第15話 時間が進んだ場所
『あいつだけ時間が進んでいる』
そう言い切ったロズは、ドヤ顔で食堂の角に座る男子生徒を見ていた。何を根拠にしたのかは分からないが、確信に満ちた表情だ。
だが、システィは状況を冷静に捉えていた。
「なるほど……まーた妙な発想を出してきましたね」
「おいおい、目の前にある事実だぞ」
常識を無視したロズらしい着眼点だ。
「別人ではないんですか?」
「違うな……まず、あそこはこの食堂の中で最も景色の良い人気席なんだ。なのに、あいつはいつもそこに陣取っていて私の邪魔をする。見間違える訳が無い。それに、あいつの制服の背中に生地を縫い合わせた跡があるだろう? あれは、私が転んで破いた跡だ」
「何やってんですかロズ……」
システィは再びその男子生徒を見た。その丸まった背中には、確かに黒い生地が張ってある跡のようなものが見える。
「……あいつは昨日もあの席に座っていたんだ。その時はヒゲなんて生えて無かったし、あんな立派なほうれい線なんて無かった。それが、たった1日でおっさんに化けているんだぞ」
「顔を見たんですか?」
「声を掛けたんだよ。立派な髭だなぁって」
「なんという行動力」
だが、男子生徒はロズを一瞥しただけで、再びペンを走らせる作業に戻った。返事も無いまま、ロズを完全に無視をしたのだ。
「どう考えてもおかしいだろう? あれは、老化が進んでボケたに違いない」
「んー……やっぱり、見間違いじゃないんですかねぇ」
「それは無いな。ないない」
ロズは鋭い目で微笑んでいる。
システィは顎に手を当て、頭を巡らす。
「では――実はただの付け髭で、ほうれい線は化粧を施したもの。ロズの事は単に無視をしただけ。実は陰ながら演劇に興味があって、休日の趣味として老人の真似をしていた」
「…………」
ロズはむぅと考え始めた。
「そう言われると、そんな気もしてくるじゃないか。私も役に入り込む時は、生活の一部で演技の練習をしてたし……あの髭を引っ張ってくる」
「ええぇ!? ちょ、ちょっとロズ!」
ロズは制止するシスティを振り切り、ずんずんと男子生徒の元へと歩いて行った。
システィは両手を顔に当て、指の間からその様子を見ていた。早速話しかけている。この行動力を世の中の為に活かせないのか。まさか、あろうことか髭を……と思いきや、にこやかに話していた。
あの手振りからすると、それは付け髭かと尋ねたようだ。男子生徒は自らその髭を引っ張り、皮膚も引っ張られているという事をアピールしている。
ロズは男子生徒にありがとうと手を振り、戻って来た。
「髭は本物だった。本人だそうだ」
「そ、そうですか……ロズの心臓には毛が生えてますね」
「褒めても何も出ないぞ。しかし、あの席取り小僧だった頃とは違って随分と大人びた口調だったよ。演劇の練習をしている訳でも無かった。だけど、私の事はやっぱり覚えていなかったぞ。こんな事が現実であり得るのか?」
ロズは興奮気味した様子で両手をわきわきとさせた。
だが、システィは未だに半信半疑だった。こういう時のロズは早とちりというか、思い込んだら一直線なフシがある。特定なものだけが時間が進むなんて、あり得ないのだ。
どう説得したものかとシスティが考えていたら、ロズが周囲を見回し始めた。
「おいシスティ……大変だ、私は気付いてしまった。この食堂も昨日とは違う!」
「ん、どういう事です?」
「ほら、周りをよく見てみろ!」
システィは辺りを見渡した。
木目の床と壁と天井、それに家具一式。普段この食堂に訪れないせいか、何が違うのかが把握できない。
「私、食堂で食事を取ることがなくて」
「……あぁ、そうだったか。この机と椅子はな、こんなに綺麗じゃなかったんだよ。それにほら、あそこの壁に絵が掛かっているだろう? あれはもっと貧相な農民の絵だった。それがどうだ、今日は立派な騎士の絵が飾られている。というか、この絨毯も色が違うな」
「えぇ……?」
システィは足元の絨毯に触れた。確かに、汚れのない新しい物のようだ。壁に飾られている絵の額縁もきらきらと光を反射していて、真新しさを感じる。
「内装の入替え時期だったんですかね?」
「ん-、なくはないな。でも……やはり、この食堂だけ時間が進んだんだよ。その影響で家具がアンティーク化したってのはどうだ?」
「時間が進むと絵が変わるんですか?」
「そう。絨毯も鼻血で赤く染まったんだ」
「鼻血がこんなにも……ホラーすぎますよ」
絨毯は入口から向かいの壁まで綺麗に敷かれている。きっと、夜な夜な苦しみながら四つん這いになってポタポタと染め上げた――。
「――ち、ちなみに、あの髭の男性は何歳ぐらいだったんですか?」
「ぱっと見だと50代ぐらい」
「50!?」
「そうだよ。明日にはもうヨボヨボだぞ」
