第8話 混乱する姉

「はい、ルーシー。あ~ん」


「…………自分で食べられ……んぐ、ん…………おいしい」


衝撃の告白から一ヶ月。

ジュードの態度は驚くほど軟化し、ツンデレのツンが行方不明になってしまった。

デレだけが残り、彼は私を甘やかすことに全力を尽くしている。


毎朝一緒にいただく朝食も、向かい側の席から隣に移動し、ハムや野菜を食べやすく切り分けては私に食べさせてくるのだ。


おじさまやおばさまが領地へ帰っているので、今この邸の主人はジュード。

使用人たちは誰一人として異議を唱えず、「まぁ仲良しですね」と温かい目を向けてくる。


使用人のリンによると、ツンデレがデレだけになることはままある展開だそうで、「恋愛小説では溜まりに溜まった愛情が爆発してデレだけ残るんですよ!」と熱弁されたが現実には到底受け入れられない……。


食事が終わると、ジュードは学院へ登校する。


「なるべく早く帰るから」


「はい。いってらっしゃいませ」


実はジュードが登校することにホッとしている。

ずっとそばにいられたのでは、私の心臓がもたない。


緊張気味に、けれど愛想笑いを浮かべて見送る私。

すると何を思ったのか、たっぷり間を空けた後、ジュードは急に私の腕を引いてぎゅっと抱き締めてきた。


「ひゃぁ!」


心臓が破裂しそうなほどにバクバクと鳴っている。

息が詰まって気絶するかと思った。


「いってきます」


にっと意地悪く笑ったジュードは、颯爽と出て行ってしまった。

残された私はへろへろとその場に膝をつき、リンやメイド長に「大丈夫ですか?」と声をかけられて支えられながら立ち上がる。


私はふらふらとした足取りで二階へ向かい、自分の部屋へ逃げ込んだ。


抱き締められたのは初めてで、どんどん距離感を詰められている気がする。

きっと真っ赤になっていると思うから、鏡が見えないように顔を背けつつ寝室へと飛びこんだ。


「どうしたらいいの……?」


ベッドに倒れ込み、枕に顔を埋めて毎日同じことを考える。


ジュードのことを思うと、そわそわして落ち着かない。

かわいい純度100パーセントだったはずなのに、急に男の人になってしまった感じが出てきてどうにもこれまで通りの態度で過ごせないのだ。


寝返りを打つと、胸元でシャラリとネックレスが擦れる音がする。


ジュードが最近くれたエメラルドのネックレスは、普段身に着けるような気軽なものではない。けれど「毎日つけて」とご要望があったのでおとなしく身に着けている。


――別に、わざわざ作ったわけじゃないから。いつでも捨てられるくらいのものだから。失くしたって問題ない


あぁっ、たまに出てくるツンにやられてネックレスを受け取ってしまったわけじゃないのよ!?

いや、ちょっと、ものすごくかわいかったから反射的に受け取ったとかじゃないのよ!?


「はぁ~~」


突然の告白からジュードも変わったけれど、一番変わったのは私自身だ。


歩くときに歩幅を合わせてくれることも、エスコートしてくれる手の優しさも、何をするにも労わるように見守ってくれる穏やかな顔つきも、これまでだってあったこと全部が「私を好きだから」に繋がっていると実感してしまう。


おかしい。

絶対におかしい。


ジュードのことは、かわいい弟だって思って来たのに。急にこんなにドキドキし始めるなんて、どこか病気だとしか思えない。


「ああああー!ダメよ、義弟は義弟なのよ~!」


またうつ伏せになり、足をバタバタさせて悶えていると、扉の方からひょこっとリンが顔を出した。


「ダメじゃないですよ~。背徳的な感じがして素敵です~」


恋愛小説大好きっ子は、私たちの状況を楽しんでいた。


「背徳的って、他人事だと思って」


恨みがましい目を向ける私に対し、リンはにっこり笑った。


「いいじゃないですか!本当の姉弟なら大問題になりますが、誰も反対していないんですからここはもうジュード様の胸に飛び込んでしまえば……ってさきほど抱き締められていましたね」


「思い出させないで!」


抱き締められた感触やジュードの匂いまで蘇ってしまって、私はせっかく引いた熱が戻ってきてしまった。顔が熱い。焼け死んだらもうツンデレが見られないじゃない!


