だからソロキャンが良いって言ったのに!

桜木武士

第1話

冴えないサラリーマン・赤城は、スケジュール帳を覗き込んでわなわなと震えていた。


なにしろ、視界にある長方形三つ分の空白が本当なのか、念を入れて確かめる必要があった。

纏まった休みなど、入社以来初めてと言って良かったのである。


しかし何度見てみても、三日分の空白がある。


ということは。


「休みだ…」


ということは…


「ソロキャンだー!!」


赤城はその場でぴょんぴょん跳ねた。


この日に向けてギアも揃えたし、行きたい場所もリストアップしてきた。


まずは原付で港に向かい、原付ごとフェリーに乗ってから、向こうの島のキャンプ場に向かう。距離としては大したことないが、リサーチした限りではまさに自然に囲まれた異邦の地、といった風情の場所だった。


天気予報では少し風が強い、と伝えていたが、雨も降らないらしいし問題ないレベルだろう。


「おお〜〜〜!!」

目的地についてみると、サイトの写真通りの大自然だった。大人気の場所という訳ではないが、その分ひっそりもしている。指定の場所に原付を置いてから、小さな川沿いの開けた場所に荷物を置いた。 


ここではなんでもできるし、なんでもしていい。未知の予感に、子供のように胸が躍る。

「やっぱ来てよかったなぁ……」

まだ始まってもいないのに、しみじみと呟いた。



さて、いつまでも座っていても仕方がないので、とりあえず一人で簡単にできる、という触れ込みのテントを組み上げてみる。

ワンタッチ式の軸を使うと、狭い部屋でシミュレーションした通りに立体的なテントができた。


いかにもキャンプって感じ。


些かアホな感想ではあるが、実際自然の中で自分の陣地を作成したら、きっと皆感動するだろう。体感としては、子供の頃作った秘密基地、と言うのが近いのかもしれない。

我が子のような愛おしみさえ覚える。


そんな浮かれ切った赤城の心は、


「なんだその無様なテントは」


突然投げかけられたそんな一言によってぶった斬られた。


「な、なんだとぉ……?」


赤城が振り返ると、しかし川を越えた向こうには、ぐうの音も出ないほど完璧なテントが立っていた。


成人男性が脚を伸ばして寝るのにも十分なサイズ。見るからに高そうな密閉性。何層かに重なった布と、洗練されたデザイン。

一人で組み立てるのは難しいからと、店ではあまりお勧めされなかったモノだ。そもそも値段が高くて買えないのだが。


しかも、その横で得意そうにしている男は……


「青山ァ!お前なんでここに!」


会社の同僚…もとい上司の、青山だった。

青山は、赤城と同期入社した男である。

嫌味と皮肉を捏ねて焼いて命を吹き込んだような性格であるところの青山とはとにかく反りが合わず、喧嘩も耐えずだった。

しかも、やっと部署が離れたかと思ったら、青山はあっさり上司になって戻ってきたのである。


「お前に敬語を使われたら虫唾が走る」


と言われた時は、正直助かったと共に殺してやろうかと思った。そういう間柄だ。


「何って、キャンプに決まっているだろう。俺がよく使用する場所にお前が来て、しかも貧相なテントを立てているから腹が立ったのだ」

青山が言う。わざわざ石の上に立って微妙に高い位置から話しているのが余計にムカつく。


「知らねーよ、今日は俺が先なんだよ!お前がどけ!」

「いやお前だ!」

「お前だ!」「お前がな!」

…水掛け論。会社にいる時の空気を思い出してブルーになる。張り合い出したからには、譲れるはずがない。これらの議論に終わりがないことを、もううんざりするほど知っていた。



