ウォーキング・アライブ

久賀広一

 これは、今もっとも書かれるべきではないたぐいの話である。


 それは、出版業界においてライトノベルの比重が増し、「異世界転生」という、もう聞くだけでウンザリするような言葉を、違った形で並べるに等しい行為だからだ。


 しかし、確かにこれは日本の歴史の中にうもれてしまった逸話であり、一部の者は知っておいていいかもしれない部分もあるので、あえて記すことにする。

 これが、読者諸兄しょけいの、何らかの足し(もしくは人生の暇つぶし)になることを願って――







 『ダッシャー』とのちに呼ばれることになる、その生霊が初めて確認されたのは、四国地方にある農村だった。


 すでに中国地方から東海にかけて、列島の人間は多くがウイルスに感染しており、「発症するかどうか」が問題だったと、民俗学者の畠山はたけやま一成かずなり准教授(四ツ谷大学)が語っている。


 畑を懸命にたがやしていた農村の青年が、ある日とつぜん動きを止め、「カッハァ~」という声をあげて、近くの人間に襲いかかったのだ。

 ……いや。「コッハァ~」という溜め息だったかもしれない。まあその辺はどうでもいい。


 畠山准教授が調べたところによると、どうやらその感染症は、人間の血に深く関与するもので、血中酸素濃度がある水準以下になると――つまり激しい運動を継続的に行っていると――知らぬ間に発症してしまうやまいだったらしい。


 そして、『ダッシャー』と呼ばれる生霊になったが最後、決して激しい動きを止めることができず、すべての体内カロリーを使い切って死に絶えるまで、他者を攻撃するという、ある種の世界的大ヒットドラマの設定のようなゾンビ世界が、日本に広がってしまったのである。


 ……ちなみに、なぜ走り回って激しい動きをする生霊が『ランナー』と呼ばれず、『ダッシュ』の語が命名のもとに使われたかというと、ランナーでは、これも世界的に大ヒットしたサバイバルゲームの名称にかぶってくる、というのが通説である。


 ……とりあえずまあ、この話は、あくまで民話のレベルで地方を救った、三人の男女の物語である。

 彼らは、生霊が徘徊する日本を数ヶ月生き抜き、そして「奇跡の村」にたどり着き、その惨状を終わらせたという。


 果たして、彼らは英雄だったのか――

 一人の学者が、人生を投げうって調べ抜き、研鑽し尽くした研究を、ご覧いただきたいのだ……!






 ガツッ!

「ぎゃうっ」


 一匹のゾンビが、都子みやこという名の女性の棒切れになぐられて、その場からダッシュで逃げていった。


「陽一郎! 左から二体きてるよ!」

「……」

 たくましい体つきの青年が、さしておびえた風もなく、都子の声のとおりに顔を向けると、森から一体、そしてそれより数歩前を、女性のダッシャーがこちらに走ってくるところだった。


 ――ふむ。

 陽一郎は、今の自分の位置だと、男女の二体に同時に襲われる可能性があるため、ゆっくりと前に歩き出すと、軽々とかしでできたクワの柄で、女性のダッシャーの頭蓋骨をたたき割った。

 ……つづく男の敵も、側頭部を強打して瞬殺する。


「陽一郎、見て! 僕も一体追い払ったよ!」

 二人よりずいぶん後方から、最後の仲間である真司の声が聞こえてくると、青年はほほえみで応えたのだった。


「――たしかに、“ヤツら”は痛みに敏感ですぐ逃げるけど……半時足らずでもうそれを忘れて、また戻ってくるかもしれないんだからね! あんたは都子の十分の一――陽一郎の百分の一も倒してないでしょ! 私がもしゾンビになっちゃったら、真っ先にあんたを食い殺してやるから!」

 ……。

 泣きそうな顔になった真司は、肩をすぼめて友人たちのもとへ歩み寄るのであった――



 

 ここは『白江しろえ村』の入り口――

 都子たち三人がたどり着いたのは、この感染症を終わらせることができるかもしれないと噂された、不思議な山間の集落だった。


 ゾンビにならないためにも、激しい運動を避けてゆっくりと歩をすすめ、旅慣れた男なら半月でつく道のりを、三ヶ月にも渡って戦いをくり広げながら到着したのである。


 ――奇跡の村――


 三人は、それぞれ差はあれ感慨を胸に、小川の流れる細長い集落を見下ろしていた。


「……ねえ、僕たちの旅は始まったばかりに感じるけど、もう目的地についちゃったんだね!」

「うるっさい!」

 都子が人を切るような目でふり返る。「こんど戦いであぶなくなったら、あんたの尻をけとばして、ゾンビに食べさせて時間を稼がせてもらう」

「……」


 エサをもらえなかった子豚のようにしょげた真司が可哀相だったのだろう。

 都子のとなりに並んでいた陽一郎が、すっと指を上げた。

 

――!


