ゴール地点はスタート地点!
金澤流都
そのスタート地点で、また彼女と巡り合いたい。
あのころ幸せな言葉を一つも話さなかった彼女。いつも、眼鏡と長い髪で表情を隠して、悲しげな声で喋っていた彼女が、驚くほど晴れやかな顔をして俺を見ているのを、彼女と出会ったころの俺が見たら――びっくりするだろうな。
彼女は驚くほど明るい表情で、うれしそうに桜並木の道を歩いている。風が吹くと、地面に落ちていた花びらが、ふわりと舞い上がって踊りだす。まるで彼女のうれしさを表現しているみたいだ。彼女は、可愛らしいパンプスの、ちょっと高めのヒールを小さく鳴らして、俺の横を歩いている。
あのころ化粧っけなんて全くなくてただ生気のない青白い顔をしていた彼女が、喜びに頬を染めて笑顔を浮かべている。彼女は俺の手をとって、軽く引っ張ると、
「あなたの給料三か月分の炭素の塊より、あなたがいるのがうれしい!」
と、明るい顔で笑ってみせた。おれはそんな彼女の顔を、ただ穏やかに見つめる。
「言っておくけど、これがゴールじゃないよ。まず新居に荷物を運ばなきゃないだろ、それが終わったら新居での暮らしに慣れて、ああ、結婚式も小規模に挙げるか。……できることなら子供も欲しいな。子供ができたら生まれてくるまでは君にどうしても負担がいくだろ。俺だってできることはなんだってやるけどさ。生まれてきたら夜泣きだとかミルクだとか離乳食だとか子供服をまめに買い替えるだとかやることはいっぱいあるし、ちょっと大きくなったら幼稚園に入れて、それから小学校中学校高校……」
「そんな夢のないこと言わないでくださいよぅ。とりあえずわたしはあなたと一緒に暮らしていられたら幸せなんですから。いろんな人に感謝ですね、結婚しましたのハガキいっぱい出さなきゃ」
結婚しました、のハガキかあ。フェイスブックにバーン! じゃだめなの? と訊ねる。
「ネットの上でバーン! しても説得力に欠けると思います。まあ式も挙げますけど……いままで、昔の友達から『結婚しました』のハガキなんか届いたことがなかったから、あれを送ればみんなきっとびっくりして、それから祝福してくれると思うんです」
「じゃあ式でケーキ入刀するときの写真撮ってもらわないとな」
「そうですね……あ。従兄がカメラオタクなんですよ、来てもらいましょうよ。痛車にドールさんとか乗せてる人で、ドールさん撮影するのが趣味なんです」
「従兄さんって結婚してるんじゃなかったっけ? 痛車とか奥さんに嫌がられない?」
「わりと最近デフォルトしました。お嫁さんがオタク趣味についてこれなくてすごくレアなドールさんを勝手にゴミに出しちゃったとかで」
デフォルトて。でもまあ単純に「離婚」よりは言葉の雰囲気がいいな。
「……えへへ」
彼女は左手を見る。給料三か月分の炭素の塊が光り輝いている。それをじっと見て、
「本当に、結婚したんだ。これからは、ずっと一緒なんだ」
と、うれしそうに言う。
「何度でも言うけどゴールじゃなくてスタートだからね。まだ始まってすらいないんだよ」
「わかってますよぅ。とりあえずお祝いになにかささやかにおいしいもの食べます?」
彼女が指さしたのはラーメンのチェーン店の看板。いやまあ確かにおいしいものではあるな、日本中どこの人でもお金を払って食べているわけだから。
「ささやかっていうけど鯛の尾頭付き食べていいくらいめでたいんだからね? きょうまちがいなく入籍したんだからさ、ケチケチしなくていいんだよ」
俺がそう言うと彼女はぼっと赤面した。
「もう、恋人とかじゃなくて、家族なんですね」
「そうだよ。だから学生のころデートの昼ご飯食べるノリでラーメンとかじゃなく、もっとおいしくてお高いもの食べようぜ。うーん……でもここいら、そういうごちそうの食べられる飲食店ってあんましないな」
「回らないお寿司とか?」
「あ、それいいな! 駅前の寿司勝にでもいくか。あそこお任せならそんなに高くないし」
「あなたもケチケチしてるじゃないですか。ぱぁーっと、大間の本マグロ大トロ一貫2000円とかいっちゃいましょうよ。あれだけの難敵をねじ伏せたんですから」
難敵かあ。つまり彼女の両親と祖父母。彼女の家はお金持ちで、家族がもっと立派なお家に嫁がせたいと考えていたのを、しつこく説得して結婚のお許しをもらった。彼女の家は俺の家とは経済格差がすごいけれど、東京で暮らしていたころ同棲して価値観をすり合わせたのがよかったかもしれない。そこは俺に東京の大学を勧めてくれた高校の先生のおかげでもある。
彼女と一緒に暮らすんだ。あの東京の狭いアパートでなく、この俺たちの故郷の街にある、おしゃれなマンションで。もう引っ越し業者さんも決めていて、家具や生活用品も一通り用意してある。あのひと口しかないコンロとえらい狭いシンクで頑張って料理しなくてもいいし、狭いところに体を押し込んで寝なくてもいい。でっかいダブルベッドが待っている。
「……でも引っ越しは急いだほうがいいな。そろそろ真面目に働かないと。しかし完全リモートOKっていうのはありがたいもんだ。コロナのありがたい置き土産だな」
「わたしも頑張って働きますよ。受賞後第一作はまだかって編集者さんにせっつかれてるんです。結婚にかまけてのんびりしすぎちゃだめですね」
彼女は小説家である。大きな賞をもらって、ハチャメチャに過激な作品で世に出た。俺みたいな平凡な人間には少しもったいない気もする。でもそんな彼女が俺を選んでくれたのだ。
これはゴールではない。スタート地点だ。俺たちの人生は、まだまだ未来のほうが長い。もしかしたら死んでしまったとしても、それすらもスタートかもしれない。それなら、そのスタート地点で、また彼女と巡り合いたい。
ゴール地点はスタート地点! 金澤流都 @kanezya
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