インビジブル作戦

 ぼくらは敵地へ踏み込むに当たって、各自で着込んだ光学迷彩こうがくめいさいを作動する。徐々に身体が透過していき、常人の肉眼では見破れないほど周囲の環境へ溶け込んでいく。仕舞いに靴のかかとを打ち鳴らし、反重力装置の助けを借りて足跡すら消し去る。まさに亡霊ゴーストの所業だ。


 そうして寝静まった夜の町を進み続ける。深夜ながら明かりを灯した家も散見でき、ところどころで番犬の威嚇いかくを受けるなど、適度に緊張がほとばしる。もしも人々に存在を気付かれたら、この町一帯が戦場になるだろう。

 最悪の場合は、地元警察や軍隊を相手取る。この仕事を辞めたいと思うのは、常々そういう時だと相場が決まっていた。


 『あの屋敷だな』


 長々とした坂を上り終えると、格式の高い屋敷が見えてきた。多少の違いはあれど、ブリーフィングで予習した通り、三千平米の広大な敷地に建っている。しかも離れの小屋には、子どもの自転車などが置いてあることから、二手に分かれる必要も出てきた。


 『おい、チャールズ。ソイツで視える、敵の内訳を報せてくれ』


 チャールズは狙撃手の役割を担っていた。他所の屋上に登っており、そこから索敵ドローンを操って、屋敷の内部を照らし出す。


 『パッと見で十人の男たちと、その妻子が大勢いる。何だか一昔前に大先輩方が行った。ネプチューン・スピア作戦の時みたいだ』

 『チャック。あの小屋にも人がいるだろう』

 『どちらにせよ、人工知能様が統括してくれるんだ。まとめてそちらに転送するよ』


 ぼくらの脳内に潜む。人工知能のバベルは、ドローンから転送されてきた情報を基に何十通りもの有効な戦術を構築して、各自の脳内へインプットを始める。

 その内容に対する理解度は等しく、細部までしっかりと知覚することによって、誰一人として誤解を抱かない。


 それでショーン隊長が思わず、『コイツは驚いた』と吃驚きっきょうを漏らす。

 あらかじめ用意周到に練られた計画も、不確定要素が一つ働くだけで大きな軌道修正を求められる。プランAからBへ、BからCと。その時に生じる、兵士の心労的な負担は計り知れないものだ。


 そんな不安をいとも容易く拭い去り、明確な未来を絶え間なく提示する。前線で働く兵士からしてみれば、バベルは願ってもない夢のような機能を備えていた。

 しかし、ぼくの中で一つの懸念が生まれる。盲目的にバベルへ依存すれば、個々の能力を失い兼ねない。だから如何なる情報も真に受けず、自らの思考と照らし合わせる必要がある。然もなくば、ブリキの兵隊と同義だ。


 『これより、インビジブル作戦を決行する』


 ショーン隊長の合図を受けて、アイサム邸の敷地に踏み入った。それぞれが持ち場へと足を運ぶ。『お手並み拝見ね』と近くまで肩を寄せてきたのは、あのジェシーだった。

 ぼくらは二人一組となって、小屋の方を襲撃する。そこでアイサムの側近として名高い、ダウワースと呼ばれる男を仕留める予定だ。


 『どうしたの、溜息なんて吐いて』

 『別に……』


 正直な話をすれば、心底ガッカリしていた。

 自らの手で正義を果たせるものだと思い込み、今日までアイサムのことばかり考えてきたせいで肩透かしを食らったような気分だった。


 『今から討ちに行く相手だって、アイサムに勝るとも劣らない悪党じゃない』


 また表情から気持ちを読み取ったのか、ジェシーが前向きな言葉を投げ掛けてくる。


 『それはそうだけど……』


 ぼくは子どものように率直な感想を返す。


 アイサム邸の方で突入するためのブリーチング爆薬が起動した。そして、爆発ーーこちらも気兼ねなく、敵に向かって発砲できる。タバコを蒸して、外でくつろぐ大男を手早く、確実に仕留めてみせた。


 しかし、ジェシーが『この男じゃない』と言う。ぼくも死体に駆け寄って、バベルへ問い合わせたところ身元が一致しなかった。


 先ほどの銃声は消音器により、きちんと掻き消されていたが、屋敷の方で鳴り響いた爆破音は隠しようがない。小屋の中にいるダウワースは、きっと死に物狂いで抵抗してくるはずだ。


 『もっと姿勢を低くした方がいい』


 ぼくは扉にブリーチング爆薬を仕掛けるジェシーを注意する。ジェシーは嫌々、その場に片膝をつきながら『これにどんな意味がーー』と抗議した。だが扉越しにダウワースから撃ち込まれ、彼女の右頬を弾丸が掠めたことで、この議論はまもなく終了する。


