毒情~公孫晃~

 公孫晃こうそんこうは弟が嫌いだった。憎んでいたと言ってもいい。

 確かに血を分けた兄弟でありながら、物心ついて以来、弟に愛情を感じたことはなかった。やることなすことすべてが癇に障る。肉親故に生じるその憎悪の大きさは、最早天敵に対するそれのようだった。弟の名は淵といった。

 弟は祖父に似ていた。祖父は公孫度こうそんたく、遼東地方に覇を唱えた一族の伝説的首長である。すでに故人であったが、父や叔父らはいまだに口を開けば祖父の偉大さを強調する。一族の領土を広げ、中央に対抗し、高句麗や烏丸にも攻め込んだ祖父の業績は、好悪は別として、なるほど一代の英雄なりと呼べるものかもしれない。

 弟は祖父のように強靭な肉体を持っていた。武芸、馬術に秀でていることも祖父同様だ。だが公孫晃から言わせれば、弟が祖父に一番似ている部分は、その凶悪さである。

 祖父は遼東太守に任ぜられた途端、同族の家を百余りも滅ぼした。侮りと見下しをいつまでも許さない執拗さ、そしてそれらに対する徹底的な復讐心。野心というにはあまりにも血生臭い祖父の性質を、弟は色濃く受け継いでいたのである。

 幼い頃から、弟は刃向かう者に容赦しなかった。喧嘩相手に馬乗りになり、その顔面を石で殴り続けたことがある。歯が砕け、顔の骨が折れてもやめなかった。見かねた公孫晃が止めに入ったが、弟はそれをはらいのけ、まるで公孫晃が喧嘩の相手であったかのように、敵意のこもった目でにらみつけてきたのである。公孫晃には、弟が得体の知れない化け物のように見えた。

「俺はな、じいさんのように王になるんだ」

 少年の頃から、弟は当たり前のように豪語していた。同世代にそれを笑うような者は一人もおらず、大人たちには頼もしい決意表明に映った。公孫晃だけがその軽薄さに唾を吐いた。

 残念ながら公孫晃自身は、ひ弱な体質だった。弓も馬も同世代に比べてかなり劣る。無論、弟には遥かに及ばない。騎馬での攻撃を得意とする公孫氏において、これはかなり肩身の狭い事実であった。

 反面、公孫晃は書物に没頭した。それも軍略ではなく政治や文化の方面に興味を示した。

「書物で敵を殺せるかよ。役に立たねえ兄貴が役に立たねえことをしてやがる」

 弟とその取り巻きはそう言って笑った。弟も公孫晃を好いてはいなかった。

 唯一、叔父の公孫恭だけが味方してくれた。

「晃よ、お前のしていることは正しい。武のみでは行きつく先が見えている。この先、公孫氏がさらに強くなるためには、お前の力がきっと役に立つだろう」

 その言葉にどれほど救われたかわからない。公孫晃は叔父が開放してくれた書庫に朝から晩までこもり、洛陽、建業などの都のみならず、鮮卑、高句麗など異国に至るまでの様々な土地や時代の知識を頭に詰めこんだ。

 やがて父が死に、叔父が跡を継いだ。これが一族にちょっとした動揺をもたらした。

 公孫恭が公孫晃を気に入っていることは、誰の目にも明らかだったからである。このままいけば、次の跡目は、あの屈強な弟・公孫淵ではなく、ひ弱な兄・公孫晃が継ぐのではあるまいか。

 淵がどう思ったか、問い質す勇気のある者はなかった。問い質すまでもなくその凶悪な表情がすべてを物語っていたのであろう。

 公孫恭の柔和な性格は、一族の方針を動かした。それまで対立気味だった魏に使者を送り、融和を進めることになったのである。使者には公孫晃が選ばれた。

 使者は都に滞在し、中央との連携を強める役目が申しつけられた。公孫晃は舞い上がった。魏の都・許昌は憧れの土地である。最も進歩的で最も絢爛な大都会。まさか自分がそこに足を踏み入れ、そこで暮らす日が来ようとは。

