第2章
体育館裏のピロティは、部活に来ている生徒の自転車がほどほどの間隔で並んでいた。それでもその隙間に、僕とハルナが向かい合って立つだけのスペースはある。
「どうしたのハルナ。わざわざ呼び出すなんて」
ハルナはなかなか僕に目を合わそうとはしなかった。しかも言葉も言いよどんでいる。
「ごめんね環くん。こんなところに呼び出して」
「それはいいんだけど……。わざわざ二人きりで会いたいなんて、今まで一度もなかったよね」
僕はそう言いながら、もしかしてと心臓がばくばく言っていた。体育館裏への呼び出しと言えば告白あるいは暴力だ。
「暴力は嫌だな」
「えっ?」
「いや、ひとりごとだよ。ハルナも熱いでしょ? 顔が真っ赤だよ。大丈夫?」
「大丈夫! でも緊張しちゃって……。その、わたし……、わたし、好きで……」
ほとんど聞こえないような声だったけれど、ハルナは好き、と言った。
「わたし、智くんのことが好きなんてす!」
「僕も……、えっ?」
「えええええっ! 環くんも智くんが好きなの?」
いや、そうじゃない。どうして智の名前が出てくるんだ! 僕を呼び出しておいて!
「智くん、かっこいいもんね。成績もいい、スポーツもできるし、イケメンだもん。男の子が男の子を好きなってもいいもんね」
同性を好きになって結婚することは、今はわりかし普通のことだ。だからって、僕が恋愛的な観点で智を好きになることは決して無い!
「そうじゃなくって、ハルナは僕のことが好きなんじゃないの?」
「どうしてわたしが環くんのことを好きなの? ……だって、環くん、智くんととっても仲がいいじゃない。好き、って告白するのにはまず、環くんに協力してもらおうと思って。……駄目ですか……?」
「あー、はい……、そういうことね。僕で良かったら、ハルナの力になるよ」
「本当に? ありがとう!」
今にも泣き出しそうなハルナは一転、嬉しさのあまり抱きついてきた。でも、僕じゃなくて、智が良いんだよね。……そっかあ。
「詳しくはメールする! ありがとう!」
すたすたと去っていくハルナは幸せそうで、見ている僕はなぜか、鼻の奥がつんとしてきた。
───どうして、僕じゃないんだ。
「はい、カット」
ピロティの壁によっかかっていた智が僕の感傷を立ちきった。
「どうだった?」
「すごくセンチメンタル」
ハンカチでこぼれた涙を拭いながら、クラブ活動の感想を端的に述べる。
「環くん、とっても情けない顔してたよ」
歩いていったハルナも戻ってきて、AR形の電書リーダーを耳から外した。
「昔のマンガみたいな台本ね」
寸劇をやってみた感想がそれだった。夏休みの初日。いつもは御崎神社でやっている恋愛小説朗読を校内でやってみたのだった。ハルナは意外にも積極的に、告白される側を買って出た。
「この台本、悪意があると思うんだけど」
「悪意じゃなくて俺の願望」
「ないない。こっそり智のことが好きな物好きの女子なんていないって」
けらけらと実佳子が笑っているが、そうか智はこういうシチュエーションが好きなのか。
「玉置さんどうだった? どきどきした?」
「したー! お芝居なのに、なんだろうこのどきどき。気軽に環くんに喋られなくなったよ」
「運命の相手ができたら、玉置さんも今度は環側で告白をすることになるかもしれないからね」
「僕のほうがもっとどきどきしたって!」
だって、ハルナの読むセリフは僕には教えてくれなかったから。本当に告白されると直前まで思っていたのに。しかも今日のハルナはストレートの髪の毛を二つに結んで、少し違う雰囲気だったのでなおさらどきどきした。
「三十年前。MAIパートナーができる前は当たり前のことだったんだ。夏休みのはじめは告白の成功率もかなり高かったらしいぞ」
「それはどうして?」
「夏休みに一緒に過ごす相手がほしいって、みっこも経験あるんじゃないの?」
部活にクラスに塾に、当時だって十分な人間関係を持った誰もが、夏休みを一緒に過ごす恋人を求めた時代があった。まわりに自慢するためだろうか。それとも、三年しかない高校生の夏に彩りが欲しかったからだろうか。どっちにせよ、自分本位な考え方だと思う。
「今ははやらないよね。それはどうして?」
「俺もいまいち結論が出せていないんだけどな……、たぶん日本人は臆病になってしまったんじゃないかな。失恋が怖くて恋ができないとか、SHarPで相手を見つけられる保証があるから高校生でわざわざ恋人が必要ないとか、身内で大恋愛をしたけどあまりいい話をきかない相手がいるから自分は避けよう、とかさ」
確かに、お芝居の中でも僕はハルナに振られてとっても悲しい。たぶん、一週間くらいは立ち直れない気がする。
「環も一週間くらい引きずるんじゃない?」
「な、なんで!」
「経験上」
堂々と智が言うと妙に腹が立った。この日は夜に、ハルナの歓迎会がクラス全員参加で開かれるので、僕たちのクラブ活動はお昼でおしまいだ。
『玉置晴波さん ようこそ二年九組へ!』
わざわざ横断幕まで作って盛大な歓迎会が開かれた。先生まで入れてクラス全員三十三人が入れる場所は、カラオケボックスのパーティルームくらいしかない。高校生向けのパーティプランで揚げ物やお菓子がたくさん出てきたし、ドリンクバーも飲み放題だから遊ぶに騒ぐに食べるには最適だ。とくにプログラムがあるわけでもなく、歌いたい人向けに個室も確保しているので、あんまりハルナと関わりのない人でも気楽に過ごすことができるだろう。
「ぼくが学生のころと、君たちはたいして変わらないんだなあ」
なぜか女子の写真撮影の中心に先生が混じったり、コーラ一気飲みのちに山手線の駅名をげっぷせずにいうケームに参加したりと大人気の先生だったが、引率者だったはずだよね。学生の頃から先生はこんな感じだったのだろう。
さて、ハルナはと言うと、いくつかのグループに混じって話して、また別のグループに混じってと、特定の誰かと深く仲良くということはなさそうだった。僕たちの部活に参加している時間のほうが、ずっと距離が近いように思える。と、思っていると、オールタイムカラオケ異性と近付くい恋愛ソングについて珍しく軽音楽部の男子と喧々諤々と議論をしていた僕たちのところにハルナがやってきた。
「御崎くんは歌が好きなの?」
「好きだな」
「へえ。どんな歌?」
彼らが軽音楽部と知っていて、ハルナは聞いてきた。
「だいたいの歌は好きだよ。だって、恋の歌がほとんどだからね」
これには軽音楽部の彼らも賛同していた。恋愛をしたい、したくないという感情と、歌を愛でることはまったく関係ない。好きなものが似ているので、智は軽音楽部、吹奏楽部と文芸部と仲が良かったりする。よく僕たちのクラブ活動に持ちこんでくる恋愛小説の出どころは彼らである。
「ふうん」
あまり興味もなさそうにハルナは答えた。僕たちと仲良くしていると変な目で見られてしまうからそんなそっけない反応をしているのだろうか。でも、あちこちで「失恋大明神は」というハルナ発信の会話が聞こえてきたので、気にしている感じでもない。
「玉置さんってさ、今どこのグループにいるの?」
軽音楽部がドリンクバーに向かって僕たち四人ばかりの空間になった隙に聞いてみる。一週間以上一緒に授業を受けて、昼食も食べて。いろいろな人と少しずつ関わってきているようだから。教室では僕と智と実佳子は別々に行動しているし、ハルナも居心地がよい相手と過ごしたほうがいいだろう。
「わたしは……、特にどこでもないよ」
「そだね。ハルナちゃん、可愛くって勉強もできて運動もすごいから近寄りがたい感あるもん」
自分のグループではここまでの毒を実佳子は吐かない。言われてハルナは少ししゅんとしていた。でも、ハルナと実佳子はどちらかが目を反らすことなく真剣に話をしていて、女子同士のマウンティングではないことはわかる。
「私は何か、ハルナちゃんが壁を作っているような気がするんだ。コレと言って何ってのはわからないんだけど、クラブ活動ではその壁が小さくなっているように思う」
「みっこは気づいていたんだね」
「やっぱり?」
ハルナは頷いた。そして、ついてきて、と僕たちをパーティルームの外に誘うように立ち上がる。
「わたしの秘密、三人に教えるね」
狭い通路で談笑するクラスメイトをかきわけながら、電気がついていない部屋に勝手に入ると、電気を薄くつけて車座に座り込んだ。
「秘密?」
「私たちに話す秘密ってことだよね。失恋クラブの私たちに」
「そういうことよ」
運命の恋をしてみたい、なんて先生の店でハルナはこぼしていたが、そのことではないようだ。えーっと、と何から話すか整理をしているうちに、智と実佳子は二人とも腕を組んでふんぞり返っている。真摯に聞く姿勢を見せるよりも、こっちのほうが話しやすいそうだ。
「わたし許嫁がいるの」
いいなずけ。
その言葉がなかなか僕の脳内で変換ができずに困った。許嫁? 自分の意志と関係なく結婚が決められている、っていう、あれ?
