に消えていった。階下から漏れていた市役所の電気も一瞬停電し、そしてつき直した。こういう施設は自家発電を持っているんだっけ。
「降りよう」
ハルナの手をしっかりと握って、父さんたちのいる十二階まで。キスはしそこねたけど、デートはここでおわりのようだ。
「環! ハルナちゃん!」
「停電?」
「みたいだ。新町一体が消えちまった。今にここに人が押し寄せてくるから、二人もここにいたほうがいい。下手に動くと帰れなくなる」
大人はすぐに動きだして、僕たちは空気のような扱いをされる。いても邪魔なだけだ。ガラス越しに見える空には、さっきまで見えていた月が黒雲に覆われつつあった。とても雲の動きが早い。
「大雨が来るかもしれないから。最悪ここで一夜を明かすかもしれない。ハルナちゃんは今のうちに家に連絡を入れておいて」
「大丈夫です。わたし、帰れます」
「何言ってんの。バスも電車もまともに動かないかもしれない」
「小寄町なんです、うち」
市役所から二十分もかからない、高台のあたりだ。雨が降っても絶対に冠水しないような。
「わたしたちがここにいてもお邪魔になるだけだと思います。環くんも、よかったらうちに」「電気は止まってるだろう」
でも、帰れない人たちが発生するとしたら。
「父さん、僕がついてるから」
「環、おまえ……。わかった。頼む。母さんには、市役所にいるって言っておくから」
「サンキュ」
また、と父さんに手を上げると、再び非常階段に向かおうとした。
「あの、花火。ありがとうございました」
ハルナは。職員の多くに聞こえる声で言うと、自らの手を僕に繋いでくる。
「行こう」
ハルナは頷く。そして早足で、転ばないように。一歩一歩降り始めた。
市役所を出ると、案の定人が押し寄せてきた。人の壁が、市役所を背に三方から迫ってくるのは結構怖い。道路は全て通行止めなので、水都市内中の人が全員いるのではないかと錯覚する。この波に飲み込まれたら、簡単には抜け出せないだろう。昼間よりも、しっかりと僕はハルナの手を握った。ハルナも、それに応えるように、僕の手を握り返す。
「街灯も全部消えてるね」
「このまままっすぐ行けばいい?」
「うん」
歩道の端を、光から逃れるように僕たちは進む。かたかたと下駄がアーケードを踏む音が、やけに暗闇に大きく響いて、夜がこんなに怖いものだなんて思わなかった。信号機の消えた交差点の回りには、ライトを消し忘れた自動車が所狭しと並んでいた。復旧はしないと踏んだドライバーたちが、歩道の柵によりかかってどこかに電話をしている。港中央高校の方まで、まったく建物の明かりは見えない。
「ハルナの家も、停電しているんじゃない?」
「していると思うよ」
「帰っても大丈夫?」
主に僕がついていっても大丈夫か? という疑問がいまになって浮かんできた。
「気にしないで。わたしの家、わたししかいないから」
「おうちの人は?」
「今、誰もいないってだけ」
これ以上、僕は聞くことは出来なかった。つづら折りの坂をのぼって行くと、その途中から水都の風景をよく見下ろすことができるが、夜景なんてどこにもない。市役所、新聞社、駅。人が集まる場所だけが光っているが、他は真っ暗で、空に星も見えない。暗雲が立ち込め、駅の南側は煙のように雨が覆っていた。スコール、ゲリラ豪雨。降られるとこの浴衣が数秒でびしょびしょになる勢いの雨が、どんどんとこっちに近づいて来た。
「雨が来るまえに、ハルナの家まで行けるかな?」
「行こう!」
間に合わないと踏んだのか、僕の手を引っ張って、走り出した。
からん。ころん。からん。
二人の下駄の音が、夜風にはよく響いた。慣れない下駄の鼻緒が、足の指に食い込んで痛いけど、女の子と二人、雨から逃げるなんて状況が、僕の感情全てを繋いだ手に集中させているようでただ身体が熱いだけだ。
「あと、どれくらい?」
「もう五百メートル、くらい、あっ!」
僕が話しかけたことに気をとられてしまったのか、ぐらりとハルナはバランスを崩した。
