ヒゲと旦那さま~糜竺~
旦那さまは
徐州第一の
州牧や太守などお偉い方々にも一目置かれる存在でありながら、傲り高ぶったところが少しもなく、常に私ども召使いや農民たちに寄り添ってくれる徳の高い方でございました。書物がお好きで、小さい頃から様々な学問を修め、その知識を田畠の工夫や堤防の強化など、庶民の暮らしのために活かされました。いつも柔和な笑顔をお浮かべになり、誰にでも分け隔てなく礼を尽くされました。長年旦那さまにお仕えして参りましたが、ただの一度も理不尽な扱いを受けたことはありません。まったく巷に英雄豪傑数あれど、本当の名士と呼べるのは旦那さまただお一人であったと、私どもは今でも信じております。
あるとき、お屋敷に劉備という男が訪ねてきました。ぞろぞろと部下を引き連れて義勇軍と名乗り、旦那さまに後ろ盾になってくれるよう頼みに来たのです。国のため、民草のために戦う志高き一団という触れ込みでございましたが、見た目はとてもそうとは思えませんでした。馬も兵もどこか薄汚れていて、装備も不揃い。田舎のごろつきを集めたような風情で軍と呼べるような代物ではありません。
ただ、大将の劉備以下、率いる将には、ひとかどの人物が揃っていて、特に、関羽という将軍は、見上げるような背丈に引き締まった肉体、太い腕に赤い顔と、武の神が地上に降り立ったかとでもいうような、威風堂々たる風貌でした。何より、胸まで伸びた立派なヒゲが、見る人の目を奪わずにはおりませんでした。
お屋敷で初めて対面されたとき、旦那さまも関羽将軍のそのヒゲに驚きました。
実は旦那さまは、生まれつき体の毛が薄く、それをご自身で気にされておいででした。風采を整えるためのヒゲも鼻の下にちょろりと生えているばかり。濃く太いヒゲに内心憧れてらしたのです。
劉備殿はまったくの善人というわけではありませんでしたが悪人でもありませんでした。農民なくして兵は維持できないこともわかっていましたし、放浪者であった分、
徐州がいくら今は平和とはいえ、この未曾有の乱世にいつまでも無関係でいられましょうか。いずれどこかの勢力に加担しなければならないとしたら、この男に賭けてみてもいいかもしれない。旦那さまはそうお考えになり、劉備軍に力を貸すこととしたのです。関羽将軍の見事なヒゲに好奇心を刺激されたことも事実のひとつではあったでしょう。
旦那さまには弟が一人ありました。
学問も武術も修めず、家の財産と兄の名声を財布代わりに、毎日飲んだくれては面倒ばかり引き起こしておりました。この麋芳が、劉備軍への協力に反対したのです。
「あんなどこの馬の骨とも知れぬ者どもに、我が家の財をつぎこむなど正気か、兄貴。」
「私が狂ったように見えるのか?糜芳。ゆうべの酒が抜けきっておらぬと見えるな。また勘定書きがこちらへ回ってきておったぞ」
「ぐっ…、そ、そういうことではない。先祖代々受け継いできた糜家の財産を、あんな奴らに好き勝手されたらどうする。兄貴は責任を取れるのかと言っているのだ」
「お前は知らぬだろうが、我が家に仕える者たちの才知と結束は、余所者に好き勝手されるようなゆるいものではない。この乱世で糜家が生き延びていくための決断である。家長の権限でもって下したことだ。責任などと、何も働いておらぬお前がみだりに口にしてよい言葉ではない!」
糜芳は何も言えなくなって、すごすごと引き下がったものでございます。
退出する弟を見やって、旦那さまはため息をつかれました。出来が悪いとはいえ肉親であることは違えませぬ。見捨てることもできぬし、また仮に見捨ててしまえば、よそでどのような迷惑を起こすか知れません。旦那さまは劉備殿に頼み、弟を軍列に加えてもらうことにしました。
それまで飲んだくれのろくでなしだった男が急に重たい鎧をまとうことになったのですから、糜芳の反発は相当なものでしたが、そのうち西に流れていく劉備軍に従って、旦那さまが屋敷も財産も処分してしまったものですから、否応なくついていくしかありませんでした。
