夢解き周宣~周宣~
夢は心の鏡と申します。
無垢なる心には無垢なる夢が、不安な心には不安な夢が映るもの。とはいえ、人の心には幾重にも幕が下りておりますから、夢とうつつは少し形が違うものであります。
昔、大陸に黄色い嵐が吹き荒れました。
本当の嵐ではありません。そりゃ本当の嵐も幾度かはあったでしょうが、ここで申し上げるのは俗に言う黄巾の乱のこと。大賢良師・張角のもと、困窮した農民たちが頭に黄色い布を巻き反乱を起こしたのであります。
その勢いは大層なものでございました。押さえつける力が強いほど、はねかえる力も強くなる道理。官も民もなく、とにかく食を求めて城を襲う村を襲う。襲われた民らは新しい賊となってまた別の場所を襲う。大陸の津々浦々、至るところで大騒動。お上は贅沢に慣れ過ぎて、この反乱を抑えきれなかったというから情けない話でございます。
楽安郡というところにも黄巾賊が押し寄せて参りました。太守の楊沛は気が気じゃありません。少ない兵で何とか退けたものの、相手もしぶとい、そう簡単にはあきらめない。あちらを攻めたりこちらを攻めたり、隙あらば城をも襲おうという素振りで楊沛を悩ませておりました。
ある日、楊沛は妙な夢を見ました。光の中から誰かが語りかけてくるのです。
「八月一日には杖が与えられ、薬酒をたまわるであろう」
声は同じ言葉を繰り返します。どういう意味か尋ねようと身を乗り出したところで目が覚めました。
仕事に出ても夢のことが気になってスッキリしません。部下たちに夢の内容を話し意味を尋ねてみましたが、側近らも訳がわからず、ただ首をひねるばかり。
すると、
「ご安心めされよ。それは吉夢でござる」
と、末席の方から声がします。
「今言うたのは誰じゃ」
誰何されて立ち上がったのは、色白く、眉細く、まことに端正な姿かたちの青年でありました。側近が告げるには周宣、字は孔和と申す者。楊沛は周宣に問いただしました。
「吉夢とな。お主、なぜにそう言い切れる?」
「杖は力のない者を立たせる道具。薬酒は病を治す酒。これは外部より救いが訪れるというしるしでございます。八月一日には賊徒たちは必ず滅ぼし尽くされましょう」
そう言うと、周宣は再び席につき何事もなかったかのように仕事を続けます。楊沛と側近らはそれ以上問い詰めることもできず、どう信じたものかとお互いに顔を見合わせるのでした。
ところが、それから間もなく張角が病に倒れ、黄巾賊の勢いは目に見えて衰えだしました。朱儁、皇甫嵩率いる官軍がようやく機能し始め、楽安郡にも援軍が送られてきました。八月一日には辺りから賊徒が一人残らずいなくなったのでございます。
周宣の予言が見事に当たったわけです。まわりがそれを褒めそやすと、
「私は夢を解いただけでございます。夢には真実が潜むのです。要素をひとつひとつ吟味し、正確に理を解きほぐせば誰にでもできることでございます」
周宣は、何でもないようにそう言いのけると、再び書類に目を落とすのでした。
周宣は決して目立つ存在ではありませんでした。
宴席でもいるのやらいないのやら、芸をするでもなく酔っ払うでもなく。親しい友人もおらず、仕事が終わるとすぐ家に帰り、夜までひたすら書物と向き合うばかり。いつも飄々として乱れるということがありませんでした。親兄弟もおらず、年老いた召使いを一人置いたきり、妻も取らず、気ままに暮らしておりました。召使いも周宣がいつどこからこの地にやってきたのか知らなかったといいます。
かといって、人嫌いという訳ではなく、畑を手伝ってやったり、農具を修理してやったりして、近所の農家には人気がありました。不思議なことに周宣が手伝った畑は農作物がより採れるようになったそうです。
楊沛の夢の一件は方々に知れ渡り、噂を頼りに周宣を訪ねてくる者が増えました。みな夢解きを頼む人たちです。
周宣は相変わらず何でもないことのようにそれらの相談に乗り、いちいち夢を解いてやりました。そのことごとくが的中したので人々は驚きました。どこでその知識を学んだのかと問うと、周宣は「誰にでもできることです」とのみ答え、明確な返答を残しませんでした。
あるとき、劉楨という者が夢解きに訪ねて参りました。四本足の蛇が大きな門に穴を掘って住み着いているという夢を見たそうです。周宣はたちどころに答えました。
「これはあなたの家のことではありません。大きな門とは国を指します。蛇に足とは本来あるべきではない余計な障害という意味。そして蛇は女を表します。穴にこもってもう行き場がない様子。これは女で反乱をなす者がいて、やがてそれが誅殺されるという夢でしょう。あなたが悩むことはありません。穏やかにお過ごしなさい」
果たして、間もなく鄭と姜という二人の女盗賊が捕らえられ処刑されました。人々は更なる畏敬の目で周宣を見るようになったのであります。
時は流れて魏の世になりました。
周宣は文帝・曹丕に仕えております。
相変わらず地味ながらもそつない暮らし。年より若く見えるかんばせは雨にも風にも乱れることなく、愛想はないが面倒見よく、夢解きを頼みに来る者には簡潔ながらも丁寧に答えてやり、名士の間でもなかなかの評判を得ておりました。
あるとき、その評判を文帝が耳にしました。早速お召しの声がかかります。周宣の来着を待つ間、文帝の口元にはニヤニヤと笑みが浮かんでおりました。文帝は底意地の悪い御方でございましたから、周宣の夢解きをインチキと思いこみ、暇つぶしがてら化けの皮を剥いで恥をかかせてやろうと目論んだのでございます。
周宣がやってくると、文帝は尋ねました。
「お前は夢の意味するところを解き明かせると申すが、まことか?」