 二人が時を止めたように、村の奥地を見つめる。

「あれが……」

「『すべての生霊を殺す』と言われた、天輪の鐘――」


 どこからその噂が伝わったのかは知らない。しかし、都子たちは、生まれ育った町の人間がりになり、三人でどうにかしのいでいた毎日の中で、その話を聞いたのだった。


 ……ただ、あそこは危険すぎる。村に近づくほど“ヤツら”の数が増えていくんだ。

 同時にそんな警告も受けたが、このゾンビだらけになってしまった世界で、ほかに目指す場所などありはしない。


 三人は、とくに一番役に立たない真司が声高こわだかに主張したのだが、その地を目指すことになったのだった。


「陽一郎……どうする? 先がどうなってるか分からないから、少し休んでいく?」

「――いや」

 りりしい容貌にたがわない、落ち着いた深い声で、青年が答える。


「今は真昼だ。ここで時間を食って、いざという時に日暮れになったら、こちらが危ない」

 こくりと神妙にうなずいて、都子は陽一郎に同意したのだった。


 あっ、陽一郎。あそこに干し柿があるよ。戦いの前に腹ごしらえは大事だし、ちょっと取ってくるね。

 充分な量の保存食を背中の袋に入れたまま、こめかみに血管を浮き上がらせた都子をなだめて、青年はもう一人の、すぐ道をはずれがちな幼なじみから間食を受け取ったのだった。






 ……!

 これはーー


 村の奥に進んでゆくと、皆が一切の言葉を失っていった。

 ちろちろと流れる、小川のほとりに広がった、のどかな雰囲気の集落――

 そんな風景が、しばらくは続いていた。


だが、目的の中央広場――『天輪の鐘』がある場所は、想像を絶する光景だったのである。


「なんだこれ……」

「一体、どうやったらこんなことが起こるのよ……」


 真司と都子が、示し合わせたように手を口にもっていく。

 もともとは、この山間にある村が、隣国の領地とのさかいにあり、敵の侵攻を知らせるため……また火災周知用などに使われた“半鐘”だったのだろう。


 領地侵攻や火災にも耐えられるためか、大人でも抱えきれないような太い柱によってその望楼は築かれていた。

 だが……

「下から半分――10メートルくらいかしら……これ全部、ゾンビの山なの?」


 櫓の中ほどから、まるで火山が噴火する様でもかたどっているように、ダッシャーの死体が積み重なっていたのである。


「……これほどの数のゾンビを、よく殺せたもんだな」

 他の二人とは、根本的に心の動き方が違う陽一郎が、感心したように頬をなでている。

「ちょっと! 大事なのはそこじゃないでしょ!」

「いや……ひょっとしてこれが、『天輪の鐘』の効果なんじゃないの!? やっぱり、ここは奇跡の村なんだよ!」

「じゃあなんで人が一人もいないのよ!」


 毎度のように都子が真司につっ込んだが、その答えを返せる者は誰もいなかった。人の死体が小山になっているような、臭いも、ハエやウジも盛んな、それなりの地獄絵図である。


 地域一帯に広がった感染症はまだ終わりを見せているわけではないし、たとえ“鐘”がダッシャーを殺せるとしても、このおぞましい場所に住んでいようなどとは、思えないのかもしれない。


 ……とりあえず、鳴らしてみようよ! 噂のとおりなら、ゾンビがみんな死んで、この騒ぎが収まるかもしれない。

 真司の安易な提案だったが、他の二人は、押し黙ったままである。それを簡単に却下することができないのが、新たな問題でもあった。


 数ヶ月の旅の果てに、ここにたどり着いて、鐘を鳴らさずに村を去っていく――

その先に、果たして何があるのだろうか?

これまでと変わることのない、未来の見えない、ゾンビとの戦いが長く続いていくのかもしれない。


「……」

「……」

「鳴らそう」

 そう決断したのは、陽一郎だった。

 他の二人は、それに喜んで賛成することも、否定することもできない。

 みなが無言で仲間を見渡し、同時にこくりと小さくうなずいたのだった……







 カーン、カーン、カーン!


 陽一郎が望楼にのぼり、手始めに、鐘を三度鳴らしてみた。

 都子と真司は、その下で待機し、踏みつけているゾンビたちの死体と臭いに顔をゆがめている。普通の疫病なら、感染症がうつる可能性を警戒しなければならないのだが、この病原菌にはすでに誰もが犯されており、「激しい運動をつづけて発症してしまうかどうか」が問題なので、そこにあるのはただの嫌悪感だけだった。


「――」

「……?」

「何も起こらないね」


 真司がそう言い、陽一郎がもう一度、しっかりとした足場のある身舎もやへ置きっぱなしになっていた金槌ハンマーで鐘を打とうとした瞬間だった。

「!」


 グルルア!

 ガオオ!!

 ヒョーアッ!

 ドッカーン!


