果てのない迷路【KAC202110】

冬野ゆな

第1話

 肩で息をしながら、俺は壁に手をついた。

 目の前には相変わらず左右の壁に囲まれた道がまっすぐ続いている。壁の間は広く、軽く二、三十メートルはある。それなのに、道の奥のほうは暗くてまったく見えない。道の途中に左右へ続く曲がり角がいくつか見えているが、すぐ近くに見えて意外に遠いのだ。


 俺は上をみあげた。

 壁は天高く伸び、ちょっとやそっとじゃ壁を登ることさえできない。俺はしばらくばかみたいに上を見上げていた。それから肩から落ちかけた荷物を再び背負うと、ゆっくりと歩き出した。


 いつからここにいるのか俺にもわからない。

 ただ気が付いたら、ここ――この巨大な迷路のような場所を、ただ一心に歩いていた。壁はずいぶんと厚いらしく、軽く叩いてみてもまったく響かない。ファンタジーゲームでよくあるようなダンジョンよりもずっと広い。おまけに、なんらかのタイミングで構造が変わってしまうらしい。

 そういえば昔、こういう迷宮に突然放り込まれるSF映画だかなんだかを見た気がする。ああいう感じにそっくりだ。あれは確か、元は小説だったっけ。……こういう記憶があるってことは、俺は前はちゃんと……こんな迷路のような世界じゃなくて、ちゃんとした世界にいたはずなんだ。

 夢なら早く醒めてほしい。でも、この疲労感は夢ではないらしい。


 迷路の中は俺一人ではない。他の人間もいた。

 広い迷路の中を同じように歩く人間たち。俺も彼らも、ときおり迷路の中にキャンプを張って、なんとか暮らしていた。俺も他人のキャンプで一晩を過ごしたことがあるし、俺の作ったキャンプで誰かと何日か過ごしたこともある。ひどく居心地の良いものや、逆に主が不在のまま作りかけで放置されたものまで様々だ。中にはカリスマ性のある人間もいて、そこはもはやキャンプというよりひとつの集落だった。そんなカリスマのキャンプを真似して反感を買った者もいたらしい。

 こんな出口のわからない迷路の中でも、個性は出るようだ。


 だが、こうして一人で歩いている俺は、村を作るでもなく、かといって他人の作ったキャンプに腰を落ち着けるでもなく、あてもなく迷路を彷徨い続けていた。


「よう」

「やあ」


 曲がり角からやってきたのは、以前に出会ったことのある男だった。


「久しぶりだな」


 男は――カズマは片手をあげて近づいてきた。


「ああ、久しぶり。何日ぶりだろうな」

「お前もまだずっとこの迷路にいたんだな」

「そりゃこっちのセリフだ」

「ははは。お互い様ってことか……。少し前に作ったキャンプがあるんだ。来るか?」

「そうだな。行ってみようかな」


 そう俺が頷くと、カズマは頷いた。

 カズマが作ったというキャンプは、火の準備をしてあるだけの簡素なものだった。キャンプも暫く張っていると、ベッドや机をこしらえたりするものだが、それらもない。だいぶ手を加えられていないようだった。


