第7話【清流の村】

氷雨ひさめは、どうすることもできずその場で、死を覚悟したその時だった。


時雨しぐれ

「兄上、ホタルーー!!!」


 狼が氷雨ひさめに飛びかかる一歩手前で、時雨しぐれはその狼に一刀を食らわす。すると、その狼は、悲痛な鳴き声を上げると、後ろへ一歩下がる。その村の長である狼が下がったことをみるやいなや、他の狼達もその狼の後方へと退く。


時雨しぐれ

「とっとと、立ち去れ。」


 時雨しぐれは、刀の先を狼に向けて地をうような低い声音で、そう言い放つ。


 時雨しぐれの姿をまじまじと見つめた狼達は、時雨しぐれに恐れおののいたかのように、少しずつ後退こうたいして行き、しまいには暗闇へと消えていった。



 その後、森を急ぎ足で抜ける頃には、夜が明け初めていた。村人も荷物を守る動物もへとへとに疲れている。しかし、本流の村に戻るには、まだまだかなりあった。


時雨しぐれ

「皆、疲れきっている。この先は確か、清流せいりゅうの村だ。」


【ホタル】

清流せいりゅうの村。」


時雨しぐれ

「うん。東十朗とうじゅうろう様に事情を話せば、こころよく受け入れてくれるだろう。」


氷雨ひさめ

「・・・、あぁ。」

 

 氷雨ひさめは、力なくうなずく。


時雨しぐれ

「ホタル、もう少しだから、頑張ってね。」


 時雨しぐれは、馬の背に乗るホタルに言う。


【ホタル】

「はい・・・。」


 ホタルは落ちてくるまぶたを必死に開けながら答えた。


【小波】

「カァー」

 小波も眠たそうに、力無く鳴く。


時雨しぐれ

「よしよし、小波さざなみ。眠たいんだね。ワタシの肩で寝ていてもいいんだよ?」


 時雨しぐれが、そうカラスに言っとのだが、カラスは、まだ寝ないと意地を張るようにカァー!と鳴いた。



時雨しぐれ

「そうか、そうか。でも、もし眠くなったら、遠慮なく寝ていいよ。」


 カラスは、カァーと鳴いて答える。


 それから、しばらくしてようやく山を抜けた。山から出れば、目の前はもう清流せいりゅうの村にだ。三人は、朝早く庭の外に出ていた東十朗とうじゅうろうを見つけると東十朗とうじゅうろうの屋敷である分家で休ませてもらうことになった。時雨しぐれ達三人とカラス、そして、村人達は、分家の屋敷の大広間に案内される。


【ホタル】

「怪我の状態を見ますから、怪我をした人は、私の所にいらっしゃってください。」


 ホタルは、持ってきていた薬草を取り出し、狼に襲って来た際に、足を捻挫した人や、転んで擦りむいた人などの手当てをした。その間、時雨しぐれ氷雨ひさめは、村長である銀と縁側で話をしていた。カラスは、眠気の限界が来たらしく、時雨しぐれの腕の中で眠っていた。暫くして、ホタルが全員の手当てを終えてやって来る。


東十朗とうじゅうろう

「そうか。狼の神が、襲って来たか。やれやれ、世も末だな。何はともあれ、無事で良かった。」


 時雨しぐれから事情を聞いた東上朗は、時雨しぐれ達をねぎらった。


時雨しぐれ

「すみません、暫くお世話になります。」


東十朗とうじゅうろう

時雨しぐれ、すみませんはよせ。俺達は家族だろう。遠慮はいらねぇ。子供は図々しいくらいが良い。お前は大人過ぎる。本流の村には、鷹を使って手紙を送り、このことを伝えておこう。」


時雨しぐれ

「ありがとうございます。それと、東十朗とうじゅうろう様。お聞きしたいことがございます。」


東十朗とうじゅうろう

「ん?なんだ?」


時雨しぐれ

「気術・・・についてです。」


東十朗とうじゅうろう

「・・・、。誰に聞いたんだ?」


 空気が変わった。ピリッとはりつめた空気。いつも、陽気で人懐っこい笑顔を向ける東十朗とうじゅうろうが、この時は、ばかりとても怖いくらい真剣な目をしていた。お腹の奥がひんやりとし、開けようとした唇が小刻みに震え、時雨しぐれは、東十朗とうじゅうろうの質問に答えるのを躊躇ためらうってしまう。時雨しぐれが、モゴモゴと口ごもるのを見て、東十朗とうじゅうろうはため息をつく。


東十朗とうじゅうろう

「まぁ、いいさ。どうせ、上住さんが変なことを吹き込んだんだろう。気術については、俺が勝手に語れるもんじゃねぇ。五月雨と相談をして言うか決める。だから、それまで、待っていてくれ。」