「それだけよ」
「それが秘密?」
「ええ。はじめて同級生に話したわ。三人とも、あんまりびっくりしていないのね」
言ってしまったハルナはけろりとした顔をしていた。実佳子も涼しい顔をしているようだが、手元が震えているのを僕は見逃さない。
「もう結婚相手がいる、ってこと? 十七歳で?」
「わたしまだ十六なだけど。いる」
えええっ? と驚くのをぐっ、とこらえてハルナが次を語ろうとするのを待った。
「さすが智。動じないね……智?」
微動だにもしない失恋大明神。しかしわなわなと唇が震えていた。まずいハルナ逃げるんだ。
「すごい、すっげええええええええええぞおおおおおおおおっ!」
吠えた。
理性が感情に追いつかなくなったとき。例えば一目惚れをしたときの智がまさにこの状態だった。ここが防音のカラオケボックスだったのがせめてもの幸運だが、ハルナは両手で耳を押さえている。
「まさか! 本当に玉置さんは、許嫁だって? なんて前時代的でロマンティックじゃないか! ものがたりのヒロインみたいだよね! それだけの魅力がきみにはあるってことなんだよ! 俺も許嫁ほしいもの! でも普通じゃ無理なんだ。恋愛をしないのが普通のこの時代では、許嫁はできないんだよいいなああ。良いなああああ!」
べらべらと思ったことを垂れ流す智は身内の恥なので、頭をぺこっと叩いて黙らせる。
「やかましい! ハルナひいてるじゃないか」
「……ハルナ?」
「あっ」
僕は環って呼ばれることがほとんどだから、ハルナって勝手に呼んでいたけど、口にだすのはこのときはじめてだった。
「ごめん、玉置さん」
「ハルナでいいよ。そうだよね、呼びにくいよね」
「それよりも玉置さん許嫁の秘密、いいなずけを教えておくれよ」
恋愛脳の智にとっては、許嫁がいる少女は気になって仕方がないようだ。いや、ごまかしはよそう。僕だって、気になる。とっても気になるし、その相手を知ったからといって、さらに不安になるかもしれない。
どうして? わからないけど、僕が手に入れられない運命的な展開をすでにハルナが手に入れているから。なのか。
「紅崎(あかさき)恭一(きょういち)って人が、わたしの許嫁だよ」
「どんな人?」
「医学部の四年生」
くっ、と智が吐き捨てた。そうなのだ。許嫁を得るような相手は、そもそも環境が違うのだから。
「許嫁っていっても、SHarPを使って出会ったんだけどね」
「SHarPを?」
十八歳以上になってはじめて使うことのできる相性測定用の機器だけど、どうしてハルナが使うことができたのだろう。
「わたしが中学生の時に、職場体験で市役所にいったの。あるでしょ? SHarP。それを体験してみようってことでやってみたら、異様に高い数値が出て、それがきっかけだよ」
「高い数値って?」
「相性九四パーセント」
「きゅうじゅうよんぱーせんとっ!?」
智と実佳子が同時に叫んだ。その数値がどれだけのものか僕はわからない。
「前に教えただろ。正確や好みや、収入と職場環境以外の人となりの相性を数千のパラメータで数字を出すんだけど、結婚の推奨がされる値が四〇パーセントからだ。四〇パーセントにも届く相性の良さは百組にひと組くらい。日本国内で探すから、相手は一億人に一人なんだよ。いろんな人がいるだろ? その中から八〇パーセント九〇パーセントって相手を見つけられることは年間に数人なんだって」
「詳しいな智」
「お・ま・え・が! 知らなすぎるんだ。お父さん市役所に勤めていていったい何をみて育ったんだ」
「ごめん……」
勢いに押されて謝ってしまう。
「そりゃあ、九四パーセントなんて数字が出たら許嫁にしてくれ、って言われるよね。わかる。俺もそんな高い数値の相手がいたら結婚を申し込むもん」
一目惚れで告白を連発する失恋大明神とは思えないまっとうな意見だった。
「中学三年生にそんなことを言われても、ね」
「ハルナちゃんは不満だったの?」
「不満とかじゃなくて! こういうものなんだ、って悲しかったかな」
十八歳になって自分から相手を求めるのか、中学生ながら偶然相手を引き当ててしまったかの違いだ。この国のシステムは多感な女子中学生には酷だったのかもしれない。自分で未来を選べないことは辛いから。
「でも、きっと幸せにはなれると自分を納得させていたんだけどね、二年くらいは。どうにも我慢できなくなっちゃって」
「我慢できなくて?」
「東京から家出してきたんだ。わたし」
二つ目の暴露があるとは思っていなかったので、「は…………?」と息が漏れるような声が出てしまった。
東京でのハルナは、想像に難くない難関の私立高校に通っていた。今着ている制服もそこのものである。許嫁がいることは誰にも言わずに、ハイレベルな高校の中では凡庸な一人の生徒として生きてきた。しかし、高校の二年生になってから公民の授業が始まって、本格的にMAIパートナー制度とSHarPについての仕組みを学んだのだった。
「わたしは、大切な人生の選択をできないんだと思うと、紅崎さんが憎くなってしまって」
ハルナの感情が爆発したのは、東京の高校で、クラスの男女が恋愛関係になったことだった。ハルナや智と見比べてみても地味な二人が、初々しさも相まってとっても幸せそうに写ったそうだ。
「ゴールデンウィークの頃。恋愛がブームになっていたの」
「高校二年生にありがちなヤツだな」
「そうなの?」
その事実に智は驚かない。そのほとんどは悲恋で終わるものだが、公民の授業がよい刺激となったのだろう。
「お母さんに聞いてみたの。わたし、紅崎さんと結婚するのかって。そうよって。あなたの最良の相手が見つかって、しかもお医者様で良かったじゃない。私たちもMAIパートナーで出会ったけど、それでよかったと思っているんだから。あなたの幸せななだから、って聞いてたらすごく無性に腹がたったから家出した。いとこのお姉さんの家に居候しているんだけど、これはあまり人に言わないでね」
もちろんそんなことを話すつもりはない。
「運命の相手、見つかるといいな」
「環くんが言うと嘘っぽい」
「どういうこと!?」
「だって、環くんもわたしみたいに何かを隠していそうだから」
晶ねえちゃんとのことだ。僕の秘めたる初恋と初失恋について、誰にも話すつもりはない。だからって、ハルナがそこまで見抜いていたとも思えなかった。
「御崎くんの正直なところ、かっこいいと思った」
「かっこいいと思うなら俺とつきあってくれ」
「嫌だ。失恋大明神なんてごめんだよ」
「…………」
冗談で告白して本気で落ち込んでいた。
「だから、わたしも自分の力で、昔の人みたいに恋愛をしてみたいんだって気がついたんだ。基本的に、MAIパートナーを期待している人と心から仲良くはなれないよ」
堂々と本音を語ったハルナの気持ち。しかし委員長が僕たちを探しにきたので宙ぶらりんのまま歓迎会は終わったのだった。文化祭の占い喫茶ではハルナもできるだけのことを協力したいとスピーチすると拍手喝采。失恋大明神のコーナーも設けようというサプライズ企画に智は失恋大明神じゃない、恋愛のプロだと言って失笑を誘っていたが。
お前達早く帰りなさいという糸川先生の指示に従って、僕たちはまっすぐ家に帰った。
「おかえり、遅かったな」
「転校生の歓迎会だったんだよ」
「転校生? 水都中央にか?」
珍しいね、と言う父さんも、ソファで読書をしている母さんも、同じく水都中央高校のOBだ。二人は四つ年が離れているので在籍年度はかぶっていない。合計六年間、転校生はいなかったという。許嫁がいるハルナのことを、両親にかいつまんで説明した。