「仰せの通りでございます」
「わしが見たのは複雑ででたらめのような夢じゃ。それでも解くことができるか?」
「この世に意味なく形づくられるものはございませぬ。夢とて然り。心に浮かぶものにはすべて意味が含まれておりまする」
文帝は再びニヤリとしました。望んでいた通りの返答です。
「宮殿の屋根瓦が二枚地面に落ちた。するとそれがつがいの鴛鴦(おしどり)に変わったのじゃ。この夢にはいかなる意味がある?」
「後宮でにわかに亡くなられる方がありましょう」
「ほう、それがお前の夢解きか?」
周宣は無言で頭を下げました。すると、文帝は満足げにうなずき大声で笑いだしたのです。
「語るに落ちたな、偽り者め。今のはでたらめじゃ。わしはそんな夢を見てはおらん。もっともらしいことを並べおって。わしを口車に乗せようとした不遜、どうなるか覚悟はできておろうな?」
側近たちは青ざめました。文帝は決して暗君というわけではありませんが、王者の大半がそうであるように、少々傲慢なところがあります。勢いで配下の首を刎ねるくらい何でもありません。
周宣はと見れば、細い眉は風にもそよがず、深奥にたたずむ湖の如き落ち着きぶり。常と変わらぬ静かな声でこう答えたのです。
「夢とはその人の心にほかなりません。心とは意志。意志のこもらぬ言葉はありません。意志が言葉となって発せられたからには、それだけで吉凶は定まり天命を占うことができるものなのです」
何をこしゃくな世迷い事を、と、文帝が叫ぼうとした刹那、一人の宦官が血相を変えて飛び込んで参りました。曰く、後宮で宮女が殺人を犯したと。
辺りは水を打ったような沈黙。皆驚きのあまり声が出ないのであります。たった今、周宣が予言した出来事が目の前で事実として報告されたのですから。
文帝も驚きを隠せませんでした。それでもさすがはと申しましょうか、すかさず確認の手配を命じると、無言で周宣を見つめます。周宣はあたりの動揺などどこ吹く風。
使者が戻って文帝に、間違いがないことを告げました。周宣の夢解き通り、にわかに後宮で人が亡くなったのです。己のでまかせが事実と化したようで文帝はゾッとしました。
「……周宣、そちの力は本物のようじゃ。信じがたいことじゃが認めぬわけにはいくまい。褒美を取らそう。望みはあるか?」
周宣はまったく気負うことなく答えました。
「随分と時を過ごしました。このまままっすぐ家に帰していただければありがたいと存じます。読みかけの書物がありますので」
それからというもの、文帝は周宣を気に入り、たびたび召し出しては夢の話を聞いたり、相談をもちかけたりするようになりました。
ある日のこと。周宣が出仕するとただちにお召しの声がかかりました。参上してみると文帝はなんだか顔色が優れません。
「おお、待っておったぞ、周宣。そなたに夢を解いてもらいたい」
「御意のままに」
「ゆうべわしが見た夢じゃ。青い煙のような気のようなものが、ゆらゆらと地面から立ちのぼっていく。見ておると、やがてそれは天にまでつながった。目覚めてからもこの夢が何やら気にかかってのう」
「どのような青でございましたか」
「澄んだ青じゃ。美しい透けるような青であった」
それを聞くと、周宣の細い眉がわずかに歪みました。
「いたましいことでございます。この天下のいずこかで、高貴な女性が冤罪のために亡くなることになりましょう」
途端に文帝は真っ青になりました。
「え、冤罪だと?その者に罪はないと申すか?」
「天にまでつながる気は潔白さを表します。それが揺らぐのは認められぬ悲しみのため。澄んだ青は女性の心でございます。もし主上にお心当たりがおありなら、一刻も早くご対策を」
文帝は無言で周宣を見つめておりましたが、やおら手を打ち側の者を呼ぶと何やら言いつけました。実はこのとき、文帝は妻である甄皇后に自殺を命じる文を届けさせていたのでした。もともと仲のいい夫婦でしたが、時が経ち周りに他の夫人が増えるにつれ、文帝の寵愛は薄れていきました。それを恨みに思った甄皇后が、文帝の悪口を言いふらしているという噂があったのです。噂の出どころは他の側室たちでした。
周宣の夢解きによって、文帝はおのれの誤解を悟りましたが、惜しいかな、取り消しの命令は一歩及ばず、哀れ甄皇后はすでに毒を呑んでいたのです。文帝はのちのちまでこのことを悔やむこととなりました。
その後もたびたび周宣は文帝の夢を解き、様々な助言を与えました。
あるとき、文帝がしみじみと言ったものです。
「夢の知らせがみな読み解けたなら大層楽であろうにのう。己で見る夢さえままならぬとは、人とは所詮くだらぬものよ」
周宣は答えました。
「夢とはすべてその人の内側から生まれるもの。どのような人間にもあのような夢幻が潜んでいることが、私は素晴らしいと思うのです。知ることが幸せではありませぬ。知ろうとすることが人の幸せなのであります。その結果、辛く悲しいことが起きたとしても、知ろうと臨んだ者であれば、決して押しつぶされるようなことはありますまい。言葉とは人が作った至高のものでありますが決して万能ではございませぬ。言葉では届かぬ領域を補うために自然が用意したものこそ、まどろみに浮かぶ夢なのでしょう。夢なくして人は自然でいられますまい」
周宣はその後、明帝の代まで魏に仕えました。
その最期はまるで眠るように静かであったと伝えられます。遺体が蝶になって飛んでいったという話が残っておりますが、はてさて嘘かまことか、うつつか夢か。
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