第16話 その奇術師はどこにいる



 システィは近くにあった窓に肘を付き、遠い眼で外を眺めた。


「……今日は良い天気ですねぇ」

「現実を見ろよシスティ、婆さんだぞ?」

「贅沢のし過ぎで老けたんですよ」

「無理があるだろう!」


 中庭でティータイムを楽しんでいたのは、見慣れない老婆達。


 システィは正直、この問題に関わっても碌な事にはならないような気がしていた。どう考えてもおかしいが、嫌な予感しかしない。なので、あえて老婆を見なかった事にする。


 だが、ロズの興味は増していた。



「いやはや……何という事だ! 今度はこの修道院の時間が進んでいるのか!?」

「思い出したかのように演技しますね」

「ほら、解いてみろよシスティ!」

「解けって言っても、この状況は……」


 システィは周囲を見渡した。



 ここは修道院宿舎、中庭の隣にある廊下だ。休日のため貴族が暇潰しをしている……と思ったが、やはり生徒の数は少ない。例の大聖堂の祭事に駆り出されているのか、それとも部屋でぐうたらとしているのか。


 たまに歩いている僅かな生徒も、やはり老けている。すれ違った貴族も、自分達と同年代とはまるで思えない。



「……一体何なんですか、この状況は」

「本の獣でも、超常現象にはお手上げか」

「だって、あり得ないですよ!」


 中庭の老婆達は、先程からシスティの顔を見つめていた。あのねっとりとした視線からは、不気味という言葉しか浮かばない。


 しかも、システィにはそれが昨日と同じ視線のように映っていた。あちらが不審者のはずなのに、まるで自分たちの方が異物のように思えてくる。



「じゃあ、そうだな……。あそこの背の高い筋肉質な大男、どう見ても学園の生徒じゃないだろう?」

「せ、背の高い生徒ぐらいいますよ。例の騎士になりたがっていた演劇会の後輩さんだって、あれぐらいの身長でした」

「待てよ……あいつ、後輩じゃないか?」

「え、えぇっ!!?」


 ロズはそう言って、駆け足でその男の元へと向かって行った。そして肩を叩いて話し掛けた。


 その生徒の顔を見て、ロズは固まった。

 信じられないといった表情だ。



(確かに、面影はありますが……)


 大男の方もロズの登場に驚いていたが、すぐに笑顔に変わった。すると、ロズはどこか安心した様子で再び後輩の肩を叩き、苦笑いで手を振って戻ってきた。


 だが、ロズの表情は優れないままだ。

 愛想笑いだったらしい。



「まさかの後輩だった……」

「冗談でしょう……」

「冗談ならどれだけ良かったか。後輩が加齢臭の漂うおっさんになってんだぞ。あのおっさんに先輩と呼ばれた私の気持ちを想像してみろよ」

「逆に申し訳ない気持ちになりますね」


 ロズは肩を落とした。

 流石にショックを受けたようだ。



「このままだと演劇会は終わりだ!」

「大丈夫ですよ。私もロズも、明日にはお婆ちゃんになっていますから」

「やめてくれよシスティ! 私は若さを謳歌したいんだ、こんな意味不明な状況で婆さんになるぐらいなら、書庫で読書してる方がまだマシだ!」

「お、やりますか?」

「やる場合じゃない! 何ってこった!」


 ロズは両手で頭を抑えながら天井を見上げた。老人だらけの穏やかな景色のせいなのか、逆にロズの方が浮いている。



「もしかして、生徒の数が少ないのも……老衰で逝っちまったからなのか?」

「ち、ちょっとやめて下さいよロズ! 仮にそんな事態が現実で起きているなら、先生方が何かしら危険を知らせるでしょう?」

「確かに……そうだ、先生に聞いてみるか」

「あ、そうしましょうか」



◆ ◆ ◆



 システィ達がネグリ学部長に会えたのは、昼前になってからだった。



「は? 時間が進む?」

「そう! 本から生まれたこの堅物は信じていませんが、間違いありません!」


 ロズは身振り手振りでその現象を説明する。

 学部長は目を丸くして聞いていた。


 それはそうだろう。


 生徒達の急な老化現象や、豪華になっていく食堂。システィは話を聞きながら、いつか本で見たような内容だと昔を思い返していた。



(確か……奇術の指南書でしたか)


 読んだのは、牢獄にいた時だ。


 いつも本を持って来る夜番の兵士が、何も無い空間から突然、本を出してみせた。『この本に書いてある魔法をやったんだ』その言葉が脳裏に焼き付いている。


 しかし実際には、その奇術書は魔法という空想上の技術では無い。書かれていたのは、あくまでも現実にあるものを変化したと見せかけるマジックのやり方だ。この手の奇術を権力に利用されては敵わない、そんな理由で今は禁書となっていたはずだ。



