思い出

ちい。

思い出

 僕は妹を背負ってゆっくりと歩いている。空にはまん丸のお月様が僕ら二人を見守ってくれているように夜空に浮かんでいた。


 小さな寝息を立てている。


 余程、疲れたのだろう。隣村までのお使いの帰り道。歩けないとぐずる妹。妹の足では厳しいと父さんも母さんも反対していたのに、無理やり大丈夫と言って着いてきた。

 

 それがこれである。

 

 僕らの家のある村まであと少しのところだった。

 

 だけどよく頑張ったと思う。幼い妹の足でこれだけ歩いたのは初めてであろう。お使いに行った先のおばさん達も着いてきた妹を見てびっくりしていた。

 

 ふふふ……

 

 僕はおばさん達の驚いていた顔を思い出し、笑ってしまった。

 

 何やらむにゃむにゃと口を動かしている妹。夢の中で美味しい物でも食べているのだろうか。僕らの住む村は貧しく、妹に町に売っているような美味しいお菓子さえ買ってやることができない。

 

 そんな妹のために、僕は将来は軍人になりお金をたくさん稼ぎ、美味しいお菓子や可愛らしい洋服を買ってあげたい。

 

 妹の為ならば、僕はなんでも出来る。

 

 いつも僕の後ろをひょこひょことついてくる妹。

 

 だいぶ年の離れたこの妹が、僕は堪らなく愛おしかった。何があっても守ってやろうと心に誓っている。

 


 

 

 

 それから十年の月日が流れ、僕は二十四歳になり、妹も十六歳なった。

 

 妹はあの頃の面影を残しながらもとても綺麗になった。兄の欲目もあるかもしれないが、この村で……否……近隣の村を合わせても、妹に敵う女性はいないと思っている。

 

 そして、僕もあの日の夜に誓ったように、軍人となった。たくさん勉強し、学校ではいつも一等の成績をとり、奨学生として将来の将校を育成する軍の士官学校へ進学し、そして卒業、今やエリートコースを歩んでいる。

 

 僕の帰省を村中がこぞって出迎えてくれた。

 

 この村から初めての将校。

 

 それはそれはお祭り騒ぎのようであり、近隣の村からもたくさんの人が集まっていた。

 

 そんな中、遠くから僕を見つめている妹。あまりにも色んな人達から囲まれ近づく事が出来ないのだ。

 

 僕は周りに集まっていた人達に一声掛けると、急ぎ足で妹のほうへと向かった。

 

「大きくなったね、さち

 

 久しぶりに会う妹は恥ずかしさと照れからか、なかなか僕と視線を合わせようとしない。僕と両親は苦笑いすると、集まっていた人達へ頭を下げ、家の中へと入っていった。

 

 士官学校を卒業して以来、久しぶりに揃った親子四人。母さんがみんなに暖かいお茶を配ってくれる。軍で飲むのとは比べ物にならない安いお茶である。しかし、それは懐かしい味であった。幼き日より食後やお八つの時に出してくれていたお茶の味。

 

 僕はゆっくりと噛み締めるようにそれを飲んだ。

 

「軍部で出されるようないいお茶じゃないけど……」

 

 母さんが済まなそうに詫びるが、僕はそれが良いんですよと笑った。本当にこれが良いんだ。ほっとできるお茶の味、そしてこの空間。正直、僕が与えられた執務室よりも狭いかもしれない土間続きの部屋。だがそれは紛れもなく僕が生まれ育って、家族とすごした場所である。

 

「兄さん……お帰りなさい」

 

 小さな声で妹……幸が僕へと言った。やっとである。僕はその一言が大変嬉しく思った。そして、家族へ買ってきていたお土産の入った紙袋を父さんと母さん、幸へと渡した。

 

 幸へは町で買った美味しいと評判のお菓子の詰め合わせと、流行っている洋服。

 

 「こんなにたくさん……ありがとう、兄さん」

 

 幸は涙ぐみながら、お土産の入った紙袋を抱きしめる。

 

 父さんや母さんも僕からのお土産にとても喜んでくれていた。

 

 

 

 

 

 そして、幸が寝付いたのを確かめた僕は父さんと母さんの前に座った。

 

「話しがあるんじゃろ、裕人ひろと

 

 やはり父さんはお見通しだったらしい。昔からそうだった。何か大切な話しをしようとしても、父さんは僕の僅かな表情からそれを察してくれていた。だから、敢えて幸が寝付くまで何も言わずにいてくれたのだろう。

 

「父さんは敵わないですね」

 

「何にもしてやれなかったが、これでも裕人、お前の親じゃからの」

 

 がははっと大きな口を開けて笑う父さん。そんな父さんにつられて笑っていまう。

 

 そして、父さんは真顔にもどると母さんの入れたお茶をぐびりと飲んだ。

 

 何も言わずに僕が話し始めるのをまっている。

 

「僕は大陸の方へと行くことになりました」

 