「普通であれば、環と同じクラスには入れないだろうな。糸川先生の趣味なんじゃないか」
「そんな気がするね。あの先生ユニークだから」
なぜか両親から先生の信頼度がとても高い。
「でもダメよ? 東京のいいところのお嬢さんなんでしょ? 御崎くんの失恋クラブに引き入れちゃあ。ねえ?」
母さんが父さんに同意を促すも、父さんはすぐにうん、とは言わなかった。
「俺は、高校生が失恋したっていいと思っているんだが」
「そうなの?」
「間違えるなよ環。失恋しろと言っているわけじゃない」
口論を予め避けるように、父さんは部屋に戻っていった。
「もう! 智くんもいい子なんだから、素直に大学に行ってからみっこちゃんと付き合えばいいのにね」
「ね」
二人の関係は、とっくにまわりにバレているようである。
「ねえ、母さん」
「なあに?」
「許嫁がいても、好きな相手ができて、そっちを選んだ場合どうなるの?」
「結婚していなければ、自由恋愛よ。だれと何をしてもいい。犯罪はだめだけど。許嫁は家同士の取り決めだし、そのハルナさんは未成年だから許嫁さんとはなんでもないの。……でも、一時の気の迷いよ。結局その許嫁と結婚する」
「どうしてそんなことがわかるの?」
「弁護士の勘」
法律の専門家曰く、ハルナが恋愛をするのはオッケーとのことだ。早速自分の部屋で三人にメールを入れた。直後、チャットアプリにハルナがログインする。
「こんばんは環くん」
「こんばんは玉置さん」
「ハルナでいい」
「……こんばんはハルナ」
なぜだろう。直接女子の名前を呼ぶのは照れくさかった。
「母さんが教えてくれたよ。存分に恋愛しても大丈夫だから」
「読んだ。でもさあ、家族だからってあんまり言わないでよねえ。田舎って勝手に話しが漏れそうで嫌なの」
「田舎なもんか!」
「嘘。聞いたもん。環くんの家のまわりには田んぼしか無いって」
智か? 実佳子か?
「糸川先生から」
「どうして聞いたんだよ!」
「三人はどんな人かって聞いたら、榛名は田舎の子だって」
横暴な説明をしたな、あいつ。
「それくらい、わたしだって知っていたよ。でも紅崎さんの人となりを知っちゃうと、なんだか裏切ってしまうような気がして」
「許嫁と会ったことあるの?」
「ある」
曰く、失恋大明神じゃない智の上位互換だそうだ。
「完璧超人なんじゃない? 一緒に話してみて息苦しいとか?」
「ぜんぜん感じなかった。SHarPってすごいと思ったわ」
それ故にハルナは迷っているみたいだ。恋をしても後悔してしまうのではないかと。少なくとも誠実ではいられなくなる。ハルナの気持ちは揺れている。でも、僕がアドバイスできる問題ではない。ハルナ自身が決めなくてはいけないから。僕だって許嫁がいたら同じことで悩むだろうか。晶ねえちゃんへの恋よりも深い恋をその相手にすることはできるだろうか。
「環くん、SHarPのすごさ、見くびってない?」
「見くびっているとかいないとか、使ったことないし」
使ったことがあって、許嫁がいるハルナがかなりのマイノリティだろう。
「使ったことないの?」
「智?」
「おう。今来た」
「お父さん、市役所だろうが」
「市役所勤めだからって、息子に使わせられるかどうかは別でしょ」
「ダメだって言ったのか?」
「いや……」
そもそもきちんと見たこともなかった。十八歳以上になったら考えればいいか、という考えだったので、父さんときちんとSHarPについて話しをしたこともない。
「じゃあ、聞いてみてよ」
「聞くって、何を聞くのさ。使わせてみてくださいって?」
「そう」
簡単に言ってくれるなあ。未成年にお酒を飲ませてくれって言うのと似たようなことなのに。
「聞いておくよ」
「いま聞きにいって」
「玉置さんっ!?」
「わたしだけSHarPで結婚相手が出ているってなんか、ずるい」
「そうだそうだ! 俺もやってみたいぞ」
「智は自分で運命の相手を探すんじゃないの?」
「SHarPによる結婚分析はとても正確で、とても役立つんだ。自己分析も恋愛にはとっても大切なんだからな。自分の素の要素がどんなで、それをいかに魅力的に見せていくかっていうのが基本だと何度も指導したじゃないか!」
好きな相手が出来たら、告白に向けてやる努力について智はいつも流暢に語ってくれる。自分とはまったく違う自分になろうとするな。とにかく、自分がどんな人間かをきちんとわきまえて、その土台にあった魅力を重ねていくんだと。
それだと、素のスペックの高い智はもっと別の方向に努力をしたほうがよっぽど良いのではないか……。とにかく「青春」の理想像に縛られている気がする。
「わかったよ、今から聞いてくる」
「明日でもいいからな!」
「使わせてもらえる前提で言わないでくれ。一旦落ちるよ」
そして僕はチャットを切った。入れ替わりのように実佳子がログインしてくる。
僕のいない間に、智が話を盛るんだろうなぁ。そしてハルナもやいのやいの言うのだろう。
「父さん、今いい?」
僕よりも遅く帰ってきて、僕よりも早くでかける父さんに、こんな時間に話をするのは気がひける。もう寝ていたら迷惑かなと想いながらノックすると、「あーい」と間の抜けた返事が帰ってきた。畳の八畳間だが机が置かれ、他にタンスとテレビとステレオが置いてあるので、ソファに座りなさいと促される。
「どうした? 母さんともめたか?」
先程の転校生の話について、母さんと言い合っていたので父さんも気になっていたのかもしれない。
「もめたわけじゃないんだけど……」
「環がどんな恋愛をしても、父さんは反対はしない。男なんだから、やると決めたら最後までやってほしいな」
なんだか勝手に察してアドバイスをしているようだ。
「あのね、僕別に誰かに恋をしているわけじゃないよ」
「えっ? 恋愛相談じゃないのか!?」
「違う」
「そんなぁ……。自分の子供から恋愛相談を受けるって、お前が生まれてからずっと楽しみにしていたのに」
そんなことを言われても。
「しかも、母さんがMAIパートナーのほうがよいと思っているから、相談が来るとしたら父さんだろ? 今どきそういう相談を持ちかけられるなんて、すっごく青春っぽくないか?」
「青春って、父さんが高校生の頃だってもうSHarPがあったじゃないか」
「いや、俺たちの頃は、まだまだ恋愛が盛んだったよ。そもそもMAIパートナーって出生率を上げるための政策だったからね」
SHarPが話題に上がった。僕がお願いをするならここだと思う。
「SHarP、使ってみたいんだけど」
「お前が?」
「僕と智と実佳子と、転校生のハルナ」
「……ちょっと考えてもいいか」
すぐに未成年はダメ、と父さんは言わなかった。さっきリビングでハルナのことを話したときも、相性94パーセントの相手をSHarPで見つけることができたことに対して、両親とも「やってはダメだよ」と言わなかったこともあるので、禁止はされていないんじゃないだろうか。
「水都市役所の、港南区の分所なら大丈夫かな」
「港南区? どういうこと?」
「SHarPは、未成年が使うのを禁じてはいないんだ。結婚できる年齢が十八歳だから、それ以前に使ってもなんにも良いことはない、というだけで、しっかり相性の高い相手を示してくれる。ただねえ……、高校生が使っているところを、他の利用者に見られるのはマズいだろ?」