 卵が鳩に化ける。

 子供が老人に化ける。


 やはり、魔法なんてあり得ない。



「――分かりますか先生!?」

「あぁ、時間が進むとはそういう意味か」

「……え?」


 ロズの思っていた反応とは違ったようだ。ネグリ学部長は普段と変わらない様子で落ち着いている。そして少し頭を捻らせ、『どうしたものかな』とつぶやいた。



「システィ・ラ・エスメラルダ。君はこの状況をどこまで把握している?」

「ロズと同程度ですが」

「……そうか。ではロズ君を任せる。今回は君達へのがあってな。から安心してくれ。すまんがこれで」

「――――あぁ、分かりました」

「ふ、君の頭脳は時に羨ましく思う」


 ネグリ学部長はそう言うと、机に積まれた書類を整理し始めた。



「ロズ、行きましょう」

「おいシスティ」


 システィはロズの手を引き、一礼して学部長室を出る。



「……『君の頭脳は時に羨ましく思う』いつか言われてみたい台詞だよ。まるで隣にいた私がアホみたいじゃないか。私の行動力も褒めてくれたっていいだろうに」

「ロズの行動力は羨ましいですよ」

「お前に言われるのは何か違う。もっとこう、人生の先輩方に慕われたいんだ」


 ロズのこういう所は面白い。システィは何も返事をしないままふふっと笑い、大きく伸びをして深呼吸した。



「ん~……さて、作業に戻りますかぁ」

「おい待てシスティ」

「何ですか?」

「解いたんだろう? ちゃんと教えてくれ」


 ロズは早く知りたいとシスティの肩を掴んだ。じっと正面から見つめるロズの目から、システィは目を背ける。



「知りたいですか?」

「知りたい」

「……とある奇術を仕掛けた人物がいるんですよ。まるで魔法のように、この学園の生徒達を老化させました」

「何!? その奇術師はどこにいる!?」

「あ、嘘ですよグェッ!!」

「まったく……書庫に行くぞ」


 ロズはだらりとしたシスティを抱え、静かな学園を歩き出した。



 ◆ ◆ ◆



『今回は君達への守秘義務があってな。貴族に不審者はいないから安心してくれ』


 ネグリ学部長の言葉には意図が隠されていた。



「まず、学園側は状況を把握しています。不審者という言葉は、外部からの怪しい人間を意味しています。それがいないという点を考えると、既に学園側は何らかの異変を感知しており、しかもその内容を確認済みだという事です」


 加えて、その来訪者の中に妙な真似を企てている者はいない。



「考えてみれば、あのお婆さん達が危険人物だったらあんなに優雅に過ごしませんよ。各国の貴族のご子息に何かあったら大変です」

「つまり、老化じゃなくて別人なのか?」

「はい。別人です」

「はぁー!?」


 時間は進んでなかったのだ。



「でも、あの後輩は本当に似ていたぞ?」

「似ている誰かなんですよ。もしくは、後輩さんのご親族とか」

「何の意味があるんだよ、それ」

「多分、これが例の大聖堂の祭事ですよ。『君達への守秘義務』というやつでしょう。何故そんな真似をしているのかという理由も含めて、私達は知る事が出来ない」


 システィやロズには、情報が遮断されていた。何らかの緘口令かんこうれいが敷かれていたのだ。


 だが、ネグリ学部長はシスティが予想できるように伝えてくれた。ロズが暴走しないように手綱を握っておけというメッセージを込めて。


 ――ロズの出自に関係する人物がいる可能性がある、という事だ。



「そんな馬鹿な……私は、見ず知らずのおっさんから先輩と呼ばれていたのか」

「人生の先輩に慕われてますね」

「いいや、心の中では笑っていたはずだ」

「ふふ、相手もさぞ困惑したでしょうね」


 変装した貴族達は、生徒になりきるように指示されていたのかもしれない。



「じゃあ、食堂が綺麗になっていたのはどういう理由だ?」

「んー……確証がありませんが、これも祭事と関係があるんでしょう。綺麗になっているという事は現地調査や状況確認、他国の上級貴族の視察とかでしょうか」

「はー、なるほどなぁ。結局は、これも大人達の隠し事って訳かよ」

「まぁ、よく分かりませんよ」


 むしろ、食堂以外にも関係する場所がありそうだ。



「でも、なぜわざわざ平民に隠すんだ? 今日は休日で学生が少ないからまだいいが、明日から普通に授業だぞ。貴族の爺さん婆さんが授業に出てきたらどうするんだ?」

「そうですよねぇ」


 ロズの他にも異変に気付いた生徒がいるだろう。混乱させるぐらいなら、事前に一言教えてくれてもいいはずだ。



 しかしこの状態、どこかで見覚えがあるような……。


 システィは書庫の天井を眺め、再び記憶の引出しを探り始めた。



 あれも確か、牢獄で読んだ本の中だ。


 各国の伝統を伝える本の中で、『変革入信』と呼ばれる変わった祭事があった。何らかの儀式の際に、未婚の当事者が神に許可を貰うために行われるものだったはずだ。


 その祭事を行う関係者は、その当事者以外は年上でなければならないという制約があった。この当事者というのは、確か重要な役を担っていたはず。


 それに、何か大切な事が抜けているような――。



(……んー、何でしたっけ?)


 思い出せない。



「……まぁ、ギリギリまで隠したかったのでしょう。祭事の為の休日は2日間だけですし、多分大丈夫ですよ。問題が起きたら、先生方から連絡が来ますから」

「気にしても仕方無いか。演劇会がお終いじゃなかっただけ良かったよ」

「出会った皆さんは演技派でしたね?」

「よしてくれ、若者の肩身が狭い」


 ロズはそう言って、木箱を並べて寝床を作り出した。書庫には膝掛けが重ねて置かれており、もはやロズの昼寝場所となっている。


 両手を頭の後ろに回し、横になった。



「――そういえば今朝、港の方にえらく豪華な客船が停まっていたな。懐かしのグレルドール王家の紋章が記されていたよ。護衛騎士らしき奴らが物々しい雰囲気で出て来たんだが、気のせいだよな」

「そ、それはまさかですね!!」

「まさかな、はは!」


 ロズの出自に関係する人物……。

 システィの脳裏に、ロズの奇運が浮かんだ。


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