ガーランド、花輪

増田朋美

ガーランド、花輪

ガーランド、花輪

ある日、杉ちゃんと蘭は、富士市民会館で行われた、ピアノのコンクールを観戦にいった。毎年行われているコンクールであるが、今年もパッとしない結果なのではないかと杉ちゃんも蘭も予想していた。コンクールは、地元のアマチュアオーケストラと一緒にピアノ協奏曲を演奏するという内容であった。いずれにしても、田舎町で行われるコンクール何て、有名な人が出るわけではなく、毎年同じ人が、賞を取ってしまうという現象が起きており、もはやそれでマンネリ化してしまっていた。

杉ちゃんと蘭が、その日も、いつも同じ人が出てつまらないよな、なんて言いながら、演奏を聞いていると、一番最後に現れた挑戦者は、名前もどこの人かも知らない人物だった。彼女は衣装も地味だったが、一度ピアノの前に座って、演奏を始めると、それが、とても上手だったので驚いてしまう。

「はあ、あの女はどこの誰かなあ、こういう個性的な演奏をする奴が優勝するかもしれんぞ。」

杉ちゃんがつぶやくほど、彼女は上手であった。

「そうかもしれないねえ。」

蘭もつぶやく。

彼女の演奏が終了して、挑戦者全員の演奏が終了した。結果発表まで30分の休憩が設けられた。杉ちゃんたちは、車いす席に残ったまま、誰が一番をとるかとか、予想していたのであるが。

「やっぱり来ていたんですか。僕も今年のコンクールは、新人が出るというので、面白そうだったので、見に来させてもらいました。」

近くの席から、桂浩二が杉ちゃんたちのほうにやってきた。

「いやあ、すごい演奏でしたね。あの女性は、今まで出場したことがない方なので、もしかしたら、優勝は彼女かもしれません。もしそうなったら、久しぶりに恒例のメンバー以外の人が、優勝したことに成って大騒ぎですよ。」

浩二はちょっと興奮気味にいった。

「そうだねえ。あの女性、音大でも出て、どっかに留学でもしていたのかな。それで、今までみんなの前に現れなかったのか?」

杉ちゃんがそういうと、

「いやあ、そういうことはしてないみたいだよ。ただの素人らしい。ここに書いてあるけれど、四年制の音楽学校も出ていない。短大の音楽科しか出ていないようだ。もし、彼女が優勝したら、彼女の出身の短大も、一躍有名な学校になってしまうことだろうよ。そうなれば、入学者も増えて繁盛するだろうね。」

蘭は渡されたプログラムを見ながらそういった。

「いやどうかな。よいことばかりとは限らんぞ。一度大賞をとったばっかりに、人生が大きく狂ってしまったやつは、いっぱいいるじゃないか。ピアニストだけじゃないよ。スポーツ選手とか、相撲取りにもいるだろう。人間だもん、人生いつまでもバラ色というわけにはいかないよ。」

蘭が言ったことを打ち消すように、杉ちゃんは言った。

「でも、悪いことばかりじゃないじゃないか。きっと良い方向に行けば、彼女はピアニストとして、すごいことをしてくれるかもしれないよ。」

と、蘭が言うと、

「それはどうかな。素人が世に出ると、大変なことになるじゃないか。そうなった例はなんぼでもあるよ。」

「そうですねえ。僕も杉ちゃんの言う通りだと思います。」

杉ちゃんも浩二もいった。

「まもなく、結果発表を行います。ロビーにおいでのお客様は、お席についてお待ち下さい。」

ホールのアナウンスが流れたため、浩二は、自分の席へ戻っていった。

それと同時に、ホールの緞帳が開いて、審査委員長がコンクールの講評を述べる。形ばかりの評価を下して、いよいよ、順位発表が行われることになった。

「えー、それでは、順位を発表させていただきます。三位、佐藤美紀さん。二位、上原敦子さん、一位は、中村正代さん。以上の三名が入賞者です!」

審査委員長は朗々と述べた。それと同時に嵐のような拍手が聞こえてきた。やはり、最後にエントリーした、あの女性が優勝だった。新しいヒーローは、一寸照れくさそうな感じで舞台に上がり、審査員長から、賞状と記念品を受け取った。新聞記者のような人が、いまどんなお気持ちですかと聞くと、新しいヒーローは、半分涙をこぼしながら、