「ハルナっ!」僕は足を踏ん張って、力いっぱいにハルナが転ばないように引っ張った。前を向いていたはずのハルナは、僕の方に引き寄せられ、なんとか胸元に抱き支える。
「大丈夫?」
「いたいよ、もう……。ありがと」
その声が、僕の胸元から聞こえることに気づくのに、ほんの数秒かかった。僕はハルナを抱く形で、道路の真ん中に止まったのだ。
風が変わった。雨を孕んだ湿気のにおい。もうすぐそこまで、大雨が迫っている。あれだけの大きな雷が呼んできた雨雲は、この町すべてを水のカーテンで覆ってしまうのだろう。
「いっ、たい」
急がないと、と僕が恥ずかしくて離したハルナの身体は、その場にうずくまってしまう。足元を手で抑えていた。
「下駄の歯が折れちゃったみたい」
「智が言ったことを守らないから」
「環くんだって下駄じゃない」
それは……、浴衣だから。
「ハルナ、ごめん。恥ずかしいだろうけど」
「ひぇっ?」
僕はしゃがんで、ハルナをおぶろうとした。さすがのハルナも、僕の恋愛に侵された考えに驚いたのか、可愛らしい声を上げた。
「もうすぐだから」
「うん、わかった」
ぽつぽつ、と雨が振りはじめたが、僕の背中にはハルナがいて、ほとんど肌には感じなかった。驚くほどに軽いハルナは、申し訳無さそうな声で家まで僕を案内する。道を判断するのがやっとな暗さに、家と家との境界もわからないようだけど、ハルナはなんだか沸騰したようにあれこれ僕に話しかけてきた。たぶん、僕も同じだけど、申し訳無さと恥ずかしさで間が持たないのだ。
「ここ」
「ここ?」
目の前には、ひさし付きの木の門が立っていた。僕の家のような田舎ならとにかく、小寄町でこの大きな門があるなんて、とてもお金持ちの証拠である。ハルナをゆっくりと下ろすと、やっとまっすぐ立つことができて、目の前の道路はもうざあっと降る雨に濡れていたことに気がついた。
「ハルナ、濡れてない?」
「え?」
門によりかかって、巾着袋から鍵を出そうとするハルナのつややかな髪は雨に濡れて雫が垂れていた。薄暗くてよくは見えないけれど、浅葱色の浴衣も肩まで濡れて、華奢な身体に張り付いているように見える。
「すぐに入って。環くん風邪ひいちゃうから」
僕もハルナも、互いに目をあわせないようにいそいそと門をくぐる。案の定電気は消えていたが、ハルナはすぐにろうそくを持ってきて、マッチで火をつけた。オレンジ色の光を見るだけで落ち着く、気がする。
「今、バルタオル持ってくるから」
「足をくじいているかもしれないから、僕が持ってくるよ。玄関に座っていて」
「……右の廊下の途中にあるよ」
知らない家の、知らない廊下。ハルナが僕の姿を見えないところまでくると、どっと疲れが押し寄せてきた。ハルナをおぶって、たったの数百メートルだけど、このまま立ったままでも泥のように眠れる気がする。
脱衣所に置いてあったバスタオルとフェイスタオルを二つずつ、僕は手に取るとすぐにハルナのもとに戻った。
ハルナは自分で壁伝いに立ち上がって、こっちに向かっていた。片手にろうそくを持っていると、ドラマのワンシーンのようにも見える。
「ここ、入って」
障子の向こうには十二畳の茶の間がある。大きなテーブルの上にろうそくを置くと、その横に座り込んだ。
「着替え、どうしよう……。うち、男の人がいないから」
僕はとにかく浴衣を脱いでパンツ一枚でも気にしないんだけどそういうわけにも行かない。
「環くん、隣の部屋にいてもらってもいい? わたしも……、脱がないと」
「うん、わかった」
その前に、と今度は懐中電灯をハルナは持ってきて、僕に貸してくれた。襖を挟んだ隣は客間なのか、家具も何もない八畳間だ。襖を締めると、無駄のない動きで帯を引き抜き、浴衣を脱ぎ捨てた。背中に張り付いていた浴衣がなくなると、緊張感が紛れる。バスタオルで身体を拭いても、この浴衣が乾かない限りこの部屋からも動けないので、ショールのように肩にかける。家の中にいるかぎり、風邪を引くことはなさそうだ。柱にかかっている時計の針は、かろうじて十時を回っていることがわかる。
……十時?
