この世の誰もが、物語

 ツララの目には、マインの魔法が「これぞまさしく魔法」「いかにも魔法」「ザ・魔法」に見えた。ツララを八つ裂きにするために、光のやいばが無数に殺到する。

 典型的な攻撃魔法、ゲームなんかでよく見るタイプのやつだ。

 ツララをかばうように前に出たコトナが、それを迎撃する。

 だが、こぶしと蹴りの防空圏を切り裂き、あっという間にコトナは切り刻まれる。

 夜空に血の薔薇が咲いて、大きく彼女はよろけた。


「コトナさんっ!」


 ゆっくり、スローモーションでコトナが宙に倒れる。

 それを抱き留めれば、ボロボロのミニドレスが血に濡れていた。

 思わず手が震えて、視界がにじむ。

 涙でゆがむ中で、しずくがぽとりとコトナのほおに零れた。

 ゆっくりとまぶたを開く彼女の、その目はまだ死んではいなかった。


「あ……ツララ君、無事? だよね? よかったぁ」

「よくないっ! よくないよ……コトナさん、自分を大事にするって約束したのに」

「ふふ、魔法少女って死なないんだよ? 痛いだけだから、大丈夫」


 小さなコトナを抱き締めながら、ツララはマインをにらんだ。

 月をバックに、マインは静かにたたずんでいる。

 自分の絶望を切り売りして、自らを細切こまぎれにする痛みさえ押し付けてくる少女……そんなマインもまた、ツララにはとても痛ましく見えた。

 そうすることでしか、彼女は絶望を受け入れられないのだ。

 この歳でもう、大病をわずらい人とは違う生き方を強いられている。

 そして、死に方がもう決まっているのかもしれない。

 そう思うと、ツララは言葉を迷ったが、どうにか選んで絞り出す。


「マインちゃん。戦うのはやめよう。まず、話を聞いて」

「嫌よ」

「君たちの魔法は、言葉の魔法だろ! 言葉をもっと使って、わかり合おう。……綺麗事だってわかってるし、人同士はわかり合えないのが常だって、大人になると納得する」


 大人の社会は、関係性に満ちている。

 それでも、ツララはそんな諦めの論理に子供がひたってほしくなかった。


「わかり合えないからこそ、言葉を交わして溝を埋めよう。俺たちはきっと、マインちゃんの力になれる。今よりずっと、君を楽しくて面白い日々に連れていけるっ!」


 だが、そんなツララの想いを冷笑が遮った。

 すでにもう、無感情な人形の姿をマインは脱ぎ捨てている。

 正体を現し、自分の抱えた絶望を振りまく時だけ、彼女は喜怒哀楽きどあいらくを高揚感で押し出せる。


「言葉ならもう、使ってる。私の魔法、言霊法ことだまほう……これが私の『言の刃ことのは』だもの」

「え……? さ、さっきの攻撃魔法は、それは」

「私というスタッフのクラスに与えられた、それは刃。体ごと心を切り裂き、断ち割り、穿うがちつらぬく絶望の切っ先」


 マインの周囲に、月光を反射する光の刃が無数に浮かぶ。

 それがすぐに、驟雨しゅううとなってツララに注いだ。

 同時に、ツララを押しのけコトナが再び浮かび上がる。彼女は、両のてのひらを突き出し、の力を発して見えない壁を作った。発勁はっけいに揺れてにらいだ大気の層が、群がる殺意を弾き返す。

