第17話 覚えていないだろうけど

「何だって? 移転?」


 客は目をしばたたいた。


「ええ。かなり遠くなります」


「かなりって、どこ」


「八十番街区の方に」


「そりゃ、遠いな。おっさんが行ったとこより遠い」


 彼は両腕を組んだ。


「そうか……いい工房だと思ったのに、残念だな」


「申し訳ありません」


 店主は頭を下げた。


「ミスタ・ブロウにも近いうちにご連絡を差し上げます。どうぞよろしくお伝えください」




 そうして――。


 突然のメンテナンス依頼客は店を離れ、トールがアカシにコーヒーことステッパーを運び、店主のために簡単な夜食を作り、本物のコーヒーとともに彼の部屋に持参したときには、時刻は深夜の十二時に近くなっていた。


「マスター、少し休んでください」


「ああ、有難う、トール。そこに置いて」


「はい」


 彼は示されたテーブルの上にトレイを置き、少し黙ってその場にとどまった。


「あの、マスター」


「何だい、トール」


「移転って、何ですか。僕、聞いてないですけど」


 躊躇いがちに、彼は尋ねた。


「うん? そろそろ、頃合だと思ってね」


 店主は設計書から顔を上げて笑った。


「ここにきて、三年だ。そろそろ、君の外見が変わらないことに気づく常連客が出てくる」


「あ……」


 トールははっとした。


「それじゃ、前の移転も」


「うん。そのためだね」


 彼は認めた。


「――どうして、そんなこと、するんです」


「どうしてって、ばれたらまずいじゃないか」


 にっこりとトールのマスターは言った。


「それなら、僕の手をもとに戻せばいいじゃないですか」


 彼のリンツェロイドは主張した。


「番号が刻まれていて、爪のない、元来のパーツに。トークレベルも落として、ただの接客ロイドにすればいいだけじゃないですか。どうして……」


「いつもはヴァージョンアップしてくれと言うのに、今日はダウンを望むの?」


 やはり笑って、店主は言った。


「話が違います! 僕のせいで移転なんて、僕はマスターに面倒かけたくて稼動してるんじゃないんですよ! 何、笑ってるんですか!」


「覚えていないだろうけど」


 店主は笑みを浮かべたままで言った。


「君は、以前の移転のときにも、全く同じことを言った。ほじくり返されると面倒だから、そのデータは消してしまったけれど」


「え……」


 トールは口をぽかんと開けた。


「消した?」


「そう。私は時折、いや、しょっちゅう、かもしれないね。君たちのデータを私の都合のいいように書き換えているんだよ」


 知らないだろうけれど、と彼は言った。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る