 『そういった悪足掻わるあがきで、何人もの戦友を失った。彼らの犠牲に報いる為に、ぼくは必ず屈んで作業してるんだ』

 『ありがとう……。お陰で、命拾いしたわ』

 『今後も活かしてくれたら、きっと彼らが何処かで喜ぶよ』


 ぼくは敢えて、天国とは言わなかった。だがジェシーは無神経にも『何処って、もう亡くなってるんだから、きっと天国でしょ』と付け加える。


 勝手に死後の行く末を決めつけないでくれ。


 ぼくの戦友たち。ケンジは日本の神道を信じていたし、ジャックは極めて無宗教だった。遠くで健闘するチャールズはキリスト教だが、とにかく誰もが死後に天国へ行くとは限らない。


 ぼくらはもっと互いに認め合ったり、分かり合う必要があるのだと思う。まずはそれぞれの立場になってみて、そこから自分へと帰結してから話し合う。人間が独自に持つ、特別な思い遣りを活かしていかないと、アイサムのような人物は幾度なく現れてしまう。


 「アッラーは偉大なり」


 ダウワースも余計な言葉を口走る。

 彼らの非道な行いを支える背景として、イスラム教の死生観が関わっていた。


 全ての人間は死後に地獄へ堕ちて、そこから善業をカウントされることで、神にゆるされて天国へ辿り着ける。またイスラム教の特異点なのだが、たとえ地獄に服役しても適当な懲役を果たせば、罪人であろうと天国へ昇れる仕組みがあった。


 この救済措置は神の慈悲深さを表す。まず人間を弱い生き物と見做みなして、過酷な現実という日々の中で強いられた罪を赦そうと、代々言い伝えられてきた贖罪しょくざい逸話いつわ


 テロ組織は目敏めざとく、その仕組みを悪用することで構成員たちに、常軌をいっした自爆テロなどの行動を決起させた。つまり、ダウワースも己の死を悟って、神の存在を信じているので、いつか天国へ送ってくださいと甘んじているに過ぎないのだ。


 『もうウンザリだ』


 ぼくは遮蔽物しゃへいぶつの壁から廊下の先を覗き込み、ダウワースの姿を捉えた。二発、三発とバースト射撃を繰り出し、抵抗の無力化に成功する。


 「アッラーはーー」


 そして、横たわるダウワースの眉間へ向けて、容赦なくトドメの一撃を加えた。


 「随分と無茶したわね」

 「この男で間違いない」

 「お見事よ。だけれど、今みたいな危険はなるべく冒さないで。援護の仕様がないわ」

 「一人でも戦える相手だ」

 「どうかしら」


 ぼくは息を吸い込み、怒声を放つ。「両手を挙げて、出て来い!」すると、奥の部屋から子どもたちがぞろりぞろりと現れた。その眼差しには父親を殺され、確かな憎しみが込められていた。


 この子たちの状況と姿形を見て、幼少期の記憶が蘇る。

 ぼくもその昔、同様の経験をした。


 「アーロン!」


 ジェシーの怒声に続いて、銃声が相次ぐーーぼくは反射的にその場へ伏せた。それから顔を見上げると、ダウワースの妻が銃を手に取り、ぼくのことを子どもたちで油断させて、撃ち殺そうと目論んでいたのだ。


 「アッラーはーー」


 その後に続く言葉をジェシーが弾丸でつむいだ。ぼくは直ちに立ち上がり、子どもたちが錯乱を起こす前に、両親の遺体から銃を取り上げて解体する。


 「悪いのはキミたちの神じゃない。それを崇める人々のやり方に問題があったんだ」


 ぼくは気休め程度の釈明をする。せめて、戦いから離れて、安全に暮らしてほしかった。だから、この子たちがすがる神は汚さず、あくまで両親のやり方について批判した。


 「私にも何か言うことはない?」

 「本当に助かった……」

 「斯く言う私もあなたに救われてるからお互い様ね。でも女性だって、こうして戦えることを忘れないで」


 ぼくは感情的になったことを反省する。

 少しばかりの沈黙が続いてから、『あぁ、チクショウ』という誰かの愚痴が頭の中で鳴り響いた。

 

それがショーン隊長から発せられた思念だと感じ取り、二人で『何事ですか?』と尋ねてみると、『先行した部隊が返り討ちにあった』という報せを受ける。


 「急いで合流しましょう」


 ジェシーに同意して、二人で野外へ走り出す。好ましくない戦況だが、バベルから計画変更の通知を受け取り、ぼくらもアイサムの殺害に臨むことになってしまった。

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