戦わないけど、戦えない訳じゃない

 アウラの額に浮かぶ数字、それは3。

 それが、彼女を絶望させるための値なのだ。

 だが、彼女は毅然とした姿で輝いている。その全身から、溢れ出る光の粒子がうずを巻いていた。

 そして、ツララはそんな彼女の前に出る。


「下がってて、アウラちゃん! 絶望なんかするなよ……絶望なんかしてやるな!」

「ええ。わかってますわ……この数字の意味、その重さ」

「アウラちゃん? ――ッア!?」


 不意に視界が一瞬、ブラックアウトした。

 その瞬間にはもう、全身が痛みに引き裂かれていた。

 気付けば、体育館のすみで壁に叩きつけられていた。そして、ツララを吹き飛ばしたドラゴンの尾が、天井狭しとゆるゆる揺れている。

 全く見えなかった。

 そして、圧倒的な力だ。

 呼吸できないほどの痛みをきざまれ、その場にツララは崩れ落ちる。

 見れば、周囲には部活の朝練に来ていた子供たちが倒れていた。


「とにかく、コトナさんは絶対来るっ! それまでアウラちゃんを!」


 うようにして、地面を登った。

 断崖絶壁を上がるくらいの力が必要で、全身の筋肉はすでに悲鳴をあげている。

 それでも手を伸ばせば、なにかが指に触れた。

 女の子がよくやってる、ラクロスのラケットだ。手繰たぐり寄せて強く握り、その握力を全身へと拡散させる。ありったけの空気を吸って吐いて、薄靄うすもやの中にツララは立ち上がった。

