第一哭「ノック」
いつ頃からだろうか、部屋の前にあいつが現れたのは。
僕は東京都の千代田区に住んでいる。この街に住んでかれこれ3年以上はたっているが、未だ街を歩く僕はおぼつかないように思えた。確かその日は湿っぽい匂いのする五月の下旬だったと思う。その日僕は会社から定時退社して、趣味の読書でもたしなもうとウキウキした気持ちで帰宅し、誰もいない1DKのアパートのドアを開ける。部屋の灯りをつけ、シャツやハンカチをベランダの洗濯機に放り込み、スーツをハンガーにかけてデスクに座る。家にいるときは基本下着で過ごす派なのだ。親によく指摘されるのだが、面倒くさい一筋で突き進んだら、「もういいわ。」と、あきれられてしまった。問題はここからだ。
一分位かけて
血管の浮き出た肉の球体から、手と足が二本づつ生え、扉に両足と片手で、器用に貼り付いている。右手には小さなトンカチが握ってあった。それで扉を叩き続けている。その光景を信じたくなかった僕は、ゴシゴシと目を擦る。幻――否。現実は消えない、変わらない。ノックだけがダイニングを支配するように、鳴る。だが急に、ノックが止まったかと思えば。スーッと消えた。なんだ、やっぱ幻じゃないかと思った。それはまぎれもないフラグだった。
次の日、家に帰ると、いた。また扉をノックし続けている。いい加減気が狂いそうだった。だがそいつは大体7時になると、線香の火が消された時の余韻みたいに、消える。友達を誘った時にも現れた。どうやら誰でも見えるらしい。
慣れというものは恐ろしい。一種のルーティーンとなっていたものが、少しでも欠けると、それがどんなに奇天烈な事であれ、不安の種となる。
あいつが現れるようになってから半年余りが過ぎた。ノックが鳴り始めたこと以外、変わった事は何もなかった。普段通り帰宅すると、あいつはいなかった。いつもは6時になると現れるのに、その日は夜になっても現れる気配はなかった。何か胸に突っかかったまま、寝床の布切れに潜り込み、目を閉じた。――ガンガンガン!!何事かと飛び起き、辺りを見渡す。時計の針は1時を指していた。単身は暗くてよくわからない。爆音の数秒後、等間隔でノックが鳴りだした。一体全体何でこの時間にあいつが現れるんだ。一応確認しようと扉を開けた。
そこにはいつも叩いているトンカチの平べったい面ではなく、とんがった面をこちらに向け、高く振り上げているあいつがいた。いつもは扉にピッタリ貼り付き見えない、大きな口だけの顔が、こちらをニチャアと邪悪な笑みを浮かべて、立っていた。
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