「うわ……こうしている間にも老化が」
「あいつ、今日は棺桶で寝た方がいいな」
これが、食堂の時間が進んでしまう怪奇現象……平和な島のこれまた平和な学園で、そんな呪いのような恐ろしい事件が――。
「――――いや、無理がありますって」
システィは付き合うのを止めて、冷静にツッコんだ。
「どうかな。想像できるものは全て実現できるものだ。きっと未来では人が空を飛ぶし、海の深くにまで潜る。あの髭男爵は未来に生きているんだよ。明日には、髭の色が変わって宙に浮く」
「ふふ、それはそれで面白そうですが」
「だろう? つまり、私達は時間が進んだ世界に入った。まさに夢のようだ!」
ロズの目が爛々と輝く。
こういうロマンが好きなのだ。
「明日、もう一度確認してみましょうか」
システィは『まさに夢ですよ』という発言を控えた。明日もこの状態で変わっていなかったら、ロズも別人だと納得するだろう。なぜあの人物が別人が扮しているのかは分からないが、ロズの興味は薄れるはずだ。
そう思っていた――。
◆ ◆ ◆
翌日。
学園は本日も休校日だった。
大聖堂側で行われる祭事が忙しいらしく、その余波が学園にも及んでいた。教員や生徒の一部はそれにかかりっきりになるため、2日間の急な連休が生まれていたのだ。
そのため、休日の学園にいる生徒は少ない。何らかの会に属する生徒か、修道院で寝泊まりしている貴族か、もしくはただ真面目な者だけだ。人の少ない学園は多くの窓が開かれ、風通しの良い空間となっていた。
そんな中、システィとロズは今日も食堂を訪れていた。
午前中の早い時間だ。
「……あれぇ?」
ロズは首を傾げた。
食堂の角の特等席には、昨日と同じ髭男爵が座っていた。それも、昨日と同じようにペンを走らせて。
時間の変化は起きなかったのだ。
「やはり、見間違いでしたね」
「まさか本当に別人なのか……いや、それなら何であんなおっさんが学園に?」
「元からおっさ……老けてたんですよ」
「おっさんって、失礼な奴だな」
「ロズですよロズ!」
ロズは椅子から立ち上がり、『ん~』と大きく伸びをした。そしてふぅと溜息を吐き、同時に気が抜ける。
「しかし、本当に見間違いとはな……興が醒めたよ。システィ、どうする?」
「私は書庫での作業に戻ります。先に修道院に寄ってからになりますけど」
すると、ロズの目に色が灯った。
「お、貴族達の根城か? 休日の彼らには興味があるな。我々とは違って、貴族様は一体どんな贅沢をしているのか。その辺で蠢いてる虫を捕まえて、手土産に持って行ってやろう」
「……問題は起こさないで下さいよ?」
「分かってるよ」
修道院内の宿舎は、特別な用事でもなければ平民は通る事が出来ない。システィは半ば書庫の管理を任されていたため、書庫と宿舎が近くにあるという立地から、連絡などの雑用を頼まれる役となっていた。
システィとロズは食堂を出て、修道院へと向かった。
学園内に生徒は見当たらない。
廊下は涼しい風だけが通り抜ける。
「ふわぁ……ふぅ。戻ったら仮眠するかな、この季節は眠たくて仕方が無い」
「穏やかですねぇ。演劇会は?」
「休みだよ。例のアレだよ、アレ」
「あぁ……大聖堂の祭事でしたっけ」
『臨時で執り行われる祭事、しかも身内だけ』という、よく分からないものだ。
こういった秘密裏に行われる時は、あまり関わるべきではないのが常だ。司教が病に伏せてしまったり、内部のゴタゴタの処理であったり。システィの経験上、『知ったならお前も手伝え』と言われる類なのだ。
システィとロズは修道院宿舎の廊下に入った。人が少ないとはいえ、暇を持て余している貴族は相変わらずちらほらといる。
美しい中庭に置かれたテーブルには菓子が並んでおり、
――システィは、そこで足を止めた。
「ぶへっ! き、急に止まるなよ!」
「ロズ」
「なんだよ、どうしたんだ?」
システィはボーッと一点を見つめていた。その背中にぶつかったロズは、システィの視線の先、中庭のテーブルの方へと目を向ける。
優美な中庭のテーブルは、まさに特等席と言っていい場所だ。休日にもなると、必ずといっていいほど貴族の女生徒達がお茶を嗜んでいた。
「あんな婆さんみたいな生徒、いたか?」
そこに座っていたのは、3人の老婆だ。生徒の服装をした白髪混じりの貴族。髪は上品に結ってあり、貴族であることを思わせるような装飾品もじゃらりと身に着けている。
昨日あの席にいた時は、間違いなく
システィは、非現実を目の当たりにしていた。
「ロズ。あの食堂にいた髭男爵は、確かに若い学生だったんですよね?」
「あぁ……おい、まさか……」
時間が進んだ。
今度は食堂ではなく、修道院が。
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