名所旧跡巡り
沢田和早
名所旧跡巡り
駅からバスに乗って1時間。ようやく目的地に到着した。
「本当に何もないな」
バスが走り去った道路はアスファルト舗装だが温泉街の中心へ向かう道は砂利道だ。その道に電柱は立っていない。電気が来ていないからだ。
ここへ来る前の下調べで電気はもちろんガスも水道もないことはわかっていた。燃料は薪や木炭。飲料水は井戸。生活用水は川。ここは完全に現代文明から取り残された場所なのだ。
「さすがに田舎すぎたかな」
ほんの少しだけ後悔する。せっかくの休暇なのにこんな秘境を選んだのはよほど精神が疲弊していたからだろう。就職5年目の慣れと重圧に押しつぶされて働く日々。ゴミゴミした都会の雰囲気が嫌でたまらなかった。
そんな時、ネットでこの温泉地を知った。文明のまったくない昔ながらの生活。躊躇なく2泊3日の宿泊予約をタップしてしまった。
「ようこそおいでくださいました」
木造平屋の観光協会の建物に入ると初老の男性が愛想よく話し掛けてきた。宿や温泉の説明を聞いたあと思い掛けないお願いをされた。スマホや時計などの道具を預からせてくれと言うのだ。
「ここでは文明から離れた田舎暮らしを満喫していただきたいのです。時間を気にすることなく、メールやネットに縛られず、自然の流れだけを感じて過ごしていただきたいのです」
「もし拒否したらどうなりますか」
「残念ですが当温泉地にお泊めすることはできません。このままトンボ返りしていただきます。ああ、もちろんキャンセル料などは要りません」
こうまで言われては仕方がない。時計は持っていなかったのでスマホと充電式髭剃り、絆創膏などを提出する。ただし万歩計はそのまま携帯しても構わないと言われた。電気式ではなく機械式だったからだ。
「江戸時代に平賀源内が量程器という歩数計を作っていますからね。その万歩計ならば持ち込みを許可します」
平賀源内に感謝だ。
宿で風呂と食事を済ませるとすぐ寝た。本当に何もなかった。ラジオもテレビもない。薪で沸かした風呂に入り、炭火で焼いた川魚や、ほかほかの温泉饅頭などを食べてしまうと寝るより他にすることがなかったのだ。
翌朝、食事の最中に宿の女将がまちめぐりについて話してくれた。
「ガイドブックに沿って指定された場所を巡り無事ゴールできれば宿泊代が無料になるんですよ」
「ほ、本当ですか!」
ネットにはそんな情報はなかった。無料目当ての観光客が押し寄せるのを防ぐために、この温泉地へ来てくれた客にしか教えていないのだそうだ。
こんなお得なイベントならば参加しない手はない。さっそく観光協会へ向かった。昨日の案内係の男性に無料宿泊について確認する。
「はい。無事にゴールできれば全ての宿泊代が無料になります。ただし」
案内係の目付きが険しくなった。
「ひとたび参加を表明されたら必ずゴールしていただきます。ゴールせずにこの地を去ることは許されません」
「ちゃんと宿泊代を支払ってもダメなのかい?」
「はい。必ずゴールする、これが参加の絶対条件です。これに同意していただかなければ参加を認めることはできません」
「ひょっとして凄く難しいコースが設定されているんじゃないのかい。素手で岩壁を100メートルよじ登るとか」
「いえいえ、この温泉地の名所旧跡を巡る15キロほどのコースです。最後にゴールへ到着できればどんな順序で回っていただいても構いません。ただ夜道は真っ暗で危険ですので終了時刻を設けております。暮六つの鐘が鳴るまでにゴールできなければ翌日また最初からスタートしていただきます。なお昼食はこの店で無料で提供しております」
ガイドブックを見せてもらう。チェックポイントは15カ所。何の変哲もないただのまちあるきだ。これなら簡単にゴールできるだろう。私は参加することに決めた。
「いってらっしゃいませ」
案内係に見送られて観光協会を出発する。天気は晴れ。初秋の風も気持ちいい。
「ここか」
最初のポイントはこの土地に唯一ある寺だ。開山600年の名刹で時を知らせる鐘はここで撞かれている。寺務所でスタンプを押してもらい次へ向かう。
「これなら簡単にゴールできそうだな」
楽しいまちめぐりだった。戦国時代の城跡、伝説の残る大樹、残された鳥居、指定された店で食べる無料の蕎麦、何もかもが心癒されるものばかりだ。
「こんなに楽しい思いをさせてもらって宿泊料までタダにしてくれるとは。ここの住人は太っ腹すぎるな」
のんびり歩いているうちに14カ所目のポイントに到着。あとは最終チェックポイントの
「あれ……」
妙だった。1キロほど歩けば着くはずなのにどんなに歩いても蓬萊塚が見えてこない。
「道を間違えたのかな」