 だが、何発かが貫通してコトナに突き刺さった。

 深々とえぐる光は、決して消えることなく不気味に明滅している。


「ハァ、ハァ……マインちゃん。確かに、だよね……言葉は時に、刃。無遠慮な一言は人を傷付けるもん」

「そうよ。コトナ、あなたならわかるでしょう? 名門魔法少女のコトナ。かわいそうなコトナ……言葉で世界を救ってきたあなたは、言葉で一度も救われてこなかった」

「そんなこと、ないっ!」


 再びマインから、先程にもまして大きく太い刃が放たれた。

 それはコトナが繰り出す拳と相殺して、血と光とを弾けさせる。

 ツララは、気付いた。

 コトナは物語を用いた魔法『物語語りものがたがたり』を使う魔法少女だ。だが、基本的には中国拳法をベースとした格闘術で戦う。

 空中戦では、両足で踏み締める大地がない。

 恐らく、普段より力が出せないでいるのだ。

 だが、コトナは拳を砕かれても前を向いていた。


「マインちゃん……わたし、自分をかわいそうだなんて思ったこと、ないっ! ……は、言い過ぎだけど、辛くて苦しい日々にだって必ず終わりはくるよ」

「明けない夜はない、的なやつ? まない雨はない……でも、また雨は降るでしょう?」

「そういう言葉遊び、屁理屈へりくつだよっ!」

「でも、私の病気は治らない! 私、もう死ぬの! 10歳までしか生きられないって言われて、もう11歳! とっくに命の賞味期限が切れてるの!」


 マインの絶望の正体が、今わかった。

 ツララは薄々感づいていたし、だからこそ口にできなかった。

 言葉にした時、それは現実となる。

 大人独特の、目を逸らしてやり過ごす無意識が働いていた。

 間違いない……マインは今この瞬間も、死の絶望に身を焦がしているのだ。

 だが、コトナはフラフラになりながらも語りかける。


「マインちゃん。病気はマインちゃんのせいじゃないし、好きで病気になる人なんていない」

「なら、どうして? とかでも言うの? ママみたいに!」

「そうじゃないっ! そうじゃないよ、マインちゃん。その絶望という病魔を、今度はマインちゃんが世界に振りまいている。そんなことしても、マインちゃんの絶望は癒やされない」

「でも、スッキリするわ。のうのうと、ただあるがままに生きられる人を全員、絶望させてやるの。ディバイジャーを生み出すのも簡単だった。だって、あれは絶望がかてなんだもの」


