KAC202110 ゴール
霧野
妄想は風になる。そしてゴールへ
冬美は目を閉じた。今まで見てきたもの、感じてきたことが思い出される。言っても誰にも信じてもらえないだろう。事実、両親や兄には信じてもらえなかった。頭を打った衝撃で混乱しているのだろう、と思われている。
枕元のスマホから、着信音が聞こえた。「もう着くよ」。アキからだ。
と同時に、階下から母の呼ぶ声。「冬美〜、アキちゃん来てくれたわよ〜」
─── 家の前でメールして何になる。書くとしても、「もう着くよ」じゃなくて「着いたよ」だろ……
冬美がそう思っているうちにも、階段を駆け上がる軽やかな足音が聞こえる。アキはいつも冷静で物静かだ。足音やドアの開閉音、椅子を引く音などが静かなので、上品な印象を与える。
「よう、大当たり」
だが、けっこう口は悪い。それでも、ナツキの毒舌よりはだいぶマイルドだ。
「大当たりって言うな。こっちは下手したら死んでたんだから」
「だって、珍しく散歩に出てゴルフボール頭に食らって卒倒とか、弄らずにいられる? 末代まで語るレベルよ、それって」
「なら私の代で終わるな」
「だな」
─── 私が末代って、即認めやがった。小学校からの付き合いだからわかる。こいつはそういう奴だ。否定までは期待してないが、せめてフォローぐらいして欲しかった。こちとら病み上がりだぞコラ。
「いや〜、心配したわぁ」
「嘘つけ」
「ほんとほんと。最初に聞いた時は膝から崩れ落ちて爆笑したけどさ」
「ほらみろ」
アキは回転椅子を勝手に引き出して座り、持参のペットボトルを開けた。プシュッという音とともに、炭酸飲料の爽やかな香りが広がる。冬美もつられて、窓枠に置いてあった麦茶を一口飲んだ。
「でもさ、包帯巻いて入院してるとこ見たらさすがにね……あんたって昔から、体だけは丈夫だったじゃん。スパイクでバレーボール割ったとか、リンゴを片手で砕いたとか、ジャムの瓶の蓋を外装フィルムごとむしり取ったのなんか、今でも語り草よ」
「ねえ今それ関係ある?」
「ないけどさ、丈夫だったって話。今もまだ部活で語り継がれてるって、昨日妹が言ってた」
「……勘弁してよ。もっと語り継ぐとこあったでしょうよ……んで、妹ちゃんは、元気? セッターだっけか」
「そ。当時の私と同じ、セッターでバレー部の次期部長。昨日練習試合だったって」
「勝った?」
「当然。でも、エースの子が半年ブランクあって大変だったってさ」
「うちの中学、バレー部ずっと強いもんな〜」
ね〜、などと適当な相槌を打ちつつ、アキはバッグから白いビニール袋をひっぱり出した。ごそごそと手を突っ込み取り出したのは、艶やかなぶどうだった。
「食べる?」
私は頭を振った。今日いっぱいまではお粥しかダメと言われているのだ。
「最近、ぶどうブームきてるんだよね、私的に」
アキはこちらを気にせず、ぶどうを食べ始めた。見ているだけで口の中が唾で満たされていく。おいしそうなぶどうを恨めしく横目で見ながら、冬美はそれを麦茶で飲み下した。
「あんたのせいよ、冬美。ぶどうブームもそうだけど、あんたのその妄想スケブのせいで、私、酷い目にあったんだから」
ぶどうを頬張りながら、再びバッグを探ってアキが取り出したのは、冬美のスケッチブックだった。年季が入って端の折れたそれを、放ってよこす。布団に着地したスケッチブックをパラパラとめくった。最後の方に、書いた覚えのない絵やメモがある。
「そのイラストや文章のせいで、あんたの妄想がこっちに移っちゃってさぁ。そこへもって『カクヨム』のイベントが始まっちゃったわけ。うっかり応募しちゃったから、もう大変」
「『カクヨム』て、あれか。自作小説を発表するあれか」
「そ。1話目の『赤い靴』って話と2話目の『走る』ってお題の話は、あんたがモデル。3話目の『直観』の主人公は架空人物だけど、それに出てくるキャラクターたちはあんたのスケッチブックからもらった」
「へ〜え」
枕元のスマホを操作。彼女のページは昔ブックマークしたので、すぐに見つかった。
「……なんだよこれ。インドア派だの出不精だのと、失礼だな」
「事実じゃん」
ぐうの音も出ない。出ないので、冬美は黙って先を読み進めた。
「……『バカである。まったくもって、バカの走りである』って」
「事実じゃん」
─── そうだった。こいつと同じ部活でやらかしたんだった。
忸怩たる思いで読んでいくと、手が止まった。
(……えっ?)
