ちい。

 男には家族がいた。妻と息子二人。妻は不規則な勤務体制である男を支えながら、自分もパートに出てよく働き、家事も育児も頑張ってくれていた。


 息子達も大変真面目でスポーツに勉強にと良く励み、近所でも評判良く男は胸を張って息子達を自慢できた。


 しかし、その家族ももういない。身勝手過ぎる男の元から去っていったのだ。


 男は酒もギャンブルもしない人間である。


 ただ、人の何倍も物欲が強く、欲しいものがあると我慢できず男は妻に内緒で借金を繰り返し、それがとうとう妻にばれてしまった。


 元々、倦怠期からか夫婦中は以前に比べ冷めていた事もあり、あっという間に深い溝ができてしまっていた。


 どう頑張っても埋めることのできない深い溝が。


 そして、男は借金返済のために退職金目当てで退職した。


 退職金のお陰で借金は返済できたものの、男には何も残らなかった。あれだけ欲しくて借金してまで買った物に今では興味がなくなり、一人暮らしのアパートに所狭しと積んである。


 埃を被ったままで。


 別れた家族だけではなく、両親、兄弟、友人皆から信用を失い、皆男から離れていき本当の一人ぼっちとなっていた。


 自業自得である。


 男は四十代前半だが、その容姿は疲れ果て五十代にも見えなくはない程に老け込んでいた。長く伸ばした白髪混じりの髪はぼさぼさで、着ている服はいつもしわしわだった。


 結婚していた頃は、男の妻がきちんと洗濯物をたたんでくれ、洋服もいつもお洒落なものを選び、髪も整え身なりは良かった。


 しかし、今の男はその頃の男とはもう別人である。


 町で偶然すれ違っても誰も男とは気づかないだろう。






 とある土曜日の夕方、仕事帰りの男が夕食を食べようとファミレスに寄った。


 ファミレスは夕食時間ということもあり結構混んでいたが、何とか隅の狭い席へと案内され待たずに席につく事が出来た。


 男はすぐにメニューを選びチャイムを鳴らすと、店員がばたばたとやってきた。そして注文内容を伝えると箸やらなんやらを持ってきて、また忙しそうに去っていく。


 それをぼんやりと眺めていた男は、土曜日という事もあり、店内には家族連れが多くいることに気がついた。


 どの家庭も幸せそうに笑っている。


 かつては自分も他から見るとこんな感じだったんだろう。そう思うと、思い出したくなかった家族の事をつい思い出してしまう。


 出会ったばかりの妻の事、結婚式、そして妻の妊娠、産まれたばかりの子供達。保育園、小学校、中学校、高校。男は、積極的に子供達の学校行事に参加し、役員にもついていた。周りの奥様達から羨ましがられる位に。


 しかし、男にとってそれはもう思い出したくない過去である。


 本来であれば楽しい過去であり、光り輝いているはずなのに、男には辛く悲しい気持ちになる思い出だからだ。


 男の席に注文していた食事が運ばれて来た。男はそれを黙々と平らげた。まるで早くこの場から立ち去ろうとするかの様に。






 会計を済ませ逃げるように店から出た男は、古い軽自動車へと乗り込むと、フロントガラスに顔をひっつける様にして夜空を見上げた。


「星が綺麗だな……」


 男はそう独り言ちると、キーを差し込み回しエンジンをかけた。


 格安で譲ってもらった古い軽自動車はあちこちにガタがきているせいか、アイドリングも安定せず、まるで必死に呼吸しようともがいている。


 今の自分にそっくりだ……


 そう思うと男はふっと笑い、ゆっくりと駐車場を後にし自分のアパートへと向かった。


 アパートに戻ると、家族と別れてから一度も開けたことのない箱を押入れが取り出すと、ぱっぱっと埃を払い蓋をゆっくりと開ける。


 箱の中には、妻や子供達の写真、保育園や学校で描いてくれた似顔絵、手紙などがたくさん入っていた。


 しかし男はそれらを見たり読んだりするわけでもなく、すぐに蓋を閉めると、台所へ行き冷蔵庫の中から発泡酒を取り出しぐいぐいっと胃の中へと注ぎ込んだ。


 そして、一本目を飲み干すと二本目の蓋を開けたが、口をつけることなくそのまま床に置き、蓋を閉めた箱を大事に抱え泣き出した。


「最後にありがとうが言いたかった……」


 男は箱を大事に抱え車の助手席へと載せると、飲酒したばかりなのに関わらず、車のエンジンをかけるとぽろぽろ、ぽろぽろと泣きながら発進させた。






 それから男の姿を見ることはなかった。


 男の住んでいたアパートは今でも空室で何も無い部屋は雨戸が閉ざされ真っ暗で、長い間、換気がされてないせいか空気が澱んでいる。


 しかし、今でもそこにあの男がこの部屋に座っている様な気がしてならないのは筆者だけであろうか。老けこんだ暗い男が一人、誰にも知られず泣きながら箱を抱えて。

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ちい。 @koyomi-8574

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