 村の周囲、あちこちから、叫び声が聞こえたのである。

「――なっ、何なの!?」

「え? いま、最後にドッカーンって……」

「早く上がってこい! 二人とも!!」

 陽一郎の判断は、早かった。


 戸惑っていた仲間を張りあげた声で動かし、やぐらのはしごの途中から、身舎へと二人を引っぱり上げる。

 なんでなんで? と混乱する都子をよそに、陽一郎はハンマーと樫の棒を持ちかえ、すぐにゾンビを撲殺する準備を整えた。


 ――!


 一体目の到着は、目を閉じたしばらく後。

 ガサッ、ガサッと荒々しく繁みを分けてくる足音が聞こえると、すぐに二体、三体と、数をかぞえる余裕もなくなるほどダッシャーが集まってきた。

 彼らは痛みに敏感なので、梯子はしごをのぼってくる者が時折いるが、ほとんどは同士討ちのように、死体の山の上で身体をぶつけあっては右往左往している。


「――こりゃあいい!」

 陽一郎が、めずらしく嬉々とした表情をうかべて、梯子をのぼってくるダッシャーの脳天をたたき割っていた。

「真司! 急がなくていいから、一定の間隔で鐘を鳴らし続けろ!!」

「……ええ?」

 いきなり言われた彼はとまどい、今も混乱している都子に視線をうつしたが、彼女はおびえるように下を眺めているだけである。


「――!」

 仕方なく、真司はハンマーを手にとった。


 ……カーン、カーン、カーン。


 鐘の音は、ふたたび村の周囲まで広がり、下に群がっていたゾンビ達は、一瞬われを忘れたように頭上を見あげる。


(……なるほど!)

 いくらかそのまま時間が過ぎ、陽一郎が安定的に敵を処理していくのを確認していた都子が、青年の意図に気づいた。

 これは、“生霊”殺戮用の、最高の呼び鈴になるのだ。


 ……頑丈な望楼。敵が一体ずつしか襲ってこれない、安全が保障された足場。おそらく、この鐘が聞こえる範囲にいるゾンビは、日暮れまでにほぼ退治できるだろう。


――夜の安全度は、かなり上がる!

すこし心を持ち直した都子は、陽一郎に激しい運動を継続さないよう、自分がハンマーをとって真司に交代させた。


「……ねえ、さっき『ドッカーン』って言ったゾンビがいたんだけど……あれってぜったい意識的だよね? グアア、とかガアア、なら分かるんだけど……」

「どうでもいい! それよりちゃんと下を見てなさい!」

 そんな現状意味のないことにこだわるから、あんたは一生童貞なのよ! と都子にひどいことを言われながら、真司もそれなりに役立って、敵を倒していったのであった……







 三人の冒険は、これで終わりである。

 なぜ『奇跡の村』に人が一人もいなかったのかは、その後も判明しないままであった。


 村民すべてが運悪く、感染症を発症させ、全滅したのか。それとも、“ゾンビを集める、忌まわしい場所”として、故郷を捨てたのかもしれない。

 ……いつか、そういった話が噂で逆転して、『呪われた村』が『奇跡の村』と言われるようになってしまったのだろうか……


 不思議なもので、都子たち三人は、安全になったその場所のことを誰にも話してはいない。しかし、いつの間にかその地域一帯では「ゾンビのいない村」として知られ、次々に来訪者があらわれたようであった。


 彼らの二世代あとには、その感染症は完全におさまり、だが過去からの教訓として、その村では正午に、望楼の鐘が昔を思い出すような遠い間隔で、三度鳴らされたという。



 ……日本を救ったかもしれない、都子たち、三人のその後は……


――陽一郎は、もともとの仕事であった大工、左官の仕事にうち込んでいたが、あまり異性に興味がなく、三十も半ばをすぎた頃、その生来の男ぶりの良さに「あなたと一緒になれないなら、私はゾンビに食べられて死にます!」と女性に言い寄られて、結婚に至ったという。

 ……美人だった都子ほどではないが、それなりに可愛い娘であった。


 都子は……

 陽一郎がまったくふり向いてくれないため、村に集まってきた中でも、容貌も経済力も一番の男と結婚したが即離婚。のちに、商人だった親が隠し財産を持って合流した真司に土下座して求婚され、しぶしぶ受け入れたという。


 ……真司は……

 まあどうでもいい。

 

 はるか後年の研究で、《民俗学者》畠山一成准教授は、一つの奇妙な考察を残している。


 ……ときどき、格闘技――または創作物のキャラクターなどで、「だっしゃあ!」という声とともに、敵を強く攻撃する人間がいる。

それは准教授によると、過去に“ダッシャー”と戦った列島民族の血が、現在の情報と遺伝子の反応よって、瞬間的闘争本能で呼び起こされているという。


 ――もちろん、そんな説を支持する人間は、今のところ一人も現れてはいない。

 この蛇足的考察がなければ、畠山准教授の、“過去における日本の、為政者によって逸話にされてしまった感染症”論文は、もう少し認められていたかもしれない……。








              終わり


 

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