「そっちはどうだった?」


 俺は湯を沸かしながら、カズマに尋ねた。


「ぼちぼちだよ。見りゃわかるだろ」

「もったいない。ここまで作ったのなら、もうちょっと手を入れてみればいいのに」

「……まあ、そうだなあ」


 カズマがそう答えたので、俺は話を変えることにした。


「そういえば、聞いたか。西のほうでちょっと騒ぎが起こったらしいぞ」

「西のほう? ……あ、もしかしてちょっと騒動になってたやつか。なんだったんだ?」

「地図の書き方がどうのってやつだよ。ちゃんと書式に沿って書けってやつ」

「はぁん。いつものことだな」


 カズマは呆れた顔で言い放った。

 人間がいれば、こうした言い争いも定期的に起こる。地図の書き方がどうの、迷路の進み方がどうの、むりやりに嵌めようとする奴と、抵抗する奴はどこにだって出るものだ。


「……そもそも、俺たちはどうしてこんな所にいるんだろうな」


 俺は沸いた湯をインスタントコーヒーに入れながら、ぽつりと言った。


「……ここはいったいどこで、どうして俺たちはここを彷徨うことになったんだ?」


 俺はカップのうちのひとつをカズマに渡す。

 カズマはカップを受け取ったまましばらく黙っていた。


 一口、コーヒーを啜ってから口を開く。


「……俺たちがここにいるってことはさ。必ずスタート地点があったはずだ。それならゴールがあるはずさ」

「出口があるって?」

「そう。迷路なら出口がある。ゴール地点があるはずなんだ。外にでるための……」


 外。

 迷路の外。

 俺たちは何らかの力によってここに集められ、ただただ果てもない迷路を進んでいる。


「ゴールか……。いったいどこにあるんだろうな」

「さあ……」


 キャンプの外は静かだった。

 俺達以外には人もいないらしい。これはこれでいいものだ。僅かばかりの休息をとりながら、俺達は明日に備えることにした。

 果たして俺達は本来の意味で「明日」を使っているのだろうかと――灰色の空を見ながら思った。


 翌朝、カズマは神妙な面持ちで、キャンプを眺めていた。

 俺はカズマをちょっと見てから、自分の荷物をまとめた。


「どうした?」

「なあ……。俺、俺さあ……」


 カズマはぽつりぽつりと呟いた。


「……なんだよ?」

「俺は……俺はもう、降りるよ」

「……」

「昨日、ゴールの話をしてからずっと考えてた。このキャンプもずっとほったらかしで……なんだかもう、吹っ切れたような気がして」

「そ……」


 そんなこと言うなよ、と言いかけて、俺は戸惑った。


「それって、どういうことなんだ」


 結局俺はそう尋ねた。


「俺はもう進む気力も無いし……。かといって、このキャンプを村みたいにしようなんて事も思ってない。ただただ、疲れちまったんだな……。はは……」

「じゃ、じゃあ、どうするんだよ。お前は外にでたくないのか!?」

「ゴールは……外にでるものなのか?」

「だ、だって、ゴールっていったら……外にでるものだろ」

「わかんねぇ。だって、ここに住んでる奴だっているだろ。それがそいつらにとってのゴールだとしたら、ここが俺のゴールかもしれないな」


 カズマはそう言うと、その場に座り込んだ。


「そんなの」


 欺瞞じゃないか。


「いいんだよ、俺は」

「……そんな」

「お前は、行きたいところまで行けよ。お前のゴールまで……」


 俺はしばらく黙り込んでから、小さく口を開いた。


「……わかった。……じゃあ。元気でな……」

「ああ。お前こそ。元気で」


 道のほうへと引き返し、歩き始める。

 それから数メートルもいかないうちに、俺の足は止まった。


「なあ、カズマ。やっぱり……」


 俺が振り返ると、そこにはカズマの姿は無かった。


「そんな」


 戻ってどれほどカズマの名を呼んでも、影も形も無かった。

 それこそ、唐突にゴールにたどり着いたみたいに。


「諦めればいいのか……?」


 俺は混乱しながら、その場を後にした。


 迷路はどこまでも続いていた。

 必ず奥も出口もあるはずなのに、延々と迷い続ける。彷徨うことしかできない。俺は再び、歩き続けるしかなかった。


 ――行きたいところまで行けよ。お前のゴールまで……。


「……俺のゴールって……なんだよ」


 悟ったようなこと言いやがって。

 俺はなんとも言いがたい気分だった。

 迷路の中に集落をつくって生活する奴。追随する奴。それを真似する奴。そして歩き続けている奴。地図を作る奴。迷路の歩き方を教える奴。いろんな奴がいる……。

 そいつらにとってのゴールとはなんなんだろうか。


 それとも、踏破を諦めることこそが……ゴールなのか。


 俺は答えの出ないまま、適当なところにキャンプを張り始めた。

 火を起こしてなんとか形になったとき、近づいてくる影に気が付いた。


「あの、ここいいですか?」

「あ、はい。どうぞ」

「ありがとうございます!」


 今度は女性だった。


「コーヒー、いまから淹れるところなんですが、どうですか?」

「わあ、いただきます!」


 カップを渡すと、彼女はにこにことして受け取った。


「貴女はどうしてここへ?」

「私ですか? 私は気付いたらここにいたんです」

「……そうですか。……それじゃあ、ええと……ゴールを目指すんですよね?」

「はい!!」


 女性があまりにはっきりと言うので、俺は面食らってしまった。


「まずは北側に見えているあの塔みたいなところに行こうと思うんです!」

「そ、それがゴールなんですか?」

「少なくとも、私にとってのゴールですね!」


 女性はにこにこと笑いながら言った。


「そこから、もし次の階層みたいなものがあるなら、私はそこに行きたいんです!」


 俺は面食らったまま、何も言えなくなってしまった。


「お兄さんのゴールは、どこですか?」

「お、俺のゴール……?」

「もしかしてお兄さん、決まってないんですか?」

「あ、ああ……」

「あ、べつにそれが悪いって言ってるんじゃないですよ! あそこをひとつめのゴールにしてるのは私の勝手なんで!」


 彼女はそう言ってから、にこりと笑った。


「でもお兄さん、勿体ないですよ。せっかくだから、ひとつくらいゴールを目指してみてもいいと思いますよ」


 それから彼女はコーヒーを飲み干すまで、いろいろなことを語った。長いようで短い時間だった。彼女との会話はなかなかに楽しかった。


「それじゃ、ありがとうございました!」


 彼女はあっさり行ってしまった。

 俺はその輝くような背中を見送りながら、視線を落とした。


「……俺のゴールか」


 俺は横に置いた地図を見た。

 かつて目指した塔は北側にある。いつのまにか迷いに迷って、ゴールに着くことそのものを諦めてしまったのかもしれない。

 どうせ外にすらでられないのなら。


 ――……道が変わる、その前に。


 目標くらい定めたほうが、この迷路の中ではいいのかもしれない。

 俺はそう思うと、荷物の中から古い地図を取りだした。そこには、塔に赤い丸が書かれていた。すっかり地図は変わってしまっている。地図を捨てて、新たに地図を書くことにした。荷物を背負い直す。やみくもにだらだらと歩いてきた時とはちがう。僅かな緊張感とともに、俺は歩き出した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

果てのない迷路【KAC202110】 冬野ゆな @unknown_winter

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