いきたかった。

「ね、隼人」

「うん?」


 月明かりだけが照らす屋上で、二人、遠いビル街の明かりを見下ろしながら話した。


「私たちが退院したら、さ」

「……うん」


 片時も手放すことを許されていない棒に吊り下げられたパックが、風に揺れて僅かに音が鳴る。


「行きたいところがあるの。いーっぱい!」

「例えば?」

「遊園地でしょ? 動物園、あと映画館とか! 隼人と一緒に行きたいの。きっとすごく楽しい」

「……そうだね。オレも行きたい」


 観覧車、ジェットコースター、メリーゴーランド。ゾウ、キリン、猿。コーラ、ポップコーン、特有の大音響。どれも体験したことのない、けれど必ず存在する世界。


「あとね、二人でアイス屋さんにも行きたい。移動販売車、だっけ。車が公園とかに駐まってて、横に窓があってさ。そこで買って、二人でベンチで食べるの。そしたらブランコで遊んで……。隼人は? どこ行きたい?」

「オレは……古本屋さん。あと、博物館と、……学校」

「……私も。学校、行きたいなぁ……」


 二人とも、こんなのが叶わない夢だと分かっていながら、いや、分かっているからこそ、言葉にする分には自由だった。空想の世界でなら、校庭を走り回ることも、友達と帰りに寄り道をすることも、授業がだるい、学校をサボりたいとグチり合うのも自由だ。空想の世界でなら。


「……いきたかった、な」

「うん。……いきたかった」


 声が震えて。目の奥が熱くて。空気が綺麗だからよく見える星たちも、あれほど鮮明に輝いていたビル街も、ぼやけて滲んで夜に溶けていく。行きたい、なのか。生きたい、なのか。言葉にしておきながら、きっと二人とも、どちらの意味で言ったのか自覚していない。


「……やだよ」


 ぽつりと呟いたのは、どちらだったか。どちらにせよ、何も変わらなかった。それは主語も述語も要らないほど、二人にとって共通の願いだったから。


「しにたく、ないよ……!!」


 絞り出すような、胸の裂けるような。街中に響き渡るようでもありながら、そよ風にすら紛れるような。それは確かに、二人の心からの叫びだった。


「行きたいよ、生きたいよ!! もっともっと、ずっと……!! なんで、なんで!? なんで私たちなの……?」


 親にも言ったことがなかった。言っても意味がないし、傷つけるだけだと知っている。誰の所為でもなく、これはただ運が悪かっただけだ。責任を誰かに押しつけたところで誰も楽にならない。恨むなら、運の悪い自身か、治療法の確立していない現在か。どちらにせよ意味なんてない。

 頭では理解していても、心から生を諦めるには二人とも子どもで、それでも自分たちについて理解せざるを得ないほどには、大人だった。大人で、あってしまった。


「…………帰ろう。そろそろ、見回りが来る」

「ねぇ隼人」

「なに?」


 手すりを握りしめて泣いていた友梨が、気付けばその手すりの上で、艶やかに笑っている。その光景に浮かんだ感想が「危ない」でも「何してるんだ」でもなく、ただただ綺麗だと思ってしまった時点で、もう、決まっていたようなものだった。


「もう、いいか」

「うん。もう、いいよ」


 強引に手の甲に刺さる針を引き抜き、友梨を追って手すりの外に立つ。恐怖はない。僅かな諦念と、それを押し流す安堵が、二人の間をひとかけらの齟齬なく流れる。


「じゃ、行こうか」

「うん、行こう」


 最期の言葉、なんてものは要らなかった。二人は、何の躊躇もなく、全く同時に手を繋ぐと、虚空に向かって足を踏み出した。回る視界に映った夜空は、ただ冷たく、二人を照らしていた。

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