 いわば、マイン自身がディバイジャーの生贄いけにえ、生きなのだ。

 日本で一番ストレスの負荷が高いこの東京で、彼女のこじらせた絶望は濃密な負の感情だ。それを使って、マインは自らディバイジャーを生み出すすべを編み出したのだろう。

 それを知ってなおも、コトナはマインを助けようとしていた。


「世界も守る、マインちゃんも助ける! ねえ、聞いて……魔法少女って――」

「もう、いい。もういらない! いい人自慢、本当に嫌っ!」


 マインの言葉は既に、刃物より鋭利な切れ味でコトナを引き裂いている。背後で見守るツララですら、無造作に千切ちぎられるような鈍痛を胸に感じた。

 だが、その時である。

 不意に眼下の雲海が二つに割れる。

 そして、先程の八岐大蛇やまたのおろちにも似たディバイジャーが浮かび上がった。


「あははっ! こいつでこれから世界を絶望させるの! 私にない未来なんて、みんなにも許さない。私一人だけ、一人で死んでいくのなんて許せない!」


 たかぶるマインの表情が、悲壮感に満ちた愉悦ゆえつを爆発させる。

 それはどこか、あどけない顔立ちの中で酷く老成して見えた。

 しかし、不意に巨大ディバイジャーが震えて悲鳴を輪唱させる。

 同時に、その尾が浮き上がるや声が走った。


「その絶望、全ておきなさいな! わたくしたち魔法少女は、それを受け止め受け入れますの!」


 アウラだ。

 彼女はそそり立つ尾の先に、相棒の杖を突き立てている。

 その先端で、聖なる十字架が輝いていた。

 そして、アウラの最後の魔法がコトナに繋がってゆく。


「コトナさんっ! 今こそ魔法ですの! まずはこのディバイジャーをっ!」

「アウラちゃん……」

「長くは持ちませんわ。ですから、ペンは剣より強し! 刃には拳ではなく、物語ですの!」

「……あっ、そうか。忘れてた……そういうこと、なんだね。そう……ならっ!」

「そうなのですわ。有終の美、終わりよければ全て良し……この魔法に、コトナさんの勝利とマインさんの救済をたくしますの!」


 アウラが矢継ぎ早に金言きんごんを放つ。

 人類史の中で生まれた、無数の至言しげん、名言だ。

 それは今も世界に満ちて、多くの者達を支え導いている。

 そして、コトナもまた物語を広げ始めた。


「言葉の魔法、言霊法っ! 荒神あらがみの闘志をここに!」


 コトナが放った言葉が、凍える夜空に光を放つ。

 それはゆっくりと、筋骨隆々きんこつりゅうりゅうたる巨漢の男を描き出した。浅黒い肌を剥き出しにした、山のような大男だ。そしてその手に、眩く光る神剣が握られている。

 ツララはすぐに思い出した。

 八岐大蛇を退治し、姫君と人々を守ったその名は――


「神々の楽園を追われ、人の世に降り立った者! 神話と歴史を繋ぐ者! 雄々おおしき益荒男ますらおは闘神! 日ノ本一ひのもといち戦神いくさがみ、スサノオ! その闘志をっ、ここにっ!」


 原初の咆哮ほうこうが天空を揺るがす。

 星々の光さえも、スサノオの雄叫びに輝きを失った。

 スサノオは、その手に握る神剣で次々と大蛇の首を刈り取ってゆく。ただ触れるだけで、溢れる神話の世界観がディバイジャーを圧倒していた。

 これなら勝てる……そう思った、次の瞬間だった。

 不意にツララは、うなずくアウラからすっと力が抜けるのを見た。

 そのまま彼女が雲海に落ちて消え、同時にスサノオも薄れてゆく。


「コトナさんっ、アウラちゃんが――コトナさんっ!」


 今、翼を広げて物語をつむいだコトナは……そのふところに忍び寄ったマインに深々と貫かれていた。彼女の手に今、例の点滴スタンドが握られている。杖魔じょうまルカが変身したそれは、先端に言霊法が……『言の刃』が血に濡れていた。

 マインの命を繋ぐ杖は今、コトナを絶命せしめる槍となって胸に突き立っていた。


「あ、ああ……っ、ぐ! マインちゃんっ!」

「痛いでしょう? 辛いでしょう!」

「う、うん……す、凄く、しんどいよ……でも、でもね。でもっ! わたしは負けないっ! 負けたくない! マインちゃんにも絶対、絶望に負けてほしくないんだから!」

「そういうストーリー、押し付けないで! もう、大人に無責任な希望を植え付けられるの、耐えられない!」


 スサノオは消えていった。

 だが、ディバイジャーは数本の首と太い尾が残っている。

 そして、ツララの中で記憶と知識が全て繋がった。

 竜頭蛇尾りゅうとうだび……日本神話に謳われし最強最悪のドラゴン・タイプ。八岐大蛇の。その尾にはもう一つの神話が隠されている。

 それを静かに、そして秘して論じたままアウラはあとを託したのだ。

 託されたのは自分だと思った瞬間、ツララは空を走った。


「コトナの男? もう、無駄よ。これが杖魔を持たないコトナの限界」

「だったらなんだっ! 限界なんて、超えるためにあるんじゃないのか!? 無理でも無茶でも、無駄だとしても! やってみるしかない! マインちゃんも、やってみせるんだ!」


