消えゆく歌、押し出す金言

 ツララはリンカを止めようと思った。

 彼女は今、最後の力を使おうとしている。

 だが、ツララの言葉に先回りしてリンカは笑った。それは、いつもの生意気で勝ち気な笑みだった。


「ツララさん。このままただ守ってても、あたしの魔力は消えてなくなります。その時、この病院も、この中で絶望してる人たちも救えなくなっちゃうんです」

「で、でも! 君が犠牲になるなんて」

「違うんです。あたしは戦えなくなるけど、託すことはできるんです。きっと、そうして歴代の魔法少女たちが世界を守ってきた。あたしは……コトナ先輩を守りたい」


 そう言ってリンカははにかんだ。

 彼女の胸でぬらめく光は、既に0が並び始めている。あと数桁の0が並ぶだけで、リンカは普通の女の子になってしまうのだ。

 それでも、彼女に迷いは感じられなかった。

 そして、その決意を受け止めるアウラもまた、大きく深く頷く。


「わかりましたの、リンカさん。わたくしがツララさんをコトナさんへと送り届けますわ」

「ん、お願い。……正直、ツララなんかになにかができるなんて、思ってないんだけどさ」

「まあ! 本当のことを言うものではありませんわ。言葉の扱いは慎重に……真実は時として、人を深く深く傷付けますの」

「いやいや、アウラのそれってトドメでしょ」


 不思議と、二人の間を笑顔が行き交った。

 そして、アウラが小さな手でツララを引き寄せる。

 同時に、いよいよリンカの張った結界が限界を迎えつつあった。

 夜空にひびが走り、それがあちこちで繋がり曇ってゆく。

 しかし、不思議とツララは怖くない。

 絶望を感じないのだ。

 自分たちの勝率、生存率、そして世界が存続する確率……あらゆる数字が0に向かう今、全く恐怖を感じていなかった。絶望のしかたを、気付けばツララは忘れていた。

 それは、希望を具現化したような女性と一緒に生きてきたからだろう。


「じゃあ、アウラ。あとでまた会いましょ」

「ええ。さ、ツララさん。わたくしにしっかり掴まってくださいな」


 ツララはただの一般人、ごく普通の成人男子だ。

 魔法は使えないし、怪物となんて戦えない。ディバイジャーという閉塞した未来に、抗うことすらできないのだ。

 それでも、できることを探している。

 今、無力な自分はなにもしなくていい理由にはならなかった。

 バリン! と結界が砕けて割れ、周囲から牙が殺到する。

 そして、同時にリンカのラストソングが響き渡った。

 瞬間、大蛇の頭が全て空中に磔になる。


「今までありがと、ロック」

「おう。じゃあな、リンカ……けど、忘れるなよ」

「うん? 忘れないよ、ロックのこと」

「そうじゃねえ……決して忘れるな。魔法少女をやめても、日々は続く。お前の歌は、その先に絶えず響いていくんだぜ? だから、終わったままで終わるな。終わりは始まり、初めてな自分を始めろよ」