「あっ、智たち!」
いけない、待ち合わせは八時だったのに、とあわてて携帯電話を取り出して見れば、四十五件の着信が智、実佳子から入っていた。メッセージも、七時五十分頃からたくさん入っていて、「実佳子と二人到着した」「ナンパはうまくいかなかった」「環はどうだ」「花火、俺たちは河川敷で二人で見る」「先生が言っていた永代橋の下を見に行こうと思う」「橋の下は工事中のため通れなかった」「環くん、ハルナちゃんといるの?」「停電してる。ハルナちゃんにも連絡が取れない」「実佳子と二人先に帰ります。環も気をつけて」
二人は、二人も、ナンパなどできずにデートをしたのだろうか。
「ハルナ、ねえ」
襖越しに僕はハルナに声をかけた。ばさっ、と浴衣が畳に落ちる音がする。
「あっ、ごめん」
「いいよ、何?」
「携帯、見た? 智たちのこと」
「あーっ!」
ハルナも、完全に忘れていたようだった。あわてて携帯を取り出して、おそらくハルナにも入っているであろう智と実佳子からのメッセージを読んでいるようだ。
「みっこ、良かったね」
「良かった?」
「うん、これ見て」
すっ、と襖が開いて、ハルナの手だけがこちらの部屋に入ってくる。今、どんな格好をしているか、見ちゃダメだ。見ちゃ、ダメ。
画面には、おそらく自撮りであろう実佳子と智の写真が映っていた。身長も高く口を開かなければ大学生にも社会人にも見える智と、制服を来ていない実佳子は周囲からは大学生の夫婦のようにも見えているのかもしれない。遠慮もせず実佳子は智の顔に自分の顔をかなり寄せて撮ったようだ。
「その、襖」
「ああ、大丈夫だよ」
ほら、とハルナは携帯を持ったままの手で襖を開け放った。うちで浴衣の試着をした日と同じく、タンクトップにショートパンツ姿。
「にひひ、びっくりしたでしょ」
「した」
「嫁入り前の娘が、むやみに肌を見せるものじゃない」
「はい?」
入ってよ、と僕は上半身裸なことをぜんぜん気にもされず、茶の間に通される。干してあった大きなタオルケットを、バスタオルのかわりに貸してもらって羽織った僕は、ハルナのとなりに座り込んだ。
「わたしのママが、よく言っていたことばです。うんざりしちゃうよね」
僕は、何も返せなかった。ろうそくがゆらゆらと揺れる中。今日一日のあまりに波乱なできごとを復習し始める。
「まず、智とみっこが二人で行ってしまった時点で、今日の活動は失敗するものだとわかってたよ。だって、みっこはもうその気がないんだもん」
「そうだよね。智もわかっていて付き合ってるって」
「っていうか付き合ってるよ」
ふふっ、と僕らは笑った。
「それでも僕は一人で、ナンパしようと頑張ったんだけど、ダメだった」
「わたしも似たようなものね」
ハルナは人ごみの中を、ゆっくりと歩いてナンパされるのを狙ったらしい。
「誰もわたしを見ていないの。なんだか、バカバカしくなっちゃって。お祭りは楽しみにいくところで、出会いなんて不純な同期だと相手にしてくれないのね。だからつまんない、って河川敷にいった。というわけ」
それから、花火が打ち上がるまでの時間、とても楽しかった。嘘の恋人同士として、いろいろと遊べたと思う。
「残念なのが、わたしと環くんが相性最悪ってところだよね」
「本当にね」
「ところで、今日の環くん、わたしをわたしとして見ていた? いとこのお姉さんと混同してなかった?」
それを言われると、明確に否定ができないのが辛い。
