百の音、並ぶ歌と論と、一撃と

 舞い上がる砂塵さじんが、闇の中で逆巻く。

 落ちてきた小さな嵐が、凛冽りんれつたる覇気をみなぎらせていた。

 この薄暗い中で、ツララにもしっかりとその波形が見て取れる。それは溢れ出る魔力が、怒りの炎で照らされた輝きだ。

 そこには、笑顔こそ普段と変わらないが、闘志に燃える妻の姿があった。


「アウラちゃん、大丈夫? 待たせた、よね? ゴメンッ!」


 コトナは腰を落として身構えると、アウラを気遣い微笑みを浮かべる。

 そして、強い光を宿した瞳でツララにうなずいてくれた。

 言葉はもう、いらない。

 大丈夫な自分でいるだけで、コトナはそれを察してくれる。

 同時に、天井の大穴から声が響いた。


「コトナさんっ、あたしも援護しますっ!」

「ん、ありがとっ! リンカちゃんも無理はナシだよ? 頑張り過ぎは、メッ! なんだから」

「は、はいっ! ……大丈夫、あたしはまだ魔法を歌える……いきますっ!」


 リンカも降りてきて、着地と同時に旋律を広げる。

 マイクスタンドと化した杖魔じょうまのロックから、あっという間に光の魔法陣が開かれていった。それは床の隅々まで行き渡り、ほのかな明かりが灯る。

 そして、圧倒的な歌唱力が場に満ちた。

 リンカの声が歌となって、そこに込められた言葉がコトナに宿る。

 ゆっくり身を起こしたドラゴンへ向かって、コトナは強く震脚しんきゃくを踏んで猛ダッシュ。


ッ! ――トウァ!」


 

 言霊法ことだまほうと呼ばれる言葉の魔法なのだ。

 コトナは、11歳の矮躯わいくで、高く高く天を衝くような蹴りを放つ。それがディバイジャーを僅かに浮き上がらせた。間髪入れずに、両の手を繋げて広げた掌底を叩き込む。

 確か、白虎双掌打びゃっこそうしょうだとかいう発勁はっけいの技だ。

 ディバイジャーの巨体が壁を突き破って、外へと吹っ飛んだ。

 

 まるで八極拳はっきょくけんだ。


「よしっ、いくよリンカちゃん! アウラちゃんも!」


 コトナは、ぽっかり空いた横穴の中へと飛び出して行った。

 そこはもう、強烈な一撃が突き抜けた影響で、黒い闇が渦巻きながら消えている。ようやく外の光が、朝日がこの場に差し込んできた。

 走り出すリンカが、一度だけ立ち止まって振り返る。、


「アウラ、ほらっ! ぼーっとしないで。あたしたち三人でなら、ドラゴン・タイプだってやれるよ」

「ええ!」

「あんたの論じる魔法なら、あたしの歌とだって響き合える。この時をずっと、ずっと待ってたんだから」

「ありがとうございます、リンカさん」

「フン、遅いのよ」

「でも、遅過ぎはしませんでしたわ」


 二人に続いて、ツララも外に出た。

 白日のもとにさらされた巨大な龍は、元のサイズに戻っている。どうやらアウラの魔法が解けかけているようだ。だが、そこには確かにダメージが感じられた。

 そして、小さな背中が頼もしい。

 肩越しにチラリと振り返って、コトナが勝ち気な笑みを浮かべていた。


「さあ、物語を始めるよっ! 三人の魔力を重ね合わせれば! 龍だって倒せるんだからっ」


 朝の空気が沸騰する。

 絶叫を張り上げ、巨大な龍が翼を広げた。

 自由な空間に出たことで、ついにその力が解放されたのだ。

 だが、コトナの背中に不安は微塵みじんも感じられない。

 そしてそれは、リンカとアウラも同じだった。

 顎門アギトを張り裂けるほどに開いて、ディバイジャーが牙を向ける。その突進に肘鉄ひじてつを押し込みつつ、コトナは反動で宙へと身をひるがえした。

 同時に、三人の魔法が連続して励起れいきする。

 物語の扉が開かれ、歌と論とが世界に奥行きを与えてゆく。

 コトナを中心に、異空間とでも呼ぶべき荘厳そうごんさが構築されていった。


「いくよっ、アウラ! 歌よ舞い上がれ、うたに乗せて夢と希望を語れっ!」

「参りますわ……豪華絢爛ごうかけんらん百花繚乱ひゃっかりょうらん! 人は世につれ、世は歌につれ!」


 後方の二人から、青と緑の光が膨れ上がる。

 そして、あっという間にそれはあお翠色みどりいろに広がった。

 コトナもまた、握った拳を引き絞りつつ詩篇しへんを物語る。


「言葉の魔法、言霊法っ! 祝祭の調べをここに! 全てここに、世に満ちて!」


 コトナの背に、十二枚の翼が現れた。

 それは純白の羽毛を散らしながら、巨大な魔法陣を生み出してゆく。それはまるで、後光の差した神かほとけか、その両方かといった神々しさである。

 そして、ツララは背後でゴトン! という音を聴いた。


「へ? これは……ピアノ?」


 そう、グランドピアノだ。

 振り向けばそこに、傾いたピアノが突き刺さっている。

 そして、どんどん空からピアノが降ってきた。

 一台で数百万円もするような巨大楽器が、次々と無造作に投げ捨てられている。それは向きも上下もばらばらなのに、まるで示し合わせたように歌い出した。

 よく見れば、その一つ一つに奏者そうしゃが座っている。

 歴史の偉人のように、髪を巻いた正装姿の紳士たちが演奏していた。

 コトナの高鳴る声が、その意味を教えてくれる。


「百の調べ、百の旋律! これは空想と虚構ではなく、現実の歴史の物語……奏でる者たち、楽器を歌わせる者たち! は宮廷音楽家、アントニオ・サリエリ! そしてその意思と共に生きた魂! その意思を継いだ探求者たち!」


