アーロン・アイバーン
「アーロンくん、顔が怖いぞ」
我らの部隊長を務める。ショーン・モーガン大尉に声を掛けられた。
「世界中を脅かしてきた諸悪の根源が、まさに今、自分の目と鼻の先にいるんです。誰でも顔くらい
「そうか? よく辺りを見渡してみろ」
ぼくと最後尾の誰かさんを除いて、皆が談笑しながら軽やかに行軍していた。
まったく、これは遠足じゃないんだぞ。
全面的に兵装が改良されたお陰で、旧来の重量感から解放されたのは喜ばしいけれども、肩に力が抜けるほど気楽になっては困る。
「もう時期に目的地へ着きます。それも地図に記されていない場所です。不測の事態が有り得ますので、部下たちを注意してください」
「それは難しい相談だな。なにしろ俺の主義に反する」
「隊長の主義、ですか?」
「毎日を最後と思え、良き日になる。どうだ、良い言葉だろう?」
なるほど、刹那主義ですか。しかし、これではアリとキリギリスのように、あとで取り返しのつかない後悔をする羽目になりますよ。なんて、上官を嗜められない。
ぼくはただ気難しい顔をして、大人しく引き下がるしかなかった。
「さぁ、分かったらお前も会話に加わってこい。緊張で身体を力ませていると、いざっていう時に膠着するからな」
「無茶言わないで下さいよ。これから人殺すって時に笑顔で臨むなんて、まるでサイコパスじゃないですか」
「それじゃあ何でもいい、とにかく自分のご機嫌取りをしろ。そんな風に殺気立ってたら、勘の良い男のことだ。この作戦も露見する」
「そんなこと言われたって……」
「いいか、次はないんだぞ」
ショーン隊長に気付けば叱られ、自らの昂る気持ちを落ち着かせようと、理想の日々を思い浮かべる。
我が家のベッドで目覚めて、昼間から映画を垂れ流し、デリバリーピザへありつく。そして陽が沈むとクラシック音楽に浸りながら、ロッキングチェアで揺られ、優雅な読書を始める。ごく有り触れた日常らしいが、人の幸せとは元来、普遍的な生活に宿るものだ。
おいおい、待ってくれ。冗談じゃないぞ。
ぼくの意思に反して、身体が動き出す。まだ本を読んでいる途中だったのに、音楽も止めないでくれよ。しかもよりによって、ニュース番組を点けてしまった。するとテロリストの非道な行いが映し出され、安息的な日常は音を立てながら崩れていき、
「やっぱり、ダメです。頭の底までヤツが浮かびます」
「もうそこまでいくと、歪んだ片想いだな」
ショーン隊長と入れ替わりで近付いてきた。同僚のチャールズに茶化される。
「この浮ついた気持ちを表すには、ちょうど良い言葉だと思う。なんてたって、愛と憎しみは表裏一体だからな……」
ぼくはアイサムを追っているうちに、色々なものを失った。家族や仲間に婚期とか。癌で亡くなった母さんの死に目には逢えなかったし、同僚を戦いの最中で数え切れないほど失った。恋人もいたけれど、終わらない戦いに身を投じる彼氏なんてーー。
「おい、真に受けるなよ」
チャールズに脇腹を軽く小突かれ、ぼくは我に返った。
「キミのつまらない冗談に、わざと付き合う素振りを見せたのさ」
「よく言うぜ。随分とセンチメンタルに浸っていた癖によ」
「見えたぞ」
ショーン隊長が指差す方角を見遣ると、暗闇の中で宇宙に瞬く星のように、いくつかの光が点在していた。連中の潜む、地図にない町だ。
「上層部も人使いが荒い。今更だけど居場所を掴んでいるなら、確実に爆撃できたはずだ」
「バカ言え、ぼくらは世界平和の為に正義を果たすんだぞ。もしも彼処に非戦闘員がいたら、どう責任を取るつもりだ?」
「まずは深々と頭を下げるだろうな。それで運が悪かったって、お悔やみ申し上げるね。生憎、我が身大事の精神で仕事に取り組んでる」
「もういっそのこと、転職してしまえ……」
ぼくの軽口を気にせず、チャールズは心配そうな顔付きで見据えてきた。
「なあ、アーロン。頭の方は問題ないか?」
今回の任務を遂行するに当たって、ぼくらも捕獲したテロリストと同様に、例のBMIが頭部へ埋め込まれていた。なんでも髪の毛よりも細く、頑丈な糸によって耳裏から大脳皮質まで電極が通されているとか。その未知の技術によって、それぞれの思惑がバベルへ伝わり、
「特に不具合などはない。だけど、この奇妙な光景に慣れることもないだろう」
現実を視覚的に拡張して表す、具体的な情報の
さらに銃火器から発せられる弾道を予測したり、味方とテレパシーのように思考を交わすことだって可能なんだとか。まるで、一昔前のSF映画に出てくる兵士の気分だ。
