八十神の家の呪縛

 色々あったが、今日という日がツララにとって特別な一日になった。

 大学生時代の挫折ざせつと、それを引きずったままの就職活動での失敗……気付けばまともな職もなく、契約社員として各社を転々とする毎日だった。

 でも、今は違う。

 いや、以前から少しずつ違っていたのだ。

 コトナと出会えて、同じ人生を共有するパートナーとして迎えられた。彼女の秘密、世界の秘密を共有して支え合い、今日はとうとう新しい門出かどでを迎えつつある。


「しまった、花束くらい買ってくればよかった……コトナさんのおかげもあるしな、うんうん」


 大黒寺ツララ、24歳。

 うかれて今にも浮かび上がりそうな定時退社直後だった。

 最寄り駅で降りてからずっと、終始この調子である。

 だが、家へと向かう最後の角を曲がって……そこで、突然妙な雰囲気に足を止める。

 小さな借家の前に、仰々ぎょうぎょうしい車列が連なっていた。黒塗りの高そうな外車が、ずらりと並んでいる。その周囲には、定番とも言える黒いスーツの男たちが立っていた。

 どう見ても普通の空気じゃない。

 なんだか胸騒ぎがして、思わずツララは駆け寄ろうとした。


「あの、うちになにか――っ、ええ!?」


 不意にガシリ! と、腕を掴まれた。

 それに気付いた時にはもう、物陰に引きずり込まれている。何事かと思ったら、密着の距離で大きな瞳が自分をにらんでいた。

 リンカだ。

 二人は、身を寄せ合うようにして電柱の影に息を殺すことになった。


「ちょ、ちょっと、リンカちゃん?」

「しーっ! 声が大きいです、ツララさん」

「あ、ごめん。え、なに? あれ、知り合い?」

「どうしてあたしが、八十神家やそがみけの人たちと顔見知りなんですか」

「八十神……あっ、なんだ。コトナさんの実家か」

「なんだ、じゃないですよ!」


 リンカはいつものつれない態度で、その上になにやら苛立いらだっている様子だ。

 その剣幕が今、ツララに向けられている。

 しかし、妻の実家から人が来たとなれば、ツララには隠れる理由はない。まして、逃げ隠れするような後ろめたさはなにも持っていなかった。

 以前、自分から伺った時には会ってさえもらえなかった。

 ならば、いい機会かもしれないし、いい知らせがあったのかもしれなかった。

 だが、そんなツララのポジティブな考えが打ち砕かれる。


「ツララさん、知らないんですか? コトナ先輩……どういう訳か、実家からは勘当かんどうも同然の状態なんですよ?」

「えっ? そ、そうなの!? ……あー、それで御屋敷に行っても駄目だったのか」

「あたしも詳しいことは知らなくて、そのこと聞くとコトナ先輩は辛そうに笑うし」


 コトナはいつも、自分のことはあまり話さない。

 そして、自分より他者のことを考えて行動する女性である。

 その気丈さに、ツララは何度となく助けられてきた。

 ただ、そんな妻の抱えた状況を今になって知らされ、ツララは愕然がくぜんとした。どこか心の中で、コトナを無敵の女神のように思っていたからだ。

 そうではなくて、一人の生身の人間だと自分に言い聞かせてきた。

 でも、その自覚が足りなくて、彼女をなにも救ってこなかったのだ。


「八十神家は代々魔法少女の家系、いわば名門中の名門です。その威光は、世界中の国々で戦う全ての魔法少女におよぶんですから」

「……そっか。そうだったんだ……俺、知らなかったよ」

「ちょ、ちょっと、ツララさんっ! なに落ち込んでるんですか。そりゃ、コトナ先輩ってそういうことあるから……で、でも、あたし教えました! 知ったでしょ!」

「リンカちゃん」

「あたし、最近は……コトナ先輩がツララさんを選んだ理由、ちょっとだけ、ほんのちょっぴりだけ……百歩譲って小指の先くらいちょーっぴり、わかりました」


 おいおい、そこまで言わなくても……そう思っていたら、すぐにツララの暗い自己嫌悪が薄れていった。

 何故なぜ、リンカが自分を引き止めたかが理解できた。

 隠れたのではないし、ツララを隠したかった訳じゃない。

 逆だった。

 彼女は今、ツララをまた一歩コトナの夫に近付けてくれたのだ。


「ま、うん……なら、俺はそれを証明しなきゃいけないかな?」

「そゆことですね。じゃ、あたしは適当に時間潰してから帰るので」

「ありがとう、リンカちゃん」

「べ、別に? あたし、コトナ先輩のこと大好きだから……幸せになってほしいんです。それだけですから」


 リンカはそれだけ言うと、行ってしまった。

 そして、彼女の背中に背中を向けて、ツララも往来に戻って歩き出す。

 すぐに黒服たちが集まってきて、その威圧感にビリビリと肌が粟立あわだった。

 けど、そんなことは逃げていい理由にはならない。

 岩盤みたいな胸板を見上げて、囲んでくる男たちにツララは声を張り上げる。


「大手広告代理店勤務、正社員! 大黒寺ダイコクジツララ! コトナさんの、おっ、おお、おっ……夫です! 家族の者です!」


 ちょっと声が裏返った。

 ともすれば、言葉を噛みそうだった。