 そう言うと、東十朗とうじゅうろうは用事があるらしく家を出て行ってしまった。時雨しぐれは、そっと息を吐く。東十朗とうじゅうろうの様子を見て、聞いてはいけないものを聞いてしまったような気がした。自分の手を見ると、まだ小刻みに震えていた。氷雨ひさめは、時雨しぐれ東十朗とうじゅうろうが話している間一言も声を発することは無かった。しかし、東十朗とうじゅうろうが去った今、氷雨ひさめはゆっくりと話始める。


氷雨ひさめ

「・・・二人とも、悪かった。ごめん。オレがあの道を選択したがばっかりに、皆を危険な目に合わせちまった。俺がいるから大丈夫といっておきながら、俺は・・・。」


 ホタルが狼に襲われた時、一体オレは、何をしようとした?狼の前に丸腰まるごしで、ホタルと共に死ぬつもりだったのか。もしあの時、時雨しぐれが来なかったら、オレは何もできずにホタルをと共に殺され、村人も殺されていたかもしれない。七歳の時から何も変わっていない。時雨しぐれに強さで勝つこともできず、皆を守ることもできず、こんなんで、父ちゃんのようになんて、とてもなれない。父ちゃんから、雲海の名を引き継ぐことなんて、夢のまた夢・・・。


氷雨ひさめ

「あの時、時雨しぐれの言う通り、あのまま進んでいれば、こんなことにはならなかった。くっ・・・うぅ・・・。ふっ・・・。」


 涙がこぼれ落ちる。自分が不甲斐なかった。なんで、どうして自分はこんなにも、弱いのか。悔しかった。溢れた涙は止まることを知らない川のように頬を流れ続ける。体が小刻みに震えて自分では、もうどうすることもできないなかった。時雨しぐれとホタル、二人はこんな自分を見て、どう思うのだろうか。恥ずかしくて、情けなくて、いっそのこともう、何も言わず、自分を見捨てどこかへ行って欲しいとさえ思った。しかし、そんな氷雨ひさめの思いをよそに、時雨しぐれは、言葉を発した。


時雨しぐれ

「泣いてはダメだ。」


氷雨ひさめ

「え?」


 時雨しぐれは、ゆっくりと、優しい言葉でしかし、力強く思いのこもった声音で話す。


時雨しぐれ

「泣いては、ダメだ。兄上。上に立つ者は、決して涙を見せては、ダメだ。悔しいことも、辛いことも、自分のことが嫌で嫌で許せなくなることだってあるだろう。だけど、上に立つ者は決してその弱さを周りに見せてはいけない。さもないと、周りにいる皆が、道に迷ってしまう。不安になってしまう。だから、上に立つ者は意地張ってでも、背伸びしてでも、自分が迷ってる姿なんて、見せちゃいけない。大丈夫。兄上が道に迷うことがあれば、ワタシや、ホタルが兄上を助けるよ。兄上は、一人じゃない。ワタシに、ホタル、一平いっぺいにネネ、皆、兄上の見方だ。父上だって、きっと一人じゃ本流の里の長なんて、できなかった。でも、父上には母上や、東十朗とうじゅうろう様がいて支えてくれる人がいたから、きっと今まで本流の里を守って来られたんだ。兄上には、ワタシ達がいるだろう?だから、泣くのはやめるんだ。それに、謝る必要なんてないよ。兄上。あのまま進んでいたとしても、安全に行かれたとは限らない。ぬかるんだ箇所があって馬や、人が足を滑らせ、転落する可能性も、狼がに襲われる可能性だって捨てきれなかった。それに、今こうして、皆大きな怪我もなくここの村に辿辿たど着けたのは、兄上があの時、あの道を選んでくれたおかげだ。」


 時雨しぐれは、優しく笑う。


【ホタル】

氷雨ひさめ様、あの時、来てくれて、ありがとう。あの時、氷雨ひさめ様が私のところにきて、狼の前に立って、私をかばおうとしてくれてなかったら、きっと私は狼にすぐに襲われていて、今、ここにいなかったかもしれないわ。命をかえりみずに、私を助けに来てくれて、本当にありがとう。」


 ホタルも笑う。


氷雨ひさめ

「二人とも・・・。ありがとう・・・。」


 本当に悔しかった。弟に助けられて、諭されて、許嫁に気を使わせて、本当に自分は情けない男だ。だけど、


氷雨ひさめ

「オレは、この先何があったとしても、お前達を必ず守り抜くと誓うよ。もう、二度と・・・涙を見せることはない。もう二度と、皆をこんな危険な目に合わせたりはしない!・・・この命に変えても、絶対に・・・。オレは、父ちゃんの後を継いで立派な雲海の名に恥じない男になる。」


 氷雨ひさめは、感極まった様子で、言葉につまりながらも一生懸命に自分の思いを語った。


時雨しぐれ

「うん!兄上だったら、絶対大丈夫!」


【ホタル】

「・・・。」


 時雨しぐれは満面の笑みで頷いた。しかし、その隣でホタルは複雑そうな顔をしていた。


 それから、時雨しぐれ氷雨ひさめは二人で一つの部屋をホタルは、一人で一つの部屋を村人とは別に用意され、眠りにつくのだった。三人が眠りに着いた時にはもう日が西の山に沈みかけていた。