「同感だぜ。しかもシェアリングライフの人工知能に、思考を読み取られているんだろ」
「ぼくは生まれつき侵入思考とか酷いから、よくあるアニメや映画みたく、不穏分子扱いされるんじゃないかって不安だよ」
「お前みたいにマニアじゃないんだ。俺にも分かるように話せよ」
「いつか世の中が発展して、人工知能が統制するようになった時代。個人の行動ではなく、思考によって善悪の定義が為されたら、ぼくは間違いなくブタ箱送りだって話だよ」
「所謂、思想犯ってヤツか」
「そんなところだ」
「もういっそのことよ、うちの家内も交えて、三人で喫茶店始めるってのはどうだ?」
「チャック……」
「俺たちにこの仕事は向いてない。このまま続けていたら、お互いに病んじまうかもな。だから、こんなテクノロジーとは縁遠い場所で、もっと人間らしい豊かな生活をしよう」
「本当にキミってやつはーー」
ぼくらの友情劇に痺れを切らしたのか、最後尾に着いていた。
紅一点の女性に話を遮られる。
『いい加減、私語を謹んでください』
ぼくらに繋がれたBMIを通して、頭の中に響き渡る電子音。男性陣が悪態つくよりも先に、彼女へ『申し訳ない』と謝罪の念を込め返す。
「おい、アーロン。何も謝る必要はねぇよ」
前列のクソ野郎から不服を買ってしまった。この男はスミルノフと言い、典型的なマッチョ思考の持ち主で、以前から女性を軽視するような発言が目立つ。
ぼくの苦手な
「今は大事な作戦中なんだ。彼女の言い分は至極真っ当であり、ぼくらは声を潜めても話すべきじゃなかった」
「俺たちはまだ安全だと、脳みそに住み着くバベル様が言ってんだ。それなのにいちいち目くじらを立てる。あんな女の肩を持つのかよ」
「あなたは自己責任という言葉を知らないのか? それとも有事の際はその都度、誰かに責任を擦りつけているのか?」
「なんだと、テメェ……」
「我々は元より同胞ではなく、共通の敵を持つ同志であるということを忘れるな。いつものように馴れ合いがしたいのなら、祖国へ帰って内輪の中だけで戦争に取り組んでいろ」
スミルノフは苦虫を潰したような顔をした。それから間も無くして、ショーン隊長が場を収めるべく、表向きの仲立ちをする。
「アーロン、お前は言い過ぎだぞ。他国とはいえ、階級も目上の立場にあたる」
その言葉の裏には、よくぞ言ってくれた。というサインが隠されており、証拠に気持ちの悪いウィンクを確認する。やはり、多国籍部隊を纏めるのに苦労しているのだろう。
結局のところ冒頭の主義云々だって、よく出来た言い訳の
「申し訳ありません」
「スミルノフ大尉、許してやってほしい」
「ふん、そいつの実力は確かだ。無事に作戦が終わるまで、非礼も水に流すより他ないさ」
スミルノフはイニシアチブを与えられ、満足気に問題を解決する。まるで自分の器はデカく、無礼な若者を許してやったと言わんばかりの態度で「先を急ごう」と牽引までする始末。
しかし、お陰でカジュアルな雰囲気は消え失せ、すっかり一流の暗殺集団となっていた。虎視眈眈と絶好の機会を窺っている。
そんな最中に隣り合わせとなったのが、先ほどの女性兵士。ジェシー・ウィリアムズ。
現代において女性が戦うことは、何も珍しくない。だが、こうして肩を並べられるのは初めてのことで興味深く感じる。それは何も外見的な魅力の話ではなく、もっと奥底に宿る信念の話。彼女はいったい、如何なる理由を持って、この世紀の一戦に臨むのか。
『さっきはありがとう。これで集中できる』
ジェシーから感謝の意を伝えられ、少しばかり驚くも透かさず応答する。
『お互い様だよ。ぼくも談笑がノイズだったけれど、それを収める術を持たなかったから』
ぼくの発信にジェシーが応じた気配はない。なので、そもそも念じた意思が伝わっているのか、自身のBMIの故障を疑うも『そう』とだけ返され、
ジェシーは横目にぼくを捉えていたのだ。
彼女に気持ちを見透かされたことを知って途端に恥ずかしくなり、さりげなく顔を背けた。すると、その方角の夜空に雲の切れ目が生じて、これまで隠れていた月の輪郭が露わになり始めていた。
今夜は満月か。暗視装置越しに見た。色褪せた月の全容から、初めて人を殺した日の出来事を振り返っていた。そして、これでチャールズの言う通り、最後にしようと考えた。
アイサム・ビン=ナーヒドで終わりに。
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