やっぱり、ダメではなかったのだ。メディアで報道されることがまずないのは、遊び半分で使われてはトラブルが発生しかねないからだろう。未成年への犯罪の原因にならないとも限らないし、市役所の業務としてもこれ以上利用者が増えるのは嬉しくないのではないだろうか。きちんと利用するには、書類を何枚も書いて手続きもたくさん必要だし。
「港南区には個室があるんだ。他の利用者に見られることなくSHarPを利用できるようにしてある。恥ずかしいから、って人がごくまれにいるし、身体が不自由な利用者でも問題なく使えるには別にスペースが必要だからね。全ての区役所に設置するには場所がなかったから、市内では一箇所だけ。あとは県庁にもあるけど、県庁だと俺の融通がきかないから」
「いいの? 使わせてくるの?」
「ああ。明日でもいいぞ。環や智くんたちが変なことをやってるのは聞いてるから、その矯正にもなるだろう……矯正とは違うか。俺の意見だけど、本当はMAIパートナー制度も普通の恋愛も、どっちも経験してから自分で決めてもらうのが人間いちばん納得のいく人生を送れると思うんだ。使ってみて、それでお前たちの「失恋クラブ」がどうしたいか決めればいいよ」
詳しい時間はまだわからないけど、夕方くらいに港南区役所まで来てくれと父さんは言った。なんだかここまでスマートに、良いよと言われるとは思っていなかったので、智が予め父さんに根回しをしていたのではないか。キツネにつままれたような気分になる。
部屋に戻ってチャットアプリにログインすると、実佳子とハルナの笑い声がスピーカー越しに響いていた。
「ほんとに? むっつりじゃない!」
「そうなんだって。環くんって、女子が着替えていたり体育のときとか、他の男子がじろじろとみる時にそっ、と見るんだ」
「俺みたいに見せてって言えばいいものを」
「御崎くん最低!」
「男子なんてそんなもんだよ」
「おい、何を話していたんだ」
「うわああっ!」
僕が話しかけると、三人はログインしたことに気がついていなかったのか、驚きの声を上げる。
「玉置さんが、環についてちょっとした幻想を抱いていたから壊しておいた」
「……幻想?」
「榛名環は紳士的だって思っているから、いや他の男子とかわらずむっつりだって」
「僕は! ……そういうこと言うのやめよう」
一概に全部否定もできない。でもそれをハルナにわざわざ言うことないだろ……。
「俺たちはあくまでも冷静に運命の相手を探すんだぞ。下手な思い込みで仲間割れになっちゃたまらないからな」
「智はどうなんだよ……聞くまでもないか」
「そうだ! 俺は何も隠してはいない!」
開き直る相手は本当に最強だ。
「それで、どうだったんだ?」
「うんうん、使えるの?」
「ああ! 明日の夕方、SHarPを使わせてもらえるよ!」
直後、再びスピーカーが割れんばかりの完成が響いた。
「ありがとう、環くん」
「さすが、やってくれると思っていたぜ! ついにSHarPかあ。俺にも相性九四パーセントの相手いるかなあ」
「智は運命の相手がいるんでしょ?」
「う……、MAIパートナーで知り合う相手が運命の相手の可能性もあるじゃないか」
父さんが明日の午前中に何時から、という連絡をくれる。特に心構えがあるかどうか、ハルナに聞いてみた。
「そうだなぁ……。質問がたくさん出るから、正直に答えてね。あと、パスポートも持ってきて」
「はーい」
「自分の好きがあれば、しっかり申告すること。それは担当の人にも言われたよ」
「智はフェチにはいつも正直に生きているから大丈夫だよね」
「問題ない」
「だいたい二時間くらいかかるから、そのあと結果が出るまで三十分くらいかな」
「案外短いんだな」
「短い? 智言っていることおかしくない?」
全部やって、三時間はかかるだろう。夕方から始めたら、夜までかかってしまう。
「たったの三時間、SHarPのテストを受けるだけで結婚相手がわかるんだぞ。これが長いわけないだろう」
「三時間で人生が決まるってことか……。ハルナちゃんはもう決まっちゃっているもんね」
「決まってない! 決まっているもんか!」
せめてもの抵抗だったが、あまり勢いがあったとは思えなかった。
午前中は、文化祭の打ち合わせホームルームがあった。ここで正式に、誰がどの役目なのかを決めることになる。
「では、玉置さんは「占いの巫女」役で」
「はい。よろしくお願いします」
二年九組「占い喫茶」の誇る五人の占い師。その一人はハルナ。全員の推薦に乗せられて、楽しそうなハルナは、ただのヴェールをかぶった占い師ではつまらないと言って、様々な議論が展開された結果。「占いの巫女」として緋色の袴を穿く巫女さん役が内定した。その衣装ならば智の神社にあるため特にお金もかからない。
高校生の文化祭の占いに関して、過大に期待されては困るが、相手が嫌に思わないように最低限のガイドラインの作成は必要だという。面倒な喫茶店のスタッフをやるよりはそっちのほうが楽しそうなので、僕は占いチームの方に参加することにした。
また、名を轟かせている失恋大明神の智は、神主の服を借りてきて恋愛相談に一日中徹することがはじめから決まっている。自分の恋愛に関しては暴走するが、人にアドバイスをするときは非常に的確なことを言うから、そこそこ人も集まるんじゃないだろうか。
「御崎くんはオネエ言葉で話すってどう?」
「イヤよ。どうしてアタシが恋愛チェックでオネエにならなきゃいけないの! 男子全員のハーレムつくるわよッ!」
ハルナに引き続き、智もノリノリであった。僕と同じく占いチームになった実佳子はけらけらと笑っている。文化祭まで、五人の占い師の写真をとってポスターを作り、校内への広報活動が実佳子の主な仕事となった。
「夕方まで時間があるから、アタシたちも占い喫茶の相談しましょ」
「おい智、当日以外はオネエはやめろよ……」
「……ちょっと恥ずかしかった」
失恋大明神が好かれるのは、場を楽しませようとどんどん面白いことをするからだ。僕もこうなりたい(別にオネエをやるわけではない)。
喫茶店の方は喫茶店チームが相談を続行していたが、占いチームは僕と、副委員長の高田くんと文芸部の海津さんがガイドラインを作ることになった。様々な悩みを持ち込まれるだろうから、できるだけ対応しようといくつか大きなフロー書いて今日はおしまいにした。五人の占い師を交えてなんども相談をする必要があるから、そのスケジューリングまではきちんとできて良かったと思う。智とハルナは僕が直接話せるので、助かると言われたのはなんだろう。二人はいったい何だと思われているんだろうか。
午後は夏休みの宿題を進める。智の組んだ夏の失恋クラブの予定において、夏休みの宿題は勝手に完璧に終わらせておくのがルールだった。智や実佳子、ハルナと一緒に教え合って宿題を終わらせるなんてマンガにかかれているようなことは行わない。そりゃあ、智は楽だろうけど、僕や実佳子は手こずるだろうに、智は一切手伝ってはくれない。
「恋愛には力があるんだ。燃えるような恋をするヤツは、宿題だってぱぱっと片付けるし、東大に入ることもあるんだぞ」
そんなこと、信じられないと言ったが、たしかに智の普段の自己管理の厳しさはすべて恋愛がらみのためと割り切っている様子を見るとありえたことなのかもしれない。
昔の恋愛感は、ロマンチックだったんだなあと思う。
