クロード

 不意に店内に現れた彼の姿に緊張しましたが、一方のクロードは私に気づいていないようでした。

 確かにここは「セシルの薬屋」という名前ですし、私も貴族令嬢だった時とは装いを変えて一般的な商家の娘と同じような服を着ており、仕事がしやすいように髪もおさげにしています。


 そのためぱっと見て姿が一致しないのは仕方ないのですが、仮にも婚約者であった彼が私と気づかないのは所詮私のことなどどうでも良かったのだと思ってしまいます。

 まあそのくらいの認識でなければ冤罪を着せて追い出すことはないでしょうが。


 それはそれとして、クロードは順番を待っている間もごほごほと咳をして体調が悪そうです。


 それを見て私は思い出します。

 クロードは慢性的な気管支の炎症を患っていますが、普通の気管支炎と違うのでただの咳止めでは完全に治まらないことが多いのです。


 数年前、彼は大風邪を引いて倒れましたが、その時に風邪だけでなく悪い細菌を取り込んでしまったらしく、慢性の咳に繋がってしまったようです。


 その時私がいくつかの薬を処方したのでしたが、たまたまとある細菌に効く薬が効いたので以後はそれを定期的に渡していたのでした。急に追い出されていたので特にそのことを誰かに話した訳でもなかったので、彼は効く薬がなく困っていたのかもしれません。もっとも、私には関係のないことですが。


 とはいえ、貴族なんですから金の力で有名な医者でも呼べば済むことではないでしょうか、という疑問も抱いてしまいます。おそらく腕のいい医者であれば彼の診察は可能でしょう。

 そんなことを思いながら順にお客さんへの対応をしていくと、いよいよクロードの番がやってきます。


「最近、どんな咳止めを飲んでも咳が止まらないんだ。以前から使っていた薬がなくなってしまい、どんな薬だったかも覚えていなくて」

「それなら薬を買ってきてくれた人に尋ねればいいのでは? 申し訳ありませんが私は医者ではありませんので分かりかねます」


 私はセシリアだとばれないよう、少しだけ低い声を作りながらそう言い返しました。

 すると、彼は一瞬気まずそうな表情に変わります。


「実はその人とはもう会えなくなってしまって……この薬屋は隣国の王子の家来を診察したと聞いてね」


 会えなくなってしまった、ではありませんが。

 自分で罪を着せておいて他人事のような言い方に腹が立ちます。


「ですが、それでしたらきちんとした医者にかかった方がいいと思いますが。その上で必要な薬が分かれば処方出来るかもしれませんが」


 これは厄介払いというよりは善意の忠告です。

 本当に毒を盛らなかっただけ感謝して欲しいぐらいが、彼はなぜか苦い顔をします。


「それが、諸事情あってあまり医者にはかかりたくないのだ」


 まあ確かに医者にかかれば、それまでずっとクロードに薬を処方していた私に助けられていたことが分かり、そうなれば私が毒殺などする訳ないという結論になりかねないかもしれません。

 毒殺するぐらいなら最初から薬なんて処方しませんからね。定期的に薬を処方していたならもっとばれずらい毒の盛り方もあるでしょうし。


「とはいえ、今は大変お店が忙しく、何人ものお客様をお待たせしている状況なのです」


 これも別にクロードだから意地悪しているという訳でもないのですが、彼は急に顔を赤くします。


「何だと? 僕はカンタール伯爵家のクロードだぞ!? 金は出すから僕の薬を優先してくれ!」

「いえ、うちはどんな身分でも症状が酷い方を優先すると決めていますので」

「何だと? 僕はこんなに、げほっ、ごほっ、苦しいのに!」


 彼が咳で苦しんでいるのは本当でしょうが、他にはもっと苦しんでいる方がたくさんいます。


「申し訳ありません」

「何だと? くそ、許せない! 僕は伯爵令息だというのに!」


 そう言って彼が拳を振り上げます。それを見て私はまずい、と思いました。今はサリーは休憩に、エレンはお使いに行っていてここには私しかいません。


 そう思った時でした。

 不意に一人の客が、クロードの腕を掴みます。誰かと思えばこのお店最初のお客さんである行商のトールです。どうやら、いつの間にか行商の旅から戻ったようでした。

 彼はいつもの人懐っこい笑顔ではなく険しい表情でクロードに言います。


「おい、本当に伯爵令息ならこんなところで庶民に暴力なんて振るわないからどうせ偽者だろう?」

「ち、違う、僕は本物だ!」


 クロードは抵抗しますが、トールの力は強く、びくともしません。

 病弱なクロードよりも、商品を運びながら各地を歩き回っているトールの方が体力があるのでしょう。


「店は混んでるから迷惑客はさっさと出ていってもらいたいね」

「誰が迷惑客だ! 父上に言いつけるぞ!?」

「おいおい、伯爵の息子を名乗るならせめてもうちょっと鍛えてからの方がいいんじゃないか?」


 そう言って男が手を離すと、クロードはつんのめるようにしてその場に転びました。


「あ、ありがとうございます」

「久しぶりに帰って来てみたら大分繁盛して驚いたよ。俺たちも店が忙しくて混むのは仕方ないと思ってるけど、こういう迷惑な奴のせいで待たされるのは嫌なんだ」


 そう言って彼はにっこりと笑い、薬と代金を差し出すのでした。


「覚えとけよ!?」


 それを見てクロードは典型的な捨て台詞を吐いて去っていくのが見えます。

 確かに何もしなければ伯爵の息子を名乗る頭がおかしい客に見えるかもしれませんが……まあ彼が本物であることは言わないでおきましょう。気づかない方がいいということもあるでしょうし。


「ありがとうございます、またお越しくださいませ!」


 こうして思わぬ来客はあったものの、お店はいつも通り続いていくのでした。

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