第17話 変革入信
翌朝。
「な、何ですかこの人だかり……」
見渡す限りの人、人、人。
学園に至る道には、とんでもない人混みができていた。学生もいるが、大半はそうではない。老若男女、あらゆる人々が道路を埋め尽くしている。
システィはいつもと同じように学園に来ていた。だが、あまりにも人が多すぎて学園の入口まで辿り着く事が出来ない。これ以上進むと身動きが取れなくなりそうだ。
どうしたものかと考えていると、後ろから肩をポンと叩かれた。振り向くと、どんよりと暗い表情をしたロズがいた。
「ど、どうしたんですか?」
「昨日、夢に悪魔が出たんだよ……」
「それは……どうでもいいかもしれません」
ロズはシスティの肩に手を回す。
「恐ろしい姿だった。2本の黒い角に赤い眼。その悪魔に耳元で囁かれたんだよ」
「何と囁かれたんです?」
「健全に生きろって」
「それ多分、天使ですよ」
ロズは深い溜息を吐いた。
システィはそのまま背後に目をやる。いつの間にか人が増えていたようだ。後ろにも生徒や観光客の人が溢れている。挟まれてしまった。これでは戻るのも大変だろう。
「馬鹿! 私にとっては悪魔だぞ。『働かずに一生遊んで暮らせばいいじゃない』これが天使だ。どっちが天国か地獄かなんて、一目瞭然だろう!」
「いえ、普通は働きますよ」
「お前も悪魔か」
「それよりもこの人混み、何か聞いてます?」
人々が学園の方角を向いているのは分かる。まさか、例の祭事だろうか。
「……どうやら、大聖堂で儀式を行うのはグレルドールの第一王子様らしくてな。この国の王が変わるんだとさ。世にも珍しい、国王陛下の早期退職だよ」
「ほう?」
「夢に悪魔が出るわけだよ、まったく」
ロズはシスティの肩に手を回したまま、がくりと項垂れた。
ロズはかつて、グレルドール王家の問題に巻き込まれて牢獄に囚われていた。
王家とは深い因縁があるのだ。関わっても良い思いはしないだろう。ネグリ学部長がロズを頼むと言った理由は、やはりこれだったようだ。
「……ロズ、今日は遊びましょうか」
「お、珍しいな。どうした?」
「人混みで死にそうです。学園には入れませんし、他の生徒達も同じでしょう」
「じゃあ魚が食べたいな。市場で余ったものを買って、景色の良い場所で食おう」
「ふふ、そうですね。景色のいい場所で――」
『――――あの席は食堂でも景色の良い人気席なんだ』
…………。
そうだ、引っ掛かっていたのはこれだ。
ネグリ学部長は貴族に不審者はいないと言っていた。把握しているのは貴族だ。出なければ、わざわざ『貴族に』だなんて発言をしない。
ではなぜ、
貴族が変装し、隠れて警備しているのか、それとも別の問題が――。
まさか――――グレルドール王家。
システィは顔を上げ、前の人混みを見た。
これが杞憂ならばいい。
「……システィ?」
「ロズ、すみません。急にこの人混みをズバッと突き抜けたくなってきました」
ロズはこの展開が分かっていたのかもしれない。
嬉しそうに、ニィっと笑っていた。
「ふふ、仕方のない奴め。よーし、私が付き合ってやるよ。渋々だぞ?」
◆ ◆ ◆
それは、非常に面倒な伝統だった。
戴冠の儀というのは本来、グレルドール王城内で執り行われる。だが今回の場合は特別だ。次期王であるメクセス・フィン・グレルドール第一王子は、まだ未婚であった。
そのため、歴史のある修道院での変革入信という形で神の許しを請い、その上で戴冠の儀に移る必要があったのだ。
わざわざ他国の貴族や平民でにぎわう危険な場所だ。そのため、そこに王族がやって来る事はギリギリまで伏せられた。修学院島の島民たちがその状況に気が付いたのは、港に王家専用の船が着いてからだった。
「ふぅ……これで最後か」
「大変お疲れでしょう、殿下」
「まったくだ、お前もご苦労であった」
「実は、まだ最後ではありません」
「…………」
『これも伝統です』という言葉を、文官達は当たり前のように使う。
この変革入信というのは、滅多に行われない儀式だった。そして、それ自体が国王が変わるという知らせそのものだ。関係者は事を慎重に運ぶために、自分達が信用できる部下だけを儀式に充て込む手法を取っていた。
その結果、学園に通う自国の貴族や騎士の親族、それに教員達。つまり、平民以外のあらゆる関係者が配置されていた。
「次は何を祈願するのだ?」
「今度は司教から祈りを捧げて頂きます。設営に時間が掛かりますので、先についでの視察を済ませておいて下さい」
「……本来の目的は視察のはずだが」
「殿下、これも伝統ですから」
文官の笑顔が鬱陶しい。メクセスは深い溜息を吐いて、大聖堂から修道院へと向かう扉を開いた。
そこで待っていた学園長が、深く一礼した。
そして、学園の案内を始めた。
「こちらは宿舎となります」
「随分と荘厳な装飾だな」
「先人のお陰です。我々はこの宝物を、維持管理しておるだけでございます」
メクセスは絢爛豪華な宿舎に驚き、足を止めた。修道院の宿舎というのは、もっと質素で厳かであるはずだ。こんな豪勢な絵画が飾られるような場所ではない。
修行の場としては如何なものか。手入れの行き届いた中庭では、制服姿の老婆達がこちらに向かって礼をしていた。
「……学園長、あのご婦人方はグレルドール城でも見覚えがあるのだが」
「あちらは王都にお住いの伯爵家の方々です。これも伝統のため、目を瞑って頂ければと」