「叔父上のお考えは正しい。これからは魏の力を大いに利用すべきだ。この役目は弟なんぞには決して成し遂げられまい」

 都へと向かった公孫晃は、自分の任務を果たすため精力的に活動した。辺境からの荒くれ者と色眼鏡で見ていた魏の文官たちは、公孫晃の学識の高さに目を見張った。決して高圧的に出ず、あくまでも相手を立てる謙虚さも好まれ、公孫晃の名は許昌の名士たちの間にたちまち広まった。

 魏帝は公孫恭に車騎将軍の位を与え、公孫晃自身にも官位を授けた。公孫晃は大いに面目を施したのである。


 公孫晃は都で成人し、妻子を得た。穏やかな日々が流れていた。

 魏の文官として忙しく働きながら、徐々に遼東の地を思い出すことが少なくなっていた。とはいえ、それでも時折、北風の冷たさが故郷の山河を呼び起こすこともあった。

 変事は突然に訪れた。

 その日、参内した公孫晃は異様なほど慌ただしい雰囲気に違和感を覚えた。通常の業務はまったく滞り、しきりに伝令兵らしき姿を見かける。同僚に訳を尋ねると、驚愕の事実が知れた。

 公孫淵、叛乱。

 弟が叔父を襲い、太守の座を奪ったのである。

 何年振りかで思い出した弟の顔は、邪悪な表情をもって浮かんだ。まさかという思いと、あいつならやりかねないという思いが交錯する。

「都にいる俺に、跡目を取られると焦ったか。粗暴なだけで器でもないくせに何と身勝手な。挙句、叔父上を襲い暴でもって位を奪うとは、獣にも劣る所業。最早弟でも何でもない。世の順を乱し、天に仇なす害獣だ。見ておれよ、公孫淵。このままでは捨て置かぬぞ」

 公孫晃は即刻、拝謁を願い出た。遼東地方は魏にとっても、北方の騎馬民族や半島勢力への防波堤となる重要な地域である。そこの支配者が武力によって更新されたとなると、これは由々しき問題であった。すぐに目通りが許された。

「即刻、淵を討つべきです」

 公孫晃は強く主張した。弟の存在は、公孫氏にとっても遼東地方にとっても百害あって一利なしと公孫晃は信じて疑わなかった。

 だが上層部の判断は「保留」であった。理由は、遼東までの距離、出征できる兵力、呉・蜀の動静、そして公孫淵の実力である。事の善悪を抜きにして、この短時間で謀反のあとの混乱を制し、軍の統制を為した公孫淵の将器を、魏帝の参謀らは軽くは見なかった。

 それはしかし、公孫晃にとって、弟が魏に一目置かれているという意味になる。嫉妬でもなく憤怒でもなく、それでいてその両方の性質を兼ねた炎が、公孫晃を燃やした。

「私が先陣に立ちます。そうすれば向こうに地の利はなくなる。淵を捨て置いてはいけませぬ。奴は必ず国家に害をもたらします。今の内こそ好機。どうか速やかに出陣の勅令を」

 穏やかな印象しかなかった公孫晃の執拗な上表は周囲を驚かせた。彼は保留の決が下りたあとも何度も何度も出陣をせがんだ。参内するごとに、頬はこけ、目は落ちくぼみ、額には深いしわが刻まれた。まるで幽鬼のようだと人々は噂したものである。

 だが再三の公孫晃の上奏にもかかわらず、魏軍は容易に動こうとはしなかった。公孫淵に揚烈将軍の位を授け、とりあえずの鎮撫を図る。無論、何の効果もなく、公孫晃は歯噛みするばかりであった。

