高校生のときから付き合っている彼女にプロポーズしようと思ったら、とんでもないことを口走ってしまった
立川マナ
第1話
今日、俺はプロポーズをする。人生初。そして、できれば、最初で最後の。
膝の上でぐっと拳を握りしめ、力を込めた眼差しで見つめる先には、ショートヘアのきりっと凛々しい顔立ちの女性がいる。清楚で落ち着いた印象のふわりとした白いブラウスがよく似合って、今日も一段と綺麗だな――と、飽きることもなく、俺は毎回会うたびに思ってしまう。
高二のときから付き合っているカノジョ。斎木
「ここ、初デートで来たところだよね?」
フライドポテトを齧りながら、彼女は、ふいに店の中を見渡して言った。
「席もたしか、ここじゃなかった? 一番奥の窓際の席……」
「え? ああ、そう……だったかな」とごまかす声は不自然に上擦る。
「そうだよ。絶対、ここだった。――懐かしいな」
ふっと笑みを浮かべると、彼女の少し冷たい印象のその顔が、たちまち柔らかく優しげに変わる。蕾が開いて、ふわりと花を咲かせるような。そうして微笑む様は、十年前と変わらない。そして、そんな彼女を前に、飲み物も喉を通らないほどに緊張している俺も当時と変わっていない――。
今でも、昨日のことのように覚えている。初めて、彼女とデートで、ここに……この席に座ったときのこと。
高二のとき、同じクラスになった彼女は、お淑やかで物静かで、よく教室で本を読んでいた。長い睫毛に、すっと通った鼻筋。文字を真剣に追う眼差し。その横顔に何度も見惚れた。きっと、俺だけじゃなく、クラスの男子は皆、そうだったと思う。そんな彼女は、当時からパッとしなくて何の取り柄もなかった俺にとって、『高嶺の花』だった。
でも、奇跡的に隣の席になれて――何がきっかけだったかは忘れたけど――話すようになった。
とはいえ……大して勉強ができるわけでもなく、運動神経も壊滅的。趣味があるわけでもなく、特技も無い。『話の引き出し』なんて空っぽ同然。もともと口下手で、さらに、相手が彼女とあっては、まともな会話なんてできるはずもなく。常にあたふたとして、噛みまくってた記憶しかない。
俺と話しても楽しいことなんてなかったはずなのに。
それでも、彼女はコロコロと鈴を鳴らすように無邪気に笑ってくれた。そんな彼女の笑顔が……そうして、隣で彼女の笑顔を見るひとときが、俺はたまらなく好きだった。
でも、そんな日々も長くは続かず、しばらくして、席替えの日がやってきた。
彼女と話せるのもこれまでか、とひっそりと落胆する俺の隣で、
『隣に座れなくなっちゃうね』
彼女がぽつりと言うのが聞こえた。
寂しくなっちゃうな――と、そう呟いたその横顔に浮かぶ笑みが、あまりにも切なげで。息もできないほどに胸が締め付けられて、
『今度、一緒に映画はいかがですか!?』
と、気づいたら、そんなことを口にしていた。
今、思い出しても赤面ものだ。いかがですか――て、なんだよ……と。
でも、彼女はやっぱり楽しそうに笑って、コクリと頷いてくれたんだ。
もちろん、初デートは散々だった。ずっと、緊張しっぱなしで、その日のうちに、心臓が一生分の鼓動を打ち終えるんじゃないか、と思った。常にたじたじ。喉はカラカラ。手は汗でビショビショ。情けないことこの上ない。
――今も、だけど。
「それで……どうしたの、急に? しかも、そんな格好で?」
来た――と思った。
心臓がドクンと大きく飛び跳ねる。
彼女の表情もどことなく、強張っている。何かを察しているのは明らかだった。――まあ、それも当然だ。昼時の駅前のファストフード店はわいわいと賑わい、週末ということもあって、周りは中高生と思しき客で溢れている。そんな中、新調したてのスーツを着て、面接さながらに険しい表情を浮かべて座る俺はかなり浮いている。
しかし、この場違いな感じすらも、もはや懐かしい。
十年前も、こうして彼女の向かいに座る自分が浮いている気がして落ち着かなかったんだ。釣り合わない、と思ったから。不相応な気がした。自分なんかが、ここに――彼女の傍にいていいんだろうか、と申し訳ない気分にさえなった。
ただ、今は……違う。
ずっとここにいたい、と思う。この先ずっと、彼女の傍にいたい。自分が彼女を幸せにしたい、と思うから――。
「実は、今日は話があっ……
覚悟を決めて切り出した瞬間、思いっきり噛んだ。
ええ……!? 嘘だろ……。噛むか? ここで、噛むか……!?
くおお〜……と顔をしかめ、痛みと情けさに悶えていると、
「大丈夫?」
心配そうな彼女の声がした。
ハッとして顔を上げ、
「だ……大丈夫! ちょっと、噛んだだけ」
「ほんと? でも……すごい汗だよ? もしかして、体調悪いんじゃ……」
「汗!? あ、いや……これは、違くて……! ただ、今、俺、すごいカンチョーしてるだけだから!」
「か……カンチョー……?」
見たことも無いほど、ぎょっとして目を丸くする彼女。
ん……? か……カンチョー? え……なんで、彼女の口から、そんな言葉が――と不思議に思って、すぐに気づく。
違う。彼女じゃない。俺だ。俺が……。
ぶわっと顔が赤くなるのが自分で分かった。体の中で何かが爆発したみたいに、一気に全身が熱くなり、「違うからね!?」と身を乗り出して大声を上げていた。
「『カンチョー』じゃなくて、『キンチョー』だから! 緊張してる、て言いたかっただけで、俺、こんなところで浣腸とかしないから!」
必死にそう訴える俺をぽかんと見つめてから、「分かってるよ」と彼女はぷっと噴き出した。
「ほんと……そういうとこ、ずっと変わらないよね」
凛とした雰囲気が一転。子供みたいにクスクスと彼女は楽しげに笑う。
「初めて隣の席になったときから、そう。道広と話していると、私、気づいたら笑ってるの。一緒にいると、いつも楽しくて――だから、ずっと隣の席ならいいのに、てあのとき、思ったんだ」
その瞬間、今度はさっきとは違った熱がどっと込み上げてきた。羞恥心すら吹き飛ばしてしまうほどの、熱い何か。それが竜巻となって体の中で立ち昇ってくるようだった。
ぐっと膝の上で握りしめた拳に力がこもる。
「それなら――」と、気づけば、力強く言い放っていた。「結婚はいかがですか!?」
言ってすぐ、ハッと我に返って血の気が引いた。
ひどい。ひどすぎる。
何ヶ月も前から考えていたスピーチは、口を開いた途端、アホ丸出しな一言に取って代わっていた。
十六のときならまだしも。二十六にもなって、これは無いだろう……!
社会人になって、四年。プレゼンも結構慣れてきたというのに。人生最大のプレゼンといえるプロポーズで、俺は何をやってるんだ!?
百年の恋もなんとやら。さあっと一気に引かれても仕方ないくらいだ。
それなのに。
彼女はやっぱり楽しそうに笑った。その透き通るような瞳にうっすらと涙を浮かべ……。そして、頬を染めながらコクリと頷いた。――十年前と同じく。
高校生のときから付き合っている彼女にプロポーズしようと思ったら、とんでもないことを口走ってしまった 立川マナ @Tachikawa
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