「便利な言葉だな、まったく」
あの淑女達が本当に儀式に対して協力的なのかは判断が付かない。世にも珍しい儀式を見に来たのか、新王の姿を見に来たのか、単なる観光ついでにいるだけなのか。
宿舎を抜け、付属学園側の扉の前に立つ。
「殿下、ここから先には平民がおります。護衛はおりますが、慎重に進んで下さい」
「構わない。これも伝統だろう?」
「ほっほっほ。口癖になりそうですな」
学園長は扉を開いた。
「「――うおおおおおおお!!」」
「メクセス殿下ーー!!!」
学園に入った瞬間、空気が震えるほどの歓声が入り口側から響き出した。
それは学園内からではなく、外からだ。
「おい、これは……!」
学園の門は閉じている。生徒達しか入る事が出来ず、一般島民は堀の外だ。それなのに、こちらを覗き見ている人の数は相当いる。
「王家の船で気付いたのです。殿下の人気は、他国の王家に類を見ません」
「……大した実績も無いんだが」
「滅相も無い! ここにいる全ての者が、殿下の政策に感謝しておるのです」
そう言われても、当たり前の事をやっただけ。メクセスはそう思ったが、口には出さなかった。堀の上にひょっこりと顔が出ていた子供に手を振ると、再び大きな歓声が上がった。少しだけ照れくさい。
廊下に振り向くと、学生達が頭を下げて道を作っていた。これもかなりの人数だ。廊下の突き当たりまで続いている。
「やりすぎだ、学園長」
「……これも伝統で」
「早く済ませる、邪魔をしたくはない」
「では、ご案内致します」
メクセスは護衛兵に挟まれ、学園長の後に続く。
ここは修道院とは打って変わって、歴史を感じさせる内装だ。古い割に大切に使われているようで、こちらの方が落ち着きを感じる。
食堂に飾られている絵は食堂らしからぬ優美さがあるが、家具も絨毯も綺麗に手入れされている。それに、景色も良い。
自分も違う人生に生きていたら、ここに居たのだろうか。
穏やかな日常が、羨ましい。
メクセスは、心からそう思っていた。
「……俺もここで学びたかったな」
「勿体ないお言葉です」
「本音だ。生徒達の未来を頼むぞ」
「勿論でございます。では続いてこちらへ」
空気すらも美味しい。
中々、いい気分転換になる。
そう思っていた――その時だった。
突如、生徒の一人が列から勢いよく飛び出した。
それは護衛の死角だった。ギリギリまで気付かれないように音を殺し、護衛達の一瞬の隙をついて抜け出した。
手には鋭いナイフを握り――。
真っ直ぐにメクセスに向かって――!!
「――メクセエエエエェごふっっ!!!」
だが生徒は突如、床に叩きつけられた。
何者かによる、背後からの攻撃によって。
「――おぉっと! 黙ってろよ髭男爵?」
突然現れた2つの声に、護衛兵はすぐさま振り向いて武器を構えた。
その声の方角には、髭を生やした生徒が取り押さえられている姿があった。しかも、抑えているのは黒髪の女生徒だ。
男子生徒をうつ伏せにして、両手を完全にロックしている。その手には、毒の
「いやぁ、大人の口から出る『大丈夫』って言葉ほど信用できないものは無いな。システィの心配って言葉の方がよっぽど現実的だよ」
「き、貴様! 何者だ!?」
「私よりもこいつに言えよ、護衛兵」
「……っ、糞がああああああぁっ!!!」
「おいじっとしてろ、髭を全部抜くぞ」
どんな技術で押さえられているのか、襲撃犯は全く身動きがとれなかった。周囲にいた生徒達は突然の事態に驚き、円を描くようにして事件の中心から離れていく。
メクセスは目を丸くしていた。先程までの穏やかだった感情が、急に緊張感のある現実へと変貌を遂げている。
学園長に至っては、大量の汗が背中から噴き出ていた。目の前には王子を狙った襲撃犯に、それを取り押さているのは学園きっての問題児。この状況は、どう考えても自分の責任だ。
「武器ってのは体の延長だ。お前は体術がなってないな。私ならそれを投擲する」
「おいお前! 何者だ!!?」
「うるさいぞ護衛兵。あぁ学園長、黙っておいてくれよ?」
その言葉で、メクセスは学園長に振り向いた。学園長は目を泳がせたまま、わなわなとして口を噤んでいる。
そして今度は、取り押さえている女生徒に振り返った。初めて会うはずだが……メクセスは、どこかで見た記憶がある気がした。
「すまないが、名は何という?」
「殿下よ、この状況でそれを聞くのか?」
「……おい、その髭の男を捕えろ!」
メクセスの命令によって、護衛兵は息を吹き返したかのように動き出した。
あっという間に男子生徒は捕縛され、護衛兵数人と共にその場から去って行く。
「ふぅ……悪いが、私はお前達王家に深い恨みがある。意地でも名乗ってやるものか。今回は親友の頼みだから手伝っただけだ」
「き、貴様! 不敬だぞ!!」
「一応、命の恩人だぞ。ちょっとぐらいいいだろうが。ま、後は任せたよ護衛兵」
「――待ってくれ!!」
メクセスのその声で、その場を去ろうとした女生徒は足を止めた。護衛兵や周囲の生徒もメクセスの方に振り向く。
「その親友は、襲撃を知っていたのか?」
「いいや、ついさっき気が付いたんだよ。凄いよな、あいつは紛れもない天才だ」
「……その者の名は?」
女生徒は、ニィっと微笑んだ。
「絶対に教えるかよ。じゃあな」
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