江南区役所は、水都駅から電車で十五分。徒歩で十分のところにあった。駅を出れば街路樹に止まったセミがミンミンジワジワとやかましい。夕方でも汗が額にたまのように噴き出す。もうすぐ八月になれば、少しは涼しくなるのかな。父さんが指定してくれた時間が夕方で助かった。十分とはいえ、炎天下の一番猛暑な時間帯を歩きたくはない。
区役所の駐車場には、見慣れた父さんの車が止まっている。もう到着しているようだ。五時半からやるよ、と教えてくれたので五時に到着するように来たのだけれど、もっとはやく来ているみたいだ。入り口の階段で、仕事帰りの人たちとすれ違ったので、仕事の時間外ということだろう。自動ドアをくぐると、ポロシャツ姿の父さんが手をふっていた。
「やあ、環、みんな」
「こんにちは、本日は貴重な経験をさせてくれてありがとうございます」
「智くんは、SHarPには興味がないんじゃないの?」
「いえいえ、きちんとした恋愛をするにも、SHarPを知った上で比較しないといけないと思いますから。じゃないと考えが偏ってしまうので」
「はっはっは、そうだよな。ところで……」
前から顔なじみの智と実佳子は父さんと会釈で挨拶が済むが、初対面のハルナはそうはいかなかった。
「玉置晴波です。環くんのクラスメイトです。よろしくお願いします」
「環の父です。息子が世話になっています」
ハルナが名乗ると、その名前にこそばゆそうな笑顔になっている父さん。ハルナに許嫁がいることはわざわざ父さんからは口に出しはしない。開けた窓口の奥、二畳くらいの小さな部屋がいくつも並んでいる箇所。床はそこだけ赤で塗られ、「MAIパートナーコーナー」と看板が下げられていた。それぞれのパーテーションは密閉され、遮音もされている。少しは大きな声を出しても絶対に外から聞こえないようにしてあるのは、プライバシーの守秘のためだ。
パーテーションは四つあり、他に個室に一台あるらしい。父さんが上手いこと設定をしてくれたので、並んだ四つのSHarPを僕たち四人が独占して使うことができる。職員以外の目もないので、こそこそせず全員同時に測定ができる。
「四人同時に測定ができれば、お互いの相性も測れるぞ」
「お互いの相性? 私と智とか? 私とハルナちゃんとか?」
「そうそう。基本的にSHarPは成人以上のシステムに乗りたくないという人を除いた中からより相性のいい相手を選ぶんだけど、直接同時に測定をした場合、その相手との相性も見ることができるんだよね。ゲームセンターの対戦みたいな感じだな」
では、どうぞと僕たちはそれぞれドアノブを掴む。
これで、最良の相手を見つけることができる……。全国規模のマッチングアプリ、なんて揶揄もされているが、生涯の伴侶になるかもしれない相手を、これで見ることになるのか。
少し、怖くなった。体験したことのあるハルナと、怖いもののない智は勢いよくSHarPの中に入っていたが、僕は少しだけ躊躇って大きく深呼吸した。
「環くんも、か」
「みっこも」
僕の隣で立ちすくんだ実佳子も、深呼吸をして覚悟を決めているようだ。
「互いの相性が見れるなんてね」
「……行こう。どんな数字でも、それは数字だから」
「うん」
一人では怖くても、二人なら勇気が湧いてくるようだ。意を決して、僕と実佳子は。
足元のオレンジ色の照明に浮かび上がる椅子が見える、SHarPの中に。
今、一歩踏み込んだ。
『SHarPの利用者はシートに深く腰かけてください』
男性の声と女性の声が交互に、利用における注意を読み上げる。僕はドアの方を向いてシートに腰をおろした。シートは四十五度まで傾いていて、ヘッドレストに頭を着けると斜め上を見る体勢となる。
『利用者のスタンバイを確認しました。サジェスト・アンド・ハピネス・ユア・パートナーデバイス。利用を開始しますか? 音声でお答えください』
「開始します」
『……SHarP、起動します』
「うわっ!」
ピィィーッン、という電源が入る音とともに、部屋全体が明るく光出す。視界に入る壁面は全てスクリーンであり、まるでアトラクションのようだ。腰掛けているシートには様々なセンサーが入っていて、MAIパートナーのテストごとに僕の反応を感知して、いったいどういう人間なのかを判断するらしい。とてもハイテクだが、どうしてここまで凝ったものをやるんだろう。
『SHarPにようこそ。まずはあなたのお名前を教えて下さい』
「榛名……環」
『環さま。SHarPをご利用いただきましてありがとうございます。まず、一点注意があります。本システムは環さまのパートナーを提案することはできますが、選ぶのは環さま自身です』
SHarPが選ぶからといって、二割の利用者はその相手を選ばない。ビッグデータを活用した高性能のシステムであっても、数字にできないこだわりや気まぐれには対応できないのだ。他に、いくつかのシステムの注意が流れたあと、視界いっぱいに白い空間と、そこからどこかの教室の姿が浮かび上がってきた。
「教室? 高校の?」
諸注意の中に、『リラックスした状態でテストを受けてもらうため、利用者の慣れ親しんだ環境に似た場所を投影します』とあった。SHarPの起動時に、持ってきたパスポートを掲げたため、僕が十七歳の高校生であることはすでにわかっている。わかっていてもきちんと動いているので、十八歳未満でも問題なく使えるようだ。
『それではこれより環さまと相性の良いパートナーを見つけるための質問を行います。これらの個人情報は匿名性を保ちますが、統計を取るために使用することがあります。それでもよろしいですか?』
「はい」
そして、様々な質問が始まった。はじめのうちは、利き手はどっち? といったものや、日々の暮らしについてどのようなリズムで行っているかという、人となりを図るためのものがいくつも並んでいた。視界に映る教室の黒板に文字が映し出されるが、わざわざここまでの設備も必要ないものばかりだ。途中からスクリーンに写真や映像が映し出されるようになって、心理テストのようになってくる。好きな色の組み合わせとか、レジャーの好みとか。価値観をどんどん測られているのがわかる。だいたい直感で答え続けているが、もしこれで嘘をついたらどうなるんだろう。シート内蔵のセンサーで僕が嘘をついているってわかるのかな。
『結婚するならどんな相手がいいですか』
「結婚?」
『はい。環さまはまだ高校生で結婚はできませんが、今の好みで構いません』
スクリーンには六つの選択肢が並んでいた。①MAIパートナーの提案するもっとも相性の良いパートナー、②MAIパートナーの提案する相性の高い相手の誰か、③お見合いによって紹介されたパートナー、④自分で見つけたパートナー、⑤環さまを見つけてくれたパートナー、⑥幼馴染・いとこ・クラスメイトほか、旧知の間柄。
「えっ……」
これは、簡単には答えられない。
今の僕はたしかに ④自分で見つけたパートナー、を目標に失恋クラブとしてあれこれやっているけれど、まさか ⑥幼馴染・いとこ・クラスメイトほか、旧知の間柄、というものがはるとは。脳裏にねえちゃんが、十八歳の姿の晶が思い浮かぶ。
僕は、そもそもどうしてSHarPを体験しようと考えたのだろう。と、根本的な話にまで考えが飛躍してしまう。僕は、運命の相手に出会いたいのだ。それは智にも言っているし、実佳子もハルナも知っている。
しかし。
SHarPのシステムがどれだけ僕個人のことをわかっているのかはわからない。初恋の相手がねえちゃんだったなんて、わかるはずがないと信じたいのだけれど、すべて見透かされているように思えてくる。