 そして、叫ぶ。

 自分でも、不可能だとわかっている。

 わかっていても、そう思えないから声が言葉になった。

 その一言が、舞い散る羽根の中に沈むコトナに光を当てる。


「コトナさんっ! 杖魔がいなくても、貴女あなたにはっ! 旦那が、夫が、俺がっ! いるううううっ!」


 ツララは迷わず、背後からコトナを抱き締めた。

 彼女を貫通した槍が、その鋭い穂先が自分にも食い込む。

 それでも、痛みをむさぼるように身を寄せた。そのまま抱き寄せ、二人の流血で槍を引き抜く。その時にはもう、コトナの最後の魔法が小さく輝き出していた。


「言葉の魔法、言霊法……マインちゃんっ! 大事なこと、二つだけ! お願いだから、二つだけ知って! その前にまずっ、ディバイジャーを! ツララ君っ!」

「な、なんだ? えっ? コトナさん、俺……光って、る……死ぬのか? 俺、は……」

「そんなことないよ。ただ、死ぬほど幸せになるだけ……死んでもいいって思えるくらいに、これからわたしたち、幸せになる! みんなでっ!」


 突然、ツララを異変が襲った。

 こんな時に、

 恥ずかしいのに、全身の血液が大集合し始めていた。動物は死に直面すると、遺伝子を残そうとする本能が目覚めるなんて話はあった。

 そんな学説をどこか、与太話よたばなしのように思っていたツララは……自分自体が今、物語の一部になるのを感じていた。

 そして、コトナが彼女の一番の、唯一の物語を叫ぶ。


「わたしの相棒っ、愛棒あいぼうっ! 大事で大切で、大好きなっ!」

「コッ、コココ、コトナさんっ! はしたない!」

「女の子だって、男の子が大好き! パートナーの全てが大好きなの!」


 ツララの股間が突然、まばゆい光と共に伸びた。

 その力に引っ張られて、全身が吸い込まれるように収斂しゅうれんされてゆく。あっという間に、ツララは杖になった……そう、

 そして、それが全てでないことをもうツララは知っている。


「旦那様の愛をここに! 毎日頑張るサラリーマン、気弱でオクテで、とっても優しい人! わたしが愛した、わたしを愛してくれる人! 其はダーリン! 大大大好きなツララ君っ、その愛をぉ、ここっ、にいいいいいいっっっっっ!」


 驚きに表情を凍らせつつ、マインが魔法の刃を飛ばしてくる。

 だが、コトナは手にしたツララでそれを全て叩き落とした。杖になってしまったツララには今、コトナの鼓動と温もりが伝わっている。まるで互いが自分で、二つで一つだ。

 そして、返す刀でコトナは手負いのディバイジャーに向かった。


「無敵の愛でっ、神話を掴み取るっ! 絶望よ、可能性へかえれ!」


 コトナが巨大な八岐大蛇の尾を、一閃いっせんした。

 その瞬間、まだ生きていた全ての首がボロボロと崩壊を始める。

 そして、残った尾から揺らめく黄金の光がツララへと注いだ。

 ステッキが、その先端から静かに杖の姿を脱いでゆく。

 コトナは再び、呆然ぼうぜんとするマインを振り返った。


「そう、八岐大蛇の尾より出しは新たな神剣! 一皮けたねっ、ツララ君!」

「それ、嫌な言い方ですよ! もっとオブラートに包んで! 言葉の魔法で包んで! さやが抜けたとかにして!」

「抜けた、もちょっと……ふふ、えっちじゃない?」

「それを言うなら、コトナさんがでしょ!」


 コトナは、剣を両手で握り直す。

 そう、剣だ。

 アウラが指し示した言葉の先で、コトナは神話と物語を紐付けたのだ。

 その物語の名は――


「ディバイジャーなんて、また生み出せるっ! 私の絶望はまだ、こんなものじゃない!」

「なら、断ち切ってあげるね? 悪い子をしかるのも、優しくさとすのも大人の仕事だもの!」


 狂ったようにマインが、言葉の刃を乱射する。

 ありとあらゆる罵詈雑言ばりぞうごん、悪口や暴論が渦巻いていた。

 その中を今、ツララという名の剣を引き絞ってコトナがぶ。

 既に翼は消えたが、ツララの刀身からほとばし爆光ばっこうが推進力だ。

 そのままコトナは、マインの胴を横薙よこなぎに払い抜ける。純真な少女の心にはびこんった、邪念という名の雑草を薙ぎ払う。


「い、嫌……死にたく、ないの。私だけ、不幸なの、許せな、い……」

「死なない! そういう話、わたしは知らないもん! マインちゃんは生きて、生き抜いて、生き終えた時に幸せだときっと言える!」

「そんな物語……何? なんなの……私を断ち切る、その物語は」

「――ただの私の、恋物語よ」


 かつて、ツララは出会った。

 ビルの谷間に舞い降りる、小さな天使と。

 面接の結果が絶望的だったツララは、ふと路地裏で少女に出会った。相棒を失い、自分も傷付き……彼女は大人の姿へ戻っても、子供のように泣きじゃくっていた。

 目の前のありえない光景よりもまず、その涙にツララは心を打たれたのだ。

 心身共に傷付いたコトナが、初めて知った人のぬくもり……それは今、新たな杖魔として新しい生き方を始めたばかりだった。

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