「春色の髪の、歌う女の子。私あの絵、好きだわ〜」
呑気なアキの声に引き戻されてスケッチブックを見ると、ピンクやオレンジ、黄色に髪束を染め分けた華奢な少女が大きく描いてあった。色鮮やかな髪をなびかせ、伏せたまつ毛は綺麗な青色で、緑色のイヤリングをしている。
小説に戻りざっと流し読みしたが………何? ホラー……だと? 私の春ちゃん《プリマヴェーラ》が「最恐コンビ」とか言われている……
「この絵で、なんでホラー? この絵ならファンタジー寄りになるんじゃない?」
「だって、お題が『ホラーorミステリー』だったんだもん」
「あ、そうか……ねぇこの『ムラサキが足りない』ってどういう意味?」
「こっちが聞きたいわ。あんたが書いたんでしょ」
スケッチブックをよく見てみると、たしかに書いてある。女の子の顔の横、吹き出しの中に、「ムラサキが足りてないよ」。そしてそこへ矢印が伸びて、「足りない色を歌う」と書き込んであった。
「そこ、苦労したんだ。意味わかんないから、色が持つ意味とか調べてさ。紫はたしか、矜持とか自身、自己の回復? みたいな、ざっくりイメージで」
アキの書いた小説を次々に読みながら、手元のスケッチブックと照らし合わせる。そこにはたしかに、冬美の落書きの要素が盛り込まれていた。冬美は小さな呻き声を上げ、スケッチブックを膝の上に置いた。
「あのさ、私、これ描いたのあんま覚えてないんだよねえ……」
アキが顔を上げて振り向いた。目を丸くしている。
「え、電話でしゃべったじゃん。あれだ、あんたが赤いスニーカー買っちゃった〜って自慢してきた時。『インドアの達人である私がお出かけするには、靴でも買わんと勢いがつかぬ』とか言いながら、あんたそのスケッチブックに描いてたよ。実況しながら。で、今度見せてくれるって言った」
「そう……だっけ?」
頭を打ったせいで、一時的に記憶が消えているのかもしれない。冬美がそう言い出す直前、アキは言い放った。
「じゃなきゃ、私が勝手に見るわけないじゃん。どうせ酒飲んで忘れたんだろうな」
その可能性も大いにあり得るので強く否定もできず、冬美は(それもあるかもしれないけど、でもやっぱり、頭を打ったせいかもしれないし)と心の中だけで反論する。
「あのさ、アキ。信じてもらえないかもしれないんだけど……」前置きして、冬美は打ち明けた。
「……私さ、眠ってる間、ずーっと走ってたんだよね。あの時、走ってたら急に体が楽になって、そのまま風になって、世界中を駆け巡ってたの。アキの書いた小説と同じなんだ。読んでびっくりした。春色の髪の女の子も、ぶどう売りのおばさんと猫のアイも、迷彩服のおじさんも見た」
う〜ん、と今度はアキが唸った。
「それってさ、自分が描いた内容を頭の中でなぞってたんじゃない? よく見てみなよ。その絵の人たち、みんな風に吹かれてるみたいじゃない?」
アキの言うとおりだ。街行く人々の髪や服の裾が、風になびいている。
「でもさぁ、私、いまだに走ってる感じもするんだよね……私の一部が風になって、地球のどっかをびゅうううって走ってる気がする」
「千の風にでもなったか」
─── いや、冗談とかじゃないんだよな。本当に、あの高揚感が心の中をたまに吹き抜けるんだ………
「ま、そういうこともあるんじゃない? 人間の脳とか心理って、不思議なもんじゃん。きっと冬美の魂の一部は、今も世界を駆け巡ってるんだよ……知らんけど」
「ちょ、最後! もう、せっかく感動しかけたのに…」
冬美は再びスマホを手繰り、アキの食べるぶどうの香りを楽しみながら、次の話を読んでいく。と、また手が止まった。
「おーい! 名前出すなよ。個人名はヤバイでしょう!」
「ああそれ、スマホの話でしょ? 秀俊さんの許可は取ったから」
「え、お兄、いいって?」
「うん。読ませたらなんか照れてたよ。ただの小説なのにさ」
「いつの間に……」
「あんたが寝てる間に」
「……ですよね」
(ま、その後のお話については許可取ってないんだけどね)
アキの心の中のつぶやきまでは聞こえるはずもなく、冬美はサクサクと読み進める。アキがちょっと焦るぐらいのスピードで読んでいる。
「あんた、相変わらず読むの早いね! 私そろそろ帰るわ」
空になったぶどうのパックを手早くしまうと、アキはそそくさと立ち上がった。
「え、もう?」
「うん。明日早いし。それに最後のお題の話も書きたいしね。閲覧数少ないとはいえ、せっかくイベント参加したからには、ゴールまで走りきりたいじゃん? 閲覧数めっちゃ少ないけども」
「それ、気を遣って言わなかったやつ」
「おだまり」
冬美が玄関まで見送るというのを断り、冬美の母親に
(私の小説のおかげで自分たちの気持ちに気付いて、本当に「ゴールイン」したりして)
無責任にニヤニヤしながら、アキは二人の幸せを願った。
小学校以来の親友と、血の繋がらないその兄。
かつてのチームメイトと、遠い昔、アキがちょっぴり憧れていた人の、幸せを。
(ま、私はまだまだソロモン《独り者》ですけどね〜)
家路を急ぐアキの背後から、強い風がさぁっと吹き抜けた。
おわり
KAC202110 ゴール 霧野 @kirino
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