 だが、言ったことは全て噛み締める思いで自分にも言い聞かせる。

 すると、男たちは突然左右に分かれて割れた。

 肉の壁が綺麗に整列した先に、玄関までの道が開かれる。

 そして、コトナが小さな老婆ろうばと一緒に出てきた。


「あっ、ツララ君。今、戻り? おかえりなさい」


 コトナはいつもの笑顔で、ツララを迎えてくれた。

 だが、心做しかその表情がやつれて見える。

 酷く疲れたような、どこか陰りがある自分を隠した笑みだった。

 そして、その隣で老婆がジロリとツララをすがめてくる。


「おや、そうかいそうかい……これが婿殿むこどのかい」


 しゃがれてかすれた声なのに、酷く耳の奥に反響するような気がした。

 腰の曲がった老婆は、年の頃はすでに八十を超えているだろうか? 和服をきっちりと着こなし、手には杖を突いている。

 だが、その眼光は鋭く、一睨みされただけでツララは身がすくんだ。


「え、あ、えと……もしや、お義母様かあさま、でしょうか」

「たわけぇ! 誰がじゃ、誰が!」

「す、すみませんっ!」

「奥様は貴様なんぞに会いやせん!」

「……今は、それでもいいです」

「む? なんじゃ? 今は、とは」


 ツララはコトナの隣まで歩いて、その手を握る。

 いつも柔らかくて温かい手が、今はなんだか震えて冷たい。

 だから、強く握って指をからめながら、しっかりと気持ちを言葉にして老婆に伝えた。


「俺はコトナさんと夫婦です。いつか、そのことをコトナさんの家族にも祝福してほしいんです。今は難しくても、必ずしも将来ずっとそうとは限りませんから」

「フン、口先だけは一丁前じゃのぉ……まあよいわ」


 老婆はそれ以上、ツララを見ようとはしなかった。

 ただ、コトナに向き直ると慇懃いんぎんに話し出す。その言葉は、礼儀正しく仰々しいまでの敬いが感じられたが……それが全て、形式的に飾った定型句にも聴こえた。


「では、御嬢様おじょうさま。ばばめは帰りますが……せめて、次なる御世継およつぎを生むことだけは、ゆめゆめ忘れませぬよう。クナトめの件も、それで全て許されましょう」

「……やめて、ばあや。ツララ君の前では」

「御嬢様は、奥様の血を引く唯一の魔法少女。この日ノ本ひのもと神代かみよいにしえより守ってきた巫女の血筋なのです。ばばめが口を挟むことではありませぬが、なにとぞ奥様の御心痛ごしんつうをお察しくださいませ」


 言いたいことだけ言って、老婆は車に乗って去った。

 黒服たちが撤収して、ようやくツララはコトナと二人きりになれた。

 でも、まだ手は離さない。

 それどころか、珍しく強引にコトナの細い腰を抱いて引き寄せる。

 腕の中で珍しく、コトナが目をらした。


「……ごめんね、ツララ君。驚いた、よね?」

「ああ、驚いたよ。俺は……とんでもない大馬鹿者だ」

「ツララ、君?」

「どうして気付かなかった、気付けなかったんだ……ごめん、コトナさん。もう、苦しまないで。俺になんでも話してよ。頼りないかもしれないけど、俺はあなたの旦那様なんだぜ?」


 顔を上げたコトナが、驚きに目を見開く。

 その双眸そうぼうが、星々に満ちた銀河のようにうるんで揺れていた。


「コトナさん、俺はまだわからないことがあるけど、実家とはもうかなり前から……なんか、そのことはまあ、話したくなったら話して。それと」

「う、うん……怒ってるよね。ごめん」

「俺が怒ってるのは、不甲斐ない自分にだよ。世界しか守れない、自分すら守れないくらい優しい、それが俺の妻なんだって……わかった気になってたんだ」


 ツララは、そっとコトナを放して、その華奢きゃしゃな両肩に手を置く。


「コトナさん、俺たちもう夫婦なんだから……もっとお互い、寄りかかったり支えたりしよう。俺はもっと、コトナさんを幸せにしたいんだ」


 少しうつむき、小さくうなずくコトナ。

 そして彼女は、涙目で笑った。


「もう、ずるいよ……プロポーズみたいだし。それに、格好いいぞ? ありがと、ツララ君。わたしね……あ! と、とりあえず、中に入ろ? ご飯もできてるし」

「あ、ああ」

「すぐ温めるから! それと――」


 玄関に向かって振り返り、走り出そうとしてコトナがよろけた。

 そのままふらりと力が抜けて、思わず慌ててツララが駆け寄る。受け止めた彼女の顔色は、どこか血の気がなくて青白い気がした。


「ごめん、なんか……気が抜けたのかな。でも、朝からちょっと」

「大丈夫? えっと、普通の薬や医者でいいのかな。アウラちゃんに来てもらう?」

「ううん、平気。ちょっと食欲がなくて……ッ、う、ンッ!」


 不意にコトナは、口元を抑えてツララを振り払った。

 驚きその背を家へと見送りつつ……不意に、先程の老婆の言葉が脳裏に蘇る。そして、一つの可能性が思い浮かぶや、ツララは携帯電話をわたわたと取り出した。

 既にもう、ちぎりを交わして共に夜を越えてきた夫婦だから。

 だから、そういった天からの授かりものを得る可能性は大いにありえるのだった。

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