大人の魔法少女、コトナ

 地震ではない。

 天災ではないのだ。

 そこには確かな意思があって、それは悪意だった。

 ツララがそう感じる揺れは、二度三度と強い縦揺れで病院を襲った。身を寄せるコトナが、凍えたように震えている。

 看護師の女性が慌てふためく中で、マインだけが笑っていた。

 先程と同じ、喜びや嬉しさを感じさせない笑みだ。


「マッ、ママ、マインちゃん! 地震よ、こっちに! 急いで!」

「大丈夫、看護婦さん。地震じゃ、ないから」

「なにを言ってるの、危ないからこっちに」

「……うるさいよ、ばあさん」

「えっ!?」


 突然の言葉に、看護師が固まる。

 声音は変わらないのに、マインの使う言葉が突然抜身ぬきみやいばになった。

 そう、言葉は刃物……鋭い切れ味は時に、たやすく人の心を切り裂く。

 がれた刃は文明の利器、衣食住の全てに関わる大事な道具だ。だが、それは同じ人間を傷付け、刺したり切ったりで殺してしまう。

 言葉も同じだ。


「な、なにを……マインちゃん?」

「ばあさん、いらない世話を焼かないでほしいの。無駄なことだから」

「無駄って」

「私、もう助からないんだよね? 知ってるの……だから、壊すの」


 不意に、窓の外が暗くなった。

 闇が満ちて、その中に取り込まれたかのようだ。

 それでも、ツララの目は唯一輝く月が見えた。

 月に、見えた。

 だがそれは、夜空に浮かぶ衛星ではなかった。

 看護師が悲鳴と絶叫を張り上げ、わたわたと逃げ出す。

 ツララも驚きのあまり、声が上手く出てこなかった。


「あ、ああ……これ、これって……!」


 大きく丸く、あやしく輝く星。

 それは、巨大な眼球だった。

 血走る瞳孔どうこうが伸縮を繰り返して、そしてゆっくりと窓から離れる。

 外に今、病院の建物を覆うほどの巨体があった。

 それがなにかを、コトナの震える声が教えてくれる。


「……ディバイジャー。もしかして、マインちゃん? 君、なの?」


 マインは否定も肯定もしなかった。

 だが、この状況下で目を細めて笑う、その表情が全てを物語っていた。

 そして、彼女は静かに語り出す。


「どうして魔法少女が? って思ってるのね。そうよ、私は魔法少女……スタッフのクラスの魔法少女よ」

「ッ! マインちゃん!」

「コトナ、あなたに私の気持ちがわかる? ふふ、わからないわ。わかってもらえない。でも、そんなことに怒ってないの。嫌じゃないし、しょうがないわ」


 コトナは今、まばたきさえ忘れたかのように硬直してしまった。

 まるで、戦慄に凍った硝子ガラスの彫像だ。

 そんな彼女を抱き寄せ、ツララは自分の体温で温める。

 そして、気付いた。

 先程から感じる、恐ろしいまでに冷静なマインの根っこ……10歳前後にしか見えない彼女の、表現しがたい異質なプレッシャーの正体に気付けた。

 それは、あきらめ。

 達観たっかんの極地で得た、諦観ていかんだ。

 絶望を受け入れ、絶望そのものと化した者の静けさがマインを支配している。

 そう感じたから、ツララはその予感を正面からぶつけた。


「マインちゃん! 君も魔法少女だろ? どうして絶望しているんだ! 駄目とは言わない、まずは理由を教えてくれ!」

「……魔法少女になったら、絶望するだけで怒られるの?」

「怒ってなんか……ただ、君が望むと望まぬとに関わらず、助けたいんだ!」


 ツララの言葉に、露骨な嫌悪けんおをマインは向けてきた。

 子供とは思わぬ、ありったけの忌避きひの念を練り上げぶつけてくる。それなのに、そこには煮え滾る憎悪もいきどおりも感じない。

 無味無臭の透明な悪意が、コトナごとツララを貫いた。


「助けたいんだ。ふーん……無理なこと、言わないで」

「無理じゃない! 俺とコトナさんなら、魔法少女たちなら!」

「無理よ、無理。そして無駄」

「そんなことない! 君には仲間がいる、同じ魔法少女の仲間が!」

「……嫌よ。私は助からないし、誰にも私を救わせない」


 外はすでに、蠢く闇が建物を締め付けている。

 先日見た、ドラゴン・タイプに似ている。そして、その大きさは先日の比ではない。さらに、複数の双眸そうぼうが交互に窓の外を行き来している。

 質も量も圧倒的な敵が、ツララたちを包囲しているのだ。

 そしてそれは、恐らくはマインが呼び出したもの。

 そのマインが、そっとニット帽へ手をかけた。


「ねえ、コトナ。それと、コトナの男。魔法少女って、なに?」


 ――魔法少女って、なに?