僕は。恋をしたいのだろうか。
それとも、またねえちゃんに会いたいだけなのだろうか。
自分でその判断がつかなくなってきた。一分が過ぎ、三分が過ぎ。解答は待ってくれるけど、答えられないと答えればいいのかな。
「……自分で見つけたパートナーが良いなと思っています。でも、まだいとこのねえちゃんが好きなのかもしれません」
『……次の質問です』
SHarPは少し逡巡したような間を残して、質問を続けた。
画面の端っこには、経過時間が映されている。最後の質問が終わり、ここの場所の他の利用者つまり智、実佳子、ハルナとの相性をはかるための質問に切り替わった。この時点ですでに二時間二十分が経過していた。
『智さま、実佳子さま、ハルナさまとはどのような関係ですか?』
「三人ともクラブの同級生です」
『パートナーとなりたい相手はいますか? なりたくない相手はいますか?』
「智とはなりたくありません」
『なりたい相手は』
「……わかりません」
実佳子とハルナと、パートナーになりたいか。これも難しい問いだと思う。
『以上でSHarPを終了します。おつかれさまでした!』
映されていた教室はだんだん輪郭がぼやけ、明るく光る壁に変わってきた。自動でドアが開いて、手元にパスポートがあることを確認するとはじめてのSHarP体験は終了だ。
ドアを出ると、待合のソファに智とハルナが座ってカップに入った何かを飲んでいた。
「環おつかれー」
「おう」
「環くん長かったね」
「人によって質問の量が変わるらしいよ。俺は一時間で終わった」
「一時間?」
「なんでなんだろうな」
カウンターの向こうを見ると、父さんと他の市役所の人たちが、ひとつのモニターの前に集まっていた。どうやら、SHarP用のコンピュータなのだろう。といっても、彼らが僕たちの測定結果を知ることは無い。本人にしか開示できないシステムとなっているため、あの人たちは高校生が使用しても正常に動いているかをチェックしているだけだ。
「やっと終わったよお」
ほどなくして、実佳子がSHarPを終了させてきた。実に智の三倍の時間をかけて自分にふさわしいパートナーを見つけるテストを終わらせてきたのだ。何で時間がかかったのか、それは僕と同じかもしれないな。考えすぎだろうか。ぐったりと、定期テストを受け終わったあとみたいな表情でソファに腰を掛ける。
「四人ともおつかれさま。あと二十分くらいで結果がでるから、もうちょっと待っててね」
「はいっ!」
ものすごく智が楽しみだと言わんばかりに答えた。
待っているあいだ、僕たちは誰も話そうとはしなかった。ハルナでさえ、何も言わない。中学生の時に受けたハルナと、今のハルナでは変わったところが多いと思うけど、それでも同じ相手が最良と判断されるのだろうか。それくらい聞いてもいいかな、と思いはするけど聞く気力は無かった。
あと数分で……。僕の最良の相手がわかるのか……。もし、万が一の話しだけど、僕という人間に致命的な欠陥があって、結婚に適さないと判断されたら。そういうことも稀にある。パートナーも子供も、そして当人も、つきあって結婚をしたところで誰も幸せにはならないこともあるのだ。SHarPはきちんとそれを伝えてくれるらしい。
「まあ、SHarPの結果だって間違うこともあるから」
ぽつり、と智が言った。聞いたことのないほどに、小さな声だった。
「四人とも、できたよ。こっちにおいで」
父さんが、カウンターの奥から僕たちを呼び寄せる。業務用の、大きなプリンターが置かれていた。一見ただの黒い箱だが、正面にはSHarPのロゴが入っている。
「手前にパスポートをかざしてくれれば、その人の相性結果が印刷されるよ。誰からやる? 環?」
「俺、いきます」
智が、自分は部長だからと手を上げた。パスポートをかざすと箱の上面に「あと 一分 二〇秒 お待ち下さい」と文字が浮かび上がった。智が良いと言わないうちに、結果が見えてしまうとなんだかバツが悪いので、僕は一歩下がろうとする。
「あ、みんな離れなくてもいいよ。封がされた状態で出てくるから」
そうこうしているうちに、手前のフタが中にぱたんと引っ込んで、その中には白い封筒がひとつ置かれていた。
「これかあ!」
封筒の宛名面には「御崎智 さま」と名前が書いてある。しっかりと糊付けがされていて、中身が透けもしない。
「開けるところ、回りに見られたくなければSHarPの中で見てきていいからね」
「いえ、ソファで見てます」
緊張の面持ちで、僕は次にパスポートをプリンターにかざした。
相性のいい相手がいますように。相手がいますように。相手がいますように。
なぜだろう。運命の相手と恋愛がしたいと意気込んでいたはずなのに、どうしてこんなことを考えるんだ。最良よりも、運命。そう言ったじゃないか。
なんて考えているうちに、プリンターの中には僕の名前が書かれた封筒が現れた。
「環、あんまり深く考えるなよ。いいな?」
僕が険しい顔をしていたので、父さんが注意してきた。とはいえ、普段も市役所で似たような光景を見ていると思われる慣れた対応。僕と入れ替わりに、これまた緊張した実佳子がパスポートをかざす。
封筒に入った用紙を熱心に読み込んでいる智の前を通り過ぎ、僕は再びSHarPの中に入っていた。入室すると、手元が見やすい明るさに照明が切り替わり、シートの背ずりも垂直まで自動で立ち上がる。
さて……、どうなっているんだろう。思い切って表紙を開く。
榛名 環 さまへ提案するパートナー
榛名 環 十七歳 男
相性100~90パーセントの女性 0名
相性90~80パーセントの女性 0名
相性80~70パーセントの女性 0名
相性70~60パーセントの女性 0名
相性60~50パーセントの女性 4名
相性50~40パーセントの女性 741名
抽出 18歳~35歳
冊子を開いた中表紙には、結婚をしてもうまくいく相性とされる、四十パーセント以上の人数が書かれていた。これが現実だ。僕もハルナのように、九十とはいかなくても八十パーセントの相手がいるのではないか、なんて期待したがその希望は一瞬で木っ端微塵に吹き飛んでしまう。この中にねえちゃんがいたとしても、それがたった四人の相性五十~六十パーセントだったとしても、最良じゃない。運命でもない。
なんで、興味本位でSHarPなんてやってしまったんだろう。自分の意志の弱さに、涙が出そうになる。この先のページを開く勇気が消えそうになりながら、えいやっと次のページを見た。
榛名 環 さまに提案するパートナー(相性60~50パーセント 4名)
女性 19歳 宮城県出身
女性 27歳 奈良県出身
女性 24歳 山口県出身
不性 20歳 東京都出身
以上である。以降のページは、僕自身に関することが事細かにかかれているだけだった。なんだか騙された、という気分になる。この冊子はガールフレンドのカタログのように、この相手が! あの相手が! と結婚を進めてくるものだと思っていたから。性別、年齢、そして出身都道府県しか書かれていない。ここから先の情報は、互いに連絡を取ってから開示されるそうだ。なるほどここまで慎重だと安心して使える信用も生まれるのかもしれない。
性格分析に関しては、一ページ目に「優柔不断」と書いてあったのがあたまにきたので、めくりもせずに冊子を閉じた。
「どうだった?」