「今まで生きてきた中で一番幸せです!」

と高らかに答えた。

それから一年後の事。

「えーと、中村正代さんですね。職業は、」

少し駅から離れたところにある自宅を改造した事業所内で、浅田静子は目の前にいる新しく入ってきたクライエントに名前を確認する。静子は、彼女の事をどこかで見たような気がしたのだが、思いだせなかった。

「現在は仕事はしていません。半年くらい前までは、ピアノの演奏会などに出演していましたが、それもしなくなってしまいました。」

中村正代と名乗った女性クライアントはそう答えた。彼女は比較的小柄な人で、ピアノを弾くということには少々不向きな印象もあるが、それでも、本人の話に間違いはないのだったら、そういうことなのだろう。

「それで、今日は何のご相談でしょうか?」

静子は正代に聞いた。

「ええ、こういうところに来る人っていうのは、大体重い悩みを抱えているものでしょうか?」

「確かに、重い悩みを話される方もいますし、仕事のストレスを取り払うという意味で話に来られる方もおります。」

静子は正代の質問に答えた。

「どんな職業の人が、ここへ来ているんでしょうか。私みたいに、まったく働いてない人であっても、相談に乗ってくれるのでしょうか?」

正代がそう聞いてくるので静子は答えてやらないとだめだと思った。

「ええ。職業とかそういうことは考えていません、それよりも悩んでいることをまず話してもらうことが必要です。あなたは、いつ頃から何について悩んでいるのでしょう?それをまず、お話ししてもらわなければ。」

「そうですか。話すことは、もう決まっています。うちの家、つまり実家ですけど、そこで何も居場所がないということです。私は働いていないから、なんだか、いてはいけないような気がしてしまって。いちおう、家族はいてくれていいって言っているんですけど。でもなんだかいてはいけないような気がしてしまうんですよ。」

静子がそう問いかけると、彼女、つまり正代はそう答えたのであった。

「ご家族は、あなたの事を何と言っていますか?ああ、もう少し具体的に言いましょう。あなたに対し、消えろとか、出ていけとか、そういうことを言っているさまをあなたは実際に目撃しましたか?」

静子は又聞いてみた。

「ええ。そういうさまを見たわけじゃないけど、表情とかそういうの見ればわかります。家族は絶対にそう思っています。私に消えてくれた方が良いって。」

もしかして、彼女は被害妄想という症状があるのかもしれなかった。それを症状として引き起こす疾患はいくつかあるが、それが何にあたるかは、静子は問題にはしないのであった。ただ、薬物がそれを引き起こしているかもしれないので、それを除外するために、静子は聞いてみる。

「あなたは、もしかしたら、シャブとかエスとか、スピードとか呼ばれている薬を、使ったことが在りますか?」

「いえ、、、。」

その反応を見て、静子は、

「本当はやったことが在るんでしょう?あなたがピアニストとして、登録を抹殺されたのも、そのせいよね?」

と、彼女に言ってみた。時には、こういう断定的なことも必要なのである。

「ええ。そうなんです。あの、コンクールで優勝してから、私のスケジュールは過密になってしまって本当に、一日何回も演奏したりとか、それだけではなく、写真集の撮影とか、雑誌のインタビューとか、そういうことのほうが多くなってしまって、私、もうやりきれなくなって、つい、薬を使ってしまったんです。」

「それはどこで入手したの?何て名前の薬?」

静子が冷静にそう聞くと、

「ええ、シャブとかそういうものではありません。リタリンというものでした。入手は、インターネットでしました。ほら、いまメルカリとか、ラクマとかそういうものがあるじゃないですか。洋服を販売するかのように装って、その中にリタリンを忍ばせて郵送するんです。」

と、正代は答えた。

「そうなのね。で、それは、何度使用したの?」

それで、薬物中毒の度合いがどれだけ進んでいるか、調べることにもつながっている。

「はい。数回で辞めようと思ってました。でも、やめようと思っても、やめられないです。ずっと、リタリンなしではいられなくて、インターネットで何回も。それで、私の家族が先生のところに通った方が良いって。」

と、彼女はそういった。彼女の家族も、彼女が薬物を使用しているのを認めていて、彼女を何とかした方が良いと思ってくれているのだ。そういう姿勢は、ない人のほうが多いが、あることに越したことはない。

「そうですか。じゃあ、もう一回聞きますが、いま悩んでいる症状は、家族が自分の事をいらないと思っているという被害妄想が出てしまう事ですね。そのほかに、何か症状がおありでしたら、今はなしてくれますか?」

