第11話 幼少の砌(みぎり)の呼び名

 座る際に触れた手首は冷たかったが、僅かな隙間を残して近い、肩や腕からは熱が仄かに感じられた。


「天気はいいけれど、まだ気温は上がってないし、坂下から吹き上げる潮風は冷たい。身体によくないよ」


 膝に引っかかるように乗っていたのは、膝掛け毛布ではなく、ウールのカーデガンだった。

 アレクサンドルの膝の温もりを移し取ったそれを肩からかけてもらう。


「殿下こそ、お風邪を召されますわ」

「誰もいないよ?」


 ──は?


 風邪をひくひかない、上着の貸し借りの話に、なぜ「誰もいない」が出て来るのか。


「他人の目がないところでは、幼馴染みで親戚の再従はとこ叔母おばとして名で呼んでくれる約束」


 そんな約束をした覚えはない。強いて言えば、アレクサンドルがダンスの前にそう要求しただけだ。

 譬え親戚筋で王族だろうとも、王家の次期王と臣下という、目を背けてはいけない確固たる境界線があるのだ。


「ですが、今回は公務で訪れているのですし⋯⋯」


「ティア」


 ギクッ


 今では、ユーフェミアも親も呼ばなくなった、幼い頃の愛称。

 舌っ足らずで、「システィ」アーナの発音がうまく出来なくて、「ティア」と言っていた。

 友人となった令嬢たちの中でも僅かな今も付き合いのある数人しか呼ばない、ある意味特別な呼び方。


「今では、君をティアと呼ぶ人が僅かになってしまったように、わたしを名前で呼んでくれる人は、両親と祖父しかいないんだ」


 同様に、気安く話しかけるのも、祖父ウィリアハム大公くらいのもので、両親もプライベートでたまにくらいの少なさだ。


 側妃クリスティーナとエメルディアも、王太子殿下と呼ぶし、義理の母ではあるが気安さはない。


 王族である公爵子息達も、その殆どが臣下として線を引き、名で呼ぶことも親しげな軽口をきくこともない。

 たまにファヴィアンが硬い態度のまま友人として踏み込むこともあるが、友人の顔を見せるのはユーヴェルフィオくらいのものである。


「弟達も、兄上、お兄さまと呼ぶし、わたしを名で呼んでくれる人が殆どいないのが、どんなに寂しいか解るかい?」


 それはそうだろう。孤島でひとり、誰も呼ぶ者がいない状態も気が変になりそうだろうが、まわりに多くの人がいて、なのに誰も名を呼ばないとは、却って孤独感が募るのかもしれない。


「だからね、ティアが、誰もいない時だけでも名前で呼んでくれたら嬉しいんだ。子供の頃の愛し⋯⋯ぉ、称で、も、甘んじて受け止めるよ」


 基本、はっきり物を言うアレクサンドルが、一度詰まった。


 ──子供の頃、発音が覚束おぼつかなかった事の呼び名?


 自分のことをシスティアーナと言えずに「ティア」と言っていたように、アレクサンドルも当然言いづらくて短縮して呼んでいただろう事は容易に想像がつく。


 ファヴィアンなら「ファー」、ユーヴェルフィオも「ユーヴ」、オルギュストが「オー」、フレキシヴァルトは「フレッ」か「フレック」、エルネスト・デュバルディオも「エル」「デュー」。

 実に子供らしい切り取り方だろう。


 では、アレクサンドルは? どうだった?




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