糜芳はしきりにぶうぶうと愚痴をこぼしておりました。眉をしかめる者もおりましたが、誰よりも旦那さまがその都度厳しく叱りつけましたので、問題にはならなかったようでございます。
しかし今思えば、それがあるいは、身内ゆえの甘さであったとも言えるかもしれません。
叱るというのは愛でございましょう。それも、最も伝わりにくい形をした愛でございます。
旦那さまの誠実さは誰からも好かれました。
嘘をつかず、威張らず、人の話をしまいまで聞く。何だか当たり前のことのような気も致しますが、豪傑と呼ばれる人たちはみな我が強く、旦那さまの篤実さは珍しく映ったものです。
穏やかなだけではございません。仮にも徐州一の名家を継いだ方でございます。軍費の運用、食糧の運搬、装備の手配など、劉備軍の内政を一手に引き受けてその仕事ぶりは万人の認めるところでございました。
「まったくあのヒゲ殿は大したものだ!」
あの頃の旦那さまの口癖でございます。ヒゲ殿というのは関羽将軍のことでございます。
「ヒゲ殿が敵将を討って戻ると、出陣前に注いだ杯の酒がまだ温かいままだったそうだ」
「医者に傷口を切り裂かれながら、平然と碁を打っておったのだぞ。まったく信じられん豪傑だよ」
毎日のように関羽将軍の武勇伝を私どもにお話しくださいました。そのときの旦那さまは子どものようにはしゃいで大変嬉しそうなご様子でした。
お二人の仲は大変良いものでした。意外かも知れませんが、実は旦那さまは武術が達者でございます。幼い頃から修練を積んで、馬や弓の腕前はなまじの武将より秀でております。
よく関羽将軍の稽古のお相手をなさっておりました。関羽将軍も曲がったことが大嫌いな性格でございましたから、旦那さまの嘘のないところがお気に召したのでしょう。武将と文吏とはときに反目するものでございますが、お二人に限っては非常にウマが合うようでした。人間の幸せというのは、つまるところ付き合う相手次第ではないでしょうか。気の合わない嫌いな相手しか近くにいないのは不幸ですし、尊敬できる気持ちのいい人と付き合うのは幸せなことです。どういう相手と巡り合うかは天の采配でございますが、旦那さまと関羽将軍の場合は、お互い幸運な相手を見つけられたと言えるでしょう。稽古のあと、夕日を見ながら特に何を話すでもなく、静かに杯を重ねるお二人の姿が今でも目に浮かぶようでございます。
戦乱が続きました。
漢王朝は滅び、魏・呉・蜀の三国が立ちました。
旦那さまは蜀の都・成都に移り住み、変わらず忙しい日々を送っておりました。歳月とともに風格は増しましたが、穏やかでお優しいところは少しも変わっておりません。関羽将軍にあやかって伸ばし始めたヒゲもすっかり馴染み、旦那さまの性格を表すかのようにアゴの下で控えめに揺れておりました。
それは唐突な知らせでございました。関羽将軍が討たれたというのです。呉の軍勢に攻められて敗北し、首を刎ねられてしまったというのでした。
成都は動揺しました。まさに天地がひっくり返ったような衝撃でした。
誰もがにわかには信じられませんでした。何かの間違いに違いないと噂を否定する者がほとんどだったのです。
次々と駆け込んでくる早馬によって徐々に詳しいことがわかってきました。
なんと、関羽将軍の敗因は部下の裏切りでございました。将軍に叱られた部下がそれを恨んで呉に走り、罠にはめたというのです。
そして、その悲報の裏には、もうひとつ旦那さまにとって衝撃的な事実が隠れておりました。
あのときの旦那さまのお顔を、今でもはっきり覚えております。何しろその知らせを持っていったのは私だったのですから。
「…馬鹿な…関羽殿を裏切っただと…あいつが…?」
旦那さまはその場にへたり込みました。とても立っていられないご様子でした。あわててお支えすると体は強張り顔色は真っ青になっていました。
関羽将軍を裏切った部下というのは、旦那さまの弟、糜芳だったのです。
それを優柔不断や身びいきというのは当たりますまい。