「ええ、時折、私に、死んでしまえとか、もういらないんだとか、そういうことを言っている声が聞こえます。ですが、それが誰の声なのか、ということははっきりしません。でも、聞こえてくることは確かなので、きっとどこかに誰かいて、私をはめようとしているんではないかと思います。」

そういうことから判断すると、彼女は幻覚の症状もあるようだ。それを妄想によって、自分なりに解釈しているが、それが現実の事ではないということを知ってもらう必要があると、静子は判断した。

「それじゃあ、あなたは、今は仕事もしてないんですよね。其れならこれはチャンスよ。あなたが自分自身にキチンと向き合って、リタリンを絶とうとここに来てくれたのなら、私も精いっぱいお手伝いします。まずは、あなたに、現実に何が起きているかを確認してもらうことから始めましょう。じゃあ、これから、私と一緒に病気を治しましょうね。」

静子はにこやかに笑って、正代に声をかけた。

「じゃあ、週に一回いらっしゃい。一緒にやりましょう。」

「はい、ありがとうございます。」

これで彼女が、静子の正式なクライアントになることになった。まず初めに、正代さんにしてもらうことは、彼女に現実は薬なんか使わなくてもいいことを、認識してもらうことであった。静子は、ノートに、中村正代さんと名前を描いて、彼女の治療計画というか、セッションの計画を書き込んだ。

又一週間たって、静子のところに正代がやってきた。彼女の顔に引っかき傷が見られるのは、リタリンが切れてくると、ものすごい自分を傷つけたくて仕方なくなるからである。

「大変だったわね。でも、リタリンを断つには必要なことよ。それでは、今日は外へ出てみましょうか。リタリンなしで、どんな世界が見えるのか、しっかり記憶しておきましょう。何かあったら、私がいますから、大丈夫よ。」

と、静子はにこやかな顔をして、正代にいった。正代はわかりましたと言って、静子と一緒に、靴を履いて、事務所を出た。正代はきょろきょろして落ち着かない様子だ。それでも、静子に連れられて、バラ公園までたどり着いた。

「正代さん、景色はどのように見えますか?まず、目の前にあるものを言ってみてください。ここには何が在りますか?」

と、静子は正代に言ってみる。

「はい。砂場があります。砂場で子供たちが、遊んでいます。」

正代はそのまま目の前にある風景を描写した。

「どんな子供たちが遊んでいますか?見たこと、感じたことを話してください。」

静子に言われて、正代はこう答える。

「ええ、なんだか、私の事を、人生に脱落したダメな人のようににらんでます。こ、怖い。なんか、子供って怖いですよね。なんで子供って純粋なのに、こういう事をしなければならないんだろう。」

決して子供たちは怖い顔をしていない。ただ砂場で楽しそうに遊んでいるだけなのであるが、正代にはそう見えてしまうようだ。

「いえ、大丈夫よ。子供たちは、砂場でお城をつくって、楽しそうに遊んでいます。決してあなたの事を、ダメな人とか、そういうことは言ってないわ。ほら、よく見て。子供たちの表情も、しっかり見て。」

静子が指示を出しても、正代は泣き出してしまうのだった。

「おばさん今日は。」

礼儀正しい子供だったのだろうか。リーダー的な少年が、そう二人に挨拶した。

「ほら、ちゃんと聞いて。あなたに今こんにちはといったのよ。決して、ダメな人とは言ってないじゃないの。」

静子は、急いでそういうが、正代はまだ怖がっているようだった。

「こんにちはではありません。きっとその裏には、私にこの世から出ていけと言っているんだと思います!」

彼女の言っていることが、リタリンのせいなのか、それとも彼女の精神が病んでいるせいなのかはわからないけれど、彼女は少なくとも、静子の見ている世界とは違うところに住んでいることは間違いなかった。

「分かったわ。じゃあ、戻りましょう。」

静子は、彼女の体を動かして、急いで戻ろうとしたが、彼女はもう怖いという気持ちが頂点に達したのであろうか、わっと頭を抱えて泣き出してしまった。静子には、彼女を背負ってどこかに連れていくとか、そういう体力はなかった。でも、自分で何とかしなければならないとおもった静子は、無理やり彼女を背負って、数十歩歩いたが、やっぱり彼女は重たすぎて、静子は分からなくなった。

気が付くと、静子は、病院のベッドの上にいた。

「あの、私は何をして、」

思わず言いかけると、隣にいた看護師が、

「やっと気が付いてくれましたか。過労性の脳貧血でしたから、大したことはなかったんですけど、いずれにしても働きすぎですよ。」

一寸あきれた顔をして、静子にいった。

「あの、正代さんは、正代さんはどうしたんですか!」

静子は思わず看護師に聞く。

「ええ。影浦先生が、状態が落ち着くまでしばらく入院させますって言ってました。薬物を断つにはつらいかもしれないけど、まずは、彼女に落ち着いてもらうことからだって。」

