ACT.06「エピローグ」

幸せは数じゃない、数えられない

 あれから一週間が経った。

 深夜の街を襲った謎の怪物は、痛々しい傷跡を残しながら風化してゆく。今日もニュースは供給過多きょうきゅうかたで、報道のしようもないほどに奇っ怪な事件は忘れ去られていった。

 そして、公私ともに、名実ともにコトナのパートナーとなったツララがいる。

 彼は今日、節目の日を迎えようとしていた。


「あー、いたいた。ウス、ツララ先輩。お久しぶりっす」


 教会の前で携帯電話をいじっていたら、久々にクロウが顔を出した。

 ジーンズに革ジャン、大きなスーツケースとギターケースを抱えている

 メールを送って連絡していたが、律儀に来てくれたのがとても嬉しい。だから、ツララは以前のように気さくに彼を迎え入れる。


「おう、急に悪かったな。来てくれてサンキュ」

「ま、今日でよかったっすよ。はいこれ、御祝儀? 的な?」


 相変わらず眠そうな目で、クロウが缶コーヒーを二つくれた。セットになってて、ミニカーのオマケがついてくる例のアレだ。

 相変わらずクロウは、ツララといえばこれだと思っているらしい。


「それにしても……その格好で式、挙げるんすか?」

「別にいいだろ、格好なんて。主役はコトナさんなんだからさ」

「いや、それにしたって、ちょっと、こう」


 とても晴れやかな朝で、もうすぐ本格的な冬が来る。

 薄荷はっかのような空気はどこまでも澄んでいて、結婚式にはふさわしい日和ひよりだ。

 ツララはいつものスーツにスラックス、ネクタイだけは華やかで式典にふさわしいものだ。でも、その全てが紳士服の量販店の安物で、仕事にいつも着ているものである。

 花嫁の方だけはドレスを用意して、今は着替えの真っ最中だ。

 それでも、クロウが祝ってくれてとても嬉しい。

 いつものぼんやりとした表情だが、クロウは以前より顔に生気が満ちていた。そして、その理由がすぐに知らされる。


「ん、それじゃ俺はこのへんで」

「えっ? 式、出てくれるんじゃないの?」

「や、飛行機の時間があるんで……俺、今日アメリカにつんすよ」

「また、急な話だな」

「音楽っす。とりあえず三年、三年だけやってみますよ。夢さえあれば、あとはこいつで攻めてくだけっす。貯金も少しできたし、食うだけならなんとでも」


 そう言ってクロウは、初めて白い歯をこぼして笑った。

 彼の相棒、古びたギターケースが秋の木漏こもれ日に輝いて見えた。

 そして、彼は別れを告げると去ってゆく。

 旅立ってゆく。

 一度だけクロウを呼び止め、ツララは缶コーヒーの片方を放った。


「頑張れよ、ほれ餞別せんべつ! たった三年か、三年もあるか……数字の意味を決めるのはお前だ。しっかりな」

「ウス、んじゃ」


 缶コーヒーを受け取り、クロウは行ってしまった。

 教会の方から足音が駆けてきたのは、そんな時だった。

 振り返るとそこには、セーラー服姿のリンカが立っていた。彼女はそのままクロウを経由して、道路に出ると息せき切って遠くを見詰める。

 去ってゆくクロウの背中を見詰めて、そして彼女は驚きの声を上げた。


「今の、クロウじゃないですか? インフィニット・クエーサーのボーカルの!」

「えっ? そうなの?」

「そうですよ! 今話題のインディーズバンドじゃないですか。……そう、だったじゃないですか」

「過去形?」

「解散したんです。音楽活動、辞めるって。メジャーデビューの話がポシャっちゃって、それで」

「ふーん、そうか。そうだったか……ま、いいんじゃないの」

「よくないですよ! どうして教えてくれなかったんですが。ファンだったのに」


 あの日から何度か連絡を取っていたが、リンカと会うのは今日が久々である。

 魔力を失い、魔法少女じゃなくなってしまったが、彼女は元気のようだ。もっとも、その心にはまだ深い傷が隠されているかもしれないし、今後えるかどうかもわからない。

 でも、こうして今日という日に集まってくれたことにツララは感謝した。


「そのうち、もっとデカくなって世に出てくるかもしれないな」

「なんですかそれ、キモいんですけど」