 百のピアノがメロディをかなでる。

 その重厚感に溢れた立体的な調べが、リンカの歌を包んで膨らませた。百のピアノで着飾る歌声は、さらなる高みへと透き通ってゆく。

 そして、音の結界に閉じ込められたディバイジャーを、完全にアウラの論理がとらえていた。今、広がる芸術空間の中で、その高まりが四文字熟語によって修飾されている。

 コトナが呼び寄せたのは、歴史の名だたる音楽家だちだ。

 皆、ピアノの鍵盤に指を踊らせている。

 悲運に見舞われた者、遺恨に沈んだ者もいただろう。

 それでも、コトナの言霊法である「物語語ものがたがたり」は今、希望の喜びに満ちていた。


「このままっ、押し切るんだからっ! 最後の仕上げっ、いくよ、みんなっ!」


 コトナの呼びかけの、みんなという言葉にツララは自分を重ねた。

 ただ見ているだけの自分にも、なにかができている……力になれてる。だからコトナは、みんなの中に自分を入れてくれてる気がした。

 そして今、リンカとアウラの協力を得てコトナがふわりと舞う。

 まるで、見えないタクトを振るう楽団の指揮者だ。

 シューベルトが、ベートーベンが、バッハがいる。

 名もなき奏者も、これからの才能もいるし、なによりモーツァルトもいる。

 百のピアノを束ねてシンフォニーをつむぎ、コトナはそれをこぶしに凝縮した。


「一撃必殺ぅ! 確定された未来を押し付けるなんて、絶対にッ! 許さ、ないん、だからあああああっ!」


 ドラゴン・タイプのディバイジャーが大きく口を開けて首を伸ばす。

 獄炎ごくえん吐息といきが解き放たれて、周囲が真っ赤に染まった。

 だが、突進するコトナはそのただれた奔流ほんりゅうに真正面から蹴りを放つ。左右の連撃が空気を引き裂き、真空の層を生んで燃焼を阻んだ。

 炎の中につらぬかれた風の道を、彼女は真っ直ぐ彗星のようにぶ。

 肩口から当たれば、質量差が嘘のように龍は苦しげにえた。

 同時に、零距離に肉薄したコトナの肘がうろこにめり込む。

 その時点でもう、勝負あったと思えた瞬間……ドン! と大地が揺れた。

 輝く魔法の力を握り締めた、コトナの一撃が激震と共に放たれる。

 真っ直ぐ蒼天そうてんく強烈なアッパーカットが、ディバイジャーを空の彼方へと吹き飛ばした。


「……うん、まあ、あれだな。うんうん、それもまた魔法だな」


 端的に言うと、必殺のブレスをコトナは連環腿れんかんたいで掻き消し、 馬歩衝靠まほしょうこう外門頂肘がいもんちょうちゅうで完璧に自由を奪った。そしてドドメの揚炮ようほうが邪悪な害意を星に変えた。

 確実にツララは魔法という概念が覆るのを感じていた。

 ともあれ、世界の危機は三人の魔法少女によって取り除かれたかに思えた。


「はは、相変わらずコトナさんって滅茶苦茶めちゃくちゃな強さだなあ」


 既に周囲は、普通の空間に戻りつつあった。

 希望を取り戻した百の音が、一つずつ消えてゆく。そうしてピアノの調べが遠ざかってゆくと、リンカの歌が最後の詩篇を歌い上げた。

 アウラもまた、静かに杖の十字架に祈りを捧げる。

 二人の杖魔も、互いの健闘を称え合っているかのようだった。


「さて……こんなに派手にやらかしたけど、どうなるんだろう。こういうとき、アニメやマンガだと都合よく直るんだけど――ン?」


 ちらりと校舎を見やったツララは、妙な違和感に視線を戻した。

 なにげなく見渡した光景を逆再生すると、体育館の屋根に人影が見えた。

 それは、魔法少女だ。

 白い髪を三編みに結った、白い装束の女の子である。その手には、不思議な杖が握られていた。包帯だらけの彼女は、杖からぶら下がる点滴と何本もの管で繋がっていた。

 遠目にはそれくらいしか見えないが、ツララは酷く胸がざわつく。


「あれ、コトナさんのお仲間かな。えっと、コトナさん? あそこにもう一人」

「んー? あっ、ツララ君っ! もー、忙しくてもメッセージには返信して。ちょっとでいいんだから!」

「あ、それは、その、ゴメン。それより」


 プンスコ怒り出したコトナに、慌てて謝りつつツララは体育館を指差す。

 だが、そこにもう白い少女の姿はなかった。

 ただ、違和感だけが強烈に胸の奥に燻っている。

 そう、何故なぜなら……謎の魔法少女は、コトナたちに冷たい視線を注いでいたから。

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