「あぁ、自分が情けないわ。公爵家の娘ならば、毅然とした態度を取らないといけないのに」


「いいんじゃありませんか。外でしっかりしていらっしゃるんですから。ジュード様だって外と内では随分違いますよ?」


「そうだけれど」


困り果てた私は、大きなため息を吐く。

一人で悩んでいても、何も解決しないことは明白だった。


「リン、出かける準備をしてくれる?ケイトリンに会いに行きたいの」


「ゼイゲル伯爵家ですね。わかりました。お着替えと馬車の用意をいたします」


困ったときは、誰かに相談するに限る。

口の堅い友人であれば、きっと内密にしてくれるだろう。


いそいそと準備を整えた私は、御者と護衛と一緒に近くにある友人邸へと向かった。



***



先ぶれを出してお伺いを立ててから二時間後、ケイトリンからは「ちょっと遅めのランチでも一緒にどうか」と快い返事をいただいたので、私はおみやげの菓子を手に伯爵家を訪れた。


「よく来てくれたわね……って、どうしたのこの世の終わりみたいな顔して」


「あはははは、ちょっと色々とあって」


日よけの設置されたテラスへ向かうと、そこにはおいしそうなパンや魚のムニエル、冷製スープなどが用意されていた。氷は貴重だから、冷たいスープを用意できるのは財力の証である。


席に着くと、ケイトリンは不思議そうな顔をして尋ねた。


「本当にどうしたんです?突然連絡を寄越すから、てっきり婚約が決まったのだとばかり」


そういう受け取り方があったのね!?

私は驚いて目を丸くする。


「婚約だなんて……!違うのよ、結婚話なんて」


「え?まったくないんですの?」


「…………実はそのことで相談に」


食事をとりながら、私はこの一ヶ月間のうちにあったことをぽつりぽつりとケイトリンに伝えていった。


彼女は「あら」「まぁ」「なんてことでしょう」と驚き、けれどとても楽しそうに話を聞いていた。


「素敵!ずっと義姉を想ってきたなんて、まるで恋物語のようだわ!」


ケイトリンは頬に手を添え、どこか遠くに想いを馳せるかのようにうっとりとしている。


「でも、困っているの。急に態度が変わってしまって、恋人にするような扱いを受けたら気持ちが落ち着かなくて」


「あら、お嫌なの?」


嫌じゃないから困っている。

押し黙って俯いた私を見て、ケイトリンはふふふと含み笑いになった。


「よいのでは?嫌ならどうにかして逃げる方法を考えないといけないけれど、ルーシーだって憎からず想っているのでしょう?ならば何も問題なんてないと思います」


「それは、そうかもしれないけれど……」


もやもやした気持ちになってしまうのはどうしてだろう?

姉として認めて欲しくてがんばってきたのに、それがもう叶わないから意地になっている?

それとも、実は嘘なんじゃないかって不安?


自問自答を繰り返すけれど、何も答えは見つからない。


「もしかして、お母様の一件を気にしているの?」


「え……」


顔を上げると、ケイトリンがまっすぐにこちらを見つめていた。

このもやもやの正体に、彼女は私よりも先に気づいたのだ。


「まだ私たちがお友だちになったばかりの頃、確か実のお母様側のご親戚に会いに行ったわよね?そのときに酷いことを言われたって落ち込んでいたのを思い出したんだけれど」


「そういえば、そうだったわね」


あれは私が成人してすぐの頃だ。十六歳になったお祝いに、と祖父母や叔父のいる伯爵家を初めて訪れた。

おじさまは一緒に行くと言ってくれたけれど、私は仕事の忙しいおじさまに遠慮して一人でそこへ向かった。


祖父母は私を見て「アンジェラにそっくり」と喜んでくれたものの、思い出話をするうちに、母がいかに伯爵家に迷惑をかけたかを話し始めたのだ。


婚約者がいたのに駆け落ちをして、お相手の家に巨額の賠償を行ったこと。娘の教育を間違えたと、陰口を叩かれて肩身の狭い思いをしたこと。母の弟である叔父の結婚にも差し障りが出てしまったこと。