「ハルナだって思おうって、努力したよ。これもクラブ活動だから、って思ってた」
そう、とハルナは全てをわかったように言う。
「まあ、どっちでもいいんだけどね……。前に、わたしが家出してきたって話、したよね?」
覚えている。ハルナが失恋クラブに入りたいと言ったときだ。
「あの話、少し続きがあるんだ。ママとパパは、恋愛結婚だったの。家柄も全然違う人同士が、偶然出会って恋に落ちて、無理やり結婚したんだって。その時にはわたしがママのお腹の中にいたから、回りも仕方なく納得したみたいだけど……」
昔から、当人以外が反対した結婚というやつは、大変だと言う。ハルナも小さいころは父親だけの稼ぎで暮らしていたことから、結構貧しい暮らしだったらしい。
「ママもパパも、互いが好きだからそれでいいんだって思っていたんだって。でも私が小学校三年生頃からあんまり仲が良くなくなって……、六年生の時に離婚したわ」
「離婚……」
「パパはとっても理性的な人だから、互いのために、と何度も念を押していたのをよく覚えいる。確かにあの時は愛したんだって。でもママは、わたしにずっと言うの。MAIパートナーの言うとおりにすれば、良かったんだって」
ハルナが中学生のうちにSHarPを使った測定を行ったのも、母親の熱烈な希望によってだったらしい。
「いきなりあんな数字、わたしはどうすればわからなかった。ママは泣いて喜んだから、なおさら困ったんだ……」
「でも、ハルナは迷ってる」
「そう」
ハルナのお母さんは、自分で決めた運命の相手よりも、最良の相手こそが良いものなんだと何度もハルナにすりこみを行った。それでハルナはうんざりしてしまったというわけなんだけれど。
「お母さん、自分でハルナのお父さんを選んだことを後悔しているのかな」
「わからないよ。わからないから、わたしは高校生のうちに運命の相手を見つけたかった。しっかりとこの目で確かめて。それで、環くんかあ」
「ため息かよ」
「今日一日、とっても楽しかった。男の子と二人で遊ぶのも初めてだけど、それが環くんでよかったよ。ただ、どうしてもSHarPの結果が気になっちゃって」
相性最悪の相手なのに。智と実佳子は、僕たちの八十億倍相性が良く、一緒にいるのが楽しいのだろうか。
「一日中、何度も環くんが運命の相手かもって思ったんだけど、ね。ありがとね。もう寝ようよ」
「こちらこそ、ありがとう」
僕はハルナに言われるがままに、布団を二つ押入れから引張出した。僕は隣の部屋に、ハルナはここでいい、と茶の間に寝転がる。襖を開けっぱなしで、声も姿も届くところで眠るなんて、それだけで緊張してきた。
「恋人ごっこも終わりかあ」
「残念?」
「とっても」
嫌だなあ、とため息をつくと、ハルナは笑って、おやすみなさいと言った。
すぐに寝息が聞こえてくる。僕も、すーすーと単調なリズムにつられ、意識が消えていくのがわかった。
ハルナは、晶ねえちゃんじゃないんだ。
背中にハルナをおぶって歩いている時に僕は、思った。幼い頃、同じ浅葱色の浴衣の背中におぶられたことを、なぜか思い出す。
「環、起こしちゃった?」
「ハルナ……、ねえちゃん!?」
活発で朗々としていた少女の姿でしか知らなかったねえちゃんは、僕と同じだけ歳をとっている。
「私は私で、ハルナちゃんはハルナちゃんだよ」
「うん、わかってる」
「浴衣だけじゃない。環はハルナちゃんを私と思っていない?」
「思ってないよ」
「本当に?」