 リンカが、マイクスタンドとして固定されたロックから、その先端からマイクだけを取り外した。

 そして、ロックから離れて一歩を踏み出す。

 響き渡る歌はもう、ロックではなく彼女を中心にどこまでも広がり続けていた。

 魔力の消失、相棒たる杖魔との決別を自ら選んで……ロックと別れた先でも、リンカは自分の歌を歌っていた。

 そして、そのメロディに込められた魔法がディバイジャーを凍らせる。

 ツララも、その歌唱力に圧倒されて我を忘れた。

 恐らく、アウラが声をかけてくれなければ動けなかっただろう。


「さ、ツララさん! いきますの!」

「あ、ああ!」

「ニコル、お願いしますわ……わたくしたちをコトナさんの元へ!」


 夜空を引き裂く星になる。

 リンカの歌が、星空への架け橋を生み出していた。

 ディバイジャーが群れなし密集する、その中央に勝利への抜け道が穿うがたれる。

 それは小さくとも、リンカが最後の全てを注いでこじ開けた道だった。

 アウラに抱えられて、その中をツララは飛ぶ。

 ちらりと振り返れば、まだリンカは歌っていた。

 ロックが消え失せ、魔法陣が崩壊しても……リンカは、魔法でなくなってしまった歌を全力で絞り出していた。

 だが、彼女の力が消滅へ向かう中で、ディバイジャーが力を取り戻す。


「くっ、追ってくる! でも、これで病院から引き剥がせた!?」

「そういう風にも解釈できますわね。ツララさんのポジティブさ、好きですわ」

「いや、そういうもんじゃなくて、一種の予防線というか」

「こういう状況でそういう言葉が出てくる、それだけでわたくしは尊敬しますの!」


 緑の風となって、アウラが飛翔する。

 その背に羽撃く天使の翼が、あっという間にツララを空へ運んだ。

 そして、コトナとマインの姿が近付いてくる。

 だが、ツララの募る想いを引き剥がすように、二人の軌跡が加速して雲の上に消えた。

 さらに、背後に敵意が殺到する。


「あらあら、まあまあ……ツララさん、あれは確か日本の神話で有名な」

「そうか、そういうことか!」

「ええ。ディバイジャーが群れて生まれることなんてありませんの。ですから、はっきりわかりましたわ。やはり、大きなディバイジャーの単独顕現ですわね」


 大蛇の首が競い合うように昇ってくる。

 その正体を、ツララはもう街明かりの中ではっきりと見た。

 圧倒的な殺意の自乗が、危機的な状況の中で物事を大きく見せていたのだ。落ち着いて数えれば、首の数は8……神話に謳われた、八岐大蛇やまたのおろちのような姿である。

 複数の異なるディバイジャーではなかった。

 八つの首を持つ一匹の大蛇、それがこの敵の正体である。


「ツララさん、コトナさんをお願いしますの!」

「えっ? ちょ、ちょっと待って……アウラちゃん?」


 不意にアウラが、全てを悟ったような笑顔を見せた。

 同時に、彼女の魔法が発現する。

 アウラの魔法は『万希光論ばんきこうろん』……古今東西のことわざや慣用句、先達たちが生み出した至言を力に変えることができるのだ。

 彼女はそっと、ツララを宙へと放り上げた。

 そして、振り返るなり神話にも似た蛇神に向き合う。


「言葉の魔法、言霊法……身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれっ!」


 突如として、ツララの肉体に浮力が生じた。

 魔法なんて使えないのに、自然とツララは空の彼方へと引き寄せられてゆく。

 どんどん小さくなるアウラが、肩越しに振り返って微笑んだ。


「ツララさん、自分を信じて……言葉を信じてほしいですの」

「アウラちゃんっ! 待って、君一人じゃ無理だ!」

「さ、ニコラ……やりますわ。今まで戦ってこなかった分を取り戻しますの! 論じて破れ、我が言葉! 邪悪を余さず論破せよっ! ――竜頭蛇尾っ!」


 アウラの全身から、光の波動が迸った。

 魔法だ。

 アウラの魔力が、古の戒めに現実の力を与える。

 彼女が放った言葉が、八つ首の大蛇を縛る。神話の時代に龍や蛇とうたわれた、恐るべき邪悪の化身に輪郭が与えられた。

 日本神話をモチーフとした、邪竜型の巨大ディバイジャー。

 その尾が、ツララにもはっきりと見えた。

 古来より、あらゆる神話や伝承に登場する悪魔の化身。その最たるものを呼出したマインの力に、改めてツララは背筋が凍った。

 同時に、その有り様を確定させたアウラの魔法が光り輝く。

 それが、ツララが見た最後の姿だった。

 魔法でどこまでも空に吸い込まれるツララは、まさに月の引力に引き寄せられる鳥にも似ていた。そして、アウラもディバイジャーも視界から消え失せる。

 冷たく寒い雲の荒波に揉まれながら、ツララは奥歯を噛み締めた。


「くっ、アウラちゃん! 俺なんかのために……ッ!」


 口にした言葉が瞬時に、自分の目的を灼いて焦がす。

 そう、今のは失言だ。

 命をとして自分を見送ってくれた、アウラの覚悟に対してあまりにも無遠慮過ぎた。ツララは今、自分を矮小化して卑屈になることすら許されない。

 みんなが信じて送り出してくれた、自分には秘められた価値がある。

 それがコトナに届けば、勝ちが見えてくる筈だ。

 そう信じることが、魔法少女を花嫁として娶った男の最低限の気概だった。

 そして、不意に視界がひらける。


「ぷはっ! はあ……コトナさん! そして、マインちゃんっ! もうやめるんだ! 希望だ絶望だは別にして、今はまず戦いをやめるんですよ!」


 高高度の凍えた空気の中に、叫ぶ。

 眼下に広がる雲海は今、まるで大海原の波濤だ。

 そして、月と星だけが見守る空中の闘技場で、火花を散らす二人がいる。

 満月が見守る中で、一方的にコトナはなぶられていた。

 思わずツララは、絶叫を放ってそのあとを追う。


「コトナさんっ! 待って、ひとまずやめて! 戦う前にもっと、話そうよ! それに、殴れない相手に我慢を重ねても……魔法じゃなくても、今は言葉だよっ!」


 まだ、ツララは浮いている。

 空を飛んでいるのだ。

 だとしたら、その力を与えてくれたアウラは健在なのだろう。

 そして、ボロボロになりながらもコトナもまた、懸命に耐えていた。

 彼女はちらりとツララを振り返る。


「ツララ君っ、来ちゃ駄目っ!」

「嫌だっ! 駄目とか言わないでよ! 俺は、そこに、君の隣に……コトナさんを支えられる場所に立って、一緒にいる! 俺はコトナさんを娶った、コトナさんの人生の相棒なんだ!」


 全身をブン投げるように、大きく空気を手足で押しのけた。そうして、藻掻いて足掻くようにコトナへと近付く。

 そこへ、容赦なくマインの放った魔法が浴びせられるのだった。

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