おじさまが私を引き取ったとき、「祖父母とはうまく暮らせないかも」という可能性を示唆していたのはこういうことだったのかと納得した。


しかもあのとき、十六歳の私は奇しくも駆け落ちした母と同じ年だった。


祖父母も叔父も、何度も何度も私に念を押した。


絶対に人を好きになるな、と。姿は母によく似ていても、主家の令嬢に手を付けるような男の血が流れているのだから、絶対に公爵家を裏切らないよう誰のことも好きになるなと。


母が父と駆け落ちしなければ私は生まれていなかったけれど、あの人たちの前ではとても母の行動を正当化することなどできなかった。


黙って「わかりました」と言うしかなかった。


「ジュード様とは、誰からも反対なんてされていないんでしょう?安心して好きになれるわよ?」


ケイトリンからすれば、好きになっていい相手を好きになりたくないと葛藤するこの気持ちは理解できないんだと思う。けれど、いざ好きになってもいいと状況が整っても、自分の気持ちがうまく解放できないのだ。


「怖いの。好きになって、関係が変わってしまうのが。姉弟ならば終わりも来ないし、万が一嫌われたとしても一方的にでも「かわいい」「好き」って思っていられるでしょう?」


「それはそうね」


「ジュードにはこれから先、いい縁談もいっぱい来ると思うの。13歳のときから私だけを想ってくれていたのはうれしいけれど、ほかのご令嬢と出会ったらその方のことを好きになる可能性だってあるわ」


「あら、それはルーシーにだって言えることじゃない」


困った顔で笑うケイトリン。私は即座にそれを否定した。


「いいえ、私にはないわ。だってジュードのかわいさは世界一よ!もうすぐ秋が来るけれど、毎年私のために温かいショールを買ってきてくれて、私に気づかれないようにメイドにそれを託すの。でも私はわかっているから「ありがとうございます」ってお礼を言ったら、「余りものをやっただけなのに礼をいちいち言うな!」って顔を赤くして怒るのよ!?かわいすぎでしょう!?ショールが余るってどんな状況!?店でもやっているのかしら!?ってツッコミが止まらないわ」


「うん、あなたがジュード様大好きなのはよくわかったわ」


「そんな……、その、大好きだなんてそれはその」


指摘されると急激に恥ずかしさがこみ上げる。

けれど、そんな私を見てケイトリンは意地悪く口角をあげた。


「ねぇ、気づいてる?前までは、同じことを言っても『そうなの大好きなの!』って全力で肯定していたのよ?けれど今は、そうやって照れてる」


「!?」


「もう諦めて、ジュード様を好きだってお返事すれば?」


「でもまだ一ヶ月しか……」


「時間は関係ないわよ。ね、今日お邸に戻ったらきちんと伝えるのよ?」


ケイトリンは自分のことのようにうれしそうに微笑むと、デザートのチェリーパイをぱくりと食べて言った。


「あ、そうだわ!国立庭園のお花が見ごろらしいの。せっかく来たんだから、悩んでいるよりきれいなお花を見て楽しく過ごしましょうよ。お兄様も家にいるから、連れて行ってもらいましょう」


使用人がすぐにフェルナン様の部屋へ向かい、おでかけの準備が始まる。

この兄妹の力関係は、妹の方が圧倒的に強い。フェルナン様に拒否権はないようだった。


帰ったら、ジュードに気持ちを伝える。何度もそう胸の中で繰り返し、しばしの安らぎを求めて国立庭園へと出かけるのだった。

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