第9話 夜の訪問者 その2
ミドルウェアの店内は、壁や家具がナチュラルメープル色で統一されていたので、とても明るい雰囲気を醸し出していた。
「いらっしゃいませ。2名様ですか?」
中に入ると、30代と思われる女性店員がすぐに話しかけて来た。
「はい」
「どうぞ、こちらへ」
早希が返事をすると、女性店員は外の風景が見えるテーブルに二人を誘導した。
早希たちは向かい合う形で席についた。
「メニューが決まりましたら、お呼びください」
女性店員はコップに水を注ぐと、そう言ってすぐに下がって行った。
「ここはアップルタルトが美味しいのよ」
早希は柵木誠吾に聞いた話を、そのまま谷本優佳に話した。
「そうなんですか? じゃあ、それを注文します」
「飲み物はどうする? 私はアールグレイを頼むけど。あなたは?」
「じゃあ、私もそれで」
「以上でいい?」
「はい」
「すいません」
早希は店員を呼んで、アップルタルトとアールグレイを二人分注文した。店員は注文を受けると、すぐにカウンターへ戻って行った。
「重則さんとは、いつ知り合ったの?」
早希は彼女が話しやすくなるよう、気楽に話せそうなことから聞いた。
「大学一年の時です。野球部に入部した時に知り合いました。重則君は一年でショートのレギュラーを取ったスーパールーキーでした。体がバネのようにしなやかに動いて、あれは天性のものです」
「そんなにすごかったんだ」
「ええ。プロのスカウトも見に来ていましたから。ですが、まさにあんなふうに怪我をするなんて」
「確か、試合の最中に怪我をしたのよね?」
「はい。柵木君が二塁に滑り込んだ時に、相手と交錯して。本当に不幸な事故でした」
「お待たせしました。アップルタルトとアールグレイです」
先程の店員がタルトと紅茶を持ってやって来た。彼女はそれらをテーブルの上に置くと、またすぐにカウンターへ戻って行った。
「冷めないうちに、食べましょう」
「はい」
早希は早速アップルタルトをフォークで小さく切り、口に入れた。
するとすぐに棘のない甘味が、ほのかな酸味とともに、口の中に広がった。
確かに、これは美味しい。
「おいしい」
谷本優佳は一点の曇りもない笑顔で答えた。
「でしょう?」
彼女が喜んでくれて、早希も嬉しかった。二人でアップルタルトを堪能しながらたわいのない話をいくつか交わした後、早希はようやく本題に入った。
「重則さんの両親に話したいことって、どんな内容なの?」
「はい。実は重則君、錦糸町にある闇カジノに出入りしているんです」
「えっ。ひょっとして借金まみれになっているの?」
「いえ。お金は賭けていないんです。ディーラーになってそこに来ている人たちを観察しているんです」
「観察? 何のために?」
「怪我して野球ができなくなったことは運命なのかどうか、確かめようとしているんです。『神はサイコロを振らない』という言葉を知っていますか?」
「アインシュタインの言葉だ」
イヤホンから上井の声が聞こえてきた。
「アインシュタインの言葉ね」
「はい。決定論という、自然界の物事はすべて何らかの法則によって決まっているという考え方だそうです。重則君は闇カジノで、そこで勝つ人間と負ける人間は必然的に決まっているのかどうか、確かめようとしているんです」
「なるほど。重則さんは野球が出来なくなったことを、まだきちんと受け止められていないのね」
「はい」
「それなら、もっと早くそのことを両親に伝えてあげればよかったのに。どうして、そんなに迷っているの?」
「実は、私も怪我をして、野球が出来なくなった人間なんです。高校生の時に肘を壊して……だから、分かるんです。重則君が今どれだけ苦しんでいるか」
「そっか。それで重則さんの気持ちの整理がつくまで好きにやらせた方がいいのか、それとも止めた方がいいのか迷っていたのね」
「はい」
「早希。彼女と連絡先を交換して、都合のいいタイミングで両親に伝えると約束しろ」
イヤホンの先にいる上井が、指示を出して来た。
「谷本さん。今の話、私が必ずいいタイミングでご両親にお伝えするわ」
「よろしくお願いします」
谷本優佳は丁寧に頭を下げた。
「あなたの連絡先を教えてくれる? 万が一、重則さんの身に何かあった時、すぐに連絡して欲しいから」
「もちろんです」
早希は谷本優佳と連絡先を交換した。
「それと最後にもう一つ、あなたにどうしても確認しておきたいことがあるの」
「何ですか?」
「あなた、重則さんの恋人?」
「違います」
彼女は即座に否定したが、その表情は恋する女性の顔だった。
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