 あれから、どれくらいの時間が経っただろう。時雨しぐれは、氷雨ひさめと同じ部屋でぐっすりと眠っていた。夜通し行われた狼との戦いは、十一才の少年達には大きな試練だった。疲れ果て、夢もみたいくらいの深い眠りに落ちていた二人だったが、不意に何か冷たいものが顔にかかり、驚いて飛び起きる。


時雨しぐれ

「つ、冷た!!!!」


 ビックリして、飛び起きたは良いが、目の前はまだぼんやりとしていてよく見えない。しかし、少しずつぼやけた世界がはっきりとしてくるにつれ、時雨しぐれの目の前には、両手に竹筒を持って悪そうな笑顔をした一平いっぺいが立っていた。


一平いっぺい

「はっはっはー!オイラは、この村の時期村長になる男、五十嵐一平いっぺい《いがらしいっぺい》様だ!お前達、オイラの前で無防備に寝るとは・・・いい度胸だな。水鉄砲くらえっ!」


 一平いっぺいは、布団の中にいる二人目掛けて水鉄砲を噴射した。


時雨しぐれ

「うわー!!!!!!」


氷雨ひさめ

「つっ、つめてぇー!な、何しやがる!!!」


一平いっぺい

「へへーんだ!他人の家で呑気に寝ているのが悪いんだよ!」


 状況が飲み込めずその場でポカーンとする時雨しぐれとは対照的に、氷雨ひさめは違った。


氷雨ひさめ

「ふ、ふふふふふ。オレの名は、東氷雨ひさめ《あずまひさめ》。本流の村から来た、時期村長になる男だ。このオレに喧嘩を売るとはいい度胸だぜ。貴様、食らえ、枕砲撃!!!!」


時雨しぐれ

「今さっき、聞いたようなセリフが・・・。」


 時雨しぐれはボソッと呟いた。


一平いっぺい

「おい、お前、お前は何て言う名前なんだ!」


 一平いっぺいは、時雨しぐれに指を向けて聞く。


時雨しぐれ

「ワ、ワタシもやるのか!」


一平いっぺい

「そうだ。さもなくば、もう一発、水鉄砲食らわせるぞ!」


時雨しぐれ

「もー!・・・えーと、ワタシは!」


 時雨しぐれが言い終わる前に氷雨ひさめ時雨しぐれに話しかける。


氷雨ひさめ

時雨しぐれ!」


時雨しぐれ

「なんだよ!そこは、最後まで言わせてくれよ。兄上。」


 しかし、氷雨ひさめは、時雨しぐれのことはまったく気にしない様子で平然と言う。


氷雨ひさめ

時雨しぐれ、この状況、2対1で、こっちに分がある。オレが合図したら、援護えんごしろ!一気にかたをつけよう。」


時雨しぐれ

「兄上、ワタシもう、ついて行けないよ。」


氷雨ひさめ

「何、言ってんだ!勝負する前から諦めて、どうする!勝敗ってのは、最後まで分からないものだ、弟よ。」


時雨しぐれ

「いや、そう意味じゃないんだなぁ・・・。」


 そこへ、タイミングよくホタルが部屋に現れた。


【ホタル】

「あっ、二人とも、起きた?」


一平いっぺい

「お前は、誰だ?」


【ホタル】

「あ、私は、本流の村から来た雪峰ゆきみねホタル。そこの二人とは幼馴染おさななじみよ。よろしくね!」


時雨しぐれ

「ホタルもノリノなんだ。」


 時雨しぐれは、力なく笑う。


【ホタル】

「二人とも、お風呂に入って来たら?銀様が、お風呂沸かして、着替えを用意してくれたの。昨日、森でおおかみと戦ったから、もう体中、泥だらけでしょ?服も汚れちゃってるし、お洗濯するから、早く入って来てね。」


時雨しぐれ

「おー、それは、ありがたい。」


氷雨ひさめ

「ふん!お前、シッペーとか言ったな?」


時雨しぐれ

「まだ、やるんかい。」


 氷雨ひさめは、一平いっぺいにらみつける。


一平いっぺい

「オイラの名前は、イッペーだ!」


氷雨ひさめ

「イッペーでもシッペーでも、どっちでも良い。とにかく、勝負は風呂から出てからだ!」


一平いっぺい

「おぅ!おいらん家の風呂はバカみたいに広いから、楽しいぜ!」


氷雨ひさめ

「おおお!本当か!時雨しぐれ、風呂だ風呂!風呂に行くぞ!!」


 氷雨ひさめは、時雨しぐれの手首を掴むと、御風呂場に急ぐ。


時雨しぐれ

「もう本当に、ついて、いけないよーーーー!!!!!!!!!!!!!」

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