こうなったら青山は無視して、マイペースにやろう。

赤城には、お楽しみがもう一つあるのだ。


リュックから小さな鍋やコンロ、カセットに食材を取り出す。


黄色い欠片をたくさん鍋に放り込み、火をつける。くつくつという音と共に固形が崩れ始め、濃厚な匂いが辺りを満たす。


チーズフォンデュ。


なんて甘美な響きだろうか。

うっとりとしていたところで、また邪魔が入る。


「赤城……お前それは、チーズ……か?」

青山の震える声。

「え?やらねーぞ?」

相手が青山なのはアレとして、自慢の道具や美味しそうなキャンプ料理を人に見せびらかすに関しては、悪い気はしないものだ。

良い道具を揃える者の中には、少なからずその優越感を目的としている者もいるだろう。


しかし青山の言葉は想定とは異なっていた。

「要らんわ!というかあり得んだろう!キャンプに来て、チーズフォンデュ!?どう言う意味があるんだ!?」


「や、別に、良いだろ」


「これだから素人は……。料理とも言えん粗末な食べ物をガチャガチャ持ち込んできて満足しているとは、程度が知れるな」

なんだこいつ…と思いつつ、青山の陣地にはお高い鉄板や未調理の肉、野菜、スパイスなどが一揃いしてある。

というかこいつ、自慢したいがためにちょっかいかけて来てるだろ、さっきから。


「お前どうせアレだろう。マシュマロを持ってきて焼こうとか考えているんだろう」

「なっ……」

なんでそれを。


「良いだろ!焼きマシュマロ美味しいだろ!」

図星でちょっと恥ずかしかった赤城の反論に対し、青山はいっそ哀れだ、という顔をしてため息をついた。

「………貧乏人……」


もう絶対に青山には反応すまい。心に決めた。



──それから、山に入って薪を集めたり、付近の崖なんかを見たりした。

途中でぽつぽつと雨が降って来る。これは焚き火はダメそうだなと、折角集めていた小枝を放り出した。


天気予報では降らないと言っていたのに。やっぱり山の上だと少し違うのだろうか。空に向かって文句を垂れると、反論するように本降りになってきた。

大人しくテントに戻ろうかと、川沿いに近付いてみておどろいた。


「え?」


小さくちょろちょろと流れていた川が、ばしゃばしゃと音を立てている。

その上、川の向こう側に立てた赤城のテントが、潰れて今にも飛んでいきそうになっている。

雨で地面が緩んだせいかもしれない。


「え、なんだこれ……」

「マズくないか?」

とりあえず重石か何かで押さえて、組み立て直さなければ。スニーカーだが仕方ない、と川に脚を踏み入れようとしたところで、後ろから肩を掴まれた。


「お前は本当のバカか!」

「青山」


「川を渡るんじゃない。死にたいのか」

「死ぬ…って、多少バシャバシャしてっけど浅い川だぞ…?お前ビビりか」

「違う!流れの早い川を甘く見るなと言っているんだ!」

青山の気迫はもっともらしく、引き下がってしまった。青山の言うことが怖かったのではない、あくまでも自然の脅威だ。


「雨が降り出した以上、川沿いは危険だ。俺も少し川から離れる」


気がつくと白かった空が暗く青みがかってきていた。日が沈もうとしている。

「……俺はどうしたら……」

「言っておくがテントには入れんぞ」

「頼まれてもお断りだよ!」


少しの沈黙の後、青山が口を開いた。

「……予備の寝袋がある。頼むなら、貸してやらんでもない」


「……!」

正直、渡りに船だ。助かる。ありがとう。そういうことを、多分言うべきなのだろう、立派な社会人としては。


でも駄目だ。青山に頭は下げられなかった。

「……はぁ?いらねえよ」そう言いかけた時。


ビュウッ!!


強風が、谷になっている川沿いに吹き付けた。思わず体制が崩れ、たたらを踏む。

吹き付ける雨と風で目がまともに開けられない。僅かに開けた視界の隅で、何か大きな影が空へ舞い上がっていくのが見えた。


「…………」

10秒ほど経って、やっと風がおさまる。目を開けてみると、そこには、先程に比べて妙にさっぱりと開けた空間と、呆然とする青山の顔があった。


「え、おい、まさか……」


「テントが、飛ばされていった……」


「寝袋も、防寒具も…全てあの中に……」

「どどどどうすんだよ!お前のせいだろうが!」

「は?え?違うよな?私のせいじゃないよな?」

「……」

青山の顔は情けなく絶望に染まっている。多分赤城も、同じような顔をしているのだろうと自覚していた。


「に、荷物の中でなんとかするしかない!」

「お前っ、なにを!?」

 赤城は聞いたことがあった。確かブルーシートでテント作れるらしい。青山のリュックの中から大きなシートを引き摺り出し、手頃な木に括り付ける。命がかかっているせいか、恐るべき手際だった。即席の雨を凌げる空間が完成した。


