第9話 恋は人をツンデレにするのかもしれない
国立庭園は海のそばにあり、小高い丘から見下ろす美しい水面は絶景だった。
まだ養女になってすぐの頃、おじさまが私を連れて来てくれたことがある。
そのときよりも花や草木の種類が豊富になっていて、アネモネやダリアが咲き乱れる様はいつまででも見ていたくなるほどきれいだった。
ただし、今隣にいるフェルナン様は今にも海に飛び込みそうなほどに落ち込んでいる。
「あの、元気出してください」
「…………あぁ」
兄妹と私で国立庭園までやってきたまではよかった。
しかしついて早々、フェルナン様が恋心を抱いていたご令嬢が、仲睦まじい様子でデートしているところに遭遇してしまったのだ。
しかも、お相手がものすごく美男子だった。数々のご令嬢と浮名を流しているという有名な方で、私も夜会で誘われたことがあるけれど、おじさまの「踊ったらいけない人リスト」にばっちり入っている方だった。
「夜会で話したときには、好感触だったんだけれどなぁ」
「切ないですね」
「うちの方が格上だから、気を遣って話を合わせてくれたのかもしれない。私はそれを真に受けて、婚約を申し込んでもいいだろうかだなんて想像して浮かれていて……。消えたい」
「消えないでください!女性はたくさんいます!大丈夫です!!」
ベンチに座ったまま動かないフェルナン様を放置し、ケイトリンは護衛を連れて楽しそうに花々を見て回っている。
フェルナン様は惚れっぽいので、こうした失恋場面は何度か見たことがあり、妹としてはいちいち構っていられないんだそうな。
私も知ってはいたものの、ここまで落ち込んでいる姿は初めてで、どうしていいものかと黙り込んでしまった。
「父がね、そろそろ引退したいと言い出したんだ。だから爵位継承のために、妻帯していた方がいいのではと周囲も見合いを勧めてきてね。何度かがんばってみたものの、どうにも気位の高い女性は苦手なんだ」
どこのおうちも色々な事情があるんだなぁと、私はフェルナン様の話を黙って聞いていた。
彼も多分、ただ聞いて欲しいだけだろうし……。
「私がどの家の娘と縁づくかで、ケイトリンの縁談にも影響が少なからず出るからね。少しでも良縁をと思っているんだが、なかなかうまくいかないよ」
「そうですか……」
「ウェストウィック公爵家は、跡取りがジュード一人だろう?うちは弟が二人もいるから、私がいつまでも独り身でいたら彼らが身を持て余すことになってしまう。二十歳までに婚約をと、昨日も父から急かされたばかりなのにこの有様。もういっそ、親戚から寄越された見合いを二つ返事で頷いてしまおうかとさえ思うよ」
投げやりになっているフェルナン様は、再び深いため息をついた。
「ジュードくらい顔がよければ、きっとこんなに悩むこともなかったかなぁ。学院でも数少ない女子生徒は皆ジュードのことが好きだっていわれているくらいモテてるし、茶会をすればご令嬢方がこぞって話をしたがって頬を染めて……。羨ましいよ」
確かに義弟はあの美形で、しかも外面がいい。
これまでジュードに振られたご令嬢はたくさんいる。
「あぁ~。なんて私は不幸なんだろう。顔も性格も家柄もそこそこで、忌避される要素はないのに。しかもうちって裕福だから、嫁いでくれたら優雅な暮らしを約束するのに。ジュードは何もしなくても女性が寄ってきて、本当に羨ましい。しかも結局は、ルーシーにも振り向いてもらえるんだからなぁ」
「……フェルナン兄様。ちょっと失恋でおかしくなっていますよ?」
いつもはしっかり者なのに、恋愛面はまるでダメなフェルナン様。
愚痴に付き合いきれずに逃げたケイトリンの気持ちがよくわかる。
「おかしくもなるよ。あぁ~やはり男は顔なのか?顔だな!?ジュードの顔になりたい……」
「いいかげんになさいませ!」
じめじめした空気に耐えられず、私はつい苦言を放った。
「顔だけでどうにかなるなら、ジュードはすでに国を統べるくらいできておりますよ!数多のご令嬢に言い寄られても決してなびかず、誠実な対応をしているからこそまたご令嬢方がジュードに恋をするのではないでしょうか!?それに名門公爵家の跡取りの勉強ってものすごく大変なんですよ!?フェルナン兄様もそれはそれは努力なさっているのでしょうけれど、物心ついたときから広大な領地を視察に回って、領民たちに少しでもいい暮らしをしてもらいたいと一生懸命がんばってきたジュードは本当に本当に素晴らしいんですから!たとえ顔がぼこぼこでも血みどろでも、眼球がどこか違うところについていてもジュードはきっと素敵です!」
「ご、ごめんなさい……」
一気に言いたいことを言い放った私を見て、フェルナン様は茫然としていた。
私は私ですっきりして、満足げに笑みを浮かべた。
けれどここで、背後から消え入りそうな声がかかる。
「ちょっ……ルーシー」
「え?」
軽く振り返ってみれば、そこには真っ赤な顔で居心地悪そうにしたジュードが立っていた。
すぐそばには、ケイトリンと護衛の姿もある。
「なんでこんなところに!?」
大慌てで立ち上がった私を見て、ジュードは苦悶の表情のまま呟いた。
「ケイトリンが連絡を……、学院に」
「それで迎えに来てくれたのですか!?」
コクンと小さく頷くジュード。右手で顔の下半分を覆い、目を伏せている。
もしかして、さっきの話を聞いていたんだろうか。
いや、これは絶対に聞いていたはず……。
「「…………」」
沈黙する私たちの脇を、ケイトリンがささっと横切り、フェルナン様の腕を掴んで強引に立たせた。
「おほほほほほ、それではジュード様、ルーシー。またお会いいたしましょう。それでは!」
金髪を風になびかせたケイトリンは、転びそうになってあたふたするフェルナン様を引きずりながら遠ざかっていった。
色とりどりの花が咲き誇る庭園で、私たちは向かい合ったままお互いに何も言えずにいた。
「迎えに来てくださらなくても、きちんと帰れましたのに。そんなにお暇でしたか……?」
銀色の髪を耳にかけながら、口からそんなかわいげのない言葉が漏れる。
あれ、これじゃ私がジュードみたいじゃない!?