 その答を、ツララは持ち合わせていない。だが、一人の女性に置き換えることで、魔法少女の全てを語れる気がした。わからないし、理解もまだまだ及ばない。それでも、自分にとってコトナがどういう存在かはわかる。


「魔法少女は、世界を守って戦う人だ。ただの人だっ! みんな、君と同じ弱い人間なんだよ、マインちゃん。みんなそうなんだ!」

「まやかしはやめてっ!」


 マインがニット帽を脱いだ。

 そこには、魔法少女に変身したあとの銀髪はなかった。長く長く風に揺れる、大きな三編みの長髪ではない。

 マインには、頭髪が殆どなかった。


「同じだなんて思えない。思いたくない! みんな、ずるいよ……未来があって! 明日があって! 私にはないのに! なんで、どうして!」


 マインの胸に、黒い光が凝縮されてゆく。

 彼女にきざまれた紋様もんようは今、漆黒の烈風を周囲へと撒き散らしていた。そのたかぶりに呼応するように、外では巨大なディバイジャーがすさぶ。

 鉄筋作りの病院自体が、ミシミシと悲鳴を上げ始めた。

 そして、マインが変身する。


「言葉の魔法、言霊法ことだまほう……未来や希望、可能性、そんなの嫌い、全部大嫌いっ!」


 マインは見た目が幼いからか、変身しても年齢が変わったようには見えない。だが、髪が急激に伸びてゆく。それは二重螺旋を描いて、太く長く三編みになった。

 純白のミニドレスが、無数の包帯と一緒にマインを包んでゆく。

 そして、彼女はふわりと浮かび上がった。

 天井に白き魔法少女をツララは見上げる。


「私に未来なんてないのに、人の未来を守れだなんて……そんなの、残酷過ぎる。でも、この力があれば……魔法があれば、そんな酷い世界を終わらせることだってできるわ」


 それだけ言うと、すっとマインは手を伸ばす。

 すぐに、空中を不思議な光景が泳いできた。

 宙に浮く白い魚が、まるで水面みなもを跳ねるようにマインに寄り添う。

 恐らく、マインの杖魔じょうまだ。


「お待たせしました、御嬢様おじょうさま

「やるわ、ルカ」

おおせのままに」


 ルカと呼ばれた熱帯魚のような杖魔が、その姿を変えてゆく。

 スタッフのクラスがたずさえる杖は、先程の点滴スタンドに酷似こくじしていた。そして、ぶら下がる薬品はどれも毒々しい蛍光色に輝いている。その鈍い光から放たれるチューブが、無数にマインの腕に突き刺さった。

 白亜の魔法少女が今、世界の終わりの始まりに立っていた。


「ねえ、コトナ……私を殺す?」


 マインの言葉に、コトナはくちびるを噛んで言葉を探す。

 だが、彼女の中にそんな残酷な答など最初からない。

 それでも、魔法少女としてコトナが選んだ言葉は、血を吐くよいうなものだった。


「世界を守るわ。わたしは……魔法少女だから」

「そう、じゃあ私の敵ね」

「マインちゃんだって、世界の一部だよ? 必ず助けてみせるから」

「私、放って置いても死ぬのに……でも、一人で死ぬのは嫌だもの。私一人だけ、未来がないのは嫌なことだわ」

「……そう。絶望、してるのね」


 コトナの言葉に、小さくマインがうなずいた。

 ツララにも、その首肯しゅこうの重さが伝わってくる。

 そして、杖魔のルカから声が走る。


「御嬢様はもう、十分に苦しみました。どうか、残り少ない時間に許しをいただきたい」

「ルカ、黙って」

「はい、御嬢様」


 すっ、と滑るようにマインが飛ぶ。

 その姿が、窓を背後に無数の視線を背負った。

 どうやら、巨大なディバイジャーの群れは彼女の制御下にあるようだ。


「それじゃ、バイバイ。私一人救えないあなたたちに、世界なんて守らせない」


 その言葉に、そっとコトナが前を向いた。

 静かにツララの手を振り払い、かすかな風を読んで光を放つ。

 それがツララには、燃え尽きる蝋燭の最後の輝きに見えた。

 不安が言葉にならなくて、呼吸が浅く加速してゆく。

 だが、そんなツララを安心させるようにコトナは微笑ほほえみ、上を向いた。


「世界もマインちゃんも、守る。助けられるよ、わたしっ! 魔法少女である前に、一人の大人として……ツララ君たちと一緒に世界で生きる、大人として!」


 あっという間にコトナが、赤い光に包まれた。

 いつにもましてあかい閃光の中で、変身しながらコトナがジャンプする。幼い過去の姿を経て、薄紅色の戦衣を身に纏った魔法少女へと変貌してゆく。

 その姿は、真っ直ぐマインを貫くようにして窓をブチ抜き、闇夜の中へと昇っていった。

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