どんな人間でもそうたやすく身内を見捨てたりはしないものです。
旦那さまは関羽将軍の側にいれば弟も感化され成長するだろうと思ったのです。糜芳を関羽殿の配下にと強いて願いでたのは旦那さまでした。
実際、それは功を奏したように見えたのです。だらしなかった糜芳はそれなりに軍法に沿った言動をとるようになっていたのでした。旦那さまがそれを密かに喜んでいらしたことを私は知っております。ですが、糜芳の改心は上辺だけのことでした。糜芳は、己を鍛えて困難を乗り越えるのではなく、上っ面を取りつくろって周囲をあざむく方を選んだのです。
糜芳はクズでございました。わがままで自分のことしか考えられない愚者でありました。
旦那さまだけが信じていたのです。だらしなさの皮を剥いでいけば、きっとその肉には清らかな血が通っているのだと。その骨の髄は腐りきっていないのだと。
糜芳は軍を裏切りました。国を裏切りました。そして、たった一人自分を信じてくれていた旦那さまの真心を裏切ったのです。罪深い、いかほどにも罪深い所業でございます。
関羽将軍の守っていた地域は、荊州という呉と接する最前線でございました。そこを失ったことは蜀にとってとてつもない損害であり、大げさでなく国の存亡に関わることだったのです。
それほどの不始末を身内がしでかしたにも関わらず、旦那さまを責める声はありませんでした。
ですが、旦那さまは自ら責任を取ろうとなさいました。まるで罪人のごとく後ろ手を縄で縛り、裸足になって都の大通りを歩いていったのです。
願わくばこの首に刃を振り下ろされんことを。
願わくばこの首に刃を振り下ろされんことを。
ただそれだけをつぶやきながら、裁きの場までご自分から向かわれたのです。通りを行く人はみな涙を流し、あえてその姿から目を逸らしたといいます。
罰は下りませんでした。劉備殿は自らの手で旦那さまの縄を解き、以後もそれまでと変わらぬ扱いを約束されました。
しかし、旦那さまが受けた衝撃はことのほか大きかったのでございます。
間もなく旦那さまは病に倒れ、床についたまま起き上がれなくなり、そのまま帰らぬ人となりました。
今際の際のことでございます。旦那さまはうわごとのように、
「ヒゲを切ってくれ…ヒゲを切ってくれ…」
と、おっしゃいました。
私が小刀でもってアゴヒゲの先を切り落とすと、ほんのわずかだけ微笑まれ、
「…これで少しは顔向けができるかのう…」
それが最期の言葉でございました。
私は涙が流れて止まりませんでした。
あれほどお優しかった旦那さまが、あれほど慈愛と誠意に満ちあふれていたお方が、なぜにあれほどの苦悩の中で死ななければならなかったのでしょう。あまりにもおかわいそうでございます。旦那さまは何もかもを与え続けた方でした。そして、ご自身では何も受け取らぬままこの世から去ってしまわれたのです。
やがて蜀は滅び、三国は晋に統一されました。
糜芳はその後、呉の孫権に仕えましたが、裏切り者ということで信頼されず、不遇をかこったまま死んだそうでございます。
時の流れというのは、なんと無情なものでございましょう。どれほどの大戦も、いかなる豪傑も、等しく歴史の彼方に塵となって散っていくのでございますから。
私はそれが悔しゅうございます。わずかなりとも抗って、旦那さまの名誉を守りたいのでございます。
この袋でございますか?これは旦那さまのヒゲでございます。最期のときに私が切り取った旦那さまのヒゲを、もったいなくもこうして袋に入れて持ち歩いているのでございます。
ご自身は否定なさるでしょうが、私はこれこそがこの世の誰にも劣らぬ、もっとも美しく尊いヒゲだと信じているものでございますから。
この通り老い先短い身でございます。こうして旦那さまのお墓をお守りしながら、細々とお話を紡いでいくことに残りの命を費やしましょう。
それがささやかながら、私めの旦那さまへのご恩返しだと思っております。
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