無間地獄

名取

八万四千大劫の終着





 お前はここに来るべくして来たのだと、獄卒達は私に言った。


「お前の罪は、ここに落ちるのにふさわしい重さだった。だから、お前はこれから、ずっとここで過ごすのだ」

「ずっとって、いつまで?」

 私の腕ほどもある獄卒の指が、壁にかけられた絵図の端を示す。八万四千大劫。

「これって、どのくらい?」

 答えてはくれなかった。私はそこから、ぐらっと視界が揺らぎ、ただひたすら、下に落とされた。底のない孔。音も光もない。眠ることさえできない。気が狂いそうな永遠の時。

 私は、どんな罪を犯したのだろう? 

 しかし、そんな疑問も、やがては頭の中から消え去った。


 目的地がないこと。

 それ自体には、私は慣れていた。


 永遠に続く「無」に耐えること。

 それ自体には、私は慣れていた。


 私の「力」が、それが罪だというのなら、これはきっとただの「闘い」だ。

 善と悪、罪と罰。そんな次元の話ではない。

 ただ、気に入らない者から、力を取り上げて、自我を滅し、尊厳を剥奪する。

 奪われること。

 それにすら、私は慣れているのだから。


 終わりがない。


 どろどろとした金属や、つんざく悲鳴、太陽よりも熱い紅蓮の炎。

 鉄の城のなかで、獣が私の骸を貪り食う。

 なにが、私の罪だった? 

 無限の思考の中で、少しずつ、私の一部が溶けていく。


 腐った血溜まりに、罪人の首が映る。

 いつしか目は見るのをやめ、耳は聞くのをやめた。

 心の中に、確かにあったはずの、支え。

 たとえ穢れと呼ばれても、私にとってはかけがえのない、記憶。 

 それが、鉄釘を打たれる度に、砕け失せるのがわかる。



「終着点」



 ふと、聞こえた。

 聞こえるはずのない耳に。

 上下が、わからない。


 剥き出しの神経を踏まれて、意識が覚醒する。


 目につながる神経、手につながる神経。

 縄跳びのようにそれを掴んだ何かが、私を引きずっていく。

 自分の体重で、切れそうに痛い。

 自分の重さ。自分の罪の重さ。

 床に落ちた罪人たちの眼、鼻、耳が、私の崩れた体にくっついて、ごみの塊のようになった。引きずられた跡が、真新しい血と体液で、てらてらと光り輝き、そこへまた、誰かの首が落ちる。

 そのうちに、ずるずるという音がしなくなる。

 そして私は、一瞬、宙に浮く。

 どこかに投げこまれたのだと、気づくのには時間がかかった。


 炎とは違う、ひりつく痛さ。

 これは、塩? 

 塩と、そして——水。


「あ、」


 辛い水が肺に満ち、私の呼吸を止める。

 血の色の泡が、口からこぼれ、やがて水中に消える。

 沈んでいる? 浮かんでいる? 

 わからない。

 右も左も。上も下も。

 私も世界も。


「終着点」


 見えた。

 潰れたはずの目が開く。

 幾万もの人々が——世界が、見える。

 滅びた街を行く、少女と犬。微笑みを浮かべる、青い祖師。人を殺める女と、一人の男。怪我を負った老人と、彼の怪物。鏡写しで座ったままの、二人の賢者。欲に塗れた国で、蕩蕩と戦う男。狂った教授と、狂った学徒。薬漬けで走る若人たちと、咽び泣く少女。


 ああ。


 輪廻はない。転生はない。


 きっとここが、私の。



「終着点」



 目を開けた時、そこに在ったのは、清浄。

 そして、





 白紙の、ひと束。


 





 


 

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無間地獄 名取 @sweepblack3

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