第七章 精霊祭の道しるべ

第28話 精霊祭の道しるべ



 大人は汚い。

 いや、汚い大人は結構いると言った方が正しいか。


 抜け道やズルばかりを考える奴は、たとえ成功したとしても中身の無い仮初めの実績しか作れない。私が求めているのは、命を削って作られた魂を揺さぶる本物だ。


 システィにそう言ったら、『ロズも成功するまでズルしますよ』と言い返された。あいつは返しが上手いが冷静すぎる。私は子供だからいいんだ。



 かつて私を牢屋に閉じ込めた事については、もう恨んではいない。だが、それを忘れたかのようにぬけぬけと顔を出す態度は気に食わない。


 道徳はシスティが説明する。

 私からは命を削った本物というものを教えてやるよ。


 もちろん……肉体言語でな!



―ロズ・ニール・●●●・●●●●●●―



 学園の書庫。


 精霊祭の日にも関わらずいつも通り床に座り、憑りつかれたよに本を読む獣。ドアが風でギィと鳴って開き、差し込む光の量が増える。


 銀のサイドテールがふわりと揺れた。

 システィは一冊読み終え、本を閉じた。



 天井を見上げて目を瞑り、早速その内容を回想する。読んでいたのは、死地を掻い潜ったとある老兵の自伝だ。人生とは何かを迷い続けた、苦悩の記録が残されていた。



「……最高ですか」


 最近は無意識に独り言が出てしまう。


 いつもロズが昼寝をしている場所も、少し前からは埃を被ったままだ。だが精霊祭で忙しいのはロズだけではなく、他の生徒達も同じ。そんな学園の風景も日常になりつつあった。



 『本の獣が精霊祭を牛耳った』という噂は、流石に面倒だった。実務的な話が何故かシスティに寄せられ、そこから実行委員会に流れる。誰に話せばいいのかとなった時、平民から貴族には直接話し辛いのだ。


 その結果、システィは何だかんだで実行委員会にこき使われていた。大聖堂の祭事が忙しくなって学園が静かになった今、ようやく本に手を付ける事ができていた。



「文字が頭に入るとエナジーが回復します」


 システィは再びボソりと呟いた。


 ロズの寝床には誰もおらず、虚しさだけが残る。夜通し本を読んでいたせいで頭がハイになっているのかもしれない。外の光も眩しくて、書庫から出るのも億劫だ。



 今は朝。港では精霊祭のメインの祭事が始まっている頃だろう。


 港の広場にて祝辞があげられ、海と空に供物を掲げる。そのまま司祭が島民達を引き連れて大聖堂に参拝し、神に祈りを捧げる。祈った後は学園なり商店なりで祭りを楽しむ。これに観光客も混じるため人の密度はもの凄い。



 そんな島の一大行事に参加する事に、システィは躊躇いを覚えていた。よく分からない伝統よりも本を読んでいたいのだ。


 だが最近、それが駄目な気がしていた。好きな事ばかりで閉じ籠っていては、自分も世界は変わらない。このままでは独り言人間になってしまう。そろそろ第一歩を踏み出す時だと。



 ソワソワとして落ち着かない。


 カランカランと大聖堂の鐘が鳴り響く。

 港から人々がやって来る合図だ。



 ほら行くぞと、見えない誰かに手を引かれた気がした。



「……私、夜行性なんですよ」


 システィは、やっと書庫を出た。



◆ ◆ ◆



 修道院島の人々は皆、心の支えである大聖堂に感謝して生活している。それは島を潤してくれるだけではなく、長きに渡って島の侵略がされなかったという神の加護を感じていたのだ。


 宗教の盾というよりも、この島自体が失ってはならない遺産。奪い合ってはならない不可侵領域。各国ではそんな扱いをしていた。



 精霊祭はそんな大聖堂にお礼をするお祭り。

 だが……観光客らしき人が多い。



(歩き辛い……)


 港の広場から大聖堂へ人が流れたはずなのに、広場には沢山の人がいる。宝の地図の時のように荒れてはいないが、島が沈むんじゃないかと思うほどだ。


 原因は恐らく……視界の先にある、グレルドール王家の印が刻まれたあの船。


 メクセス王が来た時と同じだ。前回の教訓を経たのか、武器を持った警備兵達がずらりと並んでいる。ミルクリフトは誰が来るかを教えてくれなかったが、要人なのは間違いない。



(珍しいお祭りでは無いんですが)