 その間、公孫淵の活動は止まらない。魏より官爵を受けながら呉にも接近する。呉から贈り物を受け取ると、今度は呉の使者の首を刎ね、それを魏に送りつける。

 敵か味方か、何が狙いか定かならぬ公孫淵の去就に魏も呉も翻弄された。その隙をついて帯方郡、楽浪郡を落とし、公孫淵は着実に領土を広げていった。祖父に似た、いや最早祖父以上ともいえる野心があらわになる。叛乱より十年、公孫淵は王を名乗り、自立を宣言した。

「王!王!あやつが!これほど笑止なことがあるか!獣を王に押し頂くなど、公孫氏の誇りは地に堕ちたか!」

 公孫晃の叫びを、しかし聞く者はない。

 ようやく魏が動いた。ときの帝、曹叡は司馬懿に命じて公孫淵討伐のための軍を出立させる。

これにより、公孫淵は公式に魏への反逆者となった。同時に、公孫晃は反逆者の血縁ということになったのである。

 司馬懿、字は仲達。かの諸葛孔明との激戦はいまだ語り草である。老いたりとはいえ、公孫淵の敵う相手ではなかった。意気込んで立ち向かった公孫騎馬軍団は徹底的に蹴散らされ、公孫淵は籠城を強いられた。四方に求めた援軍は一兵たりともやってこなかった。傲慢な梟雄の然るべき末路と言おうか、叔父を追い、周囲を翻弄した十年に引き比べて、あまりにもあっけない最期であった。城は落ち、公孫淵は斬首。体裁をかなぐり捨てた公孫淵の命乞いを、司馬懿は一顧だにしなかった。

 

 公孫晃の苦悩は極限に達した。

 魏の法では、反逆者の一族は死刑である。公孫晃は弟の行動によって死を与えられるのだ。

「あんな弟のために?あんなケダモノのせいで俺が死なねばならぬのか?こんな馬鹿な話があるか!生まれたときから俺はあいつを憎んでいた。誰よりも俺こそがあいつの死を願っていたのだ。それなのに、あいつのしでかした罪に連座せよと?同じ罪を償えと?イヤだ!俺はあいつとは違う。あいつの罪を糾弾するためなら命でも何でも差し出そう。だがあいつと同じ罪を着せられるのだけはごめんだ。俺はあいつとは違うのだ!」

 公孫晃に同情する者がいなかったわけではない。同情者らは公孫晃の上奏文を情状酌量の根拠とした。つまり、公孫晃は当初から淵の討伐を申し入れていたのだから謀反の罪に連座させるのは違うのではないかという理屈である。筋が通らないものではなかった。

 事実、公孫晃は弟を憎んでいたし、その激情が込められた上奏文には真実の持つ力があった。上層部の中にはそれを目にして、これならば許してやってもよいのではないかという空気が流れた。皇帝・曹叡もその空気にほだされた。

 やがて司馬懿が、公孫淵の首と共に凱旋した。曹叡は労をねぎらうと、公孫晃の処遇について問うた。

 司馬懿の返答は簡潔であった。

「法は法であります。反乱者の血族であることは紛うことなき事実。陛下自ら例外をお作りになれば、それはご自身の手で珠に傷をつけるようなもの。公孫氏など辺境の一蛮族に過ぎませぬ。そのような者のために陛下のご威光をわずかでも曇らせるようなことがあってはなりませぬ」

 曹叡は一言もなかった。

 間もなく公孫晃は捕らえられ幽閉された。

 牢の中の公孫晃は何もかも諦めたように神妙で、かと思うと、日がな泣き叫ぶ日もあったりと、さも狂人のようであった。

 やがて、毒酒が差し入れられた。公孫晃にはその杯が、ずっと前から自分のために用意されていたような気がした。憎悪という毒は生涯をかけてゆっくりと我が身を滅ぼしたのだ。その毒は、どうやって解けばよかったのだろう。

 公孫晃は毒酒を飲み干し、血を吐いて死んだ。最期の瞬間まで弟を呪い続けていたという。

 彼の死をもって、遼東公孫氏は滅亡した。

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