黒猫のおじさん
ちい。
黒猫のおじさん
「世の中ってのはね、全て起こり得る事しか起こらないんだよ」
黒猫のおじさんは前足をぺろりと舐めると、そのまま、その前足で顔中を撫で回しています。私は、そんな黒猫のおじさんを下から見上げるような形で座り、黙って黒猫のおじさんの話しを聞いていました。
「だから、僕と君とが出会ったのも、それは最初から決まっていた事なんだ」
何か難しい事を言っておりますが私はまだ小さく、黒猫のおじさんが何を言っているのかがよく分かりません。
でも、私と出会えたことが、とても嬉しいと言うのだけは、幼い私にも伝わります。それからも黒猫のおじさんは饒舌で、よく喋り続けていました。
黒猫のおじさんと、私は一緒に旅に出ました。初めは、近くの森や小川の辺りまででしたが、私が大きくなるにつれて、少しづつ、少しづつ、私の方へと振り返りながら、遠くへ旅に出ました。
初めて見る海の大きさに感動し、寄せては返す波の飛沫に驚き戸惑う私を見て楽しそうに笑い、この世界を真っ赤に燃やしてしまったような夕日を怖がった私の側に寄り添い、ぺろぺろと頬を舐めてくれ、きらきら光るお星様を丘の上で一緒に見て、それに見蕩れていた私に優しく微笑んでくれました。
「どうだい?世界には色んなものが溢れているだろう」
黒猫のおじさんは、だいぶ大きくなった私にそう言うと、逆に歳をとり、小さくなってしまった黒猫のおじさんが小さな咳をごほんごほんとしています。
最近、黒猫のおじさんは、この小さな咳をよくするようになりました。
それからも、私はどんどん大きくなり、でも黒猫のおじさんのあんなに黒くて艶のあった毛は、枯れゆく花のように生気が失われていくのが分かります。
まだ一緒に旅に出たいと思っておりましたが、黒猫のおじさんは、もう一人では歩けないようになってしまいました。
私は、黒猫のおじさんが痛くないように、バスケットに毛布を敷き詰めそっと黒猫のおじさんを寝かすと、ゆっくりと旅に出ました。
港には見たこともないような大きなお船が泊まっておりました。黒猫のおじさんは、目だけを大きなお船に向けると、
「あれは世界一周をする船だね」
と、小さな震える声で私に教えてくれます。私は、あのお船に乗って、黒猫のおじさんと、もっと遠くへ、ずっと遠くへ一緒に旅に出たいと思いましたが、黒猫のおじさんは私にそれは難しいねと言います。
「僕が君と旅をするのはこれが最後だから」
黒猫のおじさんは、最後の力を振り絞るように私の方へ顔を上げ、そのやせ細った前足を伸ばしてきました。
私はバスケットを抱え座り込むと、黒猫のおじさんの前足をぎゅっと握りました。
「とても、とても楽しかったよ」
黒猫のおじさんはそう言うと、静かに瞼を閉じてしまいました。私は黒猫のおじさんが、もう瞼を開けて、私を見てくれない、その小さなお口でお話しを聞かせてもらえない事が分かりました。
ぽろぽろ、ぽろぽろと涙が溢れ出てきます。溢れ零れた涙が黒猫のおじさんの上に落ちていきます。
私は丘の上に、黒猫のおじさんのお墓を作りました。
あの赤く世界の全てを燃やすようで怖かった夕日、きらきらと輝き、夜空から零れ落ちて来そうなほどに敷き詰められていた星たちを見たあの丘に。
ありがとう、黒猫のおじさん。
ありがとう、私と出会ってくれて。
ありがとう、私と一緒に旅をしてくれて。
黒猫のおじさん ちい。 @koyomi-8574
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