ゴールの先にあるモノ
真偽ゆらり
ゴール ≠ ゴール
ディスプレイの明かりのみが部屋を照らす薄暗い部屋で作業する二人の人影。
その内の片方がおもむろに立ち上がり叫ぶ。
「ゴールは、ゴールじゃない!」
男の声は闇へと吸い込まれる様に消えていく。
反応を返すのは同じ部屋で作業をするもう一人。
「なんです先輩、大熊猫ですか? 先輩もあの漫画読んでるんですね〜」
濃い隈を浮かべ、結った跡の残る黒髪を広げた女が気怠そうな声を返す。
深夜に大声を出しているが注意などしない。
今二人がいる建物に他に人がいない事を把握しているからだ。
「いや、アニメだ。帰ってテレビ点けたら偶々な」
同じく濃い隈を浮かべるボサボサ頭の男も気怠げな声で返事をする。
両者のキーボードを叩く手は止まらない。
「え゛……あれ放送時間、丑の刻ですよ。この辺」
「だから帰ったら丁度テレビでやってんだ」
何本目かも分からないエナジードリンクを呷る。
「はぁ……あ、今日最終回じゃねぇか」
「……今テレビ点けたらエンディングですね」
「見逃した……」
「録画は?」「してない」
「見逃し配信で観ればいいですよ」
「テレビの電源入れるだけの気力しかねぇ」
「なら点けずに寝ればいいじゃないですか」
「無音で真っ暗だと寝れない……」
「それ、テレビ観ながら気絶してるだけでは?」
「いいんだよ、エンディングまでは観れてるから」
「あれ次回予告前にオマケありますよ?」
「……お前の作業音とディスプレイの明るさがあるから寝れる気がする」
「先輩!? 今寝ないでください! 明日……もう今日の昼が納期なんですよ!?」
「あははは……」
男の乾いた笑い声が部屋に響き、キーボードを叩く音が止まる。
「先輩?」
「ゴールは、ゴールじゃない!」
「それ、さっき聞きました」
「ゴールは、
「先輩? たぶんルビ振って読んだんでしょうけどルビの部分しか聞こえないんで分かりませんよ」
鳴り響くエンターキーを強く押す音。
「
男はため息と共に呟いた。
「もう終わったんですか!?」
「あぁ、半分な」
「ゴールがゴールじゃない!?」
「コーディングはゴールだ……」
「だったら、私もこれで
再びエンターキーを叩く音が響く。
「「後はデバッグ……」」
軽く伸びをして二人は再びパソコンに向かった。
「一つ二つ三つ四つ……」
「なんですか、皿屋敷ですか」
「バグの数」
「うへぇ、本当だ」
新しい箱を開封してエナジードリンクを補充し、
幽鬼の如く虚ろな眼でバグの発生点を探す。
「そうだ、バックアップ……」
「ちゃんととってあります」
「おぉ、褒めてつかわす」
「だったら褒美に何か面白い話をお願いします」
「……面白いかは分からんが」
男は鞄から一枚の書類を取り出して女に見せた。
「ちょ、新しい仕様書とか笑えない冗談は……」
「ちげぇよ、良く見ろ。たぶん笑える」
「今画面から目が離せないんで何か教えて下さい」
「……婚姻届。証人と俺の名前記入済みの」
「っ!? えほ……エナドリが鼻にぃぃ」
思わぬ衝撃に女は画面から目を離し、紙切れへと視線を移す。
「わはっ、なんですかコレ。マジじゃないですか」
「親が送ってきやがった。いつでも結婚できるようにって証人の欄に名前記入して」
「ちょ、待っ……なんで素直に自分の名前も書いてるんですか? あははは」
「そらぁ……そん時、胸ポケットにペンが入ってたから宅急便受け取る感覚で」
「だとしても妻の欄以外埋めるんですか?」
「ぼ〜としてたからな」
「あはは、ダメお腹いたい。無意識に判子まで押すとか危ないですよ」
「もういいだろ、返せ」
「あはは、こうしてあげます」
女は手に持ったペンを動かし、紙切れを男の方へ机上を滑らせる。
「……おま、これは笑えんだろ」
「え!? ……あ! ちょ、返……さなくてもいいです。戸籍謄本もいるらしいんでソレだけ持ってても別に問題無いはずなんで」