SHarPを出ると、カウンターによっかかっていたハルナが声をかけてきた。隠すこともないので、僕は中表紙をハルナに見せつける。こんなもの、見せられても困ると思うけど。
「ふうん」
ほらね。
「わたしは、かわらない」
お返しにと、ハルナも自分の名前の書かれている冊子の中表紙を見せてくれた。燦然と輝く「相性一〇〇~九〇パーセントの男性 一名」の表記。父さんを含めて、市役所の人が遠目からちらちらと見たことがない数字だと話している。
「たぶん、紅崎さんのままでしょうね」
「すごいなあ、ハルナは」
「すごいっていっても……、どう反応すればいいのかわたしにはわからないよ。環だってそうでしょ?」
「そうなんだよなあ……。五〇~六〇パーセントの相性がどのくらい良いものかってこともわからないし、あくまでデータだと割り切ればいいんだろうか」
そうそう簡単に割り切れはしないけどね。
「なんだ、環はそんなもんか。みろよ」
「うわ、すげぇ……、もう少し範囲絞ってもいいんじゃないの?」
智の冊子の中表紙は、相性七〇~八〇パーセントの相手が六人を筆頭に、四十八人、五百九十一人、八千人以上ととんでもない数が並んでいた。しかし、その端っこにある対象年齢が十八歳から六十五歳までになっている。そして翌ページには男性・不性もずらりと並んでいた。
「環と同じ条件にすると、ほとんどかわんねえけどな。俺結構ショックだよ。相性ってこのくらいなのかって」
「だよなあ。ハルナの九〇パーセントって本当にすごい」
「でも、ねえ」
ハルナはそれが一〇〇パーセントだとしても納得は行っていないようだ。僕だって、智だってSHarPの数字はあくまでも参考としか考えていないけど。
「みっこは?」
「わ、私は」
あんまりかわらない、と中表紙を見せてくれた。本当だ。六〇パーセント超えが一人いるだけだ。
「みんな結構ショックかい?」
「はい。結構来ました」
「まあ、だろうな。私もそうだったし、利用する人は結構こうなるんだ。SHarPで幸せになることができるって言うけど、その数字でショックを受ける人も大勢いるってことを君たちには覚えておいてもらいたい」
数字は嘘はつかない。だから父さんはあくまでも淡々と言うばかりだった。
「さて……、測定をした四人の相性も見るかい? ローカルだから、あのパソコンでしか見れないんだけどな」
ええっ! と悲鳴を上げたのは実佳子だった。
「俺たちは見ないようにあっちに行っている。操作は見ればわかるから」
と言って、僕たちだけがパソコンの前に残される。画面には、二つの空白と四人の名前。そして、相性判断、と書かれたボタンが表示されていた。
「どうすればいいの?」
「そりゃあ、やってみようよ。俺たち四人の中に運命の相手がいるかもしれないから」
「そうだといいけど」
ハルナは白けた目で実佳子を見ている。
「じゃあ、わたしと御崎くんでやってみましょう」
「へ?」
智の静止する間もなく、ハルナは細い指をタッチパネル上に滑らせて、二人の名前で相性測定開始、と押した。
「どうしたの?」
智が、なにか言いたそう、でもなにも言えないという表情で棒立ちになっている。
「智にも心の準備ってものがあったんだもんね」
「うん……」
「あ、ごめん」
どうやら、ハルナに対してもなにかしら感情があったのかもしれない。
「そもそももう一度SHarPを使えば相性がもっともよい相手がわかるもんね。ここでドキドキするよりも、そっちのほうがいいかな?」
僕自身がどきどきしていたので、使わないことを提案してみる。
「ダメだよ! ……ダメだよそれは!」
大きな声を上げたのは、一番恐れていた実佳子。
あとから知ったことだけど、僕たち四人はまだSHarPには本登録ができない。だから、僕が最良の相手を探すことはできても、僕を最良の相手として見つけてもらうことはできないのだ。モラルの問題だと聞いた。
「出たよ……、四十から三十パーセント」
「いやあああああっ、て普通だな」
「そうだね。こんなもんなんだよ、高校生は。ね、部長」
相性四〇~三〇パーセントの相手は、SHarPの提案に乗りはしないが、それは決して悪いというものではない。結婚、出産という古くからの結婚のスタイルの一面を考えた上での相性なので、この数字がクラブ活動の相手との相性の判別にはならないのだ。
「次は、私と環くんね!」
「僕?」
「ふふん、もし九四パーセントを超えたなら、結婚しようか?」
実佳子は僕を挑発するように言った。ふわふわとした前髪の向こうに、黒い瞳が涙で潤んでいるのが見える。
「いやあ、それもいいけど、僕は運命の相手と結婚するから! っていうか、環みたいに告白するんだから!」
「何泣いてるんだよ!」
それは実佳子だろ、とは言えなかった。
「……よしっ」
僕と実佳子のあいだの相性は、五〇~四〇パーセントの範囲だった。何が「よし」なのかは実佳子にしわからないけど、しきりにハルナと智に高い数値を示して、僕と互いに肩を抱いて「いえ~い!」と両手を振った。
その実佳子が小声で、良かったと言ったのを僕は聞かないフリをする。
「うわあ、どうしよう! ハルナちゃん、結婚する?」
「わたしが望むこと全部やってくれるなら、結婚してくれますか?」
ハルナと実佳子の相性は七〇~六〇パーセントだった。僕の最大値よりもこの二人は結婚に向いているのか。なんだか、このクラブ似たもの同士が集まっているからなのか妙に相性が高いように思う。いや、仲がいいのはいいことなんだろうけどさ。
「次は俺たちだな!」
「そうだね、どうしよう。一〇〇パーセントとかになったら」
「まさか。私とハルナちゃんには敵わないから」
「ううん……、それはそれでアリだよね」
「マジで?」
「嘘」
僕と智は手を握って、もう片方の手で一緒にタッチパネルを押した。もっとどん引くと思ったのに、まんざらでもない顔をしないでほしい。
「おおっ……おお?」
「うわっ……」
数字が出た瞬間、僕は智から一歩距離をとってしまった。いつも軽口を叩く智も二の句が継げない。
「すげえ……」
僕と智の相性はなんと八〇~七〇パーセントだった。
「僕と智、相性七割だってさあ!」
やけくそで父さんに言うと、ほう良かったじゃないかと返事が帰ってきて、周囲でこちらを見ていた女性職員がきゃあきゃあ言い始めた。なんで。
そして、問題のツーペアが残った。僕とハルナ、智と実佳子である。
「やるぞみっこ」
「うん」
僕と智の相性の高さをひとしきり笑った実佳子は、ついに覚悟を決めたようだ。これはテストだから、とつぶやいて。
「私は、とってもSHarP相性のいい相手と結婚して幸せになるんだから!」
「俺は運命の相手を見つけるんだからな!」
実佳子に合わせて智も決意表明をしてしまう。勢いで、測定のボタンを押した。
「や……」
数字は 、数秒もかからないうちに表示されるはずだ。だから、二人にはその数字が見えているはず。実佳子の口から声が漏れ、僕が余計に緊張してしまう。どうだ。どうなんだ! どうか、とハルナが祈る声も聞こえた。気のせいじゃない。どうして、たかだかSHarPが決める相性に感情的になってしまうのだろう。これが全てではないのに。
「やったあああ! ねえ! 見たよね!」
「お、おう」
実佳子が、智に抱きついていた。ぎゅっ、と腕を回して、肩に頬を乗せている。
「私たちが一番だよ! ね、二人も見て!」
文字通り跳ね回る実佳子に招かれ、覗き込んだパソコンには、八五パーセントと表示が出ている。
あれ、九〇~八〇パーセントなんじゃないの?