我先にと即席テントの中に入り、リュックも避難させる。これで雨は避けられるが…


「さ…寒い!」

二人ともがたがた震えていた。既に身体は濡れ鼠だった。まともな乾いた防寒具など、もう存在しないのだ。


「寝たら死ぬ」


そんな共通認識が頭に浮かんだのだろう。どちらからともなくそれは始まった。


「りんご!」

「ゴライアスハナムグリ!」

「りす!」

「スプリッギナ!」

「なし!」

「シクロメデューサ!」

「さくら!」

「ラブドデルマ!」


「ま」、「ま」………

というかさっきから青山、本当に存在する単語なんだろうな?しかし確かめようがないし後から論破されても癪なのでツッコめない。


「マレーシア!」


相変わらず土砂降りの外に目を向けてみると、なんだか遠くに人影が見える気がする。ひょっとすると助けだろうかと、目を凝らしてみる。


「アリジゴク!」


「く」、「く」ね。

でも人だとしたら方角がおかしい。山の方向から来ているし、身体が大きい。あれは……

「く……」


「熊!!!」


身体が硬直した。

熊。熊だ。本物の、大型の、熊だ。

しかも、こちらを見ている。


目を合わせればいいんだっけ。死んだふりは迷信なんだっけ。様々な情報や感情が頭を渦巻いては消えてゆく。


全ての行動選択肢の先に「死」が見える。

無惨に散らばり、地面の石にこびりついた肉片のビジョンが浮かぶ。RPGのボス戦だってここまで理不尽じゃない。


「ぁぁ…あぁ……」上手く声が出ない。怖い。人間の無力さを実感する。


ムカつくが、今は藁にでも縋りたい。青山なら良い撃退グッズとか持ってるかも。そう思い、ちらりと横を見る。


しかし青山は熊の方を凝視したまま見事に固まっていた。役立たず。


「おいお前も、ビビってないでなんか考えろ」

肩を叩くと青山は大袈裟に肩を揺らして驚いた。


「はぁ!?ビビってないが?俺のどこがビビっているように見えるんだ?」

「意地張るとこバグってんのか!俺ら死ぬぞ!」


熊が近づいて来る。


「おおお俺たち美味しくないです!」

「赤城の方がたぶん美味いぞ!」

こんな時にまで性格の悪さを滲み出してる場合か。


巨体が一歩、二歩と近づいて来る。


「お母さん!」

危うくそう叫びかけた時、熊の巨体がぐらりと横に傾いた。


ばしゃばしゃと熊の足元で水が高く跳ねている。

川だ。川に脚を掬われたのだ。


ありがとう自然。青山の口から「ママ」と聞こえた気はするが、忘れておいてやろう。今は、助かったことだけが嬉しい。



そして夜が明け、静かな荒野にも日が登った。


即席テントから這い出し、互いの顔を見合わせ、そして足元に影があるかを確認する。


「い、生きてる……!」


俺達は抱き合った。

人目も気にせず、ちらほら雪の舞う荒野でがっしりと互いの肩を抱いた。

おじさんが。二人で。


ああ、生きてるって素晴らしい。


人との繋がりを避けたくてソロキャンに来た訳だけど、生きてるなら喋る相手がいるのもいい。


青山とだって、本当は仲良くできるのかもしれない。クソ性格悪いけど言い換えたら良い性格してると言えるかもしれないし。一緒か。


「ほら、カレー作ったからさ、一緒に食べようぜ」

「…ああ…」


向こう岸で生存していた赤城のリュックからレトルトのカレー取り出し、暖めて差し出すと、青山も感激した様子で、カレーを口に運んで一言。


「は?なんだこのカレーは?レトルトのカレーをここまで不味くできるのか?才能か?」


いや、やっぱ無理。

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