男が手に持つ婚姻届には女の名前とご丁寧に判子まで押されていた。
「お前詳しいな」
「以前、気の迷いで結婚雑誌買って読んで」
「……あの頃か?」
「ですです。寿退社で解放されるって思って。
まぁ、相手探す暇もないんですけどね」
「で、俺なの?」
「この際、先輩でも良い気がしてきました。趣味も合いそうですし……結婚と言う名のゴールです」
「
「ゴール」と聞いて男は反射的に叫ぶ。
「だからルビしか聞こえないんで分かんないです」
「なぁ、この仕事が終わった映画でも行かないか」
「先輩、それフラグですよ!? デバッグ終わらなくなったらどうするんで……」
「大丈夫だ、問題無い……」
「先輩!?」
「俺に任せて先に逝け」
「先輩……」
「なに、デバッグを終わらせてしまっても構わんのだろう?」
「……先輩?」
「クライアントと一緒の部屋になんていられるか」
「フラグが乱立してるぅ……」
「俺達のデバッグはこれからだ」
「それ、もはやゴールです」
「
そうして動かし続けていた二人の手が止まる。
窓の外を見れば空が白み始めていた。
デバッグが終わり、最終確認にプログラムを走らせて挙動を二人は観察していく。
「今んとこ順調だな」
「そうですね。先輩の実家ってどの辺ですか?」
「あぁ? あー、信長さんが名前をつけた県だな。
山に囲まれた人口五万人以上んとこ」
「私は信長さん所縁の県で車の町ですね」
「割と近所だな」
「お隣ですね」
ゼリー飲料を飲んで空腹を誤魔化し二人は雑談を続ける。
「先輩の両親って何してる人ですか?」
「定年退職してからは農家だな、お前は?」
「私の母は成人式の後、『死んだ旦那への義理は、これで果たした。私はこれから好きに生きる!
だからあんたも好きに生きな!』って姿をくらましたんで今どこにいるやら……」
「挨拶は難しい……か」
「え?」
「お! 終わったぞ。完成だな」
「やっとゴール……」
「
「またですか」
「まぁ、保守・運用は俺達の仕事じゃないから俺達の仕事は終わりだ」
気が抜けた二人は机に突っ伏し、顔を互いの方へ向ける。
「俺、休みが取れたら実家に帰るんだ」
「ま〜たフラグ立てるんですか? 私も休みが取れたら着いていっていいですか」
「親に紹介するぞ?」
「戸籍謄本持って行きます」
「お前となら楽しい家庭が築ける気がするよ」
「ふふ、ようやく私もゴールインですね」
「
「先輩……」
手を握り合い目を閉じると、二人はそのまま
「おい、起きろ! 仕事は終わったんだろうな!」
上司の怒鳴り声に男は目を覚ます。
女は先に目を覚ましたのか隣に座り欠伸をしながら、男の様子を眺めていた。
「課長、ちゃんと終わりましたよ。で、あのですね休みを……」
「そうか。じゃあ次の
上司は分厚い仕様書を男へ差し出す。
だが、男は受け取らない。
「……どうした、お前がちゃっちゃとやらんと私の責任になるだろうが! 早くやれ!」
男と女はアイコンタクトをして立ち上がる。
「「私達、今を待って
二人は引き出しから退職届けを取り出し、机上に叩きつける。
「な、なな……この業界に戻ってこれると思わない事だ! 私が手を回して就けなくしてやるかな!」
「戻って来なくていいってお墨付きが出たぞ」
「やりましたね! 先輩」
二人は荷物を纏めて会社を後にする。
ブラック勤務の告発資料を忘れずに持って。
「……勢いで仕事辞めたけど、どうする?」
「私はお金使う暇無かったんで貯金ならあります」
「俺もだ」
「とりあえず、俺の実家に帰ってゴールインか?」
「先輩?
「そうだな。ゴールでスタートだ!」
ゴールの先にあるモノ 真偽ゆらり @Silvanote
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