「そういうリンカちゃんは……キツいんですけど」

「生まれつきですー! あ、それより! コトナ先輩、準備できましたっ」


 そう言って、ガシリと拘束するようにリンカが腕にしがみつく。

 彼女に引きずられるようにして、ツララは教会の礼拝堂へと向かった。

 その扉を開けると、すでにシスター・アウラとコトナが待ち受けていた。今日という日に改めて花嫁姿を見て、思わずツララは完全に語彙ごいを喪失した。


「コ、コトナさん……綺麗だ。凄く、凄い、です」

「なんか照れるよ、ツララ君。せきを入れるだけでいいって、ずっと前から言ってたのに」

「や、大事なことですし。それに、本当はコトナさんや俺の家族も来てくれればよかったんですけど」


 ツララはあえて、自分の家族は呼ばなかった。

 そして、コトナの家族が来てくれるとは思っていなかった。

 だから、今日は親しい仲間たちだけでいい。


「これから定期的に、コトナさんと結婚式しようと思って。ほら、披露宴もやるしさ」

「え、ちょっともぉ……なぁに、それ? ふふっ、変なツララ君」

「いつかみんなで集まれる、だからそれまで何度でもやろうよ、結婚式」


 恥ずかしそうにはにかんで、小さくコトナがうなずいた。

 自然と誰もが笑顔になった、そんな時だった。


「フン、来てやったわよ。……ここでいいわ、あなたたちは外で待ってて」


 不意に、抑揚よくようのない冷たい声が響いた。

 誰もが振り向く先に、車椅子の女の子が佇んでいた。彼女に慇懃いんぎんなお辞儀をして、メイド姿の女性が三人、外へ出てゆく。

 マインだ。

 彼女はどうやら、経済的には豊かな家の御令嬢ごれいじょうらしい。

 しかし、その物質的な豊かさは彼女を救わなかった。

 最新の医療を常に受けていたであろうが、心をすさませ世界の敵になったのだ。

 そのマインを、コトナとツララは結婚式に招待していた。

 コトナは、純白のドレスでマインに歩み寄り、身を屈める。

 同じ視線の高さで、彼女はゆっくり優しく語りかけた。


「マインちゃん、今日は来てくれてありがと」

「別に……もう、やることもないし」

「これからできるよ、やること沢山」

「そうかしら」

「うんっ、そうだよ?」


 静かに笑って、コトナは本題を切り出す。


「マインちゃんに、伝えたいことが二つあるの」

「……あの時もそう言ってたわ。なにかしら? コトナから得るものなんて、私にはないと思うけど」

「まあまあ、そう言わないで。まず一つ……しばらくマインちゃん、死なないわ。正確に言うと、死ねないの。だって、魔法少女だから。魔法少女は戦うために、死なない身体になってるの」


 あのマインが、心底驚いたように「えっ?」と目を丸くした。

 自分でもシマッタと思ったのか、彼女はほおを赤らめ目を逸らす。


「魔法少女として力を得た女の子は、その魔力を失い引退するまで絶対に死なないの。わたし、何度もマインちゃんに殺されかけてるけど、ピンピンしてるでしょ?」

「そう、だったんだ……じゃあ、私が余命宣告を超えて生きてるのも」

「もしかしたら、魔法少女だからかもね」

「魔法少女になったことで……生かされ、てた?」

「そういう考え方もできるってこと。ねね、見て?」


 コトナはドレスの胸元に指を突っ込んで、グイとシルクの布地をずらした。

 そこには、赤い紋様がゆらゆらと揺れている。

 あの日以来、ツララも初めて見た。

 そして驚く。

 以前見た、引退までのカウントダウンを示す1の文字が、変わっていた。


「これ……コトナ、もう力を失うの?」

「いつかは失うわ。この紋様の変化の意味は、わたしにはわからないけど」

「1、だよね? ううん、これは……えっと、?」

「そう、数字であると同時に文字、そして言葉」

「そっちの、ええと、リンカ? だっけ? リンカは、もう引退したんだよね……」


 リンカは黙って頷く。

 コトナの胸の紋様が、アラビア数字の『1』から、漢字の『一』になっていた。その意味はツララにはわからない。自分が実質的に、コトナの新たなる杖魔じょうまになったことと関係しているのかもしれない。