「八〇パーセントを超えると、具体的な数字が出るみたい。わたしの時も、あれはSHarPだけど、いきなり九四パーセントだった」
「そう……なんだ」
実佳子の喜びように、智はどうすればいいのかわからなかった。何度もこれよこれ、と画面をさわって、僕に実佳子はスマートホンを渡すと、証拠写真ということで画面の両脇に二人の顔が入るようにツーショットをおねだりする。
「それだけ数字が高ければ、結婚すれば?」
「けっこ……!」
ハルナがバカなことを口走ってしまい、 実佳子の呼吸が荒くなってしまう。
「おい、玉置さん過呼吸になっちまう!」
「過呼吸……ねえ」
ハルナは、にやり、と嗤う。動揺した時に起こる過呼吸は、呼気の量をへらすことによって処置が可能。自分の吐いた息を再び吸ったり、人工呼吸が有効だと聞いたことがある。
「すみません! 救護室! もしくはビニール袋ください!」
智は的確に、実佳子の処置対応に入った。父さんがあわててレジ袋を持って、女性職員とともに駆けてくる。
「ハルナ、わざとか?」
「何のこと? 別にそういう気じゃないんだけど……、ごめん」
「それは僕じゃなくて、二人に言おう」
「はい」
しゅんとしたハルナと僕は、ソファの方にいってしまった智と実佳子に申し訳なく思いながら、ボタンを押した。ポン、と音がする。
「……あれっ?」
五秒が経ち、十秒が経っても、画面に数字は表示されない。
「故障?」
「さあ」
でも、名前の選択の時はさっきと変わらなかったのに。
「あっ、出た」
いきなり表示されたのは、智と実佳子の時のように数字だ。僕はどきっ、とする。低くても僕とハルナの相性は八〇パーセントあるということだ。もしかして、ハルナが僕にとって最良の相手? こんなに近くに、その女性がいるの? それってとても運命的なのでは……。
「なに……、これ」
ハルナは映し出された数字を指差す。
「ねえ、御崎くん。ちょっと」
「どうした、94パーセント出た?」
実佳子の介抱は市役所の人に任せて、智は飛んできた。どれ、と画面を一瞥し、む、と覗き込んだ。
「何だよ、これ」
「僕にもわからないよ」
「二人、そんなに相性が悪いの?」
表示された数字は、僕の予想の範疇をおおきく飛び出していた。
それも、下の方に。
0.000001パーセント。
そこに書かれた数字は、SHarPの結果からは見ることのできないあまりにも低いものだった。
「父さん、これ……」
「おう、待ってくれ……。なんだこれ」
何十人、何百人とSHarPの利用者対応をした父さんでさえ、見たことのない表記のようである。一〇や二〇といった低い数字ではない。限りなくゼロ。相性が存在しない状態の数字である。
「これ、故障かもしれない……。もういちど、やってみてくれ」
戻る、のボタンを押して、僕とハルナの名前を入力すると、再び長時間の待機時間に入ってしまう。そして、同じく0.000001パーセントの表記だ。
「……その」
やっとの思いで父さんは何かを言おうとして、失敗した。
「……ふっ、ふふっ」
「ハルナ?」
「なんだかわたし極端なんだね。九四パーセントかと思ったら環くんは相性ほぼゼロだってさ」
「うん」
「なんだか自分が心配になっちゃった。やっぱりSHarPなんて信じるもんじゃないのかも。ハルナタマキとタマキハルナ、名前からしてももう相性とかなさそうだもんね」
「おい、やさぐれないで。玉置さん!」
「大丈夫。それで環くんが嫌だとかそういうことはないから」
「明らかに意識しているじゃないか! 俺たちは同じクラブの同志、そして友達。だからな!」
涙が出るほどにハルナは笑い続けた。父さんは首をひねりながら、パソコンをいじっているが、はじめて見ただけで正常の結果みたいだ。エラーの表示はどこにもない。
「そうだ、環くん。写真取ろうよ。御崎くんたちと同じく。ねえ、御崎くん」
「うん」
画面の両側に僕とハルナ。それがフレームにおさまった。
「ありがと。これで全部終わったんだよね?」
「ああ。とても大きな収穫だった。まさか、俺と実佳子があんなに相性がよかったなんて」
「もう二人結婚しちゃえばいいのに」
「ハルナちゃん! 冗談だったら怒るよ!」
「冗談冗談。決めるのは二人だから」
八十パーセント超えすら霞む僕とハルナの運命の数字。
気にしない、と思っても、意識せざるを得ない。一億分の一しか、僕たちには相性が無いのだから。
父さんが送っていこうか? と言ったが、駅に自転車を置いたままなので駅に向かうことにした。市役所の入り口脇カウンターには、婚姻届と離婚届が並んで置いてある。もっと離して置いてほしい。でも、現代は離婚率がとても低いから、あまり必要ではないので縁起の良し悪しには関係がないのかも。
「そうだ」
また智がバカなことを思いついたのか、カウンターに刺さっていた婚姻届を一枚引き抜くと、その場にあったペンでさらさらと名前を書いた。
「二人が結婚するとしたら、こんな感じになるんだよな」
僕とハルナの名前が並んで書かれている。冗談にしては、結構きつい。
「でも、その可能性は一億分の一なんだけどね」
ハルナはさっ、とそれを取り上げると、たたんでポケットにしまい込んだ。
「あっ……」
「どうしたの?」
「捨てるんじゃないんだ、って」
「名前が書かれた紙をむやみに捨てるもんじゃないわ」
もうすぐ電車がくるよ、と智が言うと、僕たちは早足で駅に向かっていた。周囲はもう真っ暗で、セミのやかましい鳴き声が、じいじいと言う夜虫の声に変わっている。
「相性で言うのであれば、ミサキ・タマキなの? ハルナ・サトルなの?」
ハルナが真顔で言った。
「語呂が良いのはミサキ・タマキでしょ」
「じゃあ僕が嫁に行くことになるのか」
「俺、長男だから」
「僕だってそうだよ」
笑いながら、ミサキ・ミカコも語呂は良いよなあ。なんてことを考えた。ハルナとの相性以外のことをようやく考えられるようになった。どうせ一晩寝れば、SHarPはあんな感じなんだという感想とともに冷静に見れるようになるのかもしれない。
とにかく僕は、智のアドバイスに従って運命の相手を見つけるんだから!
でも。
この時、僕はわからなかったんだ。
数字なんて、本当にまったく関係のない、恋する人間にとっては邪魔なものなんだと。
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