写真

ちい。

写真

 西陽だけが差し込む明かりのついてない薄暗い部屋。その光りの中、紫煙がゆらりゆらりと天井へと昇っていく。根元まで吸われた煙草を空いたビール缶へと入れると、じゅっと言う音が静かな部屋に大きく聞こえた。

 

 ショートピースの箱を開ける男。

 

 しかし、箱の中にはもう一本も入っていない。小さな舌打ちをしてゆっくりと立ち上がると、ベッド脇のテーブルから新しいショートピースを持ってきた。そして、箱を空け一本取り出すと、酸化してくすんだブラスのZIPPOの蓋をかちりと開け火を着けた。いつも握っている所だけがやけに光っていた。

 

 オイルの臭いが男の鼻腔をくすぐっていく。

 

 大きく吸い込むと天井へと向け煙を吐いた。まるで男の体内から魂が抜けていく様に見える。

 

 昇る煙でいくつもの光りの筋が部屋の中に姿を現す。

 

 寝癖のついた髪、数日は剃っていないだろう無精髭。上下よれよれのスウェット。しかも、背中からその下に着ているシャツがはみ出していた。

 

 男がその無精髭をぞろりと撫でる。

 

「伸びたなぁ……」

 

 間の抜けた声である。ぼんやりと宙を見つめている。

 

 灰がぽとりと男のスウェットの上へと落ちていく。それで我に返ると今度は灰皿へと煙草を押し付け火を消した。すると男はむくりと立ち上がり、大きな欠伸をした後に両手を上に上げ背伸びをした。

 

 そして、ベッド脇のテーブルの上に置いてある写真立てに目をやると、それを手に取りじっと見つめている。

 

 男と同じ年齢くらいと思われる女性。その二人の間に立ち、はにかんだ様な笑顔をみせる少女。

 

 もしかしたら、男の家族なのか?

 

 しかし、今、男が住んでいるのは2LDKの狭いアパートである。狭い部屋はビールの空き缶や畳んでいない洗濯物で散らかっており、掃除すらまともにされていない事が一目でわかる。

 

 そんな男に家族がいるとは思えなかった。

 

「だいぶ顔を見ていないな……」


 男は、その写真立てを手に取ると、とても懐かしそうにしている。

 

 最後に見たのはいつの頃だったか……


「中学校の入学式以来か……」

 

 だぼだほのセーラー服に身を包み、嬉しそうに笑っていた。

 

 真新しい鞄、汚れ一つない学校指定の白い靴。それらを手に取り目を輝かせて見ていた姿。

 

 まるで昨日の事の様に思い出す。

 

 西陽もだいぶ陰り、暗くなった部屋に明かりを灯すと、座卓の上に並べられたビールの空き缶を片付け始めるた。

 

 洗面所で顔を洗い、伸びていた無精髭を剃ると、顔の角度を何度か変えながら剃り残しが無い事を確認している。

 

 どこかに出掛けるのだろうか?

 

 しかし、男は髭を剃り終わり、寝癖をささっとなおすと、着替えはせずに、また冷蔵庫を開けビールを取り出し、座卓の前に座った。つまみはバターピーナッツとスライスサラミ。

 

 蓋を開け、ぐいっと一口流し込みテレビをつけた。少し観てはすぐにチャンネルを変えていく。男の興味を引く番組があっていないようである。

 

 男はしばらく同じ様な事を繰り返し、結局、テレビを消した。そして、また立ち上がると、先程の写真立てとは別の幾つかある写真を持ってきて座卓へと並べ始めた。

 

 それらの写真に写っているのは、どれも同じ女性と少女。三人で写っているのもあれば、女性と少女が二人きりのものもあった。その一つ一つを懐かしそう見ている男。

 

 産まれたばかりの少女を抱く女性。

 

 幼稚園のお遊戯会で踊っている少女。

 

 少女を肩車している男。

 

 その中のどれもが楽しそうに笑い、輝いていた。

 

 並べられた写真を剃ったばかりの髭のない顎を摩りながら見ている。

 

 男は煙草に火をつけると、昇っていく煙を見つめながら独りごちた。

 

 楽しかった日々。

 

 それはもう、戻る事の出来ない過去の日。思い出だけが、男の心の中で生きている。

 

 煙草の煙が目に染みる。

 

 瞼を閉じると目頭を押さえた。何か熱いものが込み上げてくるのが分かった。

 

 だが、男はそれをぐっと堪えると、灰皿に煙草をぐりぐりっと力を込めて押し付けた。その勢いで灰皿に溜まっていた灰と吸殻がこぼれ落ち、座卓へと落ちていく。

 

 ふうっと一つため息をつき、灰皿と落ちた吸殻を片付け、座卓を拭いた時である。

 

 

 

 

 

 

 男の部屋にチャイムの音が響く。

 

 返事をしてゆっくりと玄関のドアをあける男。

 

 その顔に歓喜の色が浮かび上がった。

 

「お父さんっ、久しぶりっ!!」

 

 あの写真の少女が立っている。そして、玄関先であるのに関わらず、その少女が男へと抱きついてきた。思わず抱きしめ返す男に少女が顔を顰めた。

 

「お父さん……煙草臭かよ……単身赴任する時、煙草やめるっち言っとらんやった?」

 

 上目遣いで睨むようにして言う少女に男は頭を掻きながら、苦笑いをしている。そんな男を見て吹き出す少女が男の部屋の中へと入っていった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

写真 ちい。 @koyomi-8574

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

同じコレクションの次の小説

★0 現代ドラマ 完結済 1話