 そして、コトナは言葉を続けた。


「魔法少女はいつか、魔力を失い普通の人になる。その時、不死性は失われると思うわ。でも、マインちゃん。わたし、今も生きてるよ。魔法少女のまま、26歳になっちゃった」

「……私も、もしかしたら。ううん、そんなことない」

「どうしてそう言い切れるの? 前例としてわたしがいるんだし、希望を持ってもいいんだよ?」

「希望を持てば、裏切られた時に辛いもの」

「裏切られる瞬間は、まだずっと先。そしてまだ、裏切られるとも決まってないわ。それと、もう一つ」


 突然コトナは、白いシルクの長手袋に包まれた手を持ち上げた。そして、指でペイ! と、マインにデコピンをお見舞いした。

 呆気あっけにとられて、マインは赤くなったひたいを抑える。


「マインちゃん、メッ! だよ? マインちゃんが自分を不幸だと感じてるなら、他者も不幸にするんじゃなく、自分を他者以上に幸せにすればいいんだよ」

「……そんなの、大人の理屈だわ。綺麗事よ」

「綺麗なものは嫌い? ううん、そんなことない。マインちゃんには綺麗なものに感動する心がまだある。それに、もう一人じゃないよ。生きてくマインちゃんに、わたしたちも寄り添うから」

「そんなこと……たっ、たた、頼んで、ないわ」

「わたしたちがそうしたいの。回りを頼ってもいいし、辛さや苦しさをぶちまけてもいい。泣いたり愚痴ったりも、もうわたしたちがいるからガンガンやっていいよ」


 マインはそれ以上、なにも言わなかった。

 ただ、コトナは最後まで彼女に、魔法少女として戦えということだけは言わなかった。

 魔法少女は世界を守るため、不死身の肉体が与えられている。マインが病気で死なない理由は、それかもしれない。だが、だからといってそれを恩義に感じての、世界への貢献と奉仕をコトナは一切口にしなかった。

 そして、彼女は立ち上がるとツララに手を伸べる。


「じゃあ、結婚し直そっか。ツララ君、初めての結婚式だねっ」

「ああ。ここから改めて、コトナさんを幸せにするよ。魔法少女じゃなかったら即死だった、くらいに思えるだけの幸福を二人で一緒に迎えよう」


 コトナの手に手を重ねて、ツララは二人で並ぶ。

 アウラが式の一切を取り仕切ってくれるのだが、簡単にざっくり済ませればいいと思っていた。荘厳そうごんな結婚式も、豪勢な披露宴も、全てはこれからだ。そう遠くない未来に、喜びを共有したい人たちを沢山招いて盛大にやるつもりだ。

 そう思ってたのだが、突然コトナの胸が光りだす。

 アウラやマインも同じで、礼拝堂の厳粛な空気が突風に逆巻いた。


「あっ、これ……ごめーん、ツララ君」

「いいよ、行かなきゃ。ってか、俺も一緒に行く」

「そ、そう? そう、だよね……だってツララ君、愛棒あいぼう、パートナーだもんね」

「いや、その発音やめて。それを言うなら相棒でしょ」

「杖魔ってね、自分の性格や興味に深く関わってるものがモチーフになるの。……エヘヘ、ふしだらな奥様でごめんね。でも、ツララ君が大好きっ!」


 そのままコトナの手を引き、ツララは走り出す。

 驚くマインを挟んで、リンカとアウラが声援を送ってくれた。

 魔法少女をやらなくてもいい。

 戦わなくてもいいし、その戦いを終えたら新しい日々が待っている。

 そんな当たり前の世界を守るために、二人は今日も絶望の数字へ立ち向かう。根拠も示さず未来を断定する、そんなしきことわりへと……手に手をたずさえて、挑んでいくのだった。

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