 大陸と言うのは、島国である祖国の海を挟んだ隣にある国の事である。今、この国はそこの一部を統治している。もちろん、国際社会からもそれは認められている。しかし、そこに住む人々全員が我々に良い印象を持っている訳ではなく、一部の者達から、侵略されたと思われている事も確かである。その為、度々反政府組織のテロ行為が起こる不安定な場所でもあった。

 

 そこに僕は赴任する事になった。

 

 ただし、赴任する事で階級も中尉から少佐へと異例の二階級特進である。士官から上長官。現場での指揮能力の高さを認められた、という事もある。

 

「そうか……」

 

 父さんは湯呑みを両手で包み込むようにして持っている。そして、僕の話しを聞き終えると少し寂しそうに笑った。

 

「心配しないで下さい、何も死地へと旅だつ訳ではありませんから。ただ、長い事、ここへは帰って来れなくなるでしょうが……」

 

「あぁ、文だけは寄越してくれ。遠く会えなくともな」

 

「もちろんです」

 

 そしてを父さん、母さんと夜更けまで色んな話しをして過ごした。

 

 

 

 

 

 あれから数年、時代が大きく動いた。

 

 僕の赴任していた国での内乱をきっかけに世界を巻き込む戦争へと発展して行ったのだ。

 

 その内乱の相手である反政府組織に手を貸した東の大国と、わが祖国を後押しする同盟国である西の大国の裏に見える利権争いが飛び火したのである。

 

 祖国の統治していたこの場所は特に戦闘が激しく行われ、僕はその最前線で指揮をとり、何とか今の今まで生き延びる事が出来ている。

 

 しかし、戦況は決して良い方向に向いているとは言えなかった。昼は東の大国の軍による攻撃、そして、夜間は反政府組織のゲリラ攻撃。それが連日連夜続き、我が国の兵達も体力気力共に削られてしまっていた。

 

 何か打開策はないものか……

 

 物資は西の大国の後押しのお陰で足りない事はないが、やはり昼夜問わずのこの攻撃が悩みの種である。

 

 そして、ついに恐れていたことが起こったのである。わが部隊の生命線となる物資補給路が敵により陥落されたのだ。

 

 最早、陸の孤島と化した。

 

 覚悟を決める兵士達。

 

 玉砕の道を選ぶか……

 

 それともまだ何かの可能性を探るか……

 

 二つに一つである。

 

 こんな時に故郷の家族のことを思い出す。

 

 父さん……

 

 母さん……

 

 幸……

 

 父さんは相変わらず畑仕事に精を出しているのかな……もう歳なんだから、楽して下さい。

 

 母さんのあのお茶をもう一度、飲みたかった……薄かったけど懐かしさを感じるあのお茶を。

 

 幸、君はもう少女から大人になっているだろう。僕が守ってやらなくても、君を一生守ってくれそうな大切な人を見つけただろうか?

 

 我が部隊と比べ物にならない物資を持つ東の大国の軍隊。その砲撃が僕のいる司令部を大きく揺らす。埃が舞落ちてくる。天井を見上げる僕はほうっとため息をついた。

 

 

 

 

 

「兄さん、私、大きくなったらね、兄さんと結婚するっ!!」

 

 僕の背中へと抱きつき花が咲いたような笑顔でそう言う幸。

 

「幸、残念だけど兄妹では結婚できないんだよ」

 

 幸は、僕の言葉にあからさまに残念そうな顔をする。

 

「それなら、私は誰とも結婚しない。そして、兄さんとずっとずっと一緒にいてあげる」

 

「ははは、それは困ったね」

 

「なんで、困るの?私は困らないよ、逆にとっても嬉しいわ」

 

 そう言うと目をきらきらさせて幸せそうに笑った幸を、僕はぎゅっと抱きしめてやった。

 

「兄さん、大好きだよ」

 

 

 

 

 

 それから七十五年の長い長い年月が流れた。

 

 とある神社に参拝している一人の老婆。

 

「兄さん……お元気ですか?今年もやってきましたよ」

 

 顔を上げた老婆がぽつりと呟いた。

 

 晴れ渡る空の下、ここにこれば兄さんに会える。

 

 老婆は、その思いで毎年欠かさず終戦の日にこの神社へと足を運んでいる。

 

 その度に、まるでつい最近あった出来事のように、あの頃を思い出す。

 

 一緒に行ったお使い。

 

 広かった背中。

 

 優しかった笑顔。

 

 物知りで色んなお話しをしてくれた。

 

 たくさんのお菓子に可愛い御洋服。

 

 駅に見送りに言った時、最後に撫でてくれた頭の感触。

 

 ほろりと一筋の涙が老婆の頬を伝う。

 

 どれもこれも思い出である。

 

 過ぎ去った日々の事である。

 

 だが、老婆はそれを胸に生きている。だから、毎年通うのであった。大切な大切な兄との絆だから。

 

「幸さん、そろそろ行きましょうか?」

 

 付き添いで来ていた女性から声をかけられた幸。もう一度、社へと頭をさげた。

 

「また、来年も来ますね、兄さん」

 

 そう言うと幸は、ゆっくりと女性の方へと歩いていった。

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