 メクセス王が島を絶賛したという記事は本当だったらしい。システィは溜め息を吐き、辺りを見渡した。



 おごそかなお祭りとはいえ、路上にはそれなりに露店が建ち並ぶ。この商機を逃すまいと便乗した商人達は多く、賑やかな声を上げている。


 システィは焼きたての牡蠣を買い、石垣に腰掛けて食べ始めた。塩加減が丁度良く、プリプリとして美味しい。こういうのも悪くない。



「――あら……貴女もしかして……」

「もぐもぐ……む……?」


 灰色のローブを着た美しい女性が、システィの目の前で立ち止まった。



 驚いた様子で、システィをじっと見つめている。


 女性はフードを被っていた。長い黒髪がローブの前から出ており、豪華な髪留めで一つに結ばれている。手入れ具合を見る限り、貴族と言われても違和感はない程に艶がある。


 そして、急に嬉しそうに微笑んだ。



「ふふ。貴女、この島に詳しい方?」

「は、はい。住んでますけど……」

「そう、丁度良かったわ。ちょっと困った事があるんだけど、助けてくれないかしら?」


 そう言って、ニヤリと笑った。

 ……どこか既視感を覚える笑顔だ。



「どうされました?」

「実は私、あの船にこっそり乗せてもらってこの島に来たの。人を探してるんだけど、よかったら手伝ってくれないかしら?」


 女性は後ろを振り返った。

 その視線の先には――王家の船。



「ね?」

「…………」


 システィは牡蠣の殻に残った汁を真顔で飲み干し、何も考えない事にした。



◆ ◆ ◆



「――人間というのは、思い出す事に対してノスタルジーな快感を覚える。だから、人生が名残惜しくなって死ねない。いつ死んでもいいって話す大人がいざ歳を重ねると死にたくなくなるのは、それが原因だ」


 ロズは演劇会の後輩達に対して、熱い人生論を伝えていた。


 準備は滞りなし。舞台設備に大道具、全てを一致団結してここまで完成させた。後は幕が上がる時を待つのみ。最後に必要なのは心構えだけだ。



「例えば、マグロが食べたいって時があるだろ。あれは口にした時に舌で感じる旨味を、脳が記憶しているからだ。じゃあこれを演劇に当てはめるとどうなる。分かるか、助演のノーザン?」

「マグロを演じます」

「違う!! 全然違う!!!」


 ノーザンはすっかり演劇会に巻き込まれていた。会員とも何度も練習をこなしてきて本人も調子づいていた。


 だが、祭りの期間内に与えられた公演の場はたったの1回だけ。

 本番一発勝負にロズは全てを賭けていた。



「ノーザンの世間知らずっぷりを見ていると、昔のシスティを思い出すな」

「そんなに酷かったんですか?」

「自覚あるのかお前……」


 ロズはふと昔を思い出した。


 初めてシスティと出会った時、システィは一瞬で自分の正体を見抜いた。ボロを出したつもりは一切無かった。あの時は王族の刺客かと思ったぐらいだ。


 何者なんだと興味が湧いて会話をしてみたら、まさかの亡国のお姫様。それなのに、日常会話すらまともに出来ない。人と話すのが苦手だと言って、本に貪りついていた。いつもずーっと本を読むだけだ。



 『本は人の心を動かしますよ!』まるで子供のようにそうに話していた。その時読んでいたのは『砦の修繕技術について』。システィの食指が一体どこに動いたのかは分からない。


 懐かしい記憶に、ロズはふっと笑った。



「……大衆を動かすには文字よりも言葉の方が強いんだよ。それを私達が証明してやる」

「ん、ロズさん何か言いました?」

「何でもない」


 その時、大聖堂の鐘が大講堂に届いた。

 ロズは大講堂の外を見た。


 いつもよりも空気が騒がしい。

 人々の賑やかな声が、祭りの始まりを告げている。



 ロズは目を閉じた。


 王族だろう何だろうと関係ない。観客め、せいぜい自分の演技の素晴らしさに見惚れるといい。何なら壇上で脱いでやる。システィはドン引きだろう。



(完全に変質者ですよそれ……だろうな)


 システィがそこにいるかのように会話が想像できる。ここまで仲良くなると、毎日が楽しくて仕方がない。


 ロズは目を開いて会員達を見回した。



「――よし。私達の出番はまだ先だ。一旦解散するが、昼食を食べたらここに戻ってこい。いいな、絶対に遅刻するなよ」

「まさか! 遅刻なんてしませんよ!」

「ははっ、そんなまさか!!」

「……お前ら本当に頼むぞ」


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