趣味の悪いコメディ

 冗談みたいだ。そう、これはきっと、趣味の悪いコメディに違いない。じゃなきゃ、——こんなこと、起こるわけがないんだ。絶対にそうだ。

 だって、今日は結婚記念日で、幸の誕生日で、だから二人でちょっとお高いレストランに行く予定で。『仕事がトラブったから時間ギリギリになるかも』という電話を受けたときも、幸はいつもと同じで、強いて言えば普段クールな幸がちょっとわくわくしてるのが分かって嬉しくなったくらいで。駅前広場の時計台の前で待っていたオレに気付いて、信号の向こうから小さく手を振った幸はいつもよりおしゃれで、走ってきたのか上気した頬が可愛くて。

 だから、だから。このまま二人で個室のレストランに行って、おしゃれなコース料理を食べて、高めのワインで乾杯して、誕生日プレゼントをあげて、生まれてきてくれてありがとう、って。結婚してくれてありがとう、って。言って、だから。こんなこと、起こるわけが——

「——さん、旦那さん! 奥さんを呼び続けてください! 倉田さん!」

  救急隊員に肩を揺さぶられて、我に返った。同時に、直視したくない現実が目に飛びこんでくる。白かったはずのブラウスは真っ赤に染まって、反対に、上気していたはずの頬は真っ白で。汗をだらだら流しながら必死に心肺蘇生術を繰り返す隊員の横で、別の隊員が受け入れ先の病院を必死に探していて。全員が幸の為に必死になって動いてくれているのに、オレだけが現実を受け入れられなくて。趣味の悪いコメディを画面越しに見詰めているような感触が消えなくて、ゆき、と呼ぼうとした口は凍り付いたかのように動かない。

「○○医院が受け入れ可能だそうです!」

 パッと顔を明るくした隊員さんの声に従って、運転手がハンドルを切る。一気に加速した救急車が周りの乗用車を次々と追い抜いて病院に向かうのを感じて、漸く目が覚めた。

「……き、ゆき! 幸! 死ぬなよっ、ゆき!」

 病院に到着するまで、ずっと呼びかけ続けたものの、意識は戻らなかった。ドラマでしか見たことがないような部屋に幸を乗せたストレッチャーが運びこまれて、『手術中』と書かれたドアの上のランプが灯って、そのすぐ向かいにあったベンチに崩れるように座り込む。

「……しぬなよ、幸。ゆき、ゆき……」

 救急車が来るまで幸を抱きしめていたから、オレのちょっと良いスーツは血まみれで、そういえば鞄、あそこに置きっぱなしだ、とか、あぁ、レストランに予約キャンセルの電話しなきゃ、とか、でもスマホ鞄の中だ、とか、どうでもいいことばかりが頭をよぎる。結局、幸がどんなケガをしてもオレは無力で、蚊帳の外で祈ることしか出来ない。

 こんな出来の悪い世界は——


——きっと、どこかの趣味の悪いコメディに違いない。

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