言ってしまった後の後悔がすごいわ!!
フェルナン様と同じく、今すぐ消えたくなった。
そんな私に対し、ジュードは冷静に返事をする。
「暇じゃない。公爵家の嫡男は忙しい。ルーシーがさっき言ってくれたみたいに」
「!?」
さきほどのことを持ち出され、私は全身の血が沸騰したかと思うほど顔も手足も熱くなった。
両手で顔を覆い、今すぐ私を消滅させてくれと神様に懇願する。
「ルーシー」
「来ないで」
一歩、また一歩と距離を詰められ、私は思わず拒絶した。
今にも泣きそうな顔でジュードを見上げると、彼は困ったように笑っていた。
「暇じゃないけれど、使える時間は全部ルーシーのために使いたい。だから迎えに来たんだけれど、いけなかった?」
心臓がドキンドキンと跳ね、呼吸がしにくくなって涙が眦に滲む。
再び顔を両手で覆いたくなったけれど、ジュードに両の手首を掴まれて制されてしまった。
彼は、まっすぐに私を見下ろして言葉を紡ぐ。
「心配した。急に出かけるなんてしたことないのに、今日に限ってケイトリンから連絡をもらったから……。今朝、強引に抱き締めたりしたから嫌われたかと思った」
私は驚いて、大きめの声で否定する。
「そんなわけないです!私がジュードを嫌うなんて……!」
気持ちの種類は違うけれど、私はずっと義弟がかわいくてかわいくて大好きだった。
今のこの気持ちが恋というものなのかはまだ確証がないけれど、きっとジュードを好きな気持ちは一生変わらないと思う。
「私、人を好きになってはいけないと思っていて」
「うん」
「母のように、なったらいけないと思って」
恋というものがおそろしかった。
あれほどまでに周囲に犠牲を強いて、それでも自分の感情と相手を優先してしまう恋というものが。
「今もまだ、不安はあります。けれど、ジュードに触れられるとドキドキするし、優しくしてもらえるとうれしいし、もっと一緒にいたいとは、思ったりするので」
たどたどしくも気持ちを伝えていったら、今朝と同じようにぎゅっと抱き締められた。
心臓の音が聞こえてしまうのでは、と離れようとするも、すっかり大人の体格になってしまった腕は私を包み込んだまま離さない。
「はぁ~~~~~」
「!?」
ため息が長い!!
私の肩に顔を埋めたジュードは、内側に篭った何かをすべて吐き出すかのように長い息を漏らした。
「ジュード?」
「…………大丈夫」
「そうですか」
「愛してる」
「ふえっ!?」
今度こそ心臓が破裂して天に召されるかと思った。
「ルーシー、結婚しよう」
ゆっくりと腕が離れていき、額を合わせて鼻が当たる距離で見つめ合う。
ここまで近いのは初めてで、ただただ目を伏せているとくすりと笑う声が聞こえた。
「無言は承諾したと取るけれど?」
「それは、そうですね」
「ちゃんと返事をして?」
「…………はい。結婚、します」
目を見て返事をすることはできず、そう口にするのがやっとだった。
ジュードは私の額に軽くキスをして、うれしそうに微笑む。
その顔があまりに幸せそうで、私の胸にはむずがゆくて熱いものがこみ上げてきた。
「そんなに私と結婚できるのがうれしいの!?困った人だわ!」
いやー!
思い通りに言葉が出てこない!
違う!私が言いたいのはこんなことじゃない!!
嫌われたらどうしよう、ドキドキする私に向かい、ジュードはおかしくて仕方がないという風に噴き出した。
「ははっ……!そうだな、うれしいよルーシー」
「なっ!?」
「そっかぁ。今までルーシーはこういう感じで楽しんでいたのか。うん、クセになりそうだね」
自分の言動がショックすぎて、倒れそうになる。
ジュードが楽しそうに笑うからこれもまぁいっかと思ってしまったのは、絶対に言えそうにない。
「帰ろうか」
差し出された大きな手。
これまでも何度も手を繋いだことはあるのに、なぜか妙に浮ついた気分になってしまうのだった。
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