復活 ~教授と助手と“人間くん”~

近藤良英

第1話

 〈ものがたり〉


 JR目白駅から車で十分ほど。夕暮れの光を受けてオレンジ色に染まる高台に、ガラス張りの巨大な塔がそびえていた。地上三十階建ての国立遺伝情報研究センター――我が国が誇る最先端の研究施設だ。その最上階の一室では、静けさとは裏腹に、人類の運命を揺るがす実験が進んでいた。


 机の前で資料に目を走らせていた尾長教授は、ふと壁の時計を見る。秒針の音だけがやけに大きい。心臓の鼓動まで早くなる。今日という日は、数十年の研究人生の集大成になるかもしれないのだ。


 そのとき、隣の実験室からドタドタと足音が迫ってきた。


「教授、もうすぐです!」


 白衣をはためかせて飛び込んできたのは助手の角田だ。二メートル近い大男の肩が上下し、息が荒れている。焦りと興奮が入りまじった顔つきで、まるで大型犬がしっぽを振っているようだった。


「そんなに急がなくても逃げやしないよ。ほら、落ち着きたまえ」


 教授は微笑んで立ちあがり、実験室へ向かう。ガラス扉を開くと、室内は冷たい空気と機械の微かな唸りで満たされていた。壁一面のモニターには細胞の画像が映し出され、青白い光がふたりの顔を照らす。


 角田が、ごつい手でプレパラートを押さえながら顕微鏡の位置を調整する。しかし、爪が当たってガラス板がずれた。


「こらこら、角田君。ずれてるぞ。そんな大きな手で繊細な作業をするんだから、せめて爪は切りたまえ」


「あ、すみません……今度切っときます」


「今度じゃなくて今日だ。まったく、最近の若者はまめじゃない」


 教授は呆れながらも、どこか嬉しそうだった。長年ともに研究してきた親しい弟子のように感じているのだ。


「そういえば、食生活が乱れているそうだね。鳥山君から聞いたよ。肉ばかり食べているとか」


 角田は少し気まずそうに後頭部をかいた。


「昔は肉がだめだったんですが、東京に来てからうまさに目覚めちゃって。先生、いつも“なんでも挑戦だ”って言ってるじゃないですか」


「そんな挑戦はしなくてよい」


 ふたりは思わず吹き出し、実験室の緊張が少しほぐれた。


 鳥山――今年春に入学したばかりの院生で、研究室のアルバイトとして働いている明るい女の子だ。角田が早速交際していることは、教授も薄々気づいている。手の早い男だと、苦笑がこぼれた。


 だが、笑いは長く続かない。顕微鏡の映像に、新たな動きがあった。


「教授……細胞が分裂を始めました!」


 角田が息を吞む。教授は顕微鏡をのぞきこみ、瞳を見開いた。


「……美しい。まるで生命が自ら語りかけているようだ」


 化石から取り出した超古代生物のDNA。その再生は、学会でも賛否が割れていた。倫理的な問題も多い。しかし教授には迷いがない。


「教授、本当に復活させていいのでしょうか。こんな……人間なんて」


 不安げな問いに、教授は静かに答えた。


「せっかくDNAが残っていたんだ。後戻りはできない。科学者は前進あるのみだよ」


 モニターの中で、分裂を続ける細胞が淡い光を放つ。それは過去と未来をつなぐ小さな灯火のようだった。


 教授は顎に手をあて、遠い太古に思いを馳せる。


「彼らはかつて、自ら生み出した核エネルギーの暴走を止められず、文明ごと滅んだ。だがこんどこそ、正しく生きるんだよ……人間くん」


 角田が顎をしゃくりあげ、冗談めかして笑う。


「教授、人間くんたちは、いっそ僕らのペットということでどうです? そのほうが、また変な実験して滅ばないで済むでしょうし」


「ふむ……二度と同じ過ちを繰り返さないためには、そのほうがいいのかもしれないな」


 ふたりの笑い声が研究室に響いた。


 窓の外では夕日が沈みかけ、オレンジ色の光が長い影を床に伸ばしていた。まるで巨体のシルエットがふたりの背後に立っているように見える。――遠い先祖たちの影が。


 教授はふと角田の腕に視線を落とし、小さく息を呑んだ。


「角田君、その腕……湿疹が出ているじゃないか」


「あ、これですか。最近ちょっと痒くて」


「もう肉食はやめなさい。私はティラノサウルスだから大丈夫だが、君はもともと草食のステゴサウルスだろう」


 角田は一瞬ぽかんとし、それから大笑いした。


「教授、また恐竜のたとえですか。そんなわけ――」


 言いかけた彼の笑顔が、夕陽の光の中でふと獣じみた影をつくった。


 教授はその影を見つめながら、静かに呟いた。


「……復活するのは、彼らだけではないのかもしれんな」


 こうして、生物たちの“復活”は、人類の知らぬところで静かに幕を開けた。


                             〈了〉





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