第12話 潜入 その2

「ただのビギナーズラックですよ」


上井は軽い口調で永吉に言葉を返した。


次に上井はバンカーにチップを2枚かけた。


すると、永吉とメガネの男も、上井と同じバンカーに賭けてきた。


「ビギナーズラックは、もう終わりですよ」


上井は隣の永吉にやさしい口調で言った。


「いえ。あなたはおそらく勝負事に強い人です。普段から投資などで大金をかけていませんか?」


「えっ?」


「あなたのモンクレールの服ですよ。投資で金を稼いでカジノに来る人は、なぜかモンクレールの服を着ていることが多かったんです。たぶん、あなたはお金に好かれている」


上井が今日、モンクレールの服を着てきたのは、潜入のため、個人投資家の下条(しもじょう)という嘘の身分を用意したからだった。


以前、別の仕事でカジノに入った時、小金持ちの若い個人投資家の多くが、モンクレールの服を着ていた。


それで、今日モンクレールの服を着てきたのだが、まさかその意図をすぐに見抜かれるとは思わなかった。


この永吉という人は、普段から人をよく観察している。


柵木重則が再びカードシューからカードを配った。


プレイヤーの合計は6。バンカーの合計は9だった。


「言った通りでしょう?」


永吉が上井の方を向いて言った。


「今日は、そうみたいですね」


この人とあまり深くかかわらない方がいいか? 

それとも懐に入って情報をもらった方がいいか? 

上井は判断に迷いながら言葉を返した。


「カードの交換をいたします。少々、お持ちください」


先ほどチップを渡してくれた細身の男が、そう言ってトランプを入れるカードシューを取り外した。


上井はそのタイミングで、近くにいるボーイにジントニックを頼んだ。


「すいません。先程は突然失礼いたしました。私はとある企業で営業を担当しております、永吉と申します」


隣にいた永吉が上井に話しかけてきた。


ここは無下に対応するところではないなと判断した上井は、少し彼に踏み込むことにした。


「こちらこそ、初めまして。個人投資家をしております、下条です。営業マンだったんですね。どうりで観察眼がするどいはずです」


上井はあらかじめ作ってきた嘘の身分を永吉に伝えた。


「すいません。私の悪い癖なんです。仕事柄、すぐに人の癖とか好きそうなものを見抜こうとしてしまって」


「いえいえ。営業マンなら、それは当然です。賭け事はよくやるんですか?」


「はい。大きな商談前に」


「験担ぎですか?」


「験担ぎというよりも、今の自分の運の流れを把握したいんです。ここで負けたら、一度運を落としたので明日の契約はうまく行く。勝ったらますます勢いがつくと。そう思って商談に臨むんです」


「なるほど。常に仕事への使命感をもって、賭け事に臨んでいるんですね」


「その通りです」


永吉は笑いながら答えた。洒落の通じる人だ。


「下条さんもよく賭け事をやられるのですか?」


「たまにするくらいですよ。ただ、今日はこのテーブルから僕の心を高揚させるものを感じたので」


「すいません、下条さん。それは目に見えるものなんですか?」


正面にいた柵木重則が、突然話に加わってきた。決定論を確かめようとしているのは、どうやら本当のようだ。


「目では見えませんよ。感じるだけです」


「熱く感じるんですか?」


「ええ。僕の心がね」


上井は胸に手をやって答えた。


「皆さま。大変お持たせいたしました。準備が終わりましたので、ゲームを再開します」


細身の男が新たなカードシューを取り付け終え、口を開いた。上井は再びチップを2枚、バンカーの方に置いた。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る