終着点

まきや

第1話



 ゴールの見えないレースほど、辛いものはない。そう信じていた。



 消波ブロックで砕ける波の音を、何回聞いただろう。


 小説家として大成する。そんな目標を持って、俺はこの世界に参戦した。


 しかし結果はどうだ。毎日自分のマイページにアクセスしても、通知は皆の作品公開のお知らせだけで埋まっている。


 マイ小説のPV数に1桁台の数値が並んでいる。運営がワークスペースの機能をせっかく充実してくれても、俺には意味がない気がした。考えるほど悔しさに呑み込まれそうになる。


 そんな時、よく俺はこの堤防にやってくる。


 夕陽の写真を撮りにくる若者のシャッター音。海岸線を散歩する恋人たち。打ち寄せる波のリズム。海風の匂い。そんな世界が少しだけ心を和らげてくれた。


 人に初めて誉められたのが、創作の世界だった。俺は人生で初めてゴールを定めた。『物書きで飯を食っていく』。けれど子供だった俺は、その山の高さをまったく把握できていなかった。


 平地ですらまともに立てない者に、登山などできるはずがない。俺を追い抜いてく者、はるか先頭を走る者。周囲のレベルの高さに、俺の自信は打ち砕かれた。


 目標がぼやけ、ゴールが見えなっていく。気がついた時には心が折れ、俺は書くことができなくなっていた。


 『無』の期間は長かった。そんな俺を癒してくれたのは時間ときだった。1年も経つと、気持ちから創作へのりきみが抜けていた。


 俺は再びペンを執った。少しずつ書いては消し、やがて数百字に満たない掌編を終わらせるぐらいになれた、ある日のことだった。



 俺は偶然、小説サイトでコンテストの開催を知った。短期間に連続して10のお題が出る、過酷なスケジュールのイベントだ。


 こんなの激走、無理に決まっている! 俺にこなせる訳がない。


 しかしなぜか俺の手は、1回目のキーワードを画面に打ち込んでいた。「なあ、最後まで走れなくても、どうせ失うものなんて無いだろ?」


 変な圧が掛からなかったおかげなのか。1作品目を投稿できた。続けて2作、3作と遅れることなく短い物語が書き上がっていく。


 アクセス数の少なさは知っていた。でもそれ以上に、次々に自分の物語が増えていく事実が、無性に嬉しかった。


 そうしてついに10作品目最後のテーマが発表された。


 だがここに来て、俺の指が止まった。もう1日近く悩んでいるが、プロットがまったく浮かばない。


 あと1作品、絶対に仕上げたいのに――締め切り時間と皆勤賞という、2つのプレッシャーが肩に重くのしかかった。



 こんな場所で海を見ている場合ではないだろう。そう分かっているけれど、俺の足は動かなかった。


 時間だけが刻々と過ぎていく。


「あんた。釣りはしないのかね?」


 まったく気配を感じなかった。ただ振り向いたら、竿を持ち、釣糸を垂らしている老人がいた。


「いえ、ただここに座っているだけです」


 見ず知らずの人に、なぜか焦って言い訳をしている俺。


「あの……ここは何が釣れますか?」


 魚に興味は無いが、場繋ぎに訊いてしまった。


「その日のしおと天気と、偶然が決めることなんでね。釣れてみないと答えられん」


 何か狙ってる魚がいるんじゃないのか。それよりも、どこかぶっきらぼうな老人の態度に、少し腹が立った。


 真面目に取り合うんじゃなかった。俺は話しかけた事を後悔した。


 もう引き上げようと腰を上げ、ズボンに付いた砂を払った時、老人がつぶやいた。


「釣糸にかかるのは、ちっぽけな魚かもしれないし、大物かもしれない。ボウズの時だってある。


 けど結果ゴールが解らない楽しみ方ってのも、あるんじゃないかね? 私のしてるのは、そんな釣りだよ」


 その場から動けなかった。老人の言葉に、何かひっかかりを感じた。


「あ……」


 俺はラストのお題発表を見た瞬間の、自分を思い返していた。『10回目』の文字を見て、少しジーンときていた気がする。


 これを書き終えたら、何か自分が変われる。そんな期待と気負いが、どこかに生まれていたのかもしれない。


 その前の9回はそうじゃなかった。次々と発表されるテーマをこなすのに精一杯。読者の評価を見ている時間もなかった。


 だから逆に、ここまでたどり着けたに違いない。


 お前にはそんな短いゴールが連続する、繰り返しのレースが似合ってる。どこまで行けたかは、最後の最後に解ればいい。


 俺は釣り人の言葉に、勝手に答えを見つけた気がした。


「俺、帰ります。あの……ありがとうごさいました! これから海風が強くなるから、帰り道に気をつけて下さい」


 立ち去ろうとした時、最後にどうしても訊いてみたくなった。


「あなたはいつまでこの釣りを続けるのですか?」


 老人はしばらく海に浮かぶ浮きを眺めていた。そして静かに言った。


「わからんね。とにかく毎日。海に竿さおを垂らさなきゃ、魚の当たりは聞こえないから」





(終着点    おわり)


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