「そ、そうですか、、、。」

何だか、敗北したような気分だった。静子のところにやってくるクライエントたちは、精神科に何十年も通院しても変わらないと訴えるので、静子は、精神科というものをあまり重要視していなかったのであった。

「じゃあ、もう彼女は一般世界に戻れないんですね、、、。」

「仕方ないじゃないですか。彼女は、一般社会では許されないことをしたんですよ。違法薬物をやるっていうね。それがどんなに重い理由であってもいけないことはいけないことですから、そういうことは、そういう人を扱うひとに、餅は餅屋で任せておけばいいんですよ。」

看護師はそういうことを言うが、静子には、もう中村正代は完全に日常世界から切り離されてしまったというか、捨てられてしまったということになるような気がした。餅は餅屋で任せようと言われても、大した代わり映えはしないということを、静子は知っている。それが、病気を解決させるには何にも役に立たないことも静子は知っていた。そういう所に行かせないために、静子は活動しているようなものであったから。悔しかった。

「それにしても、あなたも不思議な人ね。自分の事を考えないで、そうやって、担当者の事ばっかり考えているんだから。あなたも、一寸休むことを考えたらどう?あなただって、ここへ運ばれてきたのよ。」

看護師に言われて静子は初めて自分が病院に運ばれたのだと思いなおす。

「じゃあ私を運んでくれたのは、誰だったんですか?」

急いで静子がそう聞くと、

「この二人よ。中村正代さんが泣いているのに気が付いてくれて、あなたを背負って連れてきてくれたのよ。」

と、看護師はベッドわきにいた二人の男性を顎で示した。静子は、初めてそこに杉ちゃんとブッチャーがいることに気が付いた。

「僕は、影山杉三で、こっちは親友の須藤聰です。杉ちゃん、ブッチャーと呼んでください。」

杉ちゃんにそういわれて、静子は、中村正代さんをどうしたのか、直ぐに聞いた。

「ええ、正代さんは、子供が自分の事を批判していると言って泣いていたので、明かに普通のひとではないなとわかりましたから、俺が精神科の影浦先生のところに連れて行きました。俺、わかるんですよ。俺の姉も、薬のせいではないですけど、似たような病気になってて、よく車が自分を監視するために家の前に止まっているとか、いってましたからね。そうなっちゃうと、誰にも留められないじゃないですか。だから、止められる影浦先生にお願いした方が良いと思いましてね。」

ブッチャーは、丁寧に静子さんに言った。

「それにしても、あの、中村正代さんが、薬やってたなんて信じられなかった。僕、見たんだよ。あのコンクールをな。あの時は必死で演奏しているようだったけど、やっぱり素人が芸能界入ると逃げ方を知らないから壊れちゃうんだな。まあ、ジュディ・ガーランドだってそうだったじゃないか。それと一緒だと思えば、大丈夫だよ。」

「そうですか。彼女が、舞台でピアノを演奏していたのを、あなたは見たことがおありだったんですか、、、。」

静子は、細い声でそういった。

「できれば、彼女がどんな演奏をしていたのか、話してもらえませんか?」

「いやあ、ご立派な演奏でした。優勝にふさわしい、堂々とした演奏だったと思う。まあ確かに彼女は、今回は一寸、悲しい人生になってしまったけど、きっとどっかで又立ち直れるんじゃないかと思います。」

杉ちゃんは、そこだけはしっかりといった。

「そうですよ。本来なら、コンクールで優勝できるくらい実力があったんですから。それができるってことは、中途半端な気持ちではできません。俺は、俺の姉を見て思うんですが、一生懸命やりすぎたからこそ、犯罪を犯したんじゃないかと思うんですね。誰かが止めてやるか、一緒に思ってくれる人が居てくれればよかったんですけど。彼女にもそれはなかったんですよ。でも、今は違います。彼女は、静子さんがいますし、俺たちも、彼女の立ち直るのを、応援できたらと思いますから!」

照れ笑いをしながらブッチャーがそういった。そのさまを見て、静子は、彼女、中村正代さんは、決して孤独ではないことを理解した。そして彼女の音楽は、そうすることができると思いなおした。





  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

ガーランド、花輪 増田朋美 @masubuchi4996

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る