 立ってよろけて、そのままふらつく足で走り出す。


「ツララさんっ、来てはいけませんわ!」

「いいや、行くでしょ! だって、なんのために付いてきたんだって、話だし!」


 叫ぶだけで力が抜けてゆく。

 それでも、ツララは昔とった杵柄きねづかでラケットを構えた。

 うなる巨龍の前へと自分を押し出し、上段からの一撃を振り下ろした。

 手が痺れて、ラケットが木っ端微塵こっぱみじんに砕け散る。

 生物とは思えぬ硬さが、ツララの全力を弾き返した。

 それでも、折れたラケットを構えて背にアウラをかばう。


「こいつ、でかいだけで身動き取れない、的な? ありそうだな、さっきから尾しか動かない。体育館が狭すぎるんだ」

「ツララさん、あとはわたくしが」

「駄目だ……君が戦わないことを選ぶなら、俺がそれごと君を守る!」


 口論もそこまでだった。

 思った通り、龍のディバイジャーが再び尾をひるがえす。

 というか、尾以外では攻撃してこないみたいだ。

 ツララは自分を投げ出して、アウラを押し倒すように身を伏せる。

 一秒前の自分が、風切る轟音と共に殺された。

 直撃を受ければ、今度こそただでは済まない。

 そう思って再度回避に身構えた、その時だった。


「あ、あれ? なんだ……身体が、動かな……い? え? なんだ、これ」


 ツララの肉体が突然、重くなった。

 なまりのようなという比喩ひゆがぴったりな、体温も感覚も奪われた状態で動けない。先程までの激痛さえももう、感じなかった。

 そして、思わずひたいに手を当てる。

 そこだけが異常に熱くて、それなのに痺れるように冷たい。

 凍れる炎の正体を、自然とツララは察した。


「俺……絶望、しそう? なのか? なんで!」

「気をしっかりもってくださいな、ツララさん!」

「い、いくつだ……なんの数字だよ、俺っ! 絶望なんてもう……とっくにし終えて乗り越えただろ!」


 アウラが教えてくれた。

 ツララに今、過去からの亡霊が取り憑いている。

 その正体は、5だ。

 剣道五段……その意味を少年時代、あまり感じていなかった。段位に関わらず、強い奴は強い。そして、自分もそういう型破りな猛者もさだと思っていたのだ。

 だが、大学進学と同時にその思い上がりは砕かれる。

 同じ五段にも、強い五段と弱い五段がいたのだ。

 そして自分は、後者だったと認めるしかなかった。


「そうだ、俺は……その程度のことで、剣道を……やめて、逃げて」

「ツララさん! ……大丈夫ですわ。心配ありませんの」

「アウラ、ちゃん?」

「お忘れでしょうか。わたくし、回復魔法のたぐいは得意ですもの。さあ」


 そっとアウラが、額に触れてくれた。

 その柔らかさだけは、はっきりと感じ取れた。

 そして、その白い手がツララの数字を引き剥がしてくる。忘れたくても忘れられない、止まってしまった成長の数字が取り払われた。

 アウラは立ち上がると、手の中に数字を握り締める。

 手に手を添えて、祈るように握り潰す。

 緑の風を花咲かせて、その中心でアウラは前を向いた。


「わたくしが魔法少女になって、三年……この3という数字は、わたくしが戦わなかった月日。それを今、終わりにしますの!」


 思わずツララは、駄目だと叫んだ。

 叫んだつもりでも、声が出なかった。

 だが、顕在化した心の傷が、再び血に濡れながら心の奥に去ってゆく。開いた古傷ではなく、ずっとんでいた。乗り越えた場所からいつも、ツララは振り返っていたのだ。

 そして、その痛みが引いてゆく中で、アウラが静かに微笑ほほえんでいる。


「――言葉の魔法、言霊法ことだまほうっ! いざ、参りますの!」


 あっという間に、光が集束してつぼみになる。

 そして再び花咲く瞬間、小さな魔法少女が変身を終えていた。

 緑色のとんがり帽子に、同じ色のミニドレス。

 相棒の杖魔じょうまニコルが、一度ほうきになってからひっくり返る。

 立てた箒はすぐに輪郭を再構築させ、十字架を頂く魔法の杖が現れた。


「わたくしはアウラ、ケインのクラスを得た魔法少女……戦いは望むところではありませんが、避けられぬ戦いからは逃げませんわ!」


 毅然きぜんとした態度で、アウラがディバイジャーを睨む。

 巨大な赤い瞳を収縮させて、邪竜が僅かにたじろぐ気配があった。

 まるで、古き伝承にうたわれた聖女マルタだ。

 リヴァイアサンの子をしずめ、民を守った聖人の貫禄が重なって見える。

 そして、アウラは初めて自分の魔法を攻撃のために使った。


「数とは、数字とは! 絶望を突きつけるためのものではありませんの!」


 かざした杖の十字架が輝く。

 同時に、背に翼が広がりアウラが舞い上がる。

 聖十字の小さな魔女が、そのままドラゴンへと向かって光を放った。


「――ろんを持ってさとすは、言葉の力! わたくしの魔法は『万事光論』ッ! こういう言葉を御存知ごぞんじでしょうか。!」


 突然、龍のディバイジャーが尾を引っ込めた。

 まるで、見えざる神の手が折り畳んだかのようだ。

 不自然に、強引に、有無を言わさずどんどん巨体が圧縮されてゆく。

 魔法少女の言霊法、それは言葉を力に変える。

 コトナの物語、そしてリンカの歌……その奇蹟に勝るとも劣らぬ、アウラの力が暴力を論破した。

 どうやらアウラは、ことわざや慣用句かんようくを使うらしい。


「お隠しなさい、その力は無用ですわ。そして、隠せぬ害意と悪意は、わたくしが浄化しますの!」


 全身を震わせ、魔法の力にドラゴンがあらがう。

 だが、自らを能ある鷹に例えられて、否定できないから爪が隠されてゆく。アウラの言霊ことだまは確かに、ディバイジャーの動きを弱めていった。

 それでも、絶叫がビリビリと体育館を震わせる。

 魔法少女の言葉が力ならば、邪悪なる咆哮ほうこうもまた同じだった。

 ツララは、声が風圧となって叩きつけられる中で目を見開く。


「だ、駄目か?」

「いえっ、まだですわ! さらなる論を重ねますの……画竜点睛がりょうてんせいっ! いましめの縛鎖ばくさに最後の仕上げを!」


 アウラの魔法が力を増す。

 すでにディバイジャーは、半分ほどの大きさに縮んでいた。質量が減ったのではなく、アウラの言霊法によって自分を隠そうとしているのだ。

 心のこもった言葉は時として、人の心に響く。

 のみならず、その肉体や精神にも作用して、物理的な力になることもあるだの。

 それでも、流石さすがは強敵といわれる邪竜型だけはある。

 ディバイジャーは必死に身をよじって、空いたスペースの中を転げ回った。ひたすら内側に向いてくる力が、まるで漏れ出すように周囲を破壊してゆく。


「やはり、わたくしの魔法では決め手に欠きますわ。それに」

「そ、それに? アウラちゃん、やれてるよ! 戦えてる!」

「ええ、それに……この姿はやっぱり、魔女みたいですわね。初めて見ますが、わたくしもコトナさんやリンカさんのような衣装がよかったですの」


 微笑ほほえむアウラを見上げて、ツララは叫ぶ。

 十字架の魔女は、魔女なんかじゃない。

 それを人がなんと呼ぶか、その人はなんと名乗るかは知っている。


「違うよ、アウラちゃんっ! 君は……君たちは魔女じゃなくて、!」


 身を声にして叫んた、その時だった。

 不意に突然、衝撃が体育館全体を突き抜ける。

 まるで落雷のような一撃が、突如として屋根を断ち割りドラゴンを穿うがった。

 アウラの魔法はいわゆるデバフ……力を弱めて封じるものに似ている。

 だとすれば、今まさに直接的な攻撃魔法が炸裂した瞬間だった。

 悲鳴と共にドラゴンが揺れて、建材の破片がほこりと一緒に舞い上がる。

 その中で立ち上がるシルエットは、幼くあどけない乙女の形をした正義だった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る