まんまるな目は、あの頃と変わらず挑戦的に、そして僕が絶対に敵わないとわかっているようで。
「本当は、わからない」
「そっかあ。私、恋愛結婚したけど、楽しいよ。SHarPなんて、気にするだけ面倒なんだから。数字なんだから」
「わかってはいるんだけど」
でも、ハルナには、九十四パーセントの。
「ハルナちゃんは、九割男と夏祭りに行ったことはあるのかい?」
「無いと思う」
「九割男はハルナちゃんを背負って送っていったことは?」
「無いでしょ」
「九割男は、無防備なハルナちゃんの隣で眠ったことも無いよね」
そう。僕は今、最良の相手よりもハルナの近くにいるのだ。
「環は、ハルナちゃんが好きなんでしょ?」
じいっと、瞬きせずにねえちゃんが迫ってきた。目を反らそうとしても、金縛りにあったように僕は黒い瞳から視線を外すことはできない。
「好き……です」
「だよね。それなら、簡単だ」
ねえちゃんは、よしよしと僕の頭をなでてくれた。いつまでも子供扱いをしないでほしい。
「だって、環は子供だよ。自分に正直になれない子供」
それなら、子供なんてそこら中にいるのではないだろうか。
「そうだよ。正直になれないことを、気を遣うと間違えてしまう人がとっても多いんだ。自分の気持ちをわからないことが当たり前になると、今みたいに、SHarPが正しい、と盲目的に思うようになってしまうよ」
僕は。ハルナは。僕たちは。この世界は。まだ子供のままなんじゃないだろうか。
「恋して、うまく行けば一番いい。そして、二番目は、恋してうまく行かないことなんだよ」
「へ?」
「誰が言ったのかは覚えていないけど、成就と失恋は紙一重なんだ。智くんはそれを何度も繰り返している。たぶん、彼はとっても大人で、プレイボーイでもなんでもなく、ただ自分に正直に生きようとしているだけなんだよ」
「僕は、いったいどうすればいいの? ねえちゃん!」
晶ねえちゃんは、僕に背を向けて、歩いて行ってしまう。
「それは、自分で考えてみようよ」
「ねえちゃん!」
晶は、もう振り替えりはしなかった。ハルナと同じ姿をしていても、全然別の人だから。夕焼け空の中に、長く伸びる影が消えるまで、僕は初恋の相手の姿を見送るしかなかった。
寂寥感と、喪失感と、自分全てに対する否定と。
そうか、これが、失恋か。
徐々に痛みが広がっていく傷のように、自分の一部が切り取られてしまった。いくら甘い幻想にすがっていても、事実を覆すことはできない。晶は結婚をしたし、おそらくもう僕たち家族の前に姿を現すこともない。何年も見て見ぬ振りをした傷を今初めて、僕は自分の手でふれたのだ。とても痛い。薄く冷たい刃で皮膚をどんどんと切り取られていくようだ。
でも、これでよかったんだ。これで僕は、きちんと晶に失恋したんだから……。
「くん! 環くん!」
頭上から呼ばれる声に、ぼくはがばっ! と跳ね起きた。視界は薄暗く、夜虫の鳴き声が聞こえてくる。まだ、夜中だった。
「……ハルナ?」
「どうしたの。とても寝ていた人とは思えない呻き声だった」
短い夢を見ていたのだ、と気がついた。晶の浴衣をハルナが着ていたから、思い込みであんな夢を見たのかもしれない。
「ごめん、もう大丈夫だと思う」
「そう、だといいけど。おやすみなさい」
「おやすみなさい、ハルナ」
その夜はもう、すっかり夢を見ることもなく、八時過ぎまでぐっすりと眠れたのだった。
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