来た道を引き返す。ほどなく14カ所目のポイントに戻ってしまった。再び蓬萊塚を目指して出発。しかしどんなに歩いてもゴールは見えてこない。
「おかしいな。どういうことだ」
確かに一本道ではない。曲がったり分岐したり登ったり下ったりしている。だが迷うような道ではないはずだ。
西の空が橙色に焼けてきた。焦る。焦ってもゴールは見えてこない。やがて鐘の音が聞こえてきた。
「残念。ゴールできませんでしたね」
振り向くと観光協会の案内係が立っていた。キツネのような細い目をしている。
「今日のガイドブックを返してください。明日、また新しいのをお渡しします」
無言で渡す。失意のまま宿に帰って寝た。
翌日は早朝からまちめぐりを始めた。天気は晴れ。秋風も心地好い。
「今日こそゴールしてやる」
順調だった。午前中に14カ所を回ってしまったので昼の蕎麦を済ませてからすぐゴールを目指した。だが、
「どうしてだ。どうしてゴールできないんだ」
わからなかった。ガイドブック通りに進んでも15カ所目の蓬萊塚は見えてこないのだ。
「くそ、スマホさえあれば」
たとえ圏外でもGPSの電波が拾えればダウンロード済みの地図に現在位置が表示されるはずだ。私がこのイベントに参加することを見越してスマホを回収したのではないか、そんな疑念さえ抱いてしまう。やがて鐘の音が聞こえてきた。
「今日もゴールできませんでしたね」
いったいいつやって来たのだろう。案内係が細い目をして立っていた。口元に薄っすらと笑みを浮かべている。
「このガイドブックの地図、わざと間違えて書いているんじゃないのかい」
「いえいえ、それなりに正確ですよ」
「こんなイラスト地図のどこが正確なんだ。半日歩いてもたどり着けないんだぞ」
「それでは今から一緒に行ってみましょうか」
思い掛けない申し出だった。案内係が歩き出す。その後を付いて行く。数十分で蓬萊塚に着いた。
「ほらね、ゴールできたでしょう」
何も言えなかった。昨日と同じように今日のガイドブックを案内係に渡し宿に戻った。
私の温泉地徘徊の日々はこうして始まった。どんなに歩こうとゴールはやって来ない。私ひとりだけでは絶対にゴールへたどり着けないのだ。
何もかも諦めてバス停へ行こうとしたこともあった。だがバス停にたどり着けないのはもちろんのこと、この温泉地の外へ出ることすら不可能なのだ。ゴールせずにこの地を去ることは許されない、あの時の案内係の言葉は真実だった。
「ああ、もうどれくらい歩いたのだろう」
たったひとつ所持を許された機械式万歩計、その表示は5000万歩を超えている。1歩80センチとして4万キロ。地球を一周してもまだゴールにはたどり着けないのだ。
「だが、どうしてこんなに変わらないのだ」
時間感覚が完全におかしくなっていた。この土地には時計はもちろんカレンダーもない。1日2万歩を歩いたとしても今日で2500日、7年近い月日が経過しているはずだ。
それなのにこの町の様子は何も変わらない。宿の女将も観光協会の案内係も少しも老けない。老けていくのは私だけだ。そう言えば天気はいつも晴れだった。そしていつも気持ちの良い秋風が吹いていた。昨日も今日もそして明日もそうなのだろう。私以外の時は完全に止まっていた。きっとここは異界なのだ。
「ああ、私のゴールはどこにあるんだ。いつやって来るんだ」
今日も私はひとりではたどり着けないゴールを目指して歩き続ける。ゴールするまで私の歩みは止まらない。しかしそれはこの土地へ来るまでもそうだったのではないか。都会の中で忙しい毎日を送っていた時、私にゴールが見えていただろうか。そのゴールはどこにあって、どんなゴールで、いつゴールにたどり着けるのか、私はわかっていただろうか。今のこの私とどれほどの違いがあるだろう。
「蓬莱とは常世の国。誰もが目指して誰もたどり着けない不老不死の仙境。決してたどり着けぬ場所をゴールに選んでしまった以上、命尽きるまでこの土地を彷徨い続けるのだろうな」
だがそれでも構わないと私は思った。希望通りのゴールにたどり着ける者などほとんどいないのだから。誰もがゴールを夢見てたどり着けないまま人生を終える。たとえゴールできないとわかっていても毎日ゴールに挑戦できる私はむしろ幸福なのではないか、そんな風に思うのだ。
名所旧跡巡り 沢田和早 @123456789
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
同じコレクションの次の小説
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます