むずかしい迷路

鵠矢一臣

むずかしい迷路

 たかだか小学1年生だったにしては、我ながら常識的な感覚を持っていたものだと思う。少なくとも当時、母が「外でハンバーグ食べようよ」なんて珍しく外食に連れて行ってくれたファミレスで、不意打ちで顔合わせをさせられた男に対して、僕は生まれて初めてケーカイ感とはこういうものだという確信を持ったのだから。

 なにせ男は”お笑い芸人”だと言う。他人事だったら「へー」とか「ふーん」なんて思いながら炭酸入りのグレープジュースなんかをストローですすってただろうけど、近い時期に「お父さん」なんて呼ばなきゃならない身からしたらそれどころじゃなかった。とにかく顔を伏せてノートに落書きするフリをしていた。

 売れてないどころか、テレビにちらりとすら映ったこともないようなおじさんが、しかも面白いことを言うどころか面白い顔ひとつせず、目の前に座ってこっちを見ている。

「すごい迷路だね」

 その頃、ノートに迷路を描くのにハマっていた。うねうねと小腸みたいなやつだ。日増しに通路の幅が狭くなっていって、すでに紙面に顔を張り付けないとうっかり隣の壁を貫通してしまいかねないぐらいに細密になっていた。

 だからって、褒められて嬉しかったかといえばそうでもなかったりする。あれは一種のゲームみたいなもので、鉛筆を走らせば走らせるほど迷宮が複雑に拡がっていくのが、ある種の高揚感というか、とにかく複雑にうねればうねるほど達成感があってやめるにやめられなくなっていただけなのだ。

「完成したら、挑戦させてくれるか?」

 テーブルにうつ伏せ寝みたいに乗り出しながら、枕がわりに組んだ腕へ顎を乗せて言う。

 同じぐらいの目線。おでこを汗だか脂だかでテカらせて、目尻に少し皺を刻んで。

 下心という言葉を知っていたわけではないが、とにかく、家に帰ってから虫眼鏡まで持ち出して絶対にゴールできないレベルにしてやろうと意地になって描いたのだった。


 母の葬儀のあと自宅で、線香をたてた父から四つ折りの黄ばんだカレンダーを渡されて、ああノートではなくカレンダーの裏に描いていたのかと思い出した。

 拡げた裏には、自分で言うのもおかしいかもしれないが、常軌を逸しているんじゃないかというぐらい細かい縞模様がうねっていた。縞模様を映像で撮るともやもやした感じに映ることがあるが、僕がかつて描いたと思われる迷宮にはその必要はなさそうだった。

 あれからそろそろ40年も経とうというのに未だに手元に残していたのがそもそも疑問であったが、それ以上に、どうして今になって返してくるのかという方がひっかかる。

 僕らは何かを約束したわけじゃない。ゴールできたらお父さんと呼ぶとか、そういう気持ちが僕になかったかと問われればなかったとは言い切れないが、父にしても、あるいはそういうつもりで迷路を受け取ったかもしれないが、とにかく僕たちは約束を交わしたわけじゃない。

 だから、なおさら。例えば40年掛けてゴールにたどり着いたからといって、いまさら何がどうというのだろうか。もうすでに充分すぎるぐらい父でいてくれたのだし、僕もそれを認められない年齢でもない。妻を娶り、二人の子宝に恵まれて――思春期たけなわで交わす言葉よりも舌打ちの回数の方が多いのは悩ましいが――子さえいれば無条件で父でいられるわけではないということは痛いほど身にしみている。ましてや再婚。心の内で反発した時期が無いではないが、いまはまるで英雄を称えるような心情でいる。

「結局、ゴールできなかったわ」

 どういう感情なんだろうか。照れ隠しみたいに笑いながら頭の後ろを掻いているのに、声は天井の辺りを彷徨っている。

「ずっとやってたのか?」

「いや、ガチでゴール目指したのはここ数ヶ月なんだけどな」

 母の闘病期間と重なる。骨に出来たガンのせいで頚椎のあたりが潰れてしまって、ほぼ寝たきりの状態が続いていた。看護師がいるとはいえ忙しくしているのにいちいち細かいことで呼びつけるのは気が引ける、という母のため、いや、もしかしたら父自身のためだったかもしれないが、父は定年後に小遣い稼ぎ程度でやっていた警備のアルバイトを辞め、母の病室にほぼ毎日通っていた。

 実際、洗濯だとか歯磨きの補助だとか爪切りだとか、細々したことなんていくらでもあるし、なにより大部屋とはいえ見知った顔が無いのは辛いことだというのは想像するまでもない。

 だから本当は僕も手伝えれば少しばかりは両親の為になったんだろうけれど、共働きなうえ、長男と、ゆくゆくは次男坊も大学へ進学する、親の介護だからと休む社員のために座り心地のいい席を取っておいてくれるほど商社は甘くない。

 いや、それは言い訳に過ぎないのかもしれない。かつてこの迷路を渡した日、すでに父は保険の営業職に就いていた。以降はお笑いのワの字もなく、いわゆる働き詰めの毎日だったように思う。バラエティ番組を観てるとスッと寝床へ行ってしまうぐらいだろうか、僕が知る限りの父とお笑いの関係は。晩年になって普通に観てゲラゲラ笑うようにはなったとはいえ、それぐらいには大事なものだったのだろう。もちろん生活と夢との違いは大きいが、握りしめているものを手放すというのは容易じゃない。事実、僕は母と過ごす時間のほうに天秤を傾けることができなかったのだから。

 警備員のアルバイトはしんどくてやってられなかったからと電話口で聞いたときだって、「父に任せておけば安心だ」とホッとしていて。それはつまり、今あるものを手放さなくていいのだと、心底安堵したからに違いないだろう。

 正解のある話じゃないのはわかっているつもりだ。母のため、父のため、自分のため、だからといって食い扶持を手放してしまって妻や子供に無用の苦しみを味わわせるわけにはいかない。


 仕切りカーテンに囲われた空間に父と母。ベッドの上に拡げた迷路を、老眼鏡を上げ下げしながら睨んでいる。そんな光景が目に浮かぶ。

 母はどんな表情をしていたのだろうか。


「それ、本当にゴールできるのか?」

「んー、どうだったかな……」

 記憶を浚いながらカレンダーの裏を眺める。折り目は毛羽立っていて、ちょっと雑に扱ったらボロっと取れてしまいそうだ。黄ばみかたといい、端の擦り切れかたや捲れ具合といい、海賊が持ってる宝の地図みたいだなんて考えいていたら、一箇所、劣化してハリを失ったセロハンテープが貼られているのに目が行って、それですっかり思い出すことが出来た。

 僕は笑いをこらえながら言う。

「これじゃゴールはできないよ」

「は? 絶対ゴール出来るって言ってたろ?」

 セロハンテープのところを指差しながら説明を加える。

「ここ、小さい穴開いてなかったか?」

 仕掛けとしてはこうだ。細かい細かい迷路っていうのはある意味フェイントで、実は一箇所だけ、針の先ほどの小さな穴を通路に開けてある。その穴を通って裏側へ、長辺の余白を下ってカレンダーの角。そこに小さく小さく”ゴール”と書いてあるのだ。

 捲れた紙の端を慎重に伸ばすと、すっかり掠れたゴールの文字が辛うじて読み取れた。

 父は老眼鏡を取り出して、僕が示した辺りに顔を寄せてむむむっと睨む。

「ほんとだ……」

「せっかく考えた仕掛けだったのに。なんで埋めちゃうんだよ」

 子供心に開けておいてあげたつもりのゴールへの道を、どういうわけか父は自分で塞いでしまっていた。それが妙におかしくて笑いが止まらなくなってしまう。

 一瞬、父は「ええ?」と不服そうに眉を寄せて。

「バカお前、どっかに引っ掛けて穴開けちまったと思ってよ、めちゃくちゃ焦ったんだぜ?」

 おどけるように言って、すぐに大口を開けて笑いだす。


 母の骨壷と遺影の前で、二人して腹を抱えていた。

 半分ぐらい残っていた線香がすっかり尽きてしまうまで、笑いすぎにしてはちょっと量の多すぎる涙を何度も拭いながら。



(了)

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むずかしい迷